第三話 皓月将軍の相談<前>
国の規模はさほどではないが、ルキルアは割に裕福な国らしい。街全体を見下ろせる高台にある城もなかなか立派だった。
城の周囲は街道沿いの河から水を引いた人工の堀に囲まれ、背後には広く湿地帯が広がっている。護りは強固そうだが、建物全体を見た感じは砦としての城ではなく、宮殿の体裁だ。正門から大きな広場をはさみ、正面には王の執務などが行われる本館が大きく構えていて、その裏手にも更に広い敷地と、いくつかの建物がある。
古びているが趣のある本館の左後方には、更に大きな宮殿があり、右側には後の時代に建てられたと思われる
「正面の建物の両側が、それぞれ白弦と黒弦の拠点になっているのだ。左が黒弦棟で右が白弦棟」
「へぇ」
「本館の向こうにある大きな建物が王の住まう陽光宮で、白弦棟の裏手にあるあの白い建物は、第一王子の住まう月花宮であるよ。もとはご実母である前王妃のために建てられたのだが、今は王子がそちらに移っておられる」
「前の王妃? 今は別の妃がいるのか?」
「前王妃はご病気で亡くなられてしまったからな」
正面の広場から本館に向けて、馬車でもそのまま入れるように石畳が整備されている。グラン達が歩いたのは、白弦棟へまっすぐ続く芝生の中の歩道だった。
厩舎の近くにいた兵士にエスツファが馬を預け、白弦棟の正面に向かったところを、
「あっ、エスツファの旦那! 聞いてくれよ!」
衛兵と話し込んでいた銀のマントの青年が、エスツファの顔を見るなり早足で近寄ってきた。
ルスティナと同じ将官の服に、同じ剣を
「おやフォルツ殿、なにかあったのか」
「なにかじゃないよ、なんだって自分がシェルツェルとロウスターに説教されなきゃならないんだよ」
のんびりと問うエスツファに、フォルツは髪と同じように頬を赤く上気させ、勢いよく答えた。
「例の留置場破りの件だよ。そりゃ自分は確かにあの日、あの地区の担当だったけどさ。『外部から賊にやすやす侵入されたうえに鍵まで奪われるとは白弦騎兵隊の名折れであるぞ、兵の教育はどうなっているのだ』とか、あいつに言われたくないよ。お前が横に飼ってるでかいのを人並みにしつけてから言えと……」
せき込むようにそこまで吐き出し、フォルツはやっと、エスツファの横であっけにとられているグランの存在に気づいたらしい。一瞬気まずそうに言葉を切り、エスツファに目を向ける。
「閣下がお招きした、例の“美男の”剣士殿であるよ」
「へぇ、ルスティナって、すごい面食いだったんだな」
エスツファと同じことを言っている。フォルツはなにか珍しいものでも見るように上から下まで一通りグランを眺めると、はっとした様子で表情を引き締め、右手を差し出してきた。
「あ、ああそうか。剣士殿、広場で脱走者を取り押さえてくれたんだったよな。活躍は閣下から聞いている」
「あ、ああ……」
「自分は白弦騎兵隊副指令のフォルツだ。剣士殿と神官殿のおかげもあって、脱走者たちをほぼ全員、速やかに取り押さえることができたのだと、総司令閣下も喜んでおられた。あれで大半に逃げ切られてたら、シェルツェルが余計に騒ぎ立てて、もっと面倒なことになるところだったよ」
勢いに呑まれ、素直に握手に応じてしまったグランの横で、エスツファがうんうんと頷いている。
「難癖つけて、ルスティナの管理責任まで問いかねぬからな。フォルツ殿だけでおさまってよかった」
「それもよくないけどさぁ」
「まぁ愚痴はまた後で聞こう。今は剣士殿を閣下のところに案内せねばならぬ。それともフォルツ殿も一緒に参るか?」
「いや、自分は夕方まで城下で衛兵の監督なのだ。同席したいのは山々だが……」
残念そうにそう言うと、フォルツはまたしげしげとグランを見返した。
「悔しいが見れば見るほど美男だな。ルスティナに浮いた話がないのがよく判るよ、基準が高すぎる」
「男の中で長に立つのだから、普通の感覚ではつとまらぬのだろうな」
フォルツは言うほど悔しそうでもない。誉められているというより、珍しい生き物だと指をさされているような気分だ。
グランがまともに反応できないでいるうちに、フォルツは軽く手を挙げて厩舎の方に去っていった。微妙な表情をしているグランを見て、エスツファはすまなそうに笑みを見せた。
「いや失礼、剣士殿をからかっているわけではないのだ。ルスティナが男の容姿を誉めるなど、かつてない珍事だから、いったいどれほどの美男なのかと城では盛り上がっていてな」
言いながらエスツファが玄関脇に目を向けると、興味津々といった様子でこちらを伺っていた衛兵達が、慌てて姿勢と表情を引き締めた。
遠巻きに、他の兵や使用人達が同じような目を自分に向けているのが判る。若い女の視線だけなら悪い気はしないが、これでは落ち着かないだけだ。
フォルツの言葉の中に出てきた、いくつかの単語についても聞きたかったが、周りが注目しているのが判るので、どうも切り出しにくい。エスツファは素知らぬ顔で先を歩いている。
石造りの階段を上がり正面玄関に入ると、中は天井まで吹き抜けの広いホールになっていた。ホールの中央には白弦騎兵隊を象徴する、弓を持った半人半馬の石像が置かれ、訪れるものに国軍の最高機関としての威厳を示している。
両脇には壁に沿って階段が造られて、二階の踊り場まで左右対象の弧を描いて伸びている。更に二階の踊り場には開け放たれた立派な扉があり、その左右からさらに奥に向けて廊下が続いていた。
「この奥は、大広間になっているのだ。黒弦棟にはこういう大きな部屋はないので、ここが有事の時の総司令本部になるのだよ」
二階の踊り場にある扉を示し、エスツファが説明してくれた。なるほど扉が立派なわけだ。
階段を上りきると、踊り場から左右に伸びる廊下の、左に向かってエスツファは歩を進めた。方角でいうなら南に当たる。
「この廊下をずっと行くと、城の本館に通じる渡り廊下に通じている。城内の各建物は、本館を中心に渡り廊下でつながっているのだ」
「へぇ」
話ながら通されたのは、ルスティナの執務室だった。部屋の手前には、二〇人くらいなら楽に座れるだけの長いテーブルと椅子があり、一段高くなった奥の窓際には執務机とチェストが置かれている。その机で大きな地図を広げていた銀色のマントの人物が、扉をあけて入ってくる二人を振り返った。
銀色の耳飾りと栗色の髪が陽光を受けてきらめき、グランは眩しさを感じて思わず目を細めた。
「旅の剣士殿を連れ申したよ、閣下」
「エスツファ殿に閣下など呼ばれても、からかわれているようにしか聞こえぬよ」
答えるルスティナの苦笑いは、グランを見て心底嬉しそうな笑顔に変わった。
「グランバッシュ殿、わざわざ呼びつけてすまなかった。来るのが難しいなら、午後にでも私が直接出向こうと思っていた」
もちろんいつもなら「用があるならそっちから来い」なのだが、状況が状況だったからうっかりここまで来てしまった。グランは曖昧に笑顔を作って、差し出されたルスティナの手を握り返した。指先に直接触れるルスティナの手は、自分のよりも少しだけひんやりしている。
しかし一回顔を合わせたきりなのに、この好意的な態度は一体なんなのだろう。
よほど自分の容姿が好みだったのだろうか、それなら仕方ない。グランが呑気なことを考えていたら、
「そうそう、先日の騒ぎで町からうまく逃げ出していた者らが、潜伏先の廃村で確保されたと先ほど連絡が入った。……なにか仲間内でもめ事でもあったのか、全員縛り上げられた状態だったらしいのだが」
「へ、へぇ」
「これで、逃げ出した者はあらかた捕らえることができた。最初に鍵を奪い、他の者にも牢破りを煽動した者はまだ見つかっていないのだが、釣られて脱走した者に関しては一段落といったところだ。グランバッシュ殿とエレム殿の働きのおかげもあって、城下の民が巻き込まれて怪我をすることもなく事態が収まった。改めて、ありがとう」
真っ直ぐな物言いに、グランが反応に詰まっている横で、エスツファがひとり感心したように何度も頷いている。調子がいいだけのように見えて、なんだか喰えない感じがする。
「さて……とりあえず、グランバッシュ殿が面倒だと思っている話から済ませてしまおうか。あの件に関しての、そなたらへの謝礼の話だが」
「ああ、それは」
アルディラとの会話から逃げ出すことが目的だったから、別に謝礼そのものの話はどうでも良かったのだ。口ごもったグランを見て、ルスティナはまた穏やかに微笑んだ。銀色の耳飾りが、一瞬鮮やかに輝いた。
「自分たちの分は水売り屋台の娘にまわすように、とのことだったので、壊れた屋台の修繕と、ダメになった材料などの補填をさせてもらった。そなたらに本来渡されるべき謝礼分には満たないかも知れないが、身の丈にあわない金が渡されても、逆に本人の為にならないだろうと思ってな」
もっともな話である。ルスティナは杓子定規にならず、柔軟な判断ができる人物らしい。グランは頷いた。
「あんな騒ぎの後でもあるし、向こう一ヶ月は治安強化も兼ねて、休憩の際はあの広場を利用するようあの地区の衛兵には勧めておいた。これから暑い季節になるし、飲み物の屋台は有り難かろう」
横でエスツファが「売り子の娘もかわいいし」などと口走った気がするが、ルスティナには聞こえなかったようだ。
「もちろん気が変わって、やはり自分たちにもなにか必要だということがあったら、遠慮なく言ってほしい。受け取るのにもあまり面倒はかけないように計らおう」
「……判った」
「では、この話は一旦終わりだ」
ということは、自分がここに来た用事はこれで終わりではないか。直々に礼を言いたかったのだとしても、随分とあっさりした内容だ。グランは拍子抜けした気分になったが、
「グランバッシュ殿とエレム殿は、“緋の盗賊”エルラットを捕らえた英雄であると聞いた」
「は?」
間の抜けた声をあげたグランを、ルスティナは真剣な目で見返した。
「それでだ、グランバッシュ殿に改めて頼みたい。私の客人として、しばらくこの城に留まって貰えないだろうか」
「……はい?」
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