第三章 風の公女と更深の影
第一話 嵐の前の昔話
シャスタの町から北にある、ルキルアの王都ルエラが彼らの当面の目的地だ。ルエラに着いたら改めて情報を集めて、北東地区へ向かうためにより条件のいい
そのルエラへの道は、意外なことに順調だった。
グランはともかくとして、神官と子供の組み合わせは、よくよく他人の親切心を刺激するらしい。同じ方向へ行く荷馬車や、あきのあった乗合馬車に乗せてもらったりで、丸一日ランジュの足に合わせて歩く日はほとんどなかった。
おかげで、予定よりも多少早めに、ルエラにたどり着くことができた。
ルエラは低い山並みが続く地帯の中、比較的広い平原に置かれた街だ。ルキルア王国の王城があるため、都市は背の高い石の市壁に囲まれている。特に、『探求者の街道』へつながる道が整えられた北門は、なかなか警戒が厳しいのだという。
だが、王族の直轄領地に通じる南門は、通行料を払えば日中の通行には特に制限がないそうだ。もちろん夜になれば門は両方閉じられて、特別な許可のない者は都市を出入りできなくなる。
男二人に子ども連れで、変に思われたりしないかと少し心配はしたが、南門を守る衛兵は型どおりに挨拶しただけだった。やはりレマイナ神官の法衣姿のエレムは、他人に安心感を与えるのに効果的らしい。
そもそもレマイナ教会は大陸中で一番数が多く、信頼度もずば抜けている。どんな国でも少し大きな町には必ず教会建屋があって、この町も例外ではなかった。
新しい町にたどりつくと、エレムは必ずレマイナ教会の建屋に挨拶に行く。
その間、グランはランジュと、南門に一番近い大きな広場で待つことにした。石畳で整えられた広場の中央には噴水が設けられ、周囲は水路と花壇が設けられている。小国の割に、なかなか潤っているようだ。
いつもはエレムが手を引いているが、グランがそんなことをするわけはないのでランジュはほぼ野放しだ。先に立って小走りに広場に駆け込み、物珍しげにぐるりと眺めると、
「歩いたらのどがかわきましたー」
ランジュは噴水の前に出ていた粗末な水売りの屋台を指さし、グランを振り返った。
噴水があるぞ、と思わず口にしかけたグランは、屋台の売り子の姿を目にとめて少し考える素振りを見せた。
特別美人というわけではないが、素朴で可愛らしい顔立ちの娘が、果実水を作るための果物をナイフで割っている。娘がグランの姿に気づいて、はにかんだように微笑んだ。
……こういう屋台は、飲み終わったら器を返さなければいけない。果実水の入ったカップを二つ受け取って、グランとランジュは屋台からそう遠くない噴水池の石垣に腰を降ろした。売り子の娘が、恥ずかしそうにこちらを伺う視線がとても心地よい。
「水はあんず色なのに、実はむらさき色なのですー」
ランジュはカップの中身をのぞき込み、すぐに嬉しそうに果実水を飲み始めた。
広場で休んでいるのは二人だけではない。街の住人だけでなく、旅の途中らしいさまざまな髪色や服装の者達が、思い思いに過ごしている。
三人はこの町に数日宿を取って情報を集め、ここから先の行程を探る予定だった。まずは夕方までに宿を決めなくてはいけないが、エレムが教会に挨拶に行くと、安くて安全な宿を紹介されて戻ってくるのが常なので、心配はないはずだ。
「お前ってさ」
そうなると今は、エレムを待つ以外にすることはない。グランは売り子の娘に爽やかな笑顔を投げかけ、彼女の頬が桜色に染まるのを楽しみつつ、ランジュに話しかけた。
「前の持ち主のこととか、覚えてるのか?」
「……?」
「俺以外にも、お前の持ち主になって、いろいろ厄介な目にあってきた奴はいるんだろ?」
「やっかいとは心外ですー」
おおげさに頬をふくらませると、それでもランジュは記憶を探るように何度か小首を傾げ、
「おふねにのったことがありますー」
「ほう」
「とってもいいお天気で、風もきもちよくて、すいすい走ってました。それが、途中でいきなりまわりの海がばちゃばちゃってはねて、帆に穴が開いて……」
「……はぁ?」
「毎年決まってるはずの潮の流れが、その年はなぜか大きく蛇のように曲がって、行きたい場所とはぜんぜん違うところに流されて、たまたま別の国と戦争中だった島の近くの海に入ってしまって、敵だと思われて攻撃されたんだって聞きました」
「うわぁ……」
「地図を作るために旅をしてたんだよって、いっしょうけんめい説明しても信じてもらえなくて、みんなして捕まって困っているところに、南の国から変な病気が風に乗ってやってきて、船のみんなだけじゃなく、島の人たちみんなにうつってしまって、戦争どころじゃなくなってしまいました」
「なんなんだ、その絵に描いたような不運は……」
「不運じゃないです、試練ですよー」
ランジュはまた大きく頬をふくらませたが、カップの底に残っている果実の粒に目がいったらしい。もう話すのも忘れて、果実を口に入れられる位置に持ってこようと必死にカップを傾け始めた。こういう集中力のなさは、いかにも子供である。
「地図を作る為の旅の途中、ねぇ……」
今の話は、大貿易商として歴史に名高いティニティの、青年期の出来事なのだろうか。持ち主が変わっても、前の持ち主との出来事を記憶しているのなら、彼らが最終的にどうなったのかもランジュは判っているのだろうか。
グランはなんとはなしに、腰に帯いた剣の柄をなでてみた。ひんやりとした、金属とも石ともつかない不思議な手触りが心地よい。
もし同じ剣を前の持ち主が持っていたのなら、ランジュはこれを見てなにか感慨のようなものを感じたりしないのだろうか。それとも、毎回『鍵』として現れる形は違って、今回はたまたまグランが剣と関わりが大きかったから、この形だったのだろうか?
もう少し突っ込んで聞いてみようか、切り出す言葉を考えていたら、広場から町の中心部に向かう道路の先が、急に騒がしくなった。
男の怒鳴り声と女の悲鳴と、人とも馬ともつかない足音と、なにかがぶつかったり壊れたりする音。いろいろな種類の音がごったになり、けっこうな早さで近づいてくる。まるで牛の群れが狭い場所をもみ合いながら走って来るような、数と重さのある足音だ。
ランジュも気付いたらしい。カップの縁にまで追い込んだ果実の粒を舌で引き寄せようとした姿勢のまま、視線だけを音のする方に向けている。
「……に逃げたぞっ!」
金属のぶつかり合う音と一緒に、悲鳴のような男の叫び声が聞こえた。それを合図にするかのように、人間の一団が砂煙と一緒に、石畳の道から広場へなだれ込んできた。
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