第六話 知っていることと、信じること<後>
「エレムは、お金というものが、この世の中では時に命を左右するほどの力を持つことを知ってる。エレムだけが助かったのも、エレム以外の家族が助からなかったのも、お金が一番の理由だったからね。でも、その後の自分の命をつないだのは、レマイナを信仰する教会との関わりだったのも、あの子は判ってる。ずっと私の近くにいたから、レマイナの癒しの力が実際に存在して、人を回復させるところも見てきたの。だから、エレムは『神を知っている』と言えるわね」
いつの間にかからになってしまったカップを両手で弄びながら、ラムウェジは息をついた。
「でも、エレムは言うのよ。『神を知っていることと、神を信じて頼るということは別のことなんじゃないか。レマイナを信じて頼ることが僕には出来ていないから、素質があるのに法術が使えないんじゃないか。そういう人間が神官になるのはふさわしくないんじゃないか』って」
「ふうん……」
「じゃあ、保留してなにをしたいのかといえば、それも思いつかないって言うの。今にして思うと、エレムは神官学校でやれるだけのことをやって、気力が燃え尽きたような状態だったんじゃないかなぁ。法術の素質があるって判ってただけに、使えないことが
「変に真面目な奴だからなぁ」
「そうなのよね。周りが文句言えないくらい頑張って結果を出したんだから、あとは気楽にやってればいいのに」
ラムウェジはため息をついた。
「そんな状態で無目的に放り出したら、真面目なだけに迷走しかねないじゃない? だから、『神官になるならないは、すぐに決めなくたっていいんだから、いっそ見習いの状態で世の中をいろいろ見てきたらどう』って勧めたの。しばらくは社会勉強のつもりで、たくさんの考え方や価値観に触れてみて、その上で改めて先のことを考えてもいいんだって。剣術の心得はあるから一人で各地を歩くのに不安はないし、あの金銭感覚なら、ちょっとやそっとじゃ人に騙されて散財することもなさそうだし」
「昔からああなのか……」
一国の領主を前にしても一歩も引かないあの金銭感覚には、こんな理由があったのだ。自分の生き死にに金が絡んでいたとなれば、金を重要視するようになるは、グランにも判らないではなかった。
「じゃあ『社会勉強』だって言ってたのは、別にごまかしてたわけじゃないんだな」
「そうよ。ただ、そこまでの経緯を説明するのが難しいから、曖昧に濁してるように見えるのかも知れないわね」
言いながら、ラムウェジはまた窓の外に視線を向けた。体操は終わったのか、子どもと親たちは順番に並んで、大きな声を出すための発声練習をしているようだった。エレムとランジュは一緒に並んで、同じ格好で腹に手を当てて息を吸ったり吐いたりしている。
「……もし私が、村にもっと早く着いて、エレムの家族達を助けてあげられてたら、エレムはなんの葛藤もなく素直に神官になって、法術を使えるようになってたんだと思うのよ。『レマイナありがとう、僕も大きくなったら偉い法術師になって、ああやってみんなを助けられる人になりたいです』。めでたしめでたし」
「過去に『もしも』はねぇよ」
「うん、私もそう思う」
あっさりと、ラムウェジは頷いた。
「法術なんか使えなくたって、人のために働くことは充分できるんだから、悩むことなんか無いのにね」
そういうと、ラムウェジは楽しそうにグランを眺めなおした。
「グランさんって面白いわね。『ラグランジュ』が持ち主に選んだのには、やっぱり相応の理由がありそうだわ」
「面白い面白くないで決められるのは困るんだが」
「でも、案外そうかもよ。『ラグランジュ』が人間の姿で持ち主について回るのなら、見てて楽しい人の方がいいでしょうからね」
なんとも言えない顔をしたグランを見て、ラムウェジはひとしきりけたけたと笑っていた。
とてもこれが高名で偉大な法術師とは思えないが、この不思議な俗っぽさがエレムの性格に影響を与えているのは、グランにもなんだか判る気はした。
ランジュに関する根回しを終え、ラムウェジが次の町へ移動する日が、グラン達の出立の日になった。
ラムウェジは、ルキルアの南側に伸びる山間の細い街道を辿りながら、西の大国エルディエル公国へ向かうらしい。当面は北東へ向かうグラン達とは反対方向だ。
エルディエルは、天空神ルアルグを守護神に仰ぐ歴史の長い国だ。ルアルグ教会は大公家と関わりが深く、他の地域ではほとんどルアルグ教会を見ることがない。せっかく行くのだから、大地の女神レマイナの法術師とはまた違った力を扱う天空神ルアルグの神官達が、法術を操るためにどんな修行をしているのかも、実際に見てみるのだという。
一緒に町を出ると目立ってしまうので、ラムウェジの一行が出立する間に、グラン達はこっそりと別の門から町を出ることにした。
滞在している間は見なかったが、旅支度を済ませたラムウェジはエレムと同じ革の手袋をはめ、その上に更に籠手を着けている。グランの視線に気付いて、ラムウェジは手をひらひらさせた。
「私の得手は体術なの。エレムにも小さい頃から教えてたのよ」
「でも体術ではラムウェジ様にかなわないので、僕は剣を学ぶことにしたんです」
「へぇ……」
偉大すぎる養い親にふさわしくあるように、必死で努力してきたのだろうか。ちらりとそんなことを思ったが、グランは口にも顔にも出さず、曖昧に相づちを打った。
「久しぶりにゆっくり話せてよかったわ。思った以上に楽しそうにやってて、安心した」
俺達の前に立ったラムウェジの笑顔に、エレムは少し気恥ずかしそうに微笑んだ。
「ラムウェジ様も相変わらずで安心しました」
「ランジュちゃんのおかげね。もし次に会えたら、今度は一緒に旅をしましょうね」
言いながらラムウェジは腰をかがめて、エレムの横に立つランジュの頬にぷにぷにと撫でている。ランジュはにっかりと白い歯を見せた。
「次に会えたらって、返品したらこいつは剣に戻るんだぞ」
「どうかしらねぇ」
ラムウェジは意味ありげに目を細めた。
「相応の苦労をしないとダメみたいだし、計画通りの行程でキャサハに戻れるかがまず不安よね」
「やめろよ縁起でもねぇ」
「『ラグランジュ』がついてるんじゃ、嫌でもあなたたちの噂は伝わってきそうだし? なにが起きるか見物だわねー」
「俺は見せ物じゃねぇぞ」
むっとしたグランを更に面白そうに見上げて、ラムウェジは右手を差し出してきた。
「お会いできて良かったわ。次に会うときは、顛末を聞けるのを楽しみにしてる」
ここで邪険にしても大人げない。仕方なくグランも右手を差し出した。
「……グランさんは、ラムウェジ様が僕の母親というには、いろいろとおかしいっておっしゃってましたけど」
教会を出て都市の正門へ向かっていくラムウェジの一行と、それを追いかけるように町の住人達がぞろぞろ移動していくのを見送りながら、エレムが言った。
「ラムウェジ様、僕と出会った頃も、ああいうお姿でした」
「うん?」
「外見的にはほとんど歳をとっておられないんですけど、本当の年齢は、グランさんの倍近いはずなんです」
「……はぁ?」
ラムウェジはどう見ても、グランより少し年上程度の外見だった。たとえ顔は化粧で、体型は鍛錬でなんとか維持できたとしても、加齢による首まわりや手指のしわとたるみは隠しようがないものだ。
「ラムウェジ様ほどの法術師が扱うレマイナの癒しの力って、大地の生命力そのものといえるんです。法術を扱う際、患者と一緒にレマイナの力を浴びているせいか、強力な法術師になればなるほど、見た目は若若しい方が多いんですよ。体そのものの機能が衰えにくいから、歳をとるのがゆっくりというのが正解なんでしょうね。だから、よほど緊急じゃないと、法術を使われないんですよ」
「へぇ……」
確かにある程度以上の年齢になると、歳をとることは、衰えることと同義になる。レマイナの力による癒しの法術が、体の衰えを遅らせるというのは、グランにもなんとなく理解できた。
「体が衰えないと、心も衰えないんでしょうね。全然変わらないです、あの方」
「中身は変わった女だけどな……」
それ以上はなんとも言いようがなかった。
ラムウェジから聞かされた打ち明け話のことは、エレムには黙っていた方がいいのだろう。
教会の前に残っていた神官達に簡単に挨拶して、三人は別の門へ向かって歩き出した。
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