第五話 知っていることと、信じること<前>

『通達の手配』とやらが完了するまでの数日、グランとエレムはシャスタの町のレマイナ教会に世話になっていた。

 グラン自身は、体よくランジュをエレムに押しつけ、町に適当に宿を借りて羽を伸ばしたかったのだが、

「この町には、傭兵さんがはめを外して遊べるような場所なんかないわよ」

 考えを見透かしたかのように、ラムウェジは言い切った。

「それに、ランジュちゃんはあなたの持ち物なんだから、基本的な責任はあなたがとらなきゃいけないのよ? みんなエレムに押しつけて自分はのんびりしたいだなんて、さすがに虫がいいんじゃないの」

「俺別に、あれの保護者でもなんでもないぞ?」

でしょう? 自分の意思で手に入れたんだから、最低限の面倒ぐらいはみなさいな」

 いろいろと言いたいことはあったが、ラムウェジがランジュの身元を保証してくれるというのを考えると、ここは逆らわない方がよさそうだった。別に迫力に気圧された訳ではない。

 渋々、エレムと同じ部屋に、ランジュと三人で寝泊まりすることになった。

 日中、エレムが嬉しそうに奉仕活動をしている間、グランは役場や道具屋をまわって、これからの旅に必要なものを揃え、行程を探るために地図を調べていた。その間だけは、教会の誰かしらがランジュの面倒を見てくれたので、子ども連れで町をうろうろする事態は避けられた。のだが。


「よお、あんたラムウェジ様の息子さんのご友人なんだってな」

「“緋の盗賊”を捕まえた勇者なんですって?!」

「ラムウェジ様のお使いで、大事な旅に行かれるそうね。あのラムウェジ様に見込まれるなんてすごいことだわ」

「よっぽど信頼できる剣士殿なんだねぇ。確かにほかの人とは違った感じがするよ」


 高名な法術師殿は、周りに一体どんな話をしているのか。

 グランが、ラムウェジとエレムの関係者だというのはすっかり町中に知れ渡っていて、行く先々で歓待される。普段から、容姿のせいで人より目立つのは自覚していたが、このあたりでは黒髪と黒い瞳は特に珍しいらしく、すぐ見分けられてしまうのだ。

 調べ物や買い物には悪くない待遇だが、行く先々で親しげに話しかけられるので、逆に気が休まらない。ラムウェジに釘を刺されるまでもなく、とても目を盗んで遊び回れるような状態ではなかった。

 そうなると、教会の敷地内で適当に過ごしていた方が、逆に周りから放っておかれて気が楽だ。外出の用事がないときは、グランはあまり邪魔にならない場所で、借りてきた地図を眺め、仕入れた情報を整理し、あとはだらだらと過ごしていた。


「基本いい加減かと思ってたけど、情報集めとかはけっこうまめだよね、グランさんって」

 がらがらの食堂の隅で地図を広げていたら、様子を見に来たらしいラムウェジが声をかけてきた。最初からグランと話をするつもりだったらしく、湯気のたったカップを両手に持っている。

「情報がひとつあるとないとで、命に関わってきたりするからな」

「職業傭兵さんだもんね」

 差し出されたカップからは、甘い檸檬の香りが漂っている。受け取ると、ラムウェジはグランの向かい側に腰を降ろした。その視線が、窓越しの中庭へ移る。

 中庭では、小さな子どもたちとその親たちが集まって、若い神官達と一緒に体操らしいことをしている。その中に、ごく自然にランジュとエレムが混ざっている。グランは思わず目を瞬かせた。

「ここの教会は週に二回、子ども達とその親に、護身術の指導をしてるの。あれくらいの年齢だと、遊びの延長で体をほぐすのと、いざって時に大声を出す練習くらいなんだけど」

「へぇ……」

「カーシャム教会だと、神官全員が剣術を身につけてるから、教会の道場で剣術指導もするんだけどね。レマイナ教会の神官は医療術習得がまず第一だから、剣術や体術まで身につけてる人は一握りなのよ。でも、なにかあったときに助けを求めることが出来ると出来ないとで、状況は変わってくるでしょ。命を守るひとつの方法として教えてるわけ」

 子ども達は、同じくらいのがいっぱいいて張り切っているのか、指導役の神官の動きを一生懸命真似て頑張っている。見よう見まねで動くランジュも、確かに楽しそうだ。エレムはそれとなくランジュを気にしながら、ほかの神官達と一緒に全体を見回っている。

「……なんだってあいつは、剣なんか背負って一人で旅なんかしてるんだ?」

「うん?」

「巡検官補佐とかそれっぽい肩書き持ってるみたいだけど、別に行く先々で教会の視察とかしてるわけでもなさそうだし」

 この類の質問は、一緒の旅を始めた頃に何回か直接エレムにしているのだが、そのたびに社会勉強だと曖昧に答えて話を変えるので、そのうちどうでもよくなって聞くのをやめた。

 自分のようなのが、適当にふらふら渡り歩くのとはわけが違うだろうから、なにか説明の面倒くさい事情があるのだろうと、勝手に思ってはいたが。

「エレムってね、実は正式な神官じゃないのよ」

「へぇ……え?」

 思わず納得しそうになって、グランは驚いてラムウェジに目を向けた。

「神官学校を卒業しても、神官にならないで家業を継いだり一般の仕事をする人もたくさんいるわ。逆に、神官学校で学んでない一般市民でも、教会に奉仕者という形で名前を登録して、活動に協力してる人は多いのよね」

 ラムウェジはなんでもなさそうな顔で説明しながら、カップの中の檸檬湯を口にした。

「エレムは神官になれる条件は全部備えてるけど、まだ保留してるの。でも、奉仕者として登録してるから、教会に属してレマイナに仕えてるって言うのは嘘じゃない。登録奉仕者の立ち位置は一般市民に準じてるから、生活のための援助がない代わり、規律さえ守ってれば教会に行動を縛られないのよ。エレムは自分の意思で旅しながら、その行く先々で教会に奉仕してるの」

「でも、役職持ってるんだろ? 巡検官補佐とか自分で言ってたが」

「それは教会内の正式役職じゃないの。巡検官に補佐なんてもともとないのよ。エレムのためにわざわざ作った、奉仕者の仕事内容のひとつ」

「わざわざ、って」

「言ったでしょ、多少のわがままは利くの、私」

 悪びれもせずラムウェジは小さく舌を出した。

「……親バカか」

「だって、初めてエレムが自分から私にお願いしてきたことだったんだもの。親として、聞かないわけにはいかないじゃない」

 ラムウェジは言い訳するように肩をすぼめた。

「……あの子が五歳くらいの時にね、住んでた小さな村で病気が流行したの。発症して、適切な処置も薬もなく三日くらい放置されてると、だいたいの人は体力切れで死んじゃう。今じゃなんてことない病気なんだけど、当時は薬が稀少で、国や教会が協力しても人数分すぐに集めるのは難しかったの。対処法も確立されてなかったから、援助に向かった教会医師団も試行錯誤の状態で、とにかく各地の法術師も駆り出されて処置に当たってたのよ。で、私も呼び出されてほかの神官達と一緒に向かったわけ」

「ほう」

「エレムの家はごく普通の農家で、確かエレムは七人兄弟の下から三番目だった。その家族全員が発症しちゃって、とても人数分の薬を揃えられなかったのね。エレムの両親はやっとのことで、一人分にも満たない量の薬を手に入れて、どういう選択でか、それをエレムに与えたの」

 他の子供達はもう助かる見込みがなかったのかも知れないし、何人かは既に亡くなっていたのかも知れない。体の大きな上の子には足りない量でも、小さな子供なら間に合うと判断したのかも知れない。今となってはエレムの両親の真意を測ることは、もうできない。

 ラムウェジがその町に入った時、住人は既に半数近くが亡くなっていた。診療所にいくことも出来ないまま、自宅で冷たくなっていた者も多かったという。

 エレムを見つけたのは、動けなくとも息のある者はいないかと、静まりかえった家々をまわっていたラムウェジだった。

 冷たくなった二人の幼児を両方の腕に抱えて息絶えていた母親に、泣き声も上げずに寄り添って座る小さな男の子。

 エレムは発症した跡があり衰弱はしていたが、薬を飲まされて病自体はおさまっていたという。

 たった一人生き残ったエレムを、ラムウェジは自分のそばに置いて、病人達の治療に当たった。生きながらえた病人の多くは、教会や集会所などの大きな建物に集められて回復するまで世話をされていた。家族の遺体から引き離されても泣きもせず、表情を変えないエレムを、そんな大勢の中でひとりぼっちにさせることが、ラムウェジにはとても危険なことのように思えたのだ。

 生きて回復していく者、できる限りの手を尽くされても亡くなっていく者を、ラムウェジと同じようにエレムも全て見ていた。死んでしまった者に再び命を吹き込むことは、レマイナの法術師にもできないのだ。

 その町の状態が落ちついてからは、ある程度大きくなるまで、エレムはラムウェジに同行して各地を旅していた。教会側はそれにいい顔をしなかったのだが、ラムウェジはエレムを養子にした上で、

『自分の子どもの面倒を見るのはレマイナに仕える者として当然。もしエレムを同行させることが許されないなら、巡検官としての職務を辞退し一線を退かせていただく』

 と啖呵を切ったのだ。

 ラムウェジは教会屈指の強力な法術師だ。各地の法術師の育成や、緊急時の救援活動にはなくてはならない重要な人物だった。教会側としては、ラムウェジを現場から失うのは大きな痛手だった。

「……それに、その頃には、エレムに法術の素質があることが判ってきてたのね」

「へぇ?」

 しばらく組んでいるが、それはグランも初耳だった。

「これははっきり理屈が説明できないんだけど、法術師はみんな、法術の素質を持った人をある程度見分けることができるの。エレムは、少しでも法術が使える人なら誰でも判るほど大きな素質を持ってる。それなら小さい頃から私のそばにいたほうが、いい訓練になるかも知れないって教会側も思い直して、あとは文句も言われないまま、旅に連れ歩いてたんだけど……」

「けど?」

「素質は絶対にあるのに、どれだけ祈りの言葉を口にしても、法術が発動しないのよ。まぁそれも、まだ子どもだし信仰心も集中力もまだ未熟だからかも知れない、神官学校に入ってあれこれ学べばなんとかなってるだろうって、私は思ってた。実際、子どもの頃から素質があるのが判ってても、教理を学んでレマイナを身近に感じるようになるまでは法術が使えないひとって、多いから」

 エレムはやがて、教会に付属する寄宿舎付きの神官学校に入り、好成績で教育課程を履修する。レマイナの神官になるのに、医療技術の習得は必修だ。たいていの者はそれだけで精いっぱいで武術など学ぶ余裕はないのだが、エレムは剣術まで履修して水準を超えた技量を身につける。神官学校の生徒としては、本当に優等生だったのだ。

 ただ、法術は依然として使うことが出来なかった。

 神官学校を卒業すれば、正式に神官になれる。神官の大半は法術の素質などないから、法術の有無は神官になること自体にはなんの影響もない。

 だが、ラムウェジと久しぶりに会ったエレムは申し訳なさそうにこう言った。


『神官になることを、辞退したいんです』

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