第二話 要らないものほど寄ってくる

 先頭は、いかにも人相のよくないちんぴら数人だ。しかし手に持っているものが、炒め物用の鍋やら古い箒やらパン屋の看板やらで、統一性が全くない。いったいなんの目的で走っているのか、ぱっと見ただけでは判らない。

 先頭の一団が通り過ぎていくと、少し遅れて桃色の花が植わった大きな鉢を抱えたちんぴらが広場に飛び込んできた。ちんぴらは広間の中央まで走り抜けたところで、追ってきた衛兵数人に後ろから体当たりされて全身で石畳の地面に滑り込んだ。取り落とされた花鉢が派手な音を立てて砕け、花びらと土とが盛大にぶちまけられる。

 騒ぎに驚いたのか、周囲の家の扉や窓がいくらか開いて、住人が顔をのぞかせたが、

「集団の留置場破りだ、戸締まりをして家から出ないように!」

 伝令役らしい騎兵が、叫びながら人混みの隙間をすり抜けていく。一斉に、あちこちの窓がばたばたと閉じられた。どうやらちんぴらたちのあの統一性のない持ち物は、逃げる途中に武器になりそうなものをひったくってきたからのようだ。

 後からなだれ込んできた脱走者達と衛兵と、行き場を失って見当違いの方向に逃げまどう市民と、それらが巻き起こす喧噪や砂煙で、広場はあっという間に大混乱になった。

 一人のちんぴらを衛兵が数人で押さえつけているかと思えば、手にした獲物で衛兵をうまくのしたちんぴらが、細い通路に逃げ込んで行く。その近くでは、市場帰りのご婦人が野菜入りの麻袋を振り回して、目の前に飛び出してきたちんぴらをぼこぼこにしていたりで、簡単に収集がつきそうにない。

「これもお前のせいなのか……?」

「ふぁい?」

 口の中をもごもごさせながら、ランジュがきょとんとした顔でグランを見返した。

 さっきまで幾つか果実が底に残っていたカップは、綺麗にからになっている。子供らしい反応に見えなくもないが、この状況でこの肝の据わり具合は既に普通ではない。

 逃げている側が武器らしい武器を持っていないから、まだもみ合い殴り合い程度で済んでいるが、これで脱走者が衛兵の獲物を奪ったりして反撃に出たらどうなるだろう。

 とグランが思ったとたんに、比較的近いところから若い女の悲鳴が聞こえた。同時に、派手な音がして、水売りの粗末な屋台がひっくり返り、売り物の果物やカップが地面にぶちまけられた。

 衛兵に追い詰められて逆上したちんぴらの一人が、水売り屋台の売り子を捕らえて抱え込んでいる。ちんぴらの手には、娘が屋台で果実を割るのに使っていた小さなナイフが握られていた。それに気付いたらしく、男に飛びかかろうとしていた衛兵たちの動きが凍りついた。

 グランがここで、衛兵側に協力する義理は特にない。ないのだが、衛兵たちが怯んだのを見て、口元を歪めたごついちんぴらの顔が気に食わなかった。グランは反射的に立ち上がり、手に持っていた空のカップを振りかぶった。ちなみにカップは厚みのある陶器である。

 いい具合に重さがあったので、カップは狙いを寸分も違えずに、ちんぴらの横っつらに勢いよくぶちあたった。

 恐怖に動けずにいた娘は、派手に砕けたカップの破片が飛び散るのを感じたとたん、悲鳴と一緒にしゃがみ込んだ。想定外の方向からの襲撃を受け、娘を押さえつける男の腕の力がゆるんだのだ。

 陶器の破片を振り払うように大きく首を振り、ちんぴらはしゃがんだ娘を引き起こそうと慌てて手を伸ばした。その時には既にグランは数歩踏み込んで片脚を上げ、ちんぴらの背中に勢いよく蹴りを入れていた。

 大きく前のめりに体勢を崩したちんぴらは、しゃがんでいた娘の背中につまずいて足を取られ、顔から地面に倒れ込んだ。衛兵達が顔を見あわせ、すぐに我に返ってちんぴらに飛びかかった。

「すごいすごーい」

 気の利いた出し物でも見るようなきらきらした笑顔で、ランジュがぱちぱちと手を叩いている。グランは半分脱力しながら、しゃがみ込んだままの娘を抱え起こした。

 気がつけば、逃走中の集団も、追いかける衛兵達もこの広場をだいぶ通り過ぎたようだ。残っているのは、押さえ込まれたちんぴら数人と、それを拘束しようとする衛兵達と、遠巻きに眺める野次馬といった具合に、だいぶ落ち着きつつあった。

「あ、いたいた」

 とりあえず娘をランジュの横に座らせていたら、右手に大きくて重そうなものを引きずってエレムが帰ってきた。

 なにかと思ったら、つかんでいるのは脱走者の一人らしい男の襟首だった。男は目を回しているらしく、抵抗もせずに引きずられるままだ。

「……なんだよ、それ」

「途中の小道で、この人が民家の裏木戸を壊して中に入ろうとしてたので、どうしたのかと声をかけたんですよ。そしたら、急にわめきながら木戸の破片を振り回し始めたので、ついうっかり投げ飛ばしてしまって……」

 エレムは困った様子で頭をかき、今度は広場を眺めて目を丸くした。

「なんだか騒がしいことになってるなと思ったんですが、いったい、なにがあったんですか?」

「なにっていうか……」

 思わず手を出したものの、グランにも事情はさっぱり判らない。揃って首をひねっていたら、屋台を壊したちんぴらを縛り上げ終えた衛兵が、二人に気付いて近づいてきた。

「どうやら留置場の衛兵が、拘留していた罪人に不意を突かれて鍵を奪われたらしいんだ。そんなに重罪のものが入る留置場ではないから、油断があったのかも知れないが」

 衛兵は、エレムが引きずってきた男を受け取りながら説明した。

「その上、鍵を奪った奴は何を思ったのか、近くの牢の鍵を手当たり次第に開けはなって、他の奴らにも逃げ出すように煽ったようなのだ」

「へぇ……」

 街道沿いにある大きな町は、流れ着いた者達の些細なもめ事も多い。酔ったちんぴら同士のけんかなど日常茶飯事だ。

 そんなことでいちいち裁判などやっていたらきりがない。お灸を据える程度に一日二日牢に放り込んでちゃらにしてやる、というのはどこの国でもあることだ。当然、その程度の留置場で、脱走騒ぎが起きるなど普通は考えない。

「よっぽど後ろ暗いことがあって、それがばれる前に逃げたかった奴でもいるのかね。集団で逃げれば追っ手も分散されて、逃げ切れる確率も高くなるしな」

「それにしても、ちょっとやり過ぎですよねぇ……」

 ランジュの隣でぼんやり座ったままの売り子の娘と、横倒しになった屋台を見比べて、エレムが気の毒そうにため息をついた。ふと、軽やかな馬の蹄の音が広場に入ってきて、二人の話し相手になっていた衛兵がはっと姿勢を正した。

「お疲れ様であります、ルスティナ様」

「ご苦労、このあたりはだいぶ落ち着いた様子だな」

 ルスティナと呼ばれた人物は慣れた様子でこちらに馬を寄せると、銀のマントを翼のように広げて石畳の上に降り立った。ゆるやかに波打った明るい栗色の髪が風に舞い、上等の鞘に収まった銀色の剣が陽光にきらめいた。

 兵士というよりは軽装の騎士といった風体だった。年はグランと同じか、多少上のように見える。背はエレムよりわずかに低いくらいで、体の線も動きも無駄がない。

 気がついた衛兵達が緊張した様子で敬礼しようとするのを、ルスティナは片手で押しとどめた。どうやらそれなりの立場の人間のようだ。

「私には構わず対処に当たれ。再収容が完了したら、拘束した脱走者の数と捕縛時の状況、被害にあった市民とその程度を小隊ごとに記録して後ほど大隊長に報告するように」

 きびきびした声だが、表情にきつさはない。知的な面差しに瑠璃色の瞳がよく似合う、なかなかの美人だ。そう、ルスティナは女なのだ。

 命令を受け、ほかの衛兵達はすぐに荒らされた周囲の状況を確認したり、広場の隅で保護された市民の様子を見たりと、それぞれの仕事に戻っていく。それを確認すると、

「して、そちらの方々は?」

 ルスティナは、水売りの屋台を壊したちんぴらと、エレムの渡した男を受け持つことになった衛兵に向けて声をかけた。

 ついでといった感じだが、実際はグラン達が目についてわざわざ馬を寄せてきたのだろう。瑠璃の瞳が、探るようにグランとエレムを映す。

「脱走者に襲われていた市民を助けるのに、協力していただいた方々です」

「ほう……旅の方のようだが、名前を伺ってもよいかな」

「……人に名前を聞くなら、まず自分から名乗ったらどうだ?」

 眉を寄せたグランが不躾に問い返すと、近くの衛兵たちがぎょっとしたのが判った。エレムもはらはらした様子を見せたが、ルスティナ自身は一瞬目を丸くしただけで、すぐに苦笑いを浮かべた。

「これは失礼した。私はルキルア王国軍白弦騎兵隊総司令ルスティナ。平時は城下の衛兵部隊も統括している」

「へぇ……」

 国によって違いはあるが、騎兵隊の隊長というのは軍の中でもかなり要職だ。王国軍というくらいだから、国王直属かそれに近い部隊だろう。その総司令というなら、全軍の頂点に立つ役職だとしてもおかしくはない。

「で、そなたらの名前は教えてはもらえないのかな?」

 無意識の仕草なのだろうが、言葉の最後に首を傾げたその動きに、淡々とした口調にはそぐわないかわいらしさがあった。女だから男以上に威圧的に威厳を持って、という性格ではないようだ。

「……俺はグランバッシュ。そいつは連れのエレム」

「レマイナ教会で奉仕させていただいております」

「そうか、グランバッシュ殿、エレム殿、脱走者を確保するためのこのたびのご協力、感謝している」

 ルスティナの握手にグランが素直に応じたので、エレムもほっとしたように続いて握手を返した。

「逃走者達の再収容が完了したら、相応の謝礼をさせていただきたい。旅の途中のようだが、何日かこの町に滞在の予定はおありかな」

「んー……」

 謝礼と聞いてエレムの目が輝く。グランは内心でため息をついた。

 普段なら有り難く応じる話だが、ランジュが――『ラグランジュ』のいる今の状況では、あまり大げさなことにはされたくなかった。

 ルスティナはいい女ではあるが、グランのような流れ者がそうそう気安く「お近づき」になれる相手でもなさそうだ。ここはあまり関わらないほうが無難そうだ。

「俺達に謝礼とか言うなら、その分をあの娘にまわしてやってくれないか?」

「あの娘?」

 グランは自分の肩越しに、噴水の石垣に腰掛けて呆然と座っている売り子の娘を指で示した。その横では、待っているのにすっかり飽きたらしいランジュが、こちらに背を向けて噴水池に手を突っ込んでばちゃばちゃ遊んでいた。

 後ろに控えていた衛兵が慌てて近寄り、娘が巻き込まれた経緯を小声で説明し始めた。横倒しにされた上に、売り物が地面に散乱している粗末な屋台に目を向けると、ルスティナは納得がいったように微笑んだ。グランに向かって。

「承知した。それも含めて、そなたらへの謝礼は検討させていただこう」

「いや、俺たちの分はいいから……」

「他の広場の様子も見てくるので失礼する。お二人の滞在先を伺っておくように」

「はっ」

 最後の言葉は、近くにいた衛兵に向けてだった。グランの申し出を、どうやら単純に他者への厚意だと思ってしまったらしい。ルスティナは返事も聞かず、さっさと自分の馬にまたがってしまった。

 呼び止めようかと思ったのだが、グランが口を開くより先に、

「そうそう、少し前にシャスタの町に、高名な法術師のラムウェジ殿が来られていたとの話だったのだが」

 思い出したように、馬上のルスティナがエレムに目を向けた。正確には、エレムの背負った剣に。

「ラムウェジ殿が懇意にしておられる若い旅人とは、そなたらのことかな?」

「あ、はぁ……」

 こんな所にまでもう話が伝わっている。エレムは曖昧に頷いた。考えてみれば、シャスタの町はルキルアの領内だ。宰相のなんとかがラムウェジに挨拶に行っていたというし、変わったことがあれば王都にまで報告があるのは充分考えられる。

「そうか、どおりで」

 ルスティナは合点がいった様子で微笑んだ。駆けだした馬の上で、風が栗色の髪をすくい上げ、耳元の銀色の飾りを輝かせた。

「かあっこいいー」

 いつの間にやってきたのか、グランの横でランジュがうっとりしたようにルスティナの去っていく様子を眺めていた。右腕と、服の前半分がびしょびしょだ。

「……お前なにやってたの」

「おさかながいましたー」

 果実水の入っていたカップで、今度は魚すくいをしていたらしい。カップの中ではオレンジ色の小さな魚が、窮屈そうに尾びれをひらひらさせていた。

 後ろでは、総司令直々の命令に張り切っているらしいさっきの衛兵が、そわそわとこちらの様子を伺っている。

 町に着いたばかりだというのに、グランは妙に疲れてため息をついた。

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