第七話 伝説の秘宝……の正体
「……なんだ? これ」
腕の中のそれを眺めながら、グランはぼんやり呟いた。目を点にして固まっていたエレムは、あっけにとられたままかくかくと首を横に振った。
代わりに、
「『ラグランジュ』です! ランジュって呼んでくださーい」
それが、元気いっぱいに答えた。
グランは改めて“それ”を見直すと、少し首を傾げ、エレムに視線を向けた。さっきの倍の早さで、エレムが首を横に振る。
グランはもう一度、腕の中のそれに視線を戻した。
グランの目にそれは、一〇歳程度の人間の女の子のように見えた。
青みを帯びた黒髪に、夜空に輝く満月のような琥珀の瞳。裕福な家の子どもがよそ行きにでも着るような、可愛らしい白いドレスを身につけている。グランの剣の柄にあるのと同じ、乳白色の石を使った耳飾りがちょっとめだつが、本人はごく平均的な容姿の、ごくごく普通の子どもだ。
今までの課程のなにをどうするとこれが出てくるのか、グランにはさっぱり判らなかった。
「……俺たちが探しに来た『ラグランジュ』っていうのは、『手にした者に望むものを与え、成功と栄光を約束する伝説の秘宝だか秘法』なんだが……?」
「そうですよー、おめでとうございまーす」
どうにも緊張感のない笑顔で祝福されて、グランは思わず周りを見回した。
これはひょっとして、古代人が仕組んだ壮大ないたずらではないのか。そのうち「いたずらです」などと書かれた看板を持った古代人が、満面の笑みで物陰から出てくるのではないか。どうしてそんな光景が脳裏に思い浮かんだのか、理由は定かではない。
グランの反応を不思議そうに見返していた少女は、不意になにかに思い当たった様子で、
「あっ、説明書をちゃんと読んだのですかー?」
「せ、説明書?」
「これですよー、これ」
グランの腕から床に降り立つと、少女は子どもらしいたどたどしい仕草で、床にはめ込まれた薄板を示した。床に描かれた二つの太陽の間にある、古代文字の彫りつけられた板の、『ラグランジュ』について書かれている、二行目部分だ。
黄金の扉、ふさわしい労、ふさわしき実り、輝ける星、ラグランジュ
「グランバッシュさまに、『ラグランジュ』の所有権が確定したので、これからは自分の望みに近づくための機会をたくさん得ることができます。望みのものは、お金でも、権力でも、仕事の成功でも、なんでも大丈夫! いっぱい苦労しますけど、あきらめさえしなければ、必ず最後には望みのものを手に入れられますよー」
一息にそこまで言うと、少女は得意げに胸を張った。
……今、とんでもないことをさらっと言わなかっただろうか。
「えーと、『ラグランジュ』さん……?」
「ランジュって呼んでくださーい」
「あ、はい、すみません」
おずおずと声を掛けたエレムは、きっぱりと訂正されて怯んだように謝った。相手が伝説のなんとかなだけに、どう応対していいのか判断がつかないらしい。
「ランジュは……ひょっとして、『望みのものを手に入れたかったら、ちゃんと努力して手に入れろ』って言ったのかな……?」
「ちょっと違いまーす」
いい質問だ、とでも言いたげに、少女は腰に手を当てて目を細めた。
「『望みのものはちゃんと手に入ります、だからそのためにいっぱい頑張ってくださいね』ってことでーす」
「なにが違うんだ……」
「だーからー」
もどかしそうに、少女はグランとエレムを見比べた。
「どんなに才能があっても、機会に恵まれなくて埋もれて終わるひとのほうが多いんですよー。でも『ラグランジュ』の所有者は、機会にも試練にもたくさん恵まれるし、頑張って試練に打ち勝てば必ず成功するんです。すごいですよね!」
「……機会はともかく、試練の方は要らねぇから、伝説のなんとかというのをみんな探しに来るんじゃないのか?」
「だって、説明書を読んで納得したから、ラグランジュの所有者になったんですよねー?」
「……じゃあこれって、『黄金の扉を開けた者は、望みにふさわしい労力を払えば、必ずふさわしい報酬を得る』……って意味なのか?」
「判ってるじゃないですかぁ。おどかさないでくださーい」
少女はにっかりと笑って頷いた。
「『ラグランジュ』は所有者が決定すると、所有者の能力を最大限に引き出すために、所有者にとって全く役に立たない姿で具現します。だから、『ラグランジュ』の所有者が望みを手にしても、胸を張って、自分の実力と努力の結果だって、自慢できるんですよー」
……自分は役に立たない姿で現れて、機会や試練と称してやっかいごとを招き寄せ、持ち主に苦労させる伝説の秘宝だか秘法。
エレムが、半ば呆然と呟いた。
「それって、ひょっとして俗に言う疫病神なのでは……?」
「えぇ? 必ず望みは叶うんだから、そんな言われ方は心外ですー」
伝説のなんとかにふくれっ面をされて、エレムは困った様子でグランに目を向けた。だが、グランの方はそれどころではなかった。
『ラグランジュ』は「グランバッシュに所有権が確定した」と言っていたではないか。
でもグランは、『ラグランジュ』そのものには特に関心がないのだ。
重要なのは示された光の文字の謎を解くことで、万一『ラグランジュ』が見つかったら、同じ所に隠して帰ってしまおうかとも思っていた。それが、現れた瞬間、所有権が確定しましたなどと言われても、困るのである。
「で、でも俺は、伝説のなんとかに頼らなきゃならないような、だいそれた野心はないんだ」
ここはなんとしても、関わらなかったことにしなければいけない。グランはこれ以上はないほどの真摯な表情で、少女を見返した。
「栄光も成功も、機会とか試練とかもいらないから、『ラグランジュ』の権利は次に来るほかの奴に譲りたいんだが。せっかく出てきてもらったのに悪いが、俺とのこの話はなしということで」
「そんなこと言われても、無理なのですー」
所有者に存在を否定されようとしているのに、少女は全く意に介した様子もない。
「『ラグランジュ』が具現した時点で、所有権は確定していますー。この所有権は、所有者が望みを叶えるか、生命が失われるまで有効でーす」
「死ぬまでかよ?!」
「もうすぐ、『ラグランジュ』の影響力が完全に発動します。ここを出たら『ラグランジュ』は、『ラグランジュ』に関して、所有者の役に立つ直接的な情報は発信できなくなります。なにか知っておきたいことはありますかー?」
「ちょ、ちょっと待て、なかったことにできないなら、せめて俺じゃなくてエレムが所有者ということに」
「か、勝手に僕の名前をださないでください!」
「だってどう考えても俺よりお前の方が、はっきりした人生の目標とか持ってそうじゃないか。俺は今のままでなにも不足してないんだよっ」
「僕は未知の力に機会を作ってもらわなくても、進行形で修行中なんです。人に厄介ごとを押しつける時だけ、常識人みたいな理屈を使うのはやめてくださいっ」
「なんだよ常識人みたいなって、俺が今まで非常識に振る舞ったことが一度でも」
「時間ですよー?」
はっとして視線を戻すと、少女はいつのまにか、床のくぼみに置かれたままだった月長石を両手で大事そうに抱え込んでいた。グランを見上げ、嬉しそうに白い歯を輝かせる。
「これからよろしくお願いします、グランバッシュさま!」
「って、問答無用かあっ!?」
グランの叫びは虚しく宙に吸い込まれた。少女の手の中で月長石が突然強い輝きを放ち、グランは思わずまぶたを伏せた。
目を開けると、そこは古代遺跡の入り口だった。
まるで今までのことはただの夢で、自分たちは丸一日、ここで突っ立っていただけかも知れないと思わせるような見事な夕日が、遺跡を取り囲む荒野を紅く染めていた。
グランは、同じように横に立ちすくんでいるエレムに目を向けた。エレムも、その法衣を夕日と同じ色に染め、我を忘れた様子で沈んでいく夕日をみつめていた。
そして、グランとエレムの間には、碧みがかった黒髪の少女が、感動に目を潤ませながら、同じように夕日を見つめていた。
というか。
自分たちは確か、青々とした草原を踏み越えて古代遺跡にたどり着いたのではなかったか。
「……ここ、どこだ……?」
砂混じりの乾いた風が、呟いたグランの髪をそよがせて、夜の色を深めていく東の空へと吹き抜けていった。
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