第二章 大地の神官と母なる神
第一話 伝説の秘宝、返品の希望
ごつっ。
音と一緒になかなかいい手応えがあり、剣の柄を顔にめり込ませた大男が、膝から地面にくずおれた。大男の横幅は、柄を握るグランの倍は優にある。
こちら側に倒れてこられても邪魔なので、グランは低い位置に来た男の胸元を蹴り飛ばした。
地響きと砂埃をあげて大男が仰向けに倒れるのを見届けもせず、グランは奪った剣を握り直して振り返った。
「三人目っと」
日沈後のおぼろな明るさの中でも、グランが口元に笑みを乗せたのが見えたのだろう。残った二人は怖じ気づいた様子で、剣を構えたまま後ずさった。
剣といっても、ろくに手入れもされていないし、構えもなっていない。相手は盗賊と呼ぶのも気恥ずかしい、典型的なちんぴら集団だった。
彼らのすぐ近くには、真っ先に地面とお友達になったある意味幸せな奴らがふたり、安らかな顔で転がっている。彼らには「痛い目にあいたくなかったらその娘と金目のものを渡せ」という台詞があったようなのだが、半分も言えないうちに、グランが殴り倒してしまった。
グランが握っているのは、その片方から奪い取った粗悪な剣だった。こんなちんぴら相手に、大事な自分の剣を傷めるのはもったいない。
……遺跡の外に放り出され、しばらく呆然とした後。
日も暮れてしまうし、これからどうするにしろ遺跡の適当な建物を宿代わりに朝を待とうか、という話がまとまりかけたその時。
荒野を越えてそう遠くない森の中に、なにやら灯りらしいものが揺らめいているのが見えた。
火があるのなら、人がいるはずだ。多少の情報は得られるだろうと、真っ暗にならないうちに荒野を渡ってきてみれば、小川のほとりで火をおこしている五人組がいる。
旅人にしては、服装も人相もあまり善良そうには見えないし、どうも武装しているらしい。しかもこちらが、人の好さそうな子連れの神官と、装備こそ傭兵のものだが目の醒めるような美青年だというのに気付いたとたん、へらへら笑いながら立ち上がり、剣を抜いたのだ。
旅人を装った盗賊というより、盗賊を装った馬鹿としか言いようがなかった。少しでも知恵があれば、最初は歓待して油断させ、獲物が寝静まった深夜に人質を取るなり縛り上げるなりと考えるものだ。
まぁ、最初から剣を抜いてくれたので、面倒がなかったのはよかったが。
「グランさんは、暴れてる時が一番生き生きしてますよね……」
少し離れ、ランジュを背にかばう形で様子を眺めていたエレムが、感心したように呟いた。ランジュはエレムの陰から顔をのぞかせ、瞳を輝かせている。
「グランバッシュ様は強いのですねー。顔が綺麗なだけじゃないのですねー」
誉められているらしいが、どうにも気が抜ける。
だが今の声援で、弱いものを盾にすればいいのだと、やっと盗賊もどきが気付いたらしい。エレムに近い場所にいた、鶏の
見かけの穏やかな笑顔にはまったくそぐわない機敏さで、エレムが背中の剣を抜く。
エレムの動きそのものよりも、神官が剣を背負っていたのが驚きだったのだろう。一瞬、怯んだ様子で踏み込みが浅くなった鶏冠頭の剣を、エレムは鍔で受け止めて軽々とはじいてしまった。
剣は鶏冠頭の手を離れて宙を舞い、少し離れた地面に突き刺さった。グランならここで間髪入れずに殴り倒すのだが、エレムは立ちすくんだ鶏冠頭に、穏やかな笑顔で、
「僕自身はできれば穏便に済ませたいんですが、小さな連れもありますし、まだやるというなら手加減はしませんよ」
「な、なんでレマイナの神官が剣なんか……」
「その質問に答える必要性を」
感じません、と言おうとしたエレムの声を遮り、鶏冠頭は蛙のような悲鳴を上げて真横に吹っ飛んだ。グランが横っ面をはり倒したもうひとりの男が、鶏冠頭に向かって勢いよく飛んできたのだ。ふたりの盗賊もどきは、なぎ倒されるように折り重なって倒れ、そのまま動かなくなった。
「……もう少し、場の雰囲気というものを読んでくださいよ」
「馬鹿をまともに相手にしてどうする」
田舎芝居じゃあるまいし、エレムが喋っている間、グランが親切に待ってやっても仕方がない。盗賊を装った馬鹿五人組はあっというまにおとなしくなり、代わりに彼らの起こした焚き火が、妙に派手にはぜて存在を主張していた。
両手両足を縛り上げた盗賊もどき達を、少し離れた藪の中に放りこんだ頃には、空はすっかり暗くなっていた。
エレムが、更に燃やせそうなものを周りからかき集めてくる間、グランは焚き火の周りに置いてあった連中の荷物を探り、適当に酒と食料を引っ張り出していた。
もしあの五人が善良な旅人だったら、こんな好き勝手はできなかった。最初に出会ったのが盗賊もどきだったのは、グラン達にとってはむしろ幸運だったとも言える。相手にはまた別の意見があるだろうが。
「どのみち、夜が明けるまで身動きはとれませんね。いったい、ここは大陸のどの辺りなんでしょう」
「さぁなぁ……」
彼らがそれまでいたのは、草原地帯のただ中だった。キャサハ近辺の地形は多少起伏がある程度で、こんな森は近くにはなかったはずだ。
幸い荷物は全部持ってきていたから、一日二日程度の野宿も困らないだろう。盗賊もどきとかちあったということは、人里が近いということでもある。よほど道を間違えたりしなければ、遭難などはしないだろうが……
それぞれが焚き火の側に落ち着くと、二人は改めて、倒木にちょこんと座った少女に目を向けた。
好奇心で目を輝かせ、焚き火の炎を見つめていたランジュは、二人の視線に気付いてにっかりと微笑んだ。
グランは深く長いため息をつき、エレムはなんとも言えない笑顔を見せた。なにから口にすればいいのか思いつかず、黙りこくってしまった二人の間で、
「おなかがすきましたー」
呑気な声を上げたランジュに、グランが驚愕した様子で顔を向けた。
「お、お前、腹減るの?!」
「あたりまえじゃないですかー」
「だってお前、もとはあれだぞ? 錆のついた剣身だぞ? なんでモノ喰うんだよ」
「ひとはごはんを食べないとおなかがすくのですー」
「人の気でいるのか?!」
「まぁまぁ、グランさん。そういえば僕らも、町を出るときに済ませたきりですし」
することを思いついて、逆に安心したらしい。エレムがグランをたしなめながら、自分の荷物袋を探り始めた。
「火もあるし、豆粉でパンを焼きましょう。考えてみたら、野宿も久しぶりですよね」
「……パンは丸くなっておやすみするから、焼けるまで時間がかかるのですー」
粉の入った袋を収めた丸い器と水筒を取り出したエレムに、ランジュが不安そうに目を向けた。グランは怪訝そうな顔をしたが、エレムはひとつ瞬きをすると、
「発酵のことを言ってるのかな? よく知ってるね」
「ぬれたお布団をかぶってお昼寝しないと、美味しくならないのですー」
「うんうん、そうだね。でもこれは生地をふくらませなくていいからすぐ焼けるよ。大丈夫」
喋っているうちに調子が出てきたのだろう。器の中で粉と水を練り合わせながら、エレムが微笑んだ。ランジュは器の中で形を作っていく豆粉を、不思議そうにのぞき込んでいる。
グランはひとつ息をつき、盗賊達の荷物袋から頂いた大麦酒を、水で割って飲み始めた。
あらかた混ぜ終えて粉が形になると、エレムは拾ってきた小枝のいくつかを軽く火で炙り、その周りに細く伸ばした生地を巻き付けた。焚き火の炎が当たりやすいように多少斜めにし、枝の片側を地面に突き刺す。それを、ランジュが興味津々といった顔つきで眺めている。
パンが焼けるより先に湯が沸いたので、エレムが固めた糖蜜を溶かしたものをカップに作ってやると、今度は甘い香りにうっとりとしている。
こうして見ると、本当にごく普通の子供だった。
これが実は、錆びた剣身が化けたのだと言っても、誰も信用しないだろう。
グランはしばらく黙ったまま、ランジュとエレムの様子を眺めていたが、大麦酒のカップを横に置いて、そっと自分の剣に手を触れた。
柄に収まった月長石が、焚き火の明かりを受けて淡く輝いている。遺跡を出たときに、ランジュが返してよこしたのだ。
どうしてこんなことになってしまったのか。
そもそも、グランが欲しかったのはこの剣の柄で、『ラグランジュ』そのものはどうでもよかったのだ。もし見つけたとしても、見なかったことにしてそのまま戻ってくるつもりだった。
だいたい、人知れず隠されている伝説の秘法だか秘宝が、見つけられた瞬間に自分から『被』所有権を主張してくっついてくるなど、反則もいいところではないか。
せめて宝石や法具のような形なら、高値で売り払うことも出来たかも知れないが、こんな子どもの姿をしていてはそうもいかない。世の中にはそういう商売もあるのは承知しているが、そういうことを平気で出来るような人間が、神官と組んで旅などする道理もなかった。
「……なんなんだ? いったい」
わくわくした様子でパンが焼けるのを眺めていたランジュは、きょとんとしてグランを見返した。
「あの文言だと、お前が俺を選んだってことなんだよな? でも、俺は別に、『栄光』とか『成功』とかどうでもいいんだ。いったいなんのつもりなんだ?」
困った様子で、ランジュは小さく首を傾げた。質問の意味が判らないのではなく、答え方を思案しているような顔つきだ。
少し間をおいて、なにを思いついたのか晴れ晴れとした顔で、
「ひみつでーす」
「……は?」
「『ラグランジュ』の影響力は完全に発動してるので、もう所有者の役に立つ情報は発信できませーん。あの時にちゃんと、ほかに質問はないか聞いたじゃないですかー」
「ああ、そういえば」
パンの焼け具合を伺いながら、エレムが妙に納得したように頷いた。
「あの建物から移動する直前に、『ここを出たら、ラグランジュに関する、所有者の役に立つ直接的な情報は発信できなくなります』って言ってましたね」
「あの状況でなにをどう聞けと」
「せっかくだから、願いを叶える方向で考えてみたらいいんじゃないですか?」
エレムは言いながら、焼き上がったパンを巻き付けた小枝を何本か地面から抜き取り、グランとランジュとに差し出した。
「みどりのパンははじめてですー」
「熱いから気をつけてね」
「だいじょうぶですー」
ランジュは受け取ったパンを手すると、この上なく嬉しそうに笑顔を見せた。それにしても伝説の秘宝だか秘法は、やはり普通にモノを食べるらしい。
「だから願いだとか、特にねぇって」
「まぁ、グランさんは既に傭兵として充分以上の実力がありますし、その気になればどこかの国で登用してもらって、そこから自力で出世だって出来る方だとは思いますけど。むしろどうしてそうしないのか不思議なくらいなんですけど」
「うるせぇな、面倒なんだよそういうの」
「そうでしょうとも」
ランジュの手から、糖蜜湯のカップを預かってやりながら、エレムは頷いた。ランジュは枝に巻き付いたパンを落とさないように、一心不乱にかじりついている。
「でも、権力とか、地位とか、財産を得ることだけが、必ずしも人の成功とは言えないじゃないですか。学者や芸術家のように、やりたいことに打ちこんで、その道を極めるのも成功です。家を護って子ども達を育て上げるのが『成功』だって人もいると思います。結局『成功』とか『栄光』の意味って、人によって違うわけですよ」
「まぁそうだけどさ」
「そういう風に考えれば、グランさんにだって、自分なりの夢や将来の希望はあるんじゃないですか? 漠然とでも」
「夢、ねぇ……」
さすがになにか考える様子で、グランも黙ってパンをかじる。ほのかな豆の風味に塩気が、酒のつまみにもちょうどいい具合だ。
「……将来なんか、考えたこともねぇな」
「そうなんですか?」
「それに、老後やら、安定やら考え始めたとたんにつまらなくなった奴とか、守りにはいったとたんに判断間違って死んじまった奴とか、いろいろ見てるからな」
「はぁ……」
「自分の度量にあわないものを欲しがる奴は、たいていろくなことにならねぇよ。逆に、本人が欲しがらなくても、そいつにふさわしいものなら、やることやってりゃ、金だろうが権力だろうが女だろうが、勝手に向こうから転がり込んでくるもんだろ」
「そういうものですかねぇ……」
パンがなくなって、グランは残った小枝をたき火の中に放り込んだ。エレムはため息のように相づちを打ち、幸せそうにパンをかじっているランジュに目を向けた。
遺跡の中での語り口といい、ふたりの会話の内容が判っていないはずはなさそうなのだが、こうして見ている分には、やはりただの子どもである。
グランはため息をついた。
『ラグランジュ』の力を借りてでも手に入れたい何かがあるわけでもないのに、こんな子どもがおまけについてきて、しかも、いつどんなやっかいごとを起こすか判らない。迷惑もいいところではないか。
「……よし、決めた」
茶碗のなかの大麦酒を飲み干して、グランは正面からランジュを見据えた。
「お前は『返品』する」
「えぇー?」
やっとパンの最後のかけらを飲み込んだランジュは、糖蜜湯の入った茶碗をエレムからもらいながら、間の抜けた声をあげた。
「だから、それは無理なんですー。所有権が確定しちゃったんだから、権利の終了は、願いを叶えるか……」
「だから、その願いが『返品』だ。それもできるだけ早く」
「……あぁ、なるほど」
妙に感心した様子でエレムが声を上げた。
「相応の努力さえ払えば、ラグランジュは望みを叶えてくれるんですよね。『所有権の放棄』が最大の望みというなら、その情報を得るための機会があるはずだし、最終的にかならず果たせると」
「そういうことだ」
「ひどいですー」
ランジュは絵に描いたようなふくれっ面を作った。
「『ラグランジュ』は所有者に、望むものにふさわしい試練と、努力にふさわしい成功を約束するものですー。やっかいもの扱いは心外ですー」
「試練だのの押し売りは迷惑だって言ってるんだ」
「失敗の押し売りよりいいじゃないですかぁ」
「そういう問題じゃねぇ!」
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