第五話 星の天蓋、古き太陽
大陸中央部から北東方面一帯にかけて、古代遺跡が密集している地区がある。キャサハ王国はその外れに位置する小さな国だ。
草原地帯のキャサハは、農耕と牧畜が主産業の、ごく一般的な田舎の国だ。以前は荒れた古代遺跡があるだけで、街道の通過点に過ぎない町だった。
それが今は、遺跡の中にある『星の天蓋』が有名になったことで、周辺の遺跡を含めて見学に来る者も多くなり、宿場町としてもそれなりに賑わっている。グランとエレムのとった宿にも、遺跡を見に来たのだという旅人が何人か泊まっていた。
早朝から遺跡へ向かうと、ほかの見学者達と多くかちあうらしい。二人は少し遅れた昼近くに町を出た。太陽が高く上った草原の一本道は、狙い通りほとんど人影がなく、風にそよぐ草の音と虫の声が耳に心地よい。今日のグランは、柄から外した剣身部分を布で包んで背負っているが、その重さも気にならないくらい、気分良く歩けた。
道のりの半ばを過ぎたあたりから、草原の先で陽炎のように立つ灰色の建物群が、よりはっきりと見えてきた。
草木の生えない土地の上に立つ、風化しない都市。現在のメロア大陸の神々が台頭する以前に栄えた文明だというのに、都市の形だけは未だに太古の姿そのままに残っているのだ。
不思議なことに、古代都市の土地は草木が根付かない。当然それをよりどころにする生き物も棲まない。
都市の建物を強化する薬剤に草木を枯らす作用があったという説もあるが、裏付けになるものは発見されていない。未だに理由の判っていない古代都市の謎のひとつだった。
『草木の生えない土壌』と言われれば、その地域全体が水が乏しく荒れた土地という印象(イメージ)がある。しかし、実際二人が見て驚いたのは、青々とした美しい草原の、ある一線から突然、地面が広漠とした荒れ地に変わる所だった。まるで神様にしか見えない線でも引いてあって、そこからは草木が生えることを禁じてでもいるような、不思議な光景だ。
「なんだか……あとから作った都市の模型を、ここにぽんと載せたような感じですね」
おそるおそる古代都市の敷地に踏み込みながら、エレムが呟いた。
町から続く石畳の道はそこで終わっているが、最近作られたらしい訪問者向けの案内板が、『神殿』や『星の天蓋』のある建物の方向をおおまかに示していた。『星の天蓋』は北側の高台にあって、ここからではまるっきり反対側になるようだ。
二人はまず、太陽の壁画が描かれた『神殿』のある、都市の中央に行ってみた。大きな通りが十字に交差する場所だ。『神殿』と呼ばれるからには、小さくても立派な建物だろうと思っていたのに、その建物は拍子抜けするほど簡素(シンプル)だった。
建物は、さいころのように正確な四角に作られて、その壁全体に、大人の男の手のひらほどの真四角な薄板(タイル)がはめこまれている。北側にはなんの模様もないが、ほかの三面には、色の違う薄板を使って太陽の絵が描かれていた。もしそれがなかったら、ただのあずまやか物置とでも思ったかも知れない。
北側に壁画がないのは、扉のない入り口が作られているからのようだ。グランは屈んで中をのぞき込んでみたが、中は本当に空っぽで、祭壇のようなものがあるわけでもない。実際に見ても、用途のよく判らない建物だ。
やはりここは、あの光の文字が示す場所ではなさそうだった。
「あ、あれみたいですね」
北の方角を仰ぎ見て、エレムが指を差した。高台にある『塔のような建物』の姿が、ほかの建物の合間からちらちらと姿を見せている。全体が角張った建物ばかりのこの遺跡の中で、丸みがある建物はあれだけだった。
緩やかな上り坂の先に、『塔のような建物』の入り口があった。
入り口には、比較的最近作られたらしい門扉がある。今は開け放たれているが、割と新しい馬の蹄跡と人間の足跡があるから、入れるのは日中だけで、夜は閉じられるのだろう。
今は、特に見張っている者もないようだ。二人はそのまま中に入った。
建物は、入ってすぐのところが半円形の広間になっていた。左右に登り階段、中央には奥へ続く通路の入り口があるが、窓がないので、先までは暗くて見通すことができない。エレムが灯した携帯用のランプを頼りに、二人は通路の奥に進んだ。
通路の突き当たりは、入り口の広間二つ分ほどの広さの、円形の部屋になっていた。
床には、さっき『神殿』で見たのと同じ薄板が貼られている。しかし全てが同じ色で、この床に『太陽の壁画』と同じものが描かれていたような痕跡はなかった。
「わぁ……」
差し出したランプの灯りに照らされて、天井の絵が浮かび上がる。エレムが子どものような歓声を上げた。
それは確かに、素晴らしい星空の絵だった。
一体どんな顔料を使っているのだろう。弱々しいランプの灯りに照らされる天井は、確かに夜空そのものだった。
ただ黒いだけではない、奥行きを感じさせる黒曜石のような美しい闇のカンバス。その上に流れる、銀の粉を散らしたような星の川。方角と時間を探るのに使う大きな星々も、淡く輝く星の集まりも、確かに覚えがある。もしこの灯りを消したら、星々はもっと鮮やかに光を放つのではないかと錯覚しそうなほどだ。
「すごい……どんな顔料でどうやって描いたんだろう」
「これだけすごいのに、注目されたのって最近なんだろ? 世の中って判らねぇもんだな」
「ですねぇ……」
二人はしばらくの間、陶然と天井を見上げていた。見上げ続けて首が疲れてきた頃に、エレムがはっとした様子でグランに目を向けた。
「僕たち、ただ星空の絵を見に来たわけじゃないですよね」
「あ……」
二人は物見遊山に来たのではなかった。光の文字が示した『ラグランジュ』のありかを探りに来たのだ。グランは絵を見たときの驚きを醒ますように、軽く頭を振った。
「星の天蓋の下に横たわる、面紗(べール)に顔を隠した古き太陽が、黄金の玉座の主を待つ……」
そらで覚えてしまった文言を口ずさみながら、部屋の中を見回す。ここがあの光の文字が示した『星の天蓋』なら、この下には横たわった『古き太陽』があるはずだった。
だが何度見ても、薄板の貼られた床はただの床でしかない。
「『面紗に顔を隠し』てるなら、それを剥いでやらないと見えないのか?」
「この薄板を、みんな剥がすんですか?」
エレムが驚いた様子で声を上げた。グランは大げさにため息をついた。
「それなら、前に来た奴がとっくに全部剥がしてるだろ。『ラグランジュ』って、ほかにも手に入れた奴らがいたって話なんだろ?」
「噂が本当なら、数百年かに一度は誰かしらの手に渡ってるはずですけど……」
「てことは、この床自体はこのままでも問題ないんだろうな」
グランは床に膝をつき、手近な薄板に触れてみた。もちろん過去にすべて剥がされたような跡も、再び貼り付けられたような跡もない。
「まあ、天井が夜空なら、太陽が沈んで見えないのは当たり前なんだから、『顔を隠し』てるっていう表現は間違いじゃないんだろうが」
「でも、単純にそこにないとの、いるけど姿が見えないというのは、意味合いが全然違いませんか。『玉座の主を待っている』のだから、『古き太陽』がないと話が進まないと思うんですよね」
「じゃあやっぱり、『古き太陽』がここに姿を現すような手順が必要なってくるのか」
グランは立ち上がり、ぐるりと部屋全体を見回した。
床には、東西南北を示すらしい溝が十字に走っている。まるで、古代都市全体を十字に区切る大通りのようだ。よほど古代人は、方角というものを重視して……
「……太陽の壁画のある『神殿』ってのは、必ず古代都市の真ん中にあるんだよな?」
「ええ、そのはずで……」
グランの視線をたどったらしいエレムも、床を十字に区切る溝に気付いたらしい。
天井が星空を模しているなら、この床は、都市そのものを模しているのかも知れない。
二人はどちらかともなく、部屋の中心へ歩き寄った。先に膝をついたエレムが、燭台を横に置き、溝の交わる部分に手を伸ばした。
「ここ、砂埃で埋まってるけど、くぼみがありますよ」
言いながら、懐から取り出した布を指先に巻いて、砂埃を取り除き始めた。結構な量の砂埃が取り除かれた跡には、小さな丸いくぼみが現れた。
二人は少しの間、そのくぼみを黙って眺めていたが、すぐに揃って同じ場所に視線を向けた。
グランが帯いた剣の柄で、青白く輝く月長石に。
グランは恐る恐る、その石に指をかけた。
しっかりはめ込まれ、こうして持ち歩いてもまったく外れることはなかったのに、外そうと思って手をかけたとたん、石は手のひらに吸い込まれるようにあっけなく外れた。
グランは床に膝をついたまま、静かに、床のくぼみに白い石を置いた。
思った通り、石とそのくぼみの大きさはぴったりと同じだった。エレムが息を飲んだのが伝わってくる。
だが、それだけだった。
なにが起こるかと、はらはらした様子で石を見つめていたエレムも、だんだんと微妙な表情になってきた。
「まぁ、こんなもんか」
グランは苦笑いを浮かべた。
いくら古代人でも、たったこれだけのことで、目を見張るような仕掛けは用意できなかったのだろう。
それともこれは
『星の天蓋』の存在ばかりに気を取られていたが、この建物自体が、ほかの遺跡にはないものだという。どういう目的で用いられていたのかが判れば、また新しい手がかりが得られるかも知れない。
一度出直して、街でこの遺跡についてもう少し調べよう。グランは天井を振り仰ぎながら立ち上がった。
「……グランさん!」
エレムが、ぎょっとした様子で声を上げた。振り返ったグランも、言葉を失った。
さっきまですべてが無地だった床の薄板の数枚が、いや、数十枚が、青みがかった乳白色の光を放ち始めたのだ。
光を放つ薄板が、『神殿』の壁にあった太陽の壁画と同じ模様を、床に描いていく。
「横たわった『古き太陽』……」
淡く、微かだった光が次第に強くなり、燭台の光を打ち消し飲み込んでいく。視界を覆い尽くそうとする青白い光に、グランは思わずまぶたを閉じた。
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