第二章 射法八節《しゃほうはっせつ》
4:
弓道場の玄関から入って左手側に少し行くと、主な稽古場である
しかし
「なんか、実際に見ると小さいね」
「うん。もっと大きいかと思った」
「やべぇ、当たる気がしねぇ」
「でも当たるんだから不思議だよな……」
新入生たちは口々にそう呟く。
話題の種は、格子窓がついた壁の反対側。屋内にいながらにして見える外の景色のこと。
背の低い草花が茂る自然の
その
「大きさって、十円玉くらいじゃね?」
「十円玉……ああ、見た感じはそれくらいだな」
「あれに当てるって、難しそうだね……」
「というか、本当に当たるのかな?」
新入生たちが呟く通り、
だが
「おお、結構いるんだね」
いい具合に話題が煮詰まってきたところで、
その青年の後ろをついてきた凜が、
青年は
「コーチの
そう挨拶して、新入生たちに向かって軽く頭を下げた。
短く整えた髪、中高年に人気が出そうな甘い
「あ、学食のパン屋『たちばなベーカリー』も、どうかご
爽やかな笑顔で宣伝をつけ加えると、飛鳥は弓矢を構えた。
「――それじゃあ、部活紹介の時には見せられなかったって部長から聞いたから、今から一本だけ引いてみせます」
左手に弓を、右手に矢を。
腰骨の位置に左右の手を置き、弓の上端を床から十センチほど浮かせて保持。矢は
飛鳥が立ったのは、三番目の
床の掠れた跡と重ねるように左、右と両足を踏み広げ、
弓を宙に持ち立てて素早く矢を
そうしてゆっくりと
吸う息で視線を
その一動作で、場の空気が張り詰める。緊張が
新入生たちは自然と口を閉じ、息を飲んで飛鳥を注目する。
飛鳥は右手、左手とそれぞれの形を整えて構えてやると、一際鋭い視線を
吸う息に合わせて、静かに弓を垂直に高く掲げる。
息を吐いて、また吸う。
今度は肘先だけを動かして弓を
飛鳥の呼吸音が
一拍の間ののち、飛鳥はゆっくりと弓を引いていった。
みしみしと
まばたきを忘れた
左腕はまっすぐと
矢は床との平行を保ったまま、口の高さにまで下ろされた。
充分に引き絞ったその体勢のまま、飛鳥は静止する。
それから二拍の間ののち、どこからともなく微かな音が鳴り始めた。
およそ秒刻みで鳴り続ける、その音。
新入生の誰も気づかないほど、しかし徐々にだが、その音は大きくなっていった。
回を重ねること、十回。
十二分に引き絞られた弓から、矢が放たれた。
――――!
弦楽器のように短く、高く。
しかし弦楽器では出しえないほどの大きさで、
――――!
矢は
「「おおぉ……」」
新入生たちが小さく驚嘆の声を上げた。
外で待機していた真矢が
「……ふぅ……」
大の字の体勢となっていた飛鳥は、両手を腰骨の位置に戻して再び二等辺三角形を形作った。緊張で引き締まったままの顔を
そうして「ふぅー」と脱力しながら息を長く吐き、弓を立てて構えを崩した。
「――っとまあ、こんな感じかな」
ほっと胸を撫で下ろし、飛鳥はそう言って新入生たちに向き直る。
「あー、
冗談めいたその言葉で、新入生たちの緊張が解けた。
「はーい、みんな注目」
飛鳥のデモンストレーションが終わったのを見計らって、凜は声を発した。
手に持っていた入部届の用紙を掲げて見せる。
「とりあえずみんな、今から回すこの紙にクラスと名前を書いて下さい。体験入部のつもりの人も一応書いておいて。最終的な確認は勧誘期間が終わった日にするわ」
新入生たちは今のデモンストレーションを話の種に、再び雑談をしながら自分の元に用紙が回ってくるのを待った。小声での雑談だが、数が集まれば中々に
しかし、今はこの騒々しささえも
(……これよ、これ。こうあるべきなのよ)
去年は見られなかったその賑やかな光景に、凜は嬉しさを隠せなかった。
同様に微笑んでいた飛鳥と、静かに拳を握り合ってガッツポーズを交わす。
しかし、どうしよう。
さっきから指先の震えが止まらないのだ。
抑え込めるかと思って拳を握る力をさらに加えたら、もっと酷くなった。だけど手汗が気持ちいいなんて……なんなんだコレは。
いかん、頭もぼーっとしてきたぞ。
とりあえず、テンパってるのはわかる――あ、テンパってるのか。
と、とにかく。
これからどうやって弓道部を回していこうか、まるで見当が付かない。
去年の一人だった時と比べて、今は優に百人はこの場にいる。一人で練習していると広すぎたこの
この全員が一斉に練習するようになれば……一体、どれだけ楽しくなってしまうのか。
指導の声が飛び交い、互いに指摘し合って、様々な
「「こんにちわー」」
と、玄関の方から直人とドミニクの声が。
「お、来たわね」
ちょうどいいタイミングだ。
今ので一呼吸できたおかげか、頭から血の気が降りた。
乾きかけていた唇を、唾液で粘つく舌で一舐めしてやる。
「よーし。じゃあまずは一週間、お試しプランで練習をやっていこう思うんだけど――」
凜はそう切り出して、新入生たちに勧誘期間中の練習内容を話し始めた。
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