0:直人の場合
弓道。
それは、古来から狩猟に用いられてきた弓矢を、日本独自の文化と工夫を凝らした末に生まれた武道である。今ある形態は、戦乱が落ち着いた江戸時代に確立されたものだ。
しかし第二次世界大戦の敗戦を機に、その活動は縮小を余儀なくされた。
だが、起源の証明はさほど重要ではない。
一番大事なのは、その精神性だ。形として残せないからこそ、弓道の精神は今も脈々と受け継がれてきたのだから――
「きゅうどうって、なーに?」
僕がそう聞くと、おじいちゃんは得意げに教えてくれた。
きっと僕の頭の上には『?』が浮かんでいたことだろう。
「はっはっは。実はお爺ちゃんもよくわかってないんじゃ」
おじいちゃんは笑って、僕の頭を撫でてくれた。
「きっと、儂は一生わからんままじゃろうて……」
頬と肩の古い切り傷をさすりながら、おじいちゃんはそう呟いた。
前に『
「ようし。次は剣道と柔道の話も聞くかぇ?」
「ううん。ぼく、うるさいのはきらい」
「おっと、そうじゃったな。では、そろそろ帰るとするかのぅ」
「うん!」
人里離れた山奥に住んで、ほぼ十五年。
日の出と共に起きて、日の暮れと共に寝る……家に電気は通っているからこれだと語弊があるかもしれないけど、有り体に言ってしまえばそんな生活だった。
けど、同じクラスの人たちにとっては違った。家が遠すぎて気軽に遊ぶことができず、流行の話題にもついていけないヤツと思われてからは、徐々に友達の輪から外れていった。
必然的に、学校では誰かと遊ぶより一人でいることの方が多くなった。
元から内気な性格だったし、距離を取る人と無理に友達になる勇気もなかった。
それでも、一人ぼっちではなかった。
お父さんとお母さんは仕事で帰りが遅いから、僕はいつも、実家の近くにあるお爺ちゃんの武道場――そこでやっている武道教室に入り浸っていた。
声を張り上げる剣道と柔道は、苦手だった。
お爺ちゃんから少し手ほどきは受けていたけど、子供の相手がいなかったからつまらなかった。たぶん、苦手なのは後者の理由が強い。
でも、弓道はほどよく静かで、その雰囲気が好きだった。
相手がいてもいなくても関係なく練習に励めるところが、他の武道とは明らかに違っていて、そこも気に入った。
僕の数少ない友達とは、それが縁で出会った。
出会ったのは六、七歳の頃。
ドミニク・
フランス人の父と、日本人の母を持つハーフだと聞いた。父親が弓道をやっていて、日本にいる間はよく父親と一緒に武道教室へ来ていた。
最初の内は警戒した。すごく緊張もした。
けど、片言の日本語で懸命に話しかけてきたから、無下にもできなかった。
……もしもあの時、ドミニクを無下にしていたら今の僕はなかっただろう。
少しずつ話す内に打ち解けることができて、半年ほどで簡単な意思の疎通ならできるようになった。そこから一気に仲良くなれた。
奔放に遊ぶドミニクの姿は、まるで妹のようだった。
いつの間にか兄貴役を引き受けることになり、いつもドミニクと遊んでいた。
渋々だった最初の頃と比べ、段々とドミニクと遊ぶのが楽しく思えるようになっていった。初めて友達と呼べる人に出会えたことが、たまらなく嬉しかったんだと思う。
それからというもの、学校での僕も少し成長できた。
一歩を踏み出す『勇気』を持てたおかげで、一人で過ごしていた休み時間は、誰かと話したり、勉強したり、遊んだりする時間へと変わっていった。
ドミニクのように家族ぐるみの仲とまではいかなかったけど、それでも、僕にとっては大きな進歩だった。このことはいくら感謝してもしきれない。
そうしていつしか、ドミニクとは一緒に弓道を学ぶようになっていた。
キッカケはなんだったか……詳しくは思い出せないけど、やろうと誘ったのは僕の方だった気がする。お爺ちゃんがとても驚いて、そして喜んでくれたことは覚えている。
楽しい学校生活を送って、ドミニクと一緒に弓道の指導を受けて、そして次の日も……僕の中では一番楽しかった時期であり、それが一番の思い出だ。
しかしドミニクがフランスへ引っ越すことになり、それは終わりを迎えた。
それが十歳の頃。
弓道の指導もこれからという時だった。
「……必ズ、マタ、帰ッテクルカラ……!」
ドミニクはそう言い残して、フランスへ行ってしまった。
それから五年、僕はずっと弓道を続けていた。
中学生になった頃にはもう、僕にとって弓道は切っても切れない存在になっていたと思う。
お爺ちゃんが亡くなって武道場が取り壊されてしまったけど、武道教室はそれぞれ別の場所で継続されることになり、僕は中学を卒業するまで弓道教室へ通い続けた。
転機が訪れたのは、高校進学を考える時期になった頃。
弓道教室で講師をしていた人が、僕をスカウトしたいと言ってきた。
その人は明仁高校の弓道部でコーチもしているといい、去年新設されたばかりの弓道部には部員がほとんどおらず、部を存続させるためには今年度中に即戦力が必要なのだとか。
正直、弓道部がある高校ならどこでも良くて、おかげで進学先が定まっていなかったのだ。
僕はこれ幸いとこの申し出を受け、半ばスポーツ推薦という形で難なく合格した。
こうして僕は、この春から明仁高校へ通うことになった。
そしてこの判断が間違っていなかったことを、僕は入学早々から思い知ることになる。
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