14:
「あー、なるほど。崎守と良い雰囲気なのはそれが理由か」
「ちょ――大悟さん!?」
聞き覚えのある声が二つ。
それを皮切りに、他の男子たちが声を荒げ始めた。
「聞き捨てならねぇ!!」
「女子を見る目も違うだとぉ!?」
「なんでだ!? お嬢に見向きもしねぇとか男として失格だぞ!!」
「お嬢の『取り巻き・そのG』とか目指して外伝に絡むんじゃなかったのかよ!?」
「そ、そんなつもりないから! 僕は元々、同じ中学の和泉さんに誘われて入部して――」
「副部長と二股だってことかぁぁああ!?」
「おい天内、ちょっと
「ついでに、てめぇの爪の
「き、昨日切ったばかりだから伸びてないよ――って、オヴッ!」
男子たちのおちゃらけ半分な声が、廊下に響いて騒がしさを増す。
ドタドタと取っ組み合うような足音が、これまた中々にうるさい。
「まったく……。何やってるんだか」
呆れた様子で、巴が肩をすくめて見せた。
話題の火付け役だった大悟と、
二人は巴と同じ一年五組の生徒である。そんな身内の恥を晒したような形となり、巴は居たたまれな渋い表情を浮かべた。
この二人も、明後日の大会で記録の役割を任じられた仲間だった。
だからドミニクとしても、これは少々目に余る――というか、耳が痛い。
「アタシも同感……」と肩をすくめ、巴に同情する。
自分たちの練習を終えたとはいえ、更衣室の中にまでハッキリ聞こえるような大声で騒いでいては、これから練習する直人たち三人に迷惑がかかってしまう。
特に、
「楽しそうで、いいね」
――キタ。
直人の澄んだ声が、更衣室の中にも届く。
「まあな。けど、ちょっと油を注ぎすぎた感はあるな。反省反省」
直人の言葉に同意する大悟。
しかし、大悟はまだ直人の変化に気づいていないようだ。
「そっか。じゃあ消火だ――」
一息を挟む直人。
そうすることで、次に発する声に気合いが乗る。
大事な要点を指導する際に、直人のお爺さまが良くやっていたことだ。
「――みんな、そろそろ静かにしてもらえる?」
賑やかな声の中にできた一瞬の静寂に、直人は狙ったかのように声を差し込んできた。
言葉選びは平凡と。しかし声の調子は圧がかっった――お腹の底から出している時の、ひと味違った響き方。それは普段の直人よりも、わずかに低い声だった。
「……っ……!」
息を呑んだかのような呻きが一つ。
それを皮切りに静寂が不自然に広がっていき、ものの数秒で廊下の喧噪は鳴りやんだ。
更衣室の中も同様だった。
話し声は一斉にやみ、巴のスマートフォンや誰かの
微かな吐息の漏れる音……しかし言葉になるほどの声にはならない。
まるで金縛りにでも遭ったかのように、みんなが直人の
ドミニク一人を除いて。
(はぁあん……!)
きゅぅ、と締め付けられるような胸の高鳴り。
そのトキメキに体を委ねたドミニクは、胸元に両手を寄せた体勢のまま、すぐ後ろにいた巴の方へと倒れ込んだ。
「っとぉ……!」
咄嗟に支えてくれた巴の胸元に、頭を預けるドミニク。
そうしてしばし、目を閉じてトキメキの余韻にひたる。
「ど、どうしたの、ドミニク?」
「エヘヘ……ふへへ……」
「――あ、ダメだ。やられたって顔してる」
「んふふ……うフフフ……」
これだ。これなのだ。
ドミニクが直人に惹かれた、最大の理由というのは。
聞き知った懐かしさは、もちろんあった。だがそれ以上に、その声に宿った歳月の『味』が遥かに強くて、幼少の頃の想い出が
* * *
最初はもちろん、初めてこの声色を聞いた時。
弓道を始めるキッカケとなった一言だ。
『ねえ、ドミニク』
『ナアニ?』
『きょうから、いっしょに弓道やろうよ』
何の気無しに喋った風な言葉……けれどそれは確かに、周りの顔色を窺うようなオドオドとした『弟』でも、いつでも優しく助けてくれる紳士な『兄』の声でもなかった。
一途に物事を為そうと決めた、ナオト本来の強い意志……それが宿っていたのだ。
『うン。イッショにヤロウ』
その誘いに対し、アタシは当然のことながら即決だった。
今までナオトは何十回、何百回とアタシのお守りや誘いに付き合ってくれた。
けど、アタシがナオトのためにしてあげられたことは一度もなくて……だから、いつかナオトが誘いをかけてきた時は、どんなことにでも付き合おうと決めていたのだ。
その初めてが弓道となったことには、今さらながら運命を感じずにはいられない。
『え、あぁ、うん。そ、そっか。ビックリしたけど、うん、ありがとう』
即答されたのは予想外だったのか、ナオトは顔を真っ赤にしながら胸を撫で下ろした。
ナオトの緊張した姿が珍しい、貴重な想い出である。
それからだろう。普段のナオトの『弟』な面には少しばかりの勇気が混じり、『兄』の面では時として厳しさを見せることが増えていった。
たとえば弓道の練習中。
アタシが、お爺さまの言葉通りに体を動かせなかったことがあった。
まだコミュニケーションがおぼつかなかった頃で、お爺さまの日本語を上手く聞き取れず、正しく理解できなかったのがその理由だった。
『できないことは、できるまであきらめないのがドミニクでしょ?』
中々上手くいかずに
弓道の練習以外でも、その声になる時があった。
『ゴメンナサイ、ナオト……』
あー、これは冬の裏山で遭難しかけた時の想い出だ。
そうそう。アタシ、強風で飛んだ帽子を咄嗟に掴もうとして、足を滑らせたんだっけ。
いやー、雪のクッションとナオトに庇われたおかげとはいえ、山の斜面を五十メートル近く落ちて「足を挫く程度」で済んだのは運が良かったとしか――いや、やっぱり――直人の受け身がとんでもなく上手かったおかげかも。
ナオトってば、軽い打ち身をしたくらいだったし。
『平気だよ、このくらい。さあ、いっしょに帰ろう』
泣きベソをかくアタシを励まし、背負って、元の場所へと連れ帰ってくれたその
規則正しくも荒い吐息は歩みに合わせて小さく声を生じさせ、アタシの耳や胸へと響いてくる。内と外、両方から包み込んでくれるかのような温もりとその安らぎに、いつしか意識は眠りの中へと落ちていた。
『起きて、ドミニク。着いたよ』
『……ホァ……?』
そんな頼れる背中の寝心地は、本当に格別だったなぁ。
もちろん、このあとで両親とお爺さまにはこっぴどく叱られてしまったけど。
……でも、そんな強烈な体験なのにイマイチ印象が薄いのはきっと、アタシの中で直人の存在が確立されたことの方が重要だったから、なんだと思う。
大好きな幼馴染みで、大好きな友人。
この時初めて、ナオトはアタシの一番大好きな異性になったんだ。
* * *
……あ。余計なコトも思い出した。
フランスの学校でこのことを話してみたら、それは『吊り橋効果』だと言われたのだ。
命の危機に直面したことで一種の興奮状態となり、その場を共に切り抜けた相手、特に異性のことを普段以上に魅力的に感じてしまう現象。
つまりは一時の気の迷いであり、それは本当の気持ちではない、というわけだ。
けれど。と、ドミニクは思うのだ。
それなら今日の今日までこの気持ちが続いているのは、一体どういう理由なのかと。
五年も離れ離れとなり、お互いに連絡も取っていなかったという状況の中、それでも絶えなかったこの溢れる熱情を『愛』と呼ばずして、他に何と言うのか?
「アタシゃぁもう、イチコロなのサぁ……ンフフ」
おっと。心の声が漏れてしまった。
「はいはい、ゾッコンなのね」
……なるほど、ゾッコンか。
「――トモエ。それ、いただきヨ」
そう言って、ドミニクは指を鳴らしてトキメキの余韻から目覚めた。
さすがは
「現実に帰ってきてくれて何より。で、早くどいてもらえると助かるんだけど」
「オ、オゥ」
急かされるまま巴の胸から頭をどかし、体勢を立て直す。
と、
「……見事な玉ヒュンだったぜ……」
「一声で黙らすとか、すでに歴戦の貫禄じゃねぇか……」
廊下の方からまた声が聞こえてきた。
その声の調子は恐れおののくようで、しかしどこか楽しげな抑揚が付いている感じだった。
「正直チビッたわ。……あれが、本気の空気ってヤツか?」
「いや。アレでまだ本気じゃないらしいぞ……」
「大悟、それマジで言ってんのか……!?」
「ああ。大神さん、大会は『堅実』に行くって言ってたからな……」
「実力がブレない所で勝負に行く感じ、って和泉さんも言ってたね」
まったく……静かにしてと直人が言ったばかりなのに。
また話が盛り上がってきているじゃないか。
「アレでまだ『上』があるってのか……。なんてこったい……」
「大神さん、本当に同い年かよ……?」
そろそろ静かにしてあげて。
そう注意しようと、ドミニクは更衣室の戸を少し開け――
「認めたくねぇが、お嬢が惚れ込むのもわかるような気がしてきたぜ……」
「でしょウ?」
――続くその台詞を聞いた途端、言おうとしていた言葉が変わっていた。
廊下の男子たちに微笑んで見せ、今の言葉に賛同の意志を示す
「「……っ……!」」
ドミニクの方へ振り向いた男子たちが、一斉に動きを止めた。
(……あ、アレ?)
場が凍ったような静けさが廊下を覆っていたのは、ほんの一、二秒のこと。
「ちょっと! まだ着替え中!」
「――ウッ!」
慌てる巴に後ろ首を掴まれ、ドミニクは更衣室の中へと引っ込められた。
引き戸を閉めた巴が、すぐさま小声で叱ってくる。
「まだ着替えてる人がいるでしょ!? 何考えてるの!?」
「ご、ゴメンゴメン。アレはアタシが同意しておくのが当然かなって思って、ツイ」
「ついって……あぁぁもう……。わからなくもないから、もう何も言えないじゃんかぁ……」
巴は痛いところを突かれたように声の勢いを失い、ガクリと肩を落とした。
さきほど背中で語る直人の姿を見ただけに、ドミニクの言い分にも納得する部分が少なからずあったのだろう。飲み込んだ言葉で「うぅ……」と唸りを漏らす。
「ドンマイだよ、トモエ」
そう言って、ドミニクは巴の肩にポンと手を置く。
その瞬間、巴の目から光が消えたような気がしたのは気のせいだろうか。
「ああ、うん、そうだね……。じゃ、私もう帰るよ……」
当日は私がしっかりしなくちゃ……。
更衣室をあとにする巴がそう呟いていたのは、きっと気のせいじゃない。
…………。
と、とにかく。
これで静かにさせる目的は叶った。
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