13: 改

「これで今日の部活を終わります。ありがとうございました」

「「ありがとうございました」」 

 午後五時。

 部活終了の挨拶を終え、ドミニクたち一年生はすぐさま帰り支度に動き出す。

 大会を控える直人たちの練習はこれからが本番だ。練習の邪魔にならないよう、早々に射場しゃじょうから、ひいては道場から退出しなくてはならない。

 更衣室で着替える女子が先に射場しゃじょうをあとにし、廊下で着替える男子はそのあとから続く。

(急げ急ゲ~)

 廊下をドタドタと走り、ドミニクは更衣室へ急いだ。

 ……一応断っておくと、更衣室には男子用のスペースもあるにはある。

 しかしそれは間仕切りとカーテンで隔てただけの簡単な作りで、定員はそれぞれ十五人くらい。加えて、ロッカーは弓道会の会員が使っているため荷物は床に置くしかなく、実質的に更衣室で着替えができるのは十人前後が限界だった。

 そのため、部活が始まった当初は三、四回に分けて着替えをして凌いでいたのだが……。

 ある日、そんな流れをぶち壊す事件が起こる。

『モウ! 待ってらんないヤ!』

 直人たちがより長く練習に集中していられるように。

 そう考えたドミニクが、待ちきれず廊下で着替え始めてしまったのだ。

 突然のストリップショーはすぐに女子たちの壁に遮られ、騒ぎを聞いて駆けつけた凜と真矢の説教によって一時は沈静化したものの……。

『二度目はないからね!?』

『ハーイ』

『……不安だなぁ』

 そう厳命されてから数分後……鍵を閉め損ねていた男女兼用トイレにて、ドミニクは着替え途中のあられもない姿を、こともあろうに直人に見られてしまう。

『……よし、部長に相談だ』

『ま、待っテ! リンさんには言わないデ! ゴメンナサイ!』

 いわゆるというシチュエーションだった。

 けれど一般的なの意味合いとしては、なぜかそれを『された側』であるドミニクが謝るという珍事カオス一幕エピソードである。

 このことは、あっという間に部員たちに知れ渡った。

『大神さんだけオイシイ目に遭うなんて不平等だ!』

『こういう男どもが覗きかねないので、更衣室は女子専用にして下さい』

 そういうわけで、更衣室は女子専用となった。

 これが弓道部の活動における道場の使い方・その一である。

 ……とはいえ、取り決めを定めてもドミニクの勢いが弱まるわけではない。

(トウ!)

 ガラリと、ドミニクは立て付けの渋い更衣室の引き戸を開けた。

 そうして更衣室の敷居を跨ぎながら、ジャージの上着を一気に脱ぎ去る。さらに後続の女子たちがやってくる頃には、脱いだズボンも丸め終わってショルダーバッグの中へ。

 下着一張のまま髪を後頭部に結いまとめ――

「開けたら閉める!」

「オゥッ!?」

 ――そうして隙だらけのところを、背後から誰かに脇腹やお尻、胸を揉まれて思い出すのだ。

 更衣室の引き戸が開けっ放しであることを。

「あー、相変わらずイイ揉み心地だわ」

「ホント、殺意を覚える細さね」

「ご利益ご利益、っと」

 今日は三人がかりでやられたようだ。

 三カ所ほぼ同時にやられたと思ったら、そういうことか。

 ……まったく。ドミニクが一つ年下とわかってからというもの、少々スキンシップが過ぎる女子たちが増えてきている。女子たちとの距離が縮まってきたと考えれば、『広告塔』としては好ましいことではあるのだが……。

「いやー、ゴメンゴメン」

 まあひとまず、毎度のセクハラは置いておこう。

 ドミニクは〝人混みを横切るサラリーマン〟のように手刀を切って、引き戸を閉めてくれた女子――いつも決まって閉めてくれる巴に、謝意を示した。

「いつもアリガトネ」

「どういたしまして。さあ、着替えるよ」

 なんのこともなしと、頼れる巴がそう応じる。

 ここまでが、いつもの一連の流れだ。

 そしてこの流れが一段落するまで、男子たちは女子たちの睨みが利いているため着替えに来れない。男子たちがすぐ廊下に移動しなかったのはそういう理由だ。

 更衣室の戸が閉まった音を合図に、廊下からは男子たちの足音や話し声が聞こえてくる。

『お? 大神さん、もしかして着替えるのか?』

『うん。大会と同じ格好で練習しようと思って』

 そんな直人の声も聞こえてきた。

 セーラー服に袖を通しつつ、ドミニクは直人の声に聞き耳を立て始める。

 しかし、そこへ消臭デオドラントスプレーの噴射音が邪魔に入った。

「あ、そうだ。昨日かわいいお店見つけたんだけど、行く?」

「行く行くー。連休中に着る服、下見しておきたかったんだー」

「あらあら、それは誰に見せるのかな~?」

「男の気配がするぞ~?」

「ち、違うってば!」

 ……廊下の声がまったく聞こえない。

 全員が着替え始めたおかげで、更衣室の中も騒々しくなってきてしまった。

 しょうがない、今は諦めるとしよう。

 ドミニクは手早くスカートを穿き、制服のシワを手で払って伸ばしていく。

「ちょっといい、ドミニク?」

「?」

 そんな声と共に、スカートの裾が軽く引っ張られた。

 スカートが引かれた左斜め下へ顔を向けると、自身の荷物のそばに座り、スマートフォンを片手に構えた巴がいた。彼女はすでにセーラー服へ着替え終わっている。

 小柄な彼女が座ったその様は、今の仕草と相まって非常に可愛らしい。

「明後日の大会って、何か用意しておいた方が良いものってあるかな?」

 今日の巴は、家の用事で買い出しに行くと言っていた。

 親戚一同が集う花見会えんかいが明後日にあるらしく、崎守家は毎年その給仕担当なのだとか。しかし今年はそれを休み、観桜射会に記録役として参加することが今日の朝練で決まっていた。

 どうやら買い出しのついでに、入り用の物を買い込んでくるつもりのようだ。

「んー、ダイジョウブでショ? 大抵の物ならリンさんが揃えてるヨ」

 巴の隣に正坐せいざし、ドミニクはそう答える。

 部活紹介の時の入念な打ち合わせとその対策ぶりを知って以来、ドミニクは凜の準備支度にはかなりの安心と信頼を寄せていた。

 そこに真矢と直人のチェックも入るとなれば、もう抜かりがあるとは思えない。

 日本には昔から〝三本の矢の教え〟や〝三人寄れば文殊の知恵〟などの逸話やコトワザがあるように、気心の知れた仲間が三人集まれば怖いモノはないのである。

 ……ドミニクがその三人の仲にいないのは、とても悔しいところではあるが。

「選手のはそうだろうけど、じゃなくて、記録の私たちに必要なもの」

 案の定、巴が聞きたかったのはドミニクたち記録員のことだった。

「まあ、書くモノくらいでイイんじゃなイ?」

「お昼は?」

「そこらのコンビニで買って行くツモリ」

「エチケット用品は?」

「ポケットティッシュで充分でショ」

「じゃあ万が一、男子と交代できなくなったら?」

 巴の眼鏡がキラリと光った、ような気がした。

「……エ? そこまで考えるノ?」

「うん。まあ、これはトイレのタイミングを調整すればどうにか凌げそうだね」

「そ、そうだ、ネ」

「あ、それと。会場のトイレの位置を把握しておきたいから、館内の地図が欲しいな」

「……と、トモエ?」

「あとは――あたはずれを確認するための双眼鏡とかあったら便利かも」

「トモエぇ……?」

「そうなるとストップウォッチも必要かな? 大体のスポーツで使い所も多いし」

「もしもーシ」

「タオルとか冷却スプレーとかテーピングとかも、部長が用意してる物の他に予備を用意しておけばいいよね。備えあれば憂いなしって――」

「――そろそろ正気に戻って、トモエ」

 ドミニクは巴の手から、メモを取っていたスマートフォンを取り上げた。

 巴が「あ」と物悲しそうに視線と手で追って来るが、それに構わず、自身の胸ポケットに入れて隠してしまう。

 さっきのセクハラ女子たちなら構わず手が伸びてくるところだが、巴は違った。

 伸ばしかけた手は宙で止まり、しょんぼりと膝元へ落ちていく。

「トモエ。アナタ、一体ナニと戦ってるノ?」

 準備をしておくことはもちろん大事だが、巴の言う準備はもう対策の領域だ。

 ドミニクたちの役目は、あくまでも記録。直人たち選手の準備を手伝うにしても、弓に弦を張る程度のことしか習っていないし、できても十キロの弱い弓限定での話だ。

 選手たちの準備で手伝えることはまずないし、むしろ手伝えば集中を妨げかねない。

 自分たちのことだけを考えていれば、それでいいのだ。

 巴のように、眉根にシワを寄せてまで気張る必要はないと思う。

「ホラ。可愛い顔がダイナシだヨ」

 言いながら、ドミニクは巴の両頬に手をあてがった。

 眼鏡に触れないよう、両親指で眉根から眉尻までをなぞり、眉間のシワを伸ばしてやる。同じようにもう一度繰り返し、最後の三度目で眉毛の毛並みを整えるように優しく撫でつけた。

「ハイ、これでダイジョウブ」

「あ、ありがとう……」

 されるがままだった巴が、ふぅと一息をつく。

 さっきまでの険しさは抜け落ち、元の丸っこい童顔に戻っていた。

「それデ? ナンデそんな準備に真剣なノ?」

 巴にスマートフォンを返し、ドミニクは問いただす。

「うーん、そんな真剣になってたつもりはないんだけど……なんて言うか、準備がバッチリだと私、すごく安心するタイプみたいなの」

「フムフム」

 だから巴は直人たちによく質問をしているのかと、ドミニクは考えた。

 巴は幼いその見た目と違って、普段から大人びた落ち着きを持つ子だ。

 どうやらそれは、今言ったように事前に傾向と対策を把握して対処しているからのようだ。やり過ぎなほどに不測の事態を想定しているおかげで、大抵のことでは動揺せずに冷静でいられることができる、ということか。

「ほら、今日の買い出しって明後日の宴会のためって言ったでしょ? 今まで、酔っぱらった人たちの無茶振りを耐えたり受け流してきたから、それが上手くいくと、ちょっぴり達成感みたいなものが、ね?」

「ナルホド。もてなす側の苦労、ってヤツだネ」

「まあ、そんな感じ」

「じゃあやっぱり、今回は取り越し苦労トリコシグロウだヨ」

「え?」

「だって――」

 それは、女子たちの着替えがようやく一段落してきた頃だった。

 廊下から、再び物音が聞こえ始めてくる。

 しかし更衣室の賑やかさは、さっきからほとんど変わっていない。それでもなお、しっかりと聞こえてきたその声に、ドミニクは更衣室の戸口を振り返った。

 ――よし――

 周囲の話し声とは異なり、小さくても良く通る声だった。

 その声はドミニクや巴、そして何人かの女子たちの耳にも届いていたようで、ほんの四、五秒ほど更衣室の賑やかさが落ちる。

「――だって、ナオトがいるモン」

 ……何年ぶりだろう。

 この、直人の気合いスイッチが入った声を聞いたのは。

 更衣室の戸、その向こうにいるであろう直人に視線を向けたまま、ドミニクの目尻が下がる。

 それから遅れて、他の女子たちが何人か反応を示しだす。

「……え、今の大神さんなの?」

「えぇ、ウソぉ? あんな声だったっけ?」

「でもドミニクがそう言うんだし、そうなんでしょ?」

 声の主に確信を持てない女子たちが、そんな戸惑いの声を漏らすと共に、ドミニクの方へと視線を向けてきた。

「モチのロン、だヨ」

 その視線に答えるべく、ドミニクは会心のしたり顔で親指を立てるサムズ・アップ

 だがそれを見せられた女子たちは、

「そっかー」

「ふ~ん」

「ノロケだノロケ」

 などと呆れたような素振りを見せ、身支度を再開していった。

(あ、アレぇ?)

 ……スベッたお笑い芸人は、みんなこんな気持ちなのだろうか。

 ドミニクは肩すかしを食らったかのようにポーズを崩し、苦笑う。一人で熱くなっていたテンションが、急激に冷やされて正気に戻っていくのがわかった。

「ムゥ……」

 そうして場が途切れたその隙に、誰かと話す直人の声が聞こえてくる。

『家でははかま穿いて過ごしてたからね。特に、中学時代はずっと』

『は? 三年間ずっとか?』

『うん。普段着にしてたらこの通り、だいぶ慣れたよ』

 その話しぶりからして、すでに直人は胴着に着替えたようだった。

(……ヱ……?)

 しかしさすがのドミニクも、直人のその言葉には一瞬だけ疑いの心が芽生える。

 はかまの着付けはそれなりに時間がかかるものだと、ドミニクは部活紹介の時に着た経験でわかっていた。あの時は、着慣れている凜でも五分はかかった。着せてもらうドミニクにいたっては、その倍以上はかかったと記憶している。

 着付けに男女で多少の違いがあるとはいえ、ドミニクがセクハラ三連続を受けてからまだ三分少々しか経っていない。いくらなんでも早すぎである。

 気になったドミニクは、すぐさま四つん這いで戸口へ移動した。

 少しだけ引き戸を開けてみて、そろ~りと廊下を確認してみれば……そこには胴着姿となった直人の後ろ姿があった。

「……ワォ……」

 バッチリと着こなす直人のその姿に、ドミニクは思わず唸る。

 胴着姿の直人を見るのは、これが初めてのことであった。

 緩みやシワがほとんどない、整った着付けであるのはもちろんのこと。ドミニクの目を特に惹き付けたのは、その姿勢の良さだった。

 帯を巻いて引き締まった腰、そこから伸び上がる背すじの影はまるで、地面にしっかりと根を張る大木のようにどっしりとしている。無駄な力みのない、自然体な佇まいでありながらそうと感じさせてしまうその雰囲気は、在りし日のお爺さまの面影を色濃く残していた。

 だからなのだろう。

 ドミニクは直人の向こうに、霊験れいけんあらたかな御神木ごしんぼくの姿を錯覚した。

 その御神木は、小さい頃に直人と遊んでいた神社のものだ。長年の風化でくすんだ御堂おどうつたの這ったお地蔵様、そして、御神木の根でデコボコにされてしまった石畳……昔見た境内の光景が、まるでそこに浮かび上がってくるかのように鮮明に思い出されてくる。

「――なるほどね」

「オゥ!?」

 耳元で囁かれた巴の声に驚き、ドミニクは直人から視線を外してしまった。

「そ、そんなに驚かないでよ」

「ご、ゴメン……」

「でも、納得。ドミニクが心配いらないって言うのも、わかった気がするよ」

「で、でショ?」

 正気に戻って改めて直人を見てみれば、そこには直人が一人だけ。

 さっきまで見えていた御神木も、神社の境内も、もう見えない。

「うん、さすがの貫禄で安心した。他の男子にはマネできないね」

 ドミニクと同じように、巴も直人の後ろ姿を覗き見ていたらしい。その背中から伝わってくる大きな信頼が、語らずして巴を説得してくれていた。

 穏やかに笑う巴の肩から、重荷が取れたように力が抜ける。

 ……そういえば、さっきまで巴の取り越し苦労を心配していたんだっけか。

 だが巴の様子を見るに、もうその心配は無用なようだ。

「背中で語るって、こういうことなんだね……」

 感心したように呟く、巴の独り言。

 その独白に、ドミニクはからかい半分で反応してみた。

「フフ、惚れちゃっタ?」

「あれ? 他の人が惚れても良いの?」

「惚れるのは誰でも自由サ」

「あら、意外に寛容」

「かといって、アタシも負けるツモリはないケド」

「だと思った。でも心配しないで。私はそこまでじゃないから」

「そこまで……ってことは、ちょっとは惚れたと考えるベキ?」

「頼れる男の背中を見て、魅力を感じない女子がいると思う?」

「いないネ」

「あはは、さすがの即答で安心した。……さて。私、そろそろ行かなきゃ」

 この話題はここまでと、巴は自分の荷物を手元に引き寄せる。

 明言を避けるようにも捉えられるその行動……しかし、まだ下着姿の女子が数人残っていたのと、廊下から聞こえてきた男子たちの会話のせいで、巴は動きを止めざるをえなかった。

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