お供の三人:11.1


 明後日に迫った観桜射会。

 その弓道大会には部長の月嶋凜と、副部長である和泉真矢、及び大神直人の計三人が出場することになっていた。

 その大会中に選手三人をサポートする役として、男女二人ずつを新入部員たちの中から選抜。

 選抜の試験内容は、単なる『歩き方』だった。

 初心者の筆頭として、まずはドミニク・葵・ブレッソンが一抜け。

 彼女は大会に出場する三人の選手以外で唯一、過去に弓道の修練を積んだことがあった。その経験値は同じ初心者の中でも特に抜きん出た練度を誇り、残る六十九人は、彼女が選ばれたことに「うんうん」と一同揃って納得していたという。

 女子のもう一枠には崎守巴さきもりともえが収まり、そして男子の一枠にはまず、新牧大悟あらまきだいごが選ばれた。

 巴と大悟は、選抜の試験官となった選手三人の満場一致により選出された。

 強制でない朝練を一度も休まずに参加し続け、さらには普段の部活も無欠席。他の部員たちよりわずかに上回ったその練習量が、そのまま今回の結果に繋がった形であった。

 そして男子のもう一枠に選ばれたのは、天内一誠あまないいっせい

 わずか二週間という経験値でありながら、その練度の評価はドミニクをも上回った。

 その評価を下した――彼を選んだのは、試験官の中で大神直人ただ一人。弓道部の中で一番の経験者である直人が選んだとあって、その決定に不服を申し立てる者はいなかった。

 かくして選ばれた四人のサポート役。

 実を言えば、ドミニクを除いた三人は同じ一年五組の生徒なのであった。



     * * *



 朝練の選抜試験を終えて、巴、大悟、一誠の三人は体育館をあとにした。

 登校してきた生徒たちの波に流されながら階段と廊下を進んでいき、予鈴のチャイムが鳴る前に一年五組の教室へと辿り着く。

「さーて、一時間目はなんじゃらほい?」

「「英語」」

 何の気なしに呟いたであろう大悟の言葉に、巴と一誠がポツリと同じトーンで返した。

 そうしてほぼ同じタイミングでそれぞれが席に着くと、各々のリュックや鞄から各教科の教科書とノートを取り出し、机の中に収納していく。

「あ、そういや英語って翻訳の宿題あったな。やっべ、やってねぇや。天内、見して」

「――あ。ご、ゴメン。今日は僕も忘れてた……。指南書を読むのに忙しくて……」

「ま、マジか……。つーか、読んだだけで今日の試験通るとか、凄ぇなそれ。攻略本かよ」

「そんなことより、早く宿題やりなよ。最悪、HRホームルーム中にやれば間に合うでしょ?」

 一年生の最初の内は、名簿番号によってクラスでの席順が決定される。

 あいうえお順で割り振られる名簿番号により、一誠と大悟はそれぞれ『あ』で始まることから男子の一番と二番を。そして巴は女子の数が少ないこともあり、『さ』で始まっても女子の一番となっていた。三人の座席位置は、黒板に向かって右側最前列に固まっている。

 しかも、一年五組の弓道部員はこの三人のみ。

 そんなおかげで、まだ日は浅いながらも三人の友好は徐々に深まりつつあった。

「そうだ崎守。あとで天内が指南書貸すから、俺らに宿題見せてくれよ」

「え、僕の!? えぇ……!?」

「なら、天内くんだけね。はい、どうぞ」

 そう言って巴は、隣の席の一誠に自身のノートを手渡す。

「え――あ、どうも」

「ちょっ! 俺にも見して! 後生だから! あの先生、マジこえぇんだよ!」

 素直にノートを受け取る一誠の後ろから、大悟が救いを求める手を伸ばした。

「けど今の提案じゃ、新牧くんに見せる理由がないし」

「助けてくれよぉ! 同じ端っこ同士、さっきの試験でも助け合ってただろ!?」

「それはそれ。これはこれ。それに、気配りは甘やかすって意味じゃないもの」

「くっ! なんてこった……」

 大悟はそれ以上なにも言えなくなった。

 と、ノートに目を走らせていた一誠が動きを止める。

「よし。単語だけ覚えれば充分か」

「あれ? 翻訳したのは写さなくていいの?」

「うん、それは自分でやるよ。ノート返すね。それと、指南書もどうぞ」

「……本当に、借りて良いの? さっきのは冗談のつもりだったんだけど」

 言いながら巴は、一誠からノートと黄色い表装の指南書を受け取る。

 横から手を伸ばしてきた大悟が「冗談ならOKだな!」と、ノートだけを奪っていった。

 それをとがめることはせず、巴は大悟の行動を流した。

「いつも崎守さんには助けられてるし、そのお礼だよ」

「? 別に私、助けてる覚えはないよ?」

「部活中によく質問してるでしょ? アレだよ。影ながらそれを聞いてたおかげで、今日の試験に活かすことができたんだ。ありがとう」

 丁寧に頭を下げ、一誠は礼を言う。

「私が聞きたかったことだし、別にお礼なんていいよ。私が聞かなきゃ、きっと他の誰かが聞いてたと思うし。それこそ、天内くんとか」

「ううん。僕は人と話すのが苦手だから、自分から聞くなんてできなかったと思う」

「でも今、私には普通に話せてるじゃん」

 そう言われ、一誠は気まずそうに鼻っ柱に触れて口元を隠した。

「なんて言うか……同じクラスとか同じ弓道部とか抜きにして、崎守さんはなんだか、話しやすいんだ。他の人とは雰囲気が違ってて、だから気を許せるっていうか――って、あ、ええっと! 今のは好きだとか何だとかっていうことじゃなくて……!」

 口説き文句に聞こえかねないことを喋ったと気づき、一誠は慌てて弁明の言葉を探す。

「うん。そういうんじゃないのはわかるから、続けて」

 だが巴は至って平静にそう返し、一誠が落ち着くのを待った。

「あ、ありがとう……」

 一誠は深呼吸をし、椅子に座り直す。

「さ。それで?」

「えっと……僕が言いたかったのは、今の感じみたいな対応が非常に助かるってことなんだ。言葉を待ってくれるっていうか、促してくれるっていうか。どんな内容でもひとまず受け止めてくれるから、話しやすくてさ」

「野球で言うところの捕手キャッチャーだな、それ。どんな球でも捕ってくれる女房にょうぼう役って意味で」

 そんな大悟の言葉に「まあ、そんな感じかな」と、一誠は賛同する。

「いいからアンタは早く宿題を終わらせなさい」

「へいへい。つーか今の、マジでおフクロさんみたいな台詞だな」

「それで、天内くんは私にどうして欲しいの?」

「無視っすかー。そうっすかー」

 大悟の横槍をこれまた聞き流し、巴はさらに一誠に続きを促す。

「実は、その……指南書について、ちょっと意見交換をしてみたいな、って。……崎守さんが良ければ、だけど。……い、いい、かな?」

 所々言葉にきゅうしながら、一誠が自身の思惑を伝えた。

 わずかに思案の間を置いて、巴は答える。

「いいよ。役に立てるかはわからないけどね」

「助かるよ。僕がみんなに追いつくには、とにかく知識で勝負するしかないからさ」

「それ、わかるなー。私らくらいだもんね。まだゴム弓をまともに引けてないの」

「そうそう。単純に筋力が足りてないからなんだろうけど、やっぱり悔しくてさ」

 と、一誠と巴は揃って大悟の方へ視線を向ける。

 ドミニクにゴム弓の手本を見せてもらったその日、大悟は苦もなくゴム弓を引いてみせ、その日の内にゴム弓の使用許可をもらっていた。ゴム弓を貸し与えられているのは、七十人の初心者の中でドミニクと大悟の二人だけ。いわばエリート中のエリートだ。

 そんなエリートが今、巴が翻訳した文章を必死になって丸写ししている。

「ん? なんだ? バカを哀れむような目で見やがって」

「「なんでもないよ」」

 視線に気づいた大悟に、二人は口を揃えてそう言った。

「そうか? ま、その指南書で何かアドバイスが欲しくなったら言ってくれ。俺の脳筋な知恵でよければ、いくらでもくれてやるから。その代わり勉強、教えてくれよ?」

「見返りが少なそうね……。天内くんはそれでいいの?」

「うん、結構タメになるんだよ? 筋肉増やすなら鶏肉がおすすめとか、運動の後は筋肉を冷やせとか、運動後はすぐ牛乳飲めとか。筋トレのやり方も色々教えてもらったしね」

「あ、あれ? まともそうじゃん。ちょっと意外」

 フフン、と大悟は鼻を鳴らす。

「一誠は体が小柄だし、まずは食生活から手をつけていくのが近道だと思ってな」

「じゃあ、私もそうした方が良さそうね」

「ああ。だが、女子は脂質に注意しろ? 体質的に蓄えやすいからな。牛乳は低脂肪、鶏肉は胸肉限定だ。肉は脂身の白い部分はしっかりと取って、皮は絶対食うな。それと、調理法は茹でるのが一番手っ取り早い。あとはタンパク質の吸収を助けるビタミンBを取れればなおいいが、まあ、よっぽどの偏食家じゃなけりゃまず不足はしないし、そこは気にしなくてもいい」

 すらすらとアドバイスを連ねる大悟。

 最後に「ちなみに、俺のオススメはササミだ」と付け加えた。

「……さっきのお返しじゃないけど、今のアンタもお母さんみたいよ?」

「なんとでもいえ。今に身長も胸もデカくなって、俺に感謝するようになるんだからな」

「セクハラで台無しね」

「だが事実だ。中学時代、野球部のマネージャーで良くも悪くも実証済みだぜ」

 大悟がそこまで言ったところで、教室に担任の先生がやってきた。

「僕も、身長伸びるかな?」

「伸びるさ。俺がその良い例だ」

 担任がやってきたのを合図に、クラスメイトたちが各々の席についていく。

「……覚えとく」

 巴の最後の呟きは、本鈴を告げるチャイムに掻き消された。



 その後、大悟の言葉通りのことが現実となる。

 だがそれは、まだまだ先の話であった。

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