凜という部長:3~7.1


 部活紹介の日から一週間。

 弓道部への在籍が確定となった部員は、総勢で七十一名となった。

 ひとえに、広告塔として絶大な人気を集めたドミニクのおかげである。

 当初の予定では、直人と真矢の経験者二人を招くことで、まずは凜だけでは不足だったコーチ以外の経験者の補充、大会の実績を増やすなど、部活動としての経歴や指導環境といったものを最低限整えることから始めようとしていた。

 部員は必要最低限集まれば、それで御の字だと。

 それが、どうだ。

 明仁高校で一番部員の多い部活動になってくれちゃったではないか。

 女子にいたっては在校生の七割近くが所属している。

 これには鼻高々と言わざるを得ない。

 だが、ここで浮かれ過ぎてしまってはいけない。

 こういう順風満帆じゅんぷうまんぱんな時にこそ、注意や警戒を怠ってはならないからだ。

 塞翁さいおううま、というやつである。

 今のこの幸福が、いつ不幸を招くとも限らない。

 特に、ドミニクと直人の『いちゃつきぶり』は予想の遙か斜め上だった。

 二人が再会したあの瞬間――ふと聞こえた声によれば、抱きついて抱きとめられてシャランラー、だったか――を間近で見た凜としては、それで高止まりだと思っていたのだが……。



     * * *



「そういえば直人くんとドミニクさ、ちょっと遅かったけどどうしてたの?」

 部活初日の帰り際のことだ。

 何の気なしに直人とドミニクに聞いてみたら、とんでもない答えが返ってきた。

「遠回りでしたけど、ドミニクの自転車を僕が漕いで一緒に来ました」

 なんだよ、男女で自転車の二ケツって。

 昔の青春映画か何か。

「大丈夫です。公道以外の道を通ってきましたから」

 しれっと道路交通法の対策をしているあたり、タチが悪い。

 それを直人は無意識の内にしているというのだから、尚更タチが悪い。

 何より一番まずかったのは、この会話を、見学に来ていた一年生の数人に聞かれてしまったことだ。勧誘期間は明日以降も続くというのに、ドミニクに男の影があっては男子の足が遠のきかねない。

 これは非常にまずい。何か手を打たないと……!

 しかし、凜のこの懸念は杞憂に終わった。



 その次の日は、一年生たちが一様に疲れきった様子で見学に来ていた。

 一人だけ何ともなさそうな直人に、何があったのかを聞いてみる。

「今日の午前中、一年生は体力測定だったんです。そのせいじゃないですか?」

 あー、なるほど。

 持久走とか反復横跳びとかハンドボール投げとか、そういうやつだ。

 凜の学年は明後日やることになっている。今から億劫おっくうでしかたがない。

「僕は良い記録がたくさん出たおかげで、その疲れが吹っ飛んでますけどね」

 そう笑顔で答えた直人の背後には、悔しそうにうなだれる一年男子たちの姿があった。

 ……なるほど。

 動物が力の優劣を体格や威嚇いかくで見せつけるように、直人はその身体能力で勝ってみせたのか。

 で、負けた方は直人に勝てるところをなんとか見つけようとして、今日も見学に来た、と。

 うん、理解した。納得。ご愁傷様しゅうしょうさま

「何かあったといえば、もう一つ。今日、色んな部活の人から声をかけられました」

「は!? 何て!?」

「ウチの部に入らないか、って。もちろんキッパリ断りましたけど」

 ……待てよ。

 よく見れば今日の見学者たちの中に、なぜか二年生や三年生の姿もある。

 初々しい顔ぶれの中に、いかにもな丸刈りの人とか、凜のクラスメイトとか、ぎらぎらと目を光らせて直人を見るガタイの良い人とか、十人くらいはいるだろうか。

 直人のことを諦めきれずに追ってきたらしい。

(そこまでするほどなの……?)

 直人の身体能力が高いことを、凜は武道教室に通っていた頃から知っている。

 山育ちでずっと育ってきたのだ。普通の人とは地力が違っていて当然である。

 ……いや、本当に違うのかは別としてもだ。

 多少は普通の人より体力に恵まれているとはいえ、まさか他の部の引き抜きに遭うほどズバ抜けた身体能力を持っているとは思えないのだが…………いや、しかし…………今のこの光景が、その確かな証拠ではないだろうか?

 そうでなければ二、三年生が今この場にいるはずがない。

 ……もしや、全種目で学校記録を塗り替えてきた、ということはないだろうか?

 それほどのインパクトなら、この事態にも一応の納得がいく。

(聞きたい……。めっちゃ聞きたい……!)

 だがしかし、一年男子たちには聞きづらい。

 傷口を開いた上で荒い塩をこれでもかと塗りたくるような、そんな気がする。

 かといって、二、三年生たちに「なんで一年生の中に紛れてるんですか?」とも聞けない。偵察を任じられた者たちの正体を暴くなど、その部活の品位を落としかねないからだ。

 ただでさえ弓道部は、部活勧誘で一人勝ちしてしまっている。

 これ以上他の部に何かしてしまったら、来年度の部の予算編成が怖い。他の部から嫌味の集中攻撃をされるかも……。

 よし。

 ここは一つ、気づかないでいてやるのが優しさだ。

 それに、直人の『弓道一筋』な想いがわかれば、自然と諦めてくれるはずだ。

 ……しかし事態は、予想よりも斜め上の方向で現実となってしまった。



 そのまた次の日。

「大神をウチにくれ! 頼む! この夏が最後の望みなんだ!」

 凜のクラス担任――ひたすら走るアレな部活の顧問が、両手を合わせて懇願こんがんしてきたのだ。

「ダメです」

 直人が抜けたらドミニクもいなくなってしまう。

 ドミニクの入部は直人がいてこそ実現した偶然の産物だ。

 なのに当のドミニクが抜けてしまえば、新入部員は望めなくなる。

 新入部員はドミニクを目当てにして来ているのだから、離れてしまって当然だ。

「だから、ダメです」

 一応クラス担任を説き伏せはしたが、こうなると他の部も実力行使がありそうで怖い。

 凜のその予感はすぐに的中した。

 放課後の生徒玄関前で、直人とドミニクを囲んで土下座する柔道部員たちの姿をみつける。

「じゃあ、今この場で僕を投げられたら、考えます」

 部員から胴着を借りた直人が、二回り以上体格の大きい柔道部の主将と組み合う。

 しかし端から見ていた凜の目には――かかり稽古と言えばいいのか――主将が投げ技の反復練習(技を掛ける直前の踏み込みまで)をしている風にしか見えなかった。

 まさか、地に足をつけたまま主将の攻めを無力化し続けるとは、その場にいた誰もが予想だにしていなかっただろう。

 かく言う凜も、おったまげた者の一人だ。

 それでも最後の意地だったのか。主将は体ごと持ち上げる『肩車』という技をかけにいったが、その際に腰を痛めてしまって結局不発。

 主将が続行不可能になったことで、この一悶着は終決した。

「でも、最後はさすがに危なかったですね」

 とは、終始涼しい顔で技を無力化していた直人の言葉だ。

 山育ちって、すげぇ。

「ナオトも片足浮いちゃったモンネ」

「ねー。でも、主将さんには悪いことしたな……」

「気にしなイ、気にしなイ。しつこい人には毅然キゼンとしてなきゃダメだよ、ナオト。アタシみたいにハッキリと突っぱねちゃえばいいんだヨ」

 そして、直人の勝利を疑わなかったドミニクもまた、他の部から勧誘を受けているという。

 このことは想定していたので、さほど驚きはしなかった。

「……ちなみに聞くけど、どこの部から?」

 ドミニクは指を折り数え始める。

「えっと、部員になってくれって言って来たのは、バレーボールとバスケットボール、だったかナ? あと一人で女子のチームが組めるんだって言ってタ」

 あー、それは本当にごめんなさい。

 ドミニク、結構身長あるもんね。そりゃあ勧誘するわ。

 でもドミニクに言うよりは、他の子に誘いを掛けた方がまだ望みはあったと思うなー。

「あと、サッカーと野球はマネージャーになってくれってサ」

 広告塔に仕立てた自分が言うのも何だが、馬鹿なのか。

 積極性の強いドミニクは、部員として活かしてこそだろうに。サポート役のマネージャーに収まるような器でないことは、この数日見ただけでもわかる。

 そんな浅はかな考えの部活ところに、ドミニクは渡さん。

「でもアタシ、球技ってあんまり好きじゃないんダ、って言って全部断ったノ」

 よく言った。褒めて遣わそう。

 とはいえ……野暮かもしれないが、弓道もある意味じゃ弓技きゅうぎと言うことがある。

 一応それを二人に聞かせてみたが、

「ソレとコレとは別だヨ」

「弓道は弓道ですよ、先輩」

 さも当然のように即答する二人。

「さ、部活に行きましょう」

「行こ行コ!」

 どうやら『弓道一筋』なのは、ドミニクも同じだったようだ。

 ……ふむ。

 これ以上ドミニクや直人の引き抜きがしつこいようなら、このことを学校側に訴え出てみるのも有効アリかもしれない。

(弓道部の活動に支障が出ている、とでも言ってやろうかしらね?)

 部員の安全を守るのも、部長たる者の務め。

 他の部からの嫌味攻撃など、何てことはない。

 この一件のおかげで、凜の懸念は少しずつ薄れていった。



 そのまたまた次の日。

 この日が体力測定だった凜は、一昨日の仮説がほぼほぼ正しかったことを知った。

 直人は、本当にほぼ全種目で学校新記録をたたき出していたのだ。唯一五十メートル走が一年生の平均記録をちょっと上回った以外、昨日測定した三年生の記録をも上回っている。

 文句なしに五段階評点で『五』がつくと、体力測定を担当した体育教師が言っていた。

 全国の高校記録を塗り替えるかもしれん、とも言わしめた。

 ここまで言われると、凜としても誇らしい。

 そんな逸材が弓道部にいることが、とても嬉しいのだ。



 またまたそのまた次の日。

 これまでに行われた直人とドミニクの引き抜き事案は、色んな事実と尾鰭おひれと嘘が混ざり合った噂として、あっという間に学校中に広まっていた。

 やれ、一年生にして学校最強の名を欲しいままにする男子、だとか。

 やれ、学校最強に教師が泣いて謝った、だとか。

 やれ、学校一の美人には常に付き従う騎士ナイト様がいる、だとか。

 やれ、柔道部の魔の手から姫を救い出したらしい、とか。

 やれ、実は小さい頃から将来を誓い合った仲、だとか。

 やれ、学生寮じゃ互いに不可侵の男女棟を自由に行き来できる特例持ち、だとか。

 そんな、やたらと少女チックな噂もあれば、血気盛んな男子が盛り上がりそうな噂もあった。

 学生寮の噂に関しては凜もその一因なのだが、訂正して回ったところでまた根も葉もない噂が立ちそうなので、放っておくことにした。

 それに半分以上は事実なのだし、いいかな、と。

 これで弓道部の知名度が上がるなら、それはそれで儲けものだ。

 ……しかし、直人とドミニクの『いちゃつきぶり』はどうにかしなければ。

 二人一緒にいれば、自然とドミニクが直人に絡んでしまう。けれど、直人がいればドミニクの大胆な行動は自然と抑えられるという……実に悩ましい相互作用が働いているのだ。

 二人を引き離そうかとも考えたが、クラスは一緒だし、部活は一緒だし、同じ学生寮にいるしで、どうにもこうにも無理そうだったので諦めた。

 一応、懸念は懸念として心に留めてはおく。

 留めてはおくが、なんだか不毛な気がしているのはきっと気のせいじゃない。



 土日を挟んで次の日、つまりは勧誘期間が終わった今日。

 二人はうちの指導のために、ベタベタしまくっていたと聞く。

 事細かに教えてくれた女子が言うには、鎖骨の上に顎を乗せて寄り添っていたということだ。

 料理中の奥さんに旦那さんが後ろから抱きつく光景が、たやすく思い浮かんだ。

 あすなろ抱き? なんだそれは。けしからん。

 どこの新婚夫婦だ。うらやましい。

 ……もういいや。

 なるようになればいい。

 とうとう凜は、この懸念をほっぽり出した。



     * * *



 しかし、不思議なものだ。

 総見学者数のおよそ三分の一に減じたとはいえ、ドミニクを目当てに来ていた者たちが七十人も弓道部に残ってくれたとは。これには正直驚くしかない。

 直人が急遽学生寮に帰って不在なので、凜は部員たちに弓道部に残った理由を聞いてみた。

「もういいや、って。大神には敵わないって思い知りました」

「だけど、彼女と友達として仲良くなることはできるんじゃないかと思いまして」

「一緒の部活に所属してるってだけで、ある種のステータスなんですよ」

 凜のように諦めの境地に達した者が、男子の大半のようだ。

「私は、そんな二人を繋ぐ弓道に興味が出てきました」

「あの二人を見てると、癒やされるんですよねー。ほっこりー、って」

「お姉様が可愛いので、私は間近で見ていたいんです」

 女子の方は、真っ当な熱意が湧いてきた者、新境地を見出した者、変わった趣向に目覚めた者などが半数以上を占めていた。

 理由も動機も様々だが、弓道部に残ってくれたのは素直に嬉しい。

 彼ら、彼女らの際立った個性というものは、おのずと弓を引く姿にも現れてくる。

 それが一体どんな風に表現されるのか、今から楽しみでしかたがない。

 しかしながら、弓を持つようになるのはまだまだ先のこと。まともに『弓道部の練習』といえるものができるのは、早くても七月に入ってからになるだろう。

 今はとにかく、基本の徹底と筋力向上に重点を置かねば。

 新入部員からすれば「あと三ヶ月も基礎練習か」と思うかもしれないが、指導する立場からすれば実は逆で「あと三ヶ月しかない」のである。

 一年生の七月に弓を持ったとして、三年生の六月にある高校総体を終えて引退するまで、まともな『弓道部の練習』ができる期間は実質二年もないのだ。

 だからこそ、少しでも早く新入部員たちには基礎を覚えてもらいたいのである。

 コーチの飛鳥や副部長の直人と真矢がいることで、広告塔のドミニクが集めてくれた多くの部員たちは、しっかりと指導を受けることができる。

 指導環境に抜かりはない。充分に育ってくれることだろう

(最後まで見届けられないのは、心残りだけど……)

 凜が先輩として一年生たちと一緒に弓道をしていられる時間は、もう残り少ない。

 引退するまでに残された時間は、あと一年と二ヶ月そこら……その中で、どれだけのことをしてやれるかはわからないが、凜は経験者の中で一番弓歴が浅い。きっと、凜が気づく前に誰かが先に気づいてやってしまうだろう。

 でも、それで弓道部が上手く回るのなら、それでいい。

 凜は先輩風を吹かせて、悠々ゆうゆうとみんなを率いていればそれでいいのだ。

 あとのことは直人たちがなんとかしてくれる。

 そうした方が、この弓道部は上手く回るはずなのだ。

 そのためなら凜は、喜んでそのいしずえとなろう。

「お疲れ様でした。お先に失礼しまーす」

「はい、お疲れー。また明日ねー」

 帰り支度を済ませた部員たちを、凜は玄関前で次々と見送っていく。

(後輩たちの喜びが、私の喜びだもんね)

 後輩たちには、一ヶ月でも、一週間でも、一日でも長く、楽しく弓を引いていてほしい。

 それが部長たる、凜の願いだ。

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