真矢のライバル【後編】:2.2

「お疲れ様でしたー」

 給仕の仕事を終えて、真矢は食堂をあとにした。

 蒸し暑い厨房から出てきたため、廊下の温度がとても肌寒く感じる。汗ばむ背中があっという間に冷えていった。両肩を縮こまらせ、足早に廊下を進む。

 現在時刻は二十二時。窓から見える外の景色はすでに真っ暗だった。

 消灯された受付窓口の中へ一旦入り、冬用のブランケットを引っ張り出して羽織ると、懐中電灯を一本持って館内の見回りを開始する。

 まずは近場の男子棟ラウンジから。

「そろそろ就寝時間でーす。部屋に帰って下さーい」

 ソファーにだらしなく寝ころぶ男子二人を、いつもの文句で追い立てる。

 懐中電灯でテーブルの下やソファーの裏を照らし、落とし物・忘れ物がないかを確認。窓のブラインドを下げ、照明を落とす。

 よし。次は女子棟の方だ。

 女子棟ラウンジにいる人影は一つ。

 青いジャージを着て、短い髪型……男子だろうか。

 ……別に、互いのラウンジに立ち入ってはいけないという規則はない。ないのだが、好奇の目線に晒されるのは必至だ。こんな時間まで何をしていたのだろう?

 さきほど真矢が男子にかけた追い立て文句は聞こえていたと思うが、こちらに背を向けてソファーに座ったまま立つ気配がない。

「そろそろ就寝時間ですよー。部屋に帰って――」

 真矢のその声を受けて振り返ったのは、直人だった。

 申し訳なさそうに顔の前で両手を合わせ、声を出さずにゴメンと口を動かす。

 その理由は、すぐにわかった。ソファーの背に隠れて見えなかったが、そこには、直人の膝枕に頭を預けて横たわるドミニクがいた。

 直人と同じ青のジャージ姿で、手足を赤ん坊のように縮こまらせて寝息を立てている。

「ゴメンね、和泉さん。ドミニクがとうとう力尽きちゃったんだ……」

 なるべく声を小さくし、直人は話す。

「ついさっきホームセンターでドミニクの自転車を買ってきたんだけど、さすがに今日はもう限界だったみたい。僕は明日にしようって言ったんだけど、今日中に終わらせるんだって聞かなくてさ……それで、十分くらい前からこんな感じだよ」

 呆れながらも、どこか安堵した様子の直人。

 ドミニクの髪を撫で、優しげな笑みを浮かべる。

「な、なるほど……」

 今まで真矢が見たことのない直人の表情だった。

 それに少々面食らった気分になってしまったのは、自分でもよくわからない。

「でも助かったよ、和泉さん」

「は、はい?」

「え? ああ、さすがに今の時間帯で男子が女子棟に入るのはまずいでしょ? だから、和泉さんか凜先輩が通りかかるのを待ってたんだ。就寝時間になれば誰かが来ると思って」

「え、あ、ああ。そういうことですね」

 真矢はすぐに正気を取り戻した。

 呼吸を整えて、直人のそばへ歩み寄る。

「じゃあ、ドミニクのことはお願いします――」

 膝枕をやめようと直人が体勢を崩した途端、ドミニクの手が直人の腰に巻きついてきた。

 懐中電灯を捨てた真矢はその手を素早く払い除け、直人との間に割って入る。

「――はい、了解しました」

 そのままドミニクの腕を自身の肩に回し、背中へ乗せるようにして一気に『おんぶ』の体勢へ。足腰へ瞬間的に力を込めてソファーから立ち上がり、一旦前傾姿勢になって彼女のだらりと下がった両脚を掴み取る。

 最後に、跳び上がる勢いを利用してちょうど良い『おんぶ』の位置に直した。

「ふぅ」

 年の離れた弟と妹を持つ四人姉弟の長女として、これくらいなんてことはない。ドミニクの体格は弟たちの比ではないが、無意識下での重心のかけ方はほとんど一緒だ。

 これまでに培われてきた姉としての世話力が、ここで活きた。

「すいませんが、大神くん。忘れ物とか落とし物がないか確認してもらえますか? あと、窓のブラインドも下げてもらえると助かります」

「うん。お安いご用だよ」

 直人は落ちた懐中電灯を拾い、テーブルの下とソファーの周辺を見回った。ブラインドを下げ、真矢の代わりに照明のスイッチを操作して消灯してもらう。

 懐中電灯を返してもらうと、

「では大神くん、おやすみなさい」

「うん、和泉さんも。おやすみ」

 互いに小さく頭を下げ、その場をあとにした。

 ドミニクを背負ったまま女子棟の階段を登り、二階の二〇八号室へ。

 不用心にも鍵が掛かっていなかったので――廊下には監視カメラがあるので、一応は大丈夫と言えば大丈夫ではあるのだが――そのまま中へと入り、かすかに見える暗闇の中を進んでドミニクをベッドへ降ろす。

 一旦部屋の照明を点け、横たわるドミニクに布団をかけてやった。

 次に真矢は、この部屋の鍵を探す。机の上に置きっぱなしになっているのをすぐに見つけた。

 と、その横の写真立てにも目が行く。

 今時珍しい、現像した写真のようだ。

 にじむように色褪いろあせてきているのが年季を感じさせる。

 手書きの日付は八年前の七月二日。背景に映っているのはどこかの道場の玄関口だろうか。被写体は三人。頬に傷のある高齢の男性と、その男性の両隣に立つ、幼い男の子と外国人の女の子。高齢の男性は、在りし日の大神範士せんせいとすぐにわかった。

 とすれば、この二人の子供が直人とドミニクということになるか。

 幼少のドミニクの、眩しいばかりの笑顔。

 さっき目撃したような、優しげな表情の直人。

「んナぉトぉ……へへ……」

 そんな寝言と共に、ドミニクが寝返りを打った。

(……変わらない、ってことなんだね)

 今も変わらない二人のその純粋な関係が、ちょっとだけ羨ましく思う。

(だけど、大神くんと一緒に試合で戦ってきた私も、負けないから)

 ドミニクが幼馴染みなら、真矢は戦友だ。

 これからは同じ弓道部というスタートラインに立つ。

 だが、まともな練習をする前に引っ越したということだし、共に練習を積んできた真矢の方が今は多少のアドバンテージがあるはずだ。

(負けないんだから……!)

 密かな決意を心に込め、真矢は一人頷いた。

 気持ちを切り替えて、ひとまずメモを書けそうなものを探す。

 机の上の筆記用具を拝借し、荷解きで出たゴミの段ボールに『昨夜、部屋の鍵を預かりました。受付窓口まで取りに来て下さい』と書き記した。

 一目でわかりやすいように、段ボールを机と椅子で挟んで立てておく。

「じゃ、おやすみなさい」

 照明の紐を二回引いて、就寝用の豆電球を灯す。

 静かに部屋をあとにして鍵をかけると、懐中電灯を点け、真矢は館内の見回り業務に戻った。



 そうして翌日。

 ドミニクが受付に鍵を取りに来たのは、まだ朝日が昇って間もない五時頃だった。

「え、えっと……おはよう?」

 真矢は、家族の中で一番感覚が鋭い。

 かすかな震動と物音を聞いて目を覚まし、寝床に下の弟妹たちを残して様子を見に行く。

 白いパジャマ姿のまま、物音のした受付に来てみると――ドミニクが窓口に寄りかかって、ガラス戸を不規則に叩いていた。

 呼び出し用のブザーボタンには気づいていないようだ。

「……おぅ……ぶぅおんじゅぅ……」

 ボンジュール、と言ったのだろうか。

 髪は寝癖でボサボサで、顔には枕で押された痕が残っている。昨日部屋に送り届けた時と同じジャージ姿。ここまで持ってきたのか、伝言を書き残した段ボールが床に落ちていた。

 昨日、到着したばかりのドミニクの様子は祖母から聞かされている。

 かなり大変な旅路だったそうだが、今は目の下の隈がそうでもないところを見ると、昨晩はよく眠れたようだ。それでもまだ本調子ではないのか、どうも半分寝ているように思える。朝に弱いタイプなのかもしれない。

 とりあえず、真矢は昨夜預かった鍵をポケットにねじ込み、玄関ロビーへ。

 ドミニクに肩を貸し、彼女の体を支えた。

「あれ、ドミニク? と、和泉さんも? おはよう」

 そこへ、男子棟の階段から直人が下りてきた。

 昨日最後に見たままのジャージ姿である。

「……あ。なるほど、鍵か。忘れてたよ」

 床に落ちていた段ボールとそこに書かれたメモを見て、瞬時に察してくれたようだ。

「おはようございます、大神くん。こんな時間にどうしたんですか?」

「ランニング。朝の日課なんだ」

「――んぁ? ナオトぉ?」

 寝ぼけ眼をこすって、ドミニクはどうにか自力で立ち上がろうとする。

 真矢が咄嗟に支えようとするのとほぼ同時に、直人も肩を貸した。

「おはよう、ドミニク」

「ぇへへ、オハヨウぅ……ぁあ、ナオトからぬくいニオイがすルぅ」

 寝言のようで譫言うわごとのような、少々意味のわからない言葉をドミニクは発した。

 直人の肩に預けた頭を動かし、鼻先をまるで犬や猫のように直人の顔へ近づけようとしている。それがまた嬉しそうな表情なのだ。可愛らしさと色香が両方感じられるほどに。

 だが両脇から支えられている今の様は、介抱される酔っぱらいの姿とそう違わなかった。

「ぁアタシもやるヨぉ」

 ようやく目が半開きになってきたが、頭はまだ夢の中にいそうである。

「そんな状態じゃ怪我するよ? ドミニク、眠いんでしょ?」

「ぇえー? ダイジョウブだよぉ、だって今寝てるモぉン」

 両脇の二人は自然と視線を合わせた。

 真矢は無言で首を振り、「任せて」と唇を動かす。

 直人は逡巡しゅんじゅんするそぶりを少し見せたが、諦めたように一度頷いた。

「……ごめんね、ドミニク。昨日はちょっと走り足りなかったから、今日は長く、速く行ってこようと思うんだ。だから、一緒には行けないよ」

「ぁあー、そっカぁ。じゃあイイヤぁ。待ってるヨぉ」

 まだ粘るかと思ったが、ドミニクはあっさりと引き下がった。

 直人の支えを放棄したドミニクが、全身を真矢に預けにかかる。真矢は片足を引いてそれをこらえ、しっかりと抱きとめた。

「とりあえず、彼女はラウンジに寝かせて様子を見ることにしますね」

「ありがとう、和泉さん。昨日も今日もゴメンね」

「いいんです。さあどうぞ、行ってきて下さい」

 改めてドミニクを抱え直し、真矢は直人を促す。

「じゃあ、行ってきます。七時までには帰ってくるから」

「はい。行ってらっしゃい」

「ぃいってらぁイ、ナオトぉ」

 直人を見送ると、真矢はドミニクを抱えて女子棟ラウンジへ。

 昨夜と同じソファーへ寝かせ、直人と同じく膝枕をしてやる。二、三度体勢をいじってお尻を据えると、真矢はふぅと一息を着いた。

 ドミニクの乱れた髪を撫でてやり、顔に掛かっている一房ひとふさを耳に引っかけてやる。

「どぉモぉ……」

 ゆっくりと眠りに落ちていくドミニクを見て、真矢は微笑んだ。

(私も、つくづく世話焼きだなぁ)

 姉としてのサガなんだろうか。なんだか弟や妹たちの面倒を見ているようで、苦に思うよりも先に「しょうがないなぁ」という感情が湧いてきてしまうのだ。

 ……この時点では知らなかったことだが、ドミニクは真矢より一つ年下だ。見た目は明らかにドミニクの方が大人びているが、合っていると言えば合っている。

 それからほどなくして、ドミニクは寝息を立て始めた。

 真矢もドミニクほどではないが眠り足りていなかったので、次第に船を漕ぐようにうたた寝をし始める。軽く倒れかかった体を起こすのが四、五回を数えたところで、意識が飛んだ。

 次に意識が戻ったのは、盛大に倒れかかった体を起こそうとした時だ。

 目を開けると、そこには見知った子供の顔が二つ。

「ねぇちゃん、おきた!」

「にげろー!」

 三番目と四番目の双子の姉弟――弥子みこ皆斗みなとは、やんちゃ盛りの五歳児だ。

 そして逃げ回ろうとしていた双子を即座に捕まえたのが、十歳になる長男の雅斗まさと

「静かにしろ、お前ら。まだ六時だってのに……ほら、姉さん見つかったし、帰るぞ」

 寝起きでムスッっとしている雅斗に引きずられ、弥子と皆斗は連行されていく。

 どうやら三人とも、真矢が寝床にいないのに気づいて探しに来てくれたようだ。

 今日が日曜日だから早く目が覚めたのだろう。

「……んぅ……」

 今の双子の声で、ドミニクも起きてしまった。

 身じろぎをして仰向けに体勢を変えると、ぼんやりと開けた目で真矢を見る。

「……アレぇ? ナオトじゃないノ……?」

「大神くんは朝のランニングです。覚えてませんか?」

「……? おかしいナ……。枕の感触はナオトだったのニ……」

 そう言ってドミニクは、両脚を振り上げた反動で体を起こした。

 口を両手で覆い、大きなアクビを一つ。

「……ところで、アナタはダレ?」

「私ですか? 和泉真矢といいます」

「イズミ、マヤ……マヤ……うん? うん……オケ。あ、素敵な枕をアリガトウ」

「いえいえ、お安いご用です。それと、ブレッソンさんの部屋の鍵をお返しします」

「……エ? アレ、おかしいヤ……?」

 部屋の鍵を受け取ったドミニクが、不思議そうに首を捻った。

 まるで記憶を辿るように、真矢の膝枕を指さし、次に受付窓口の方へ指先と視線を向け、少し下を見る。と、落ちていた段ボールのメモに気づいたようだ。

「オゥ。あー、ナルホド。そうだったそうだっタ」

 何度も頷いて、最後に合点がいったようにポンと手を打つ。

「ということは、あなたがマヤなのネ? ナオトと同じ弓道部ノ?」

「は、はい。そうです」

 昨夜の記憶を思い出しただけかと思ったら、随分と核心に迫るところまで飛躍していたようだ。思わず戸惑ってしまったが、これなら話は早い。

「アタシも弓道部に入るカラ。これからよろしくネ」

 差し出された手を握り、真矢も改めて自己紹介をする。

「こちらこそ、よろしくお願いします。ブレッソンさんのことは昨日、大神くんから聞いていました。一緒に部活、頑張りましょう」

「モチロン。あ、アタシのことはドミニクでいいヨ。砕けてた方がアタシもやりやすいシ」

「そう? じゃあ、よろしくね、ドミニク」

「フフ。よろしく、マヤ」

 二人でにこやかに握手を交わす。

 そうして自己紹介も終わり、真矢が握手を解こうとしたら――ドミニクがその手を離さずに体ごと近寄ってきた。握手した手を両手で掴まれ、胸元に引き寄せられる。

 彼女は目の色を興味津々に輝かせ、真矢にこんな質問をしてきた。

「ねぇねェ。マヤって、ナオトのこと、どう思ってル?」

「ゑ……!?」

 真矢の口からは思わず、わ行の「え」の発音が飛び出ていた。

 寝起きだというのに、あっという間に心拍が急上昇。全身から一瞬だけ湯気が上がったような、そんな感覚に襲われる。

「気になってるダケ? それとももう付き合ってたりするノ? あ、誤魔化そうたってそうはいかないからネ? その反応は明らかに図星を突かれた時のヤツだモン」

「い、いや、えっと、その、わ、私はそんな、そんなんじゃないよ……!」

 真矢は上ずった声でなんとか言葉をつむぐと、首を横に振って否定の意志を伝える。

 火照ほてった顔を覚ますように深呼吸を繰り返し、最後に長い溜息を一つ。

「……私が好きだって気づいたのは、ここ一年くらいのことなの。だけど告白のタイミングが全然掴めなくて、片想いのまま、今もずるずると……ね」

「オゥ……やっぱりナオト、昔と変わらないままカ……」

 そう言って、ドミニクも長い溜息をついてしまった。

 掴まれた手が解放されて真矢の膝元に落ちる。しかしドミニクの両手はそのまま真矢の肩へと伸びてきて、これまたなぜかなぐさめるような手つきで優しく掴まれた。

「苦労したでショ? 肩透かしばっかりだったでショ? だから、なおさらヤキモキしてたでショ? でも、気を落とさないデ。ナオトって、アタシと出逢った頃からそうなノ」

 ドミニクはしみじみとした声色で語り始める。

「昔から、アタシがどんなアプローチを仕掛けてもほとんど手応えなくてサぁ……。でもナオトって、ただの鈍感な人じゃないのヨ? 想いに気づいてはいるんだけど、それがアタシからの『好き!』ってアピールに思ってくれないだけで、親愛とか友情とかの、そういう『厚意こうい』はしっかり受け取ってくれてるのよネ。それを倍以上のオモイヤリで返してくれるから「想いが届かないナア……」って諦めそうになっても「もっと頑張ろう」って思っちゃうノ。たとえそれが錯覚だとしても、ナオトのオモイヤリはそれくらい暖かくテ――まあ、それがナオトの魅力でもあるんだけド――フフ。いやー、惚れた弱みってヤツは強敵だよネ。好きな人の短所なんか簡単に埋めちゃうんだモン。これが『恋は盲目』って言うヤツなんだなぁって実感したワケだけド…………あ、アレ? マヤ? おーい、ダイジョウブ?」

 真矢の肩を掴んだドミニクが、軽く揺さぶってくる。

 怒濤どとうの直人語りに飲まれ、真矢は相槌あいづちすら打てずにいた。思い浮かんだ言葉があっても、彼女の勢いで喉の奥へと押し込まれてしまうのだ。

 まさに二の句が継げない状態である。

 しかしドミニクの口が止まったおかげで、真矢はなんとか気を取り直した。

「だ、ダイジョウブ、大丈夫……私は、大丈夫」

 それにしても、今の語りは真矢自身も心当たりがありすぎる。

 おそらくはドミニクほどではないと思うが、真矢も自身のこの好意に気づいてから、何度も直人に対して好意を示すようなことはしてきたつもりだ。

 バレンタインデーのチョコレートは今年も去年も手作りのものを渡したし、去年の大晦日には弓道会で催された百八射会に二人で参加して、その後の初詣も一緒に行った。クリスマスは偶然互いに欲しかった小物の弓具きゅうぐをプレゼントし合うことができたし、夏場の弓道教室があった日には、終わってから近くの宵宮よいみやに行って遊んだこともある。

 別々の中学に通っていたから、そもそも直人とは会う機会が少なかった。しかし、要所要所のイベントはほとんどこなしてきているのだ。自分でも良くやった方だと思う。

 だがそのことごとくで、直人はいつも好意にだけは気づいてくれなかった。

 ドミニクの話したように、いつも肩透かしをくらうのである。こっちは毎回のように心臓が破裂しそうなほど緊張して臨んでいたというのにだ。

「はぁ……」

 それを思い出したら、無意識に溜息が出てしまった。

「その様子だと、マヤも心当たりがあるのネ?」

「うん……今思い出してみたら、結構ダメージくるね……」

「小さかった頃のアタシも、よく心が折れなかったと思うワ……」

「子供心にこれはキツいなぁ……ドミニク、凄いね。よく耐えたよ」

「この切なさ……マヤはわかってくれるのネ。ありがとウ」

 気づけば、真矢はドミニクを抱きしめていた。

 妹弟たちを慰めている時のように、ポンポンと背中を優しく叩いてやる。

 ドミニクも同じように背中を叩いてくれたことが、今はたまらなく嬉しい。

 同じ気持ちを共有している感じが、凄くありがたいのだ。

「でもアタシ、こうも思うノ――」

 ハグを解き、ドミニクは真矢の目をしっかりと見つめながら言葉を続ける。

「――唯一の救いは、本当にナオトのことが好きじゃなきゃ……ソウ、ナオトの本当の魅力に気づいていなきゃ、女の人は近寄ってこないんだってことヨ」

 なるほど。それは言えている。

 そして現状、同じ想いの元に集っているのは真矢とドミニクの二人だけだ。

 ……凜は、なんだか違う気がするから除外だ。

「そして明日からは、部活勧誘が始まる……」

 弓道部にどれだけ入部希望者が集まるのかは、明日の部活紹介が終わってみないことにはなんともいえない。しかし、女子が一人もいないということにはまずならないだろう。部長の凜も策があるということだし、真矢も、中学の同級生らに声をかけてみるつもりでいる。

 だがそれは裏を返せば、己のライバルとなる者を引き入れ、そして一人前に育てなければならないということでもある。

 ……ドミニクも、そのことには気づいているはずだ。

 ならばここは、同盟を組んでことにあたった方が得策だろう。

 彼女が言いたいのは、つまりはそういうことのはずだ。

「だからマヤ、頑張ろうネ」

「そうだね、ドミニク」

 握り合った互いの手を胸の高さに掲げながら、二人は深く頷き合う。

 この瞬間、以心伝心がなされたという手応えが、たしかに感じられた。

「この想いが届くまデ――」

「――一緒に、頑張ろう」

 こころざしは同じだが、やがて宿敵になるであろうことはわかっている。

 けれど、そんな存在が味方にいるというこの頼もしさたるや。

 二人の口からは、自然と笑いがこぼれていた。

「フフ、そうダ。マヤのこと、もっと教えテ」

「ふふ、いいよ。私もドミニクのこと、もっと知りたいな」

 それから小一時間。お互いの弓道の出発点に始まり、プライベートなことを直人との交流と交えつつ、互いが知らない直人の一面を補完し合った。

 彼と家族ぐるみの付き合いがあったドミニクの話には、ちょっと嫉妬した。

 だけど、彼と一緒に弓道の試合を戦ってきたということには、少し優越感を覚えた。

「結局、ナオトのことしか話してないネ。アタシたち」

「でも、私たちにとっての大神くんはそういう人だもん」

 どんな話をしても直人が絡んでくることに気づいて、二人で笑った。

「ヨシ。お話はこれでお開きにしまショ」

 ふいに一瞬だけ視線を逸らしたドミニクは、そう言ってソファーから立ち上がる。

 と同時に、玄関の自動ドアが動く音が聞こえた。

「部屋の鍵、ありがとネ。話せて良かったワ。……そのパジャマ、似合ってるヨ」

「え? あ、うん。私も、話せて良かった」

 ドミニクは真矢にウィンクをして去り、女子棟の階段を登っていった。

 盛り上がっていた話題を急に切り上げて、一体どうしたのだろうか?

「ただいま。ドミニクは部屋に帰ったんだね」

 その声に振り返ってみると、額にうっすらと汗をかいた直人がいた。

「あ、おかえりなさい――」

「ところで、和泉さんは寝なくていいの?」

「――って、へ?」

「パジャマ姿だし、ドミニクに起こされたんだよね?」

「え? あ、まあ、そうですね――あ、そういうことか……」

 彼女が直人と会う機会をみすみす逃すとは考えにくい。

 周りに誰もいない空間とくればなおさらのこと――なのかはさすがに不明だが……となれば、この機会を譲ってくれたと考えるのが自然。

 つまりこれは、鍵と膝枕のお礼だ。

 とりあえず、意図はわかった……わかったが、このタイミングで?

 このパジャマ姿で、直人に何かしら好意をアピールしろと? 今、ここで?

 ……いやいや。いやいやいやいや。急にそんなことをやれと促されても、心の準備が整っているわけがないではないか。

「? どういうこと?」

「い、いえ! いいんです、大丈夫です! もう体が起きちゃったので! いいんです!」

「そ、そう? じゃあ、僕も部屋に戻るね」

 何もアピールできないまま、男子棟の階段を登っていく直人の背を見送る。

 見送って数秒後、真矢は火照った顔を両手で覆い、勢いよくソファーに顔から倒れ込んだ。何もできなかった悔しさと、家族以外には見せたことのないこのパジャマ姿を見られた気恥ずかしさ……それらが入り交じった呻き声が、真矢の口から漏れ出る。

「――フッフッフ。まだまだだね、マヤ?」

 と、頭上からかけられたこの声は、ドミニクだ。

 今の一部始終を、物陰に隠れて観察していたようである。

「もおー!!」

 真矢はムキになったその勢いで起き上がり、逃げるドミニクを追いかけ回した。

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