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 まとあたったかはずれたかの正否は、誰の目から見ても明らかな『結果』だ。

 その『結果』を導き出すための『過程』というのが、弓を引く姿・射法八節しゃほうはっせつにあたる。

 射法八節しゃほうはっせつという『過程』は、弓道を志す者ならば誰もが通るものだ。そしてそれゆえに、長年の修練を経てきた熟練者たちの『過程』は、必然的に似通ったものへと行き着くという。

 だがそれは、基本を徹底してきた熟練者の場合だ。

 今回の試験をやる者は全員が初心者で、基本も基礎もまだまだ未熟な者たち。及第点に届くほどの射法八節しゃほうはっせつをこなすには、過去の経験値があるドミニクであってもなお難しいことだ。

 よって、基本の習熟の前にまず、基礎の確認から。

「――吸う・吸う、吐く・吐く! 吸う・吸う、吐く・吐く――!」

 繰り返す言葉と手拍子を合わせ、直人は部員たちを体育館の壇上から見下ろしていた。

 直人が提案した試験とは、単純に歩き方のテストだった。

(さて、どうかな?)

 幸いにも、今日の朝練には部員全員が顔を出していた。

 上だけジャージに着替えた六十八人が、男女混合の横二列となって並ぶ。

 まずは前列の一列目から。体育館の出入り口から直人が立つ壇上の手前まで、両手を腰に添える執弓とりゆみ姿勢しせいのまま、あしでゆっくりと歩いてくる。

 その歩調・歩幅は男女関係なく揃え、直人の声に合わせて一歩一歩を進めていた。

 とはいえ……表情は真剣そのものだが、その足取りは少々浮き足立ったものがあるか。歩幅を合わせようとすれば歩調が乱れ、歩調を直そうとすれば左右の足が食い違う。その度に視線は泳ぎ、上体が揺れ、表情にも大きく動揺が出てしまっている。

 直人の方へ近づいてくるにつれ、それは顕著に表れてきていた。

(一列目は、やっぱりドミニクだけかな)

 そんな粗が目立つ一列目の中で、一人だけ堂々とこなすドミニクの姿が映える。

 列のど真ん中にいたドミニクは、特にこれといった失敗や動揺もなく、一列目の中ではピカイチの安定感で直人の元まで進んで来ていた。

 この二週間で、徐々に昔の感覚を思い出してきているのだろう。

 ドミニクは腰を中心とした機能的な全身の働きによって、頭部の位置――つまりは目線の高さを、常に一定の位置で維持できるようになっていた。

 普通に人が歩くと、頭部の高さは若干だが上下に変動してしまう。しかしその違和感をほとんど意識しないのは、脳によって感覚の補正がかけられているからだ。

 だが執弓とりゆみ姿勢しせいのまま歩いた場合、背すじと腰をまっすぐに正した上、両腕も振れない状態となる。そうなれば腹筋や股関節といった、主に下半身の力だけで微調整を行わねばならず、慣れていない人ではその補正が追いつかなくなるのだ。

 そのため他の者は、抜き足・差し足・忍び足といった、怖がった歩き方になっていた。

 片足を前に踏み出してから上体を前に進めたり、前のめりになってつまづいたような歩き方だったりと、体勢に気を取られてあしもおぼつかなくなる者が続出している。

 そんな中で、胸を張って悠々と進んでくるドミニクがいると――他の者には悪いが相対的に彼女と比べてしまって、余計に粗が目立って見えてしまうのだ。

 壇上の両端には凜と真矢も立って一列目の成果を見ているが、二人も直人と同じ評価なのだろう。ドミニク以外の者にはどことなく渋い顔を向けていた。

(……他の人は、もうちょっとだね)

 ひとまず、これで一列目は終わりだ。

 手拍子を一旦止め、直人は待機中の二列目へと声を張り上げる。

「それじゃあ二列目、いきまーす! 最初の左足から、吸う・吸う、吐く・吐く――!」

 二列目の者たちが肩肘を張って、直人の号令と手拍子に合わせて出発した。

 直人から見て列の左端には巴、右端には大悟がおり、この二人には速度の調整役を頼んでいた。二列目は少々真ん中が遅れ気味なものの、一列目よりは歩調も歩幅も比較的揃っている。

 特に、巴は歩き方が安定していることもあってか、大悟の方へ視線と注意を向け、列全体の運行を常に見張れる余裕があった。今も、ほんのわずかだけ歩幅を狭め、遅れ気味な者たちのために列を調整しようと働きかけている。

 大悟もそれに気づいたのか、中盤まで歩いてきたところでわずかに減速し始め、すぐに巴と同調してみせた。この、順応力の高さが大悟の『良いところ』なのかもしれない。

 速度を合わせた隣の者からまた隣の者へ、速度の変化が列に波を描いて伝播でんぱしていく。

 そうして終盤に差しかかったところで、列は足並みの揃った綺麗な一直線となった。

(見た目には二人の働きが大きいけど……)

 実のところ、一番大変なのは調整役から遠い真ん中の者たちだ。

 一列目はドミニクがいたおかげでなんとかなっていたが、二列目は少し事情が違う。

 実は二列目には一人だけ、調がいるのだ。

 つまりは、調整役の巴が考えた『列が揃うための運行速度』を、最初からやり続けていたということになる。調整役が逆に矯正を受けてしまった形だが、しかしもちろん、巴と大悟がいなければ列が揃うことは叶わなかったはずだ。

 今回は調整役の功績と等しく、の功績もまた大きい。

 これはもう、決まりだ。

(うん、最後の一人はだね)

 二列目が壇上の手前まで辿り着いたのを見届けて、直人は声と手拍子をやめた。

「はーい、終了。じゃ、検討するからその間は小休止ね~」

 凜が部員たちに指示を出し、直人の元へ歩いてきた。

 遅れて真矢も直人の元へ。最後に、ドミニクが壇上に登ってくる。

「それデ? アタシと残りの三人はダレ?」

 早速のドミニクの言葉に、直人はすぐさま手を挙げる。

「はい。僕は、二列目の両端とを推薦します」

「そうね、私も二列目の両端はいいと思ったわ。真矢ちゃんは?」

「私も同意見です。周りへの気配りは大事ですもんね」

 ドミニクは確定として、やはり、巴と大悟も合格のようだ。

 初心者はどうしても、自身の歩みにばかり気を取られて全体の調和をおろそかにしてしまう。

 そこで直人は、巴と大悟の二人には前もって「周りに気を配る」ことを言い含めておいたのだ。それをしっかりと実践していたおかげで、凜と真矢の賛同を得ることができた。

 他の者には悪いが、これも巡り合わせだ。朝一番で来た特典である。

「それで……二列目の真ん中というと、もしかして天内あまないくんですか?」

 心当たりがあるのか、真矢がそのの名前を口にした。

「あ、ゴメン。私まだ一年生の顔と名前が一致してないのよ。真矢ちゃん、教えて」

 凜に促された真矢が、壇上から身を乗り出しての居場所を指さす。

「私の中学の同級生で、天内あまない一誠いっせいくんって言います」

 壇上左脇の通用口兼非常口のそばに、小柄な男子が座り込んでいた。

 背丈は判別しづらいが、おそらくは女子でも小柄な部類の巴と大差はない。小学生と言われても通じそうな幼顔で、真剣に、真っ黄色な表装の本を読んでいる。

 背表紙にある『弓道』の赤文字からして、書店で販売されている弓道の指南書のようだ。

 雑談に興じる周囲の者たちとは違い、一人だけ読書をするその姿は中々に目立つ。

 と、一誠がこちらの視線に気づいて顔を上げた。

 まばたきを二、三度し、首を傾げてこちらの意図を無言のまま尋ねている。

 それを受けて真矢が「なんでもない」と手を横に振るジェスチャーで返すと、一誠は再び本へと視線を落とした。

「んー、小動物的な可愛さね。群れるのが嫌いというより、苦手って感じなのかな?」

「そうですね、中学でもそんな感じでした。普段は物静かですけど、馴れた人とは明るく話せるタイプみたいです」

 今の挙動から、凜と真矢が一誠の人柄を分析する。

 ……なんとなく、直人は昔の自分のことを言われているような気になった。

 ドミニクも直人の顔を見ながら「ア~」と、どことなく納得するように頷いている。

「――それにしても彼、視野が広いんだネ。アタシたちの視線にすぐ気づいたヨ」

 しかし人柄の分析はそこまでと、ドミニクは真面目な声色でそう評した。

 そう、そこが一誠の『良いところ』だ。

 ドミニクがそれを喋ってくれたおかげで、直人も次を話しやすい。

「そうそう。僕が見てた限り、一度も視線を逸らさずに歩ききったのは彼だけですね」

 直人としては、ドミニクにも少し釘を刺しておきたかったのだ。

 立って歩く時の視線を向ける先は、足先から前方四メートルほどの地点である。それをドミニクは、何度も壇上の直人の方へと視線を逸らしていた。

 目づかいは、経験者であっても正しく行うことが難しい所作しょさである。

 初心者に正しい目づかいまでを求めるのはさすがに酷と思い、見てはいたが試験の評点項目としては元から除外していた。まだ早い、と。

 それを一誠は、やりきったのである。

 どれだけそれが凄いことか、当人はまだ知る由もないだろう。

 歩き方の出来映えだけで言えば、一誠はドミニクに勝っているのである。

「ムぅ……!」

 ドミニクも、今の言葉で自身の敗北に気がついたようだ。

 頬を膨らませ、直人を一睨ひとにらみ。数秒だけ後ろ目に一誠を気にすると、一転して熱の宿った瞳で、再び直人の目を見つめてくる。

「……いいモン。今日は負けたケド、すぐ追い抜いてみせるカラ」

 負けるものかと、期待通りの反応を示してくれた。

 うん。それでこそドミニクだ。

「その意気だ。何かに熱中してる時のドミニクは、僕は昔から好きだよ」

「……ふェ……?」

 きょとんとした間が一拍。

 口を半開きにしたまま、ドミニクの顔色が次第に赤くなっていく。

 ……なぜ顔が赤くなったのかはわからないが、とりあえず、直人はそんな彼女の頭をポンポンと撫でて励ましの言葉をかける。

「僕もゴメンね? もうちょっと目立たないところで声を出してれば、ドミニクも気を取られずにできてたかもしれないのに」

「う、ウウン、ソンナコト、ナイ、よ……」

 カタコトな調子で、ドミニクはそう返してきた。

「そう? じゃあ、次は頑張ろうね」

「……うン……ガンバる……あたし、ガンバルもん……」

 静かにそう言って頷いたドミニクは、これまたなぜか小走りで、両手で顔を覆い隠して壇上脇のカーテンに隠れてしまった。

「モー!」と、くぐもった声が聞こえる。

 負けたのがそんなに悔しかったのだろうか?

 ……まあ、ともかく。

「というわけで、三人目は決まりで良いですか?」

 直人の問いに、凜も真矢も異論は言わなかった。

 その代わり、

「大神くん、ズルいです……」

「え?」

「ここまでいけばもう天然だわ」

「えぇ……?」

 二人からは特にわれのない言葉と、あきれた眼差しが返ってきた。

「天然って、それってどういう――」

「――はーい、結果発表ー!」

 有無を言わさず凜が叫んで、ドミニクを含めた合格者四人の名前を呼び挙げた。

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