6:

 道場の外に出ていたA班も、射法八節しゃほうはっせつの練習に取り組んでいた。

 互いが互いの邪魔にならないよう、部員たちは互い違いになって男女別に横一列に並んでいる。こちらはゴム弓を使わずに徒手としゅ射法八節しゃほうはっせつを象っていた。

 一つ一つの型を、凜が手取り足取りで修正して回っている。

「いい? 両手をこうしたら肘をこうして――こう。キチッとやって、こうよ」

 まるで画家にでもなったかのように、肩や肘の位置を少し動かしては離れ、また微調整を繰り返す。時には肩を揉みほぐしたり、へそと背すじを抑えたりと、スキンシップがすぎるほどに密着したりもしていた。

 特に、大三だいさんからは左右の手を反対に構えて一緒に引分ひきわけてくるので、かいに至った時の距離が相当近い。吐息や体が当たるほどの距離である。

「ほら、頑張れ! 左右に伸びる! 伸び続ける!」

「は、はい……!」

 一通りの指導が終わった後で聞こえてきたのだが、この男子部員は「いいニオイがした。鞍替えしそうでヤバイ」と友人に漏らし、次に指導されたその友人も「ヤバイ。俺、胸ないけど胸の感触がマジヤバイ」と嬉々として話していた。

 密着の度が過ぎることは、凜も自覚しているようだった。

 曰く「ドミニクにはけない餌をやっている」そうで、こんなふうに、男子の妄想を実現してみたかのような振る舞いで指導に当たっているのだという。

 ……部活紹介の時に「私はあくどい方の人間でしょ」と凜は言っていたが、この振る舞いを見る限り、あながち間違いではないのかもしれない。

 それはともかく。

 そうして大雑把に凜が直していったあとは、直人の出番だ。

「要所要所で気を使うのは、肩を上げないことと、手先の位置取りだね。最初の内は両手と両肘の高さを揃えることに注意していれば、それでいいから。肩は息をお腹に下ろすイメージでやれば下がりやすいし、そのための腹式呼吸を習慣づけるようにしていこう」

 自分の体を見本として、指さしと言葉だけで丁寧に指導する。

 要点を伝えたらあとは一通りを自力でやってもらい、要点を抑えているかをチェック。

 できていたらそれでよし。

 できていなかったらもう一度。

 凜とは違って、直人は淡々と指導を進めていた。

 一見して、直人と凜の指導は別物のように見えるだろう。しかし、前もって打ち合わせをした通りに、どちらも「模倣させる」ことに主眼を置いた指導法だった。

 手取り足取りで型を再現してやる『先導』を凜が。

 自力で型を取れるよう言葉で促す『誘導』を直人が。

 二人の指導方法が異なることで、体を動かして覚える人と、話を聞いて学ぶ人のどちらにも対応することができるのである。

「部長、もう一度お願いします。何か掴めそうな気がしてきました」

「あいよー。それじゃあ、コレだ! って思ったらしっかり覚えておいてね」

「部長ー、次は私をお願いしまーす」

「はいはい、こっちの指導終わったらねー。それか直人くんに頼んでー」

 そんな指導の中で、凜は気さくに部員たちと打ち解けていく。

「これをこうして、ここからこうですか?」

「あー違う! それはこうやってガッチリと! 体は常にブレさせない!」

「は、はい! こ、こうですか?」

「そう、それよ! で、次の動作に移す! 体はそのままよ、そのまま!」

 だが指導の手と声は、メリハリを利かせてビシバシと。凜の挙動は大仰で目立つため、一人を指導すれば周りの者にもその指導が伝わるという利点があった。

 そして直人はというと、

「大神さん、腹式呼吸のコツってどうすればいいの?」

「コツか……僕が昔やってたイメージだと、鳩尾みぞおちとヘソを意識する感じ、かな?」

「鳩尾とヘソ、ですか?」

 その話題をキッカケに、直人の周りには人が集まってくる。

「うん。仰向けに寝てると、地球の重力で鳩尾からヘソの部分が自然にへこむからね。そこを押し上げるようにして呼吸するんだ。今日の夜、寝る前にでも試してみてよ」

「鳩尾とヘソを押し上げるって……大神さん、それってどういう感じでやればいいのさ?」

「いつもやってる上体起こしが、それに近い感じかな? 腹筋に力が入れば筋肉が盛り上がって自然に押し上げられるし、呼吸を止めずに体を起こそうとしてみれば、きっと腹式呼吸の方が楽だってわかるはずだから。この一週間の筋トレで、そろそろ効果が出てくるはずだよ」

 直人のアドバイスに、口を半開きにして頷く者や、納得したように何度も頷く者など。

 しかし全員とも、一様に眉根を寄せて難しい表情を浮かべている。

「……あー。ちょっと、わかりづらかったかな?」

 それでも頷いているだけ、いいのかもしれない。

「うーん、しっくりくる部分もあるんだけど……」

「なんか、体がまだ思うように動かせないっていうか……」

「大神さんに言われたことは、一応は全部納得してるんだけどな」

「そうそう。頭に体が追いついてこない感じなんだよ」

「それな」

「それそれ」

「あはは、結局みんなできてねぇのか」

「そう言うお前も、まだ全然できてねぇじゃねぇか」

 部員たちの反応は様々だったが、おおむね、直人のアドバイスはしっかりと聞き入れてもらえているようだった。しっくりきていない部分が似通っているようである。

 このA班は、凜のような『先導』タイプの指導の方が合いやすいのかもしれない。

 直人はそう分析してみた。

「なるほど、わかったよ。でも、今は意識してやってみることが大切なんだ。しっかりできなくてもいいから、このまま焦らず、じっくり練習していこう」

「はい、大神さん」

「了解だ、大神さん」

 部員たちは頷き合って、最初に並んだ列に戻っていく。

 そんな返答を聞き、直人はふと思って聞いてみた。

「……ところで、なんでみんな、僕のこと「さん」付けで呼ぶの?」

 ここ最近、部員たちの直人の呼び方がそれなのだ。

 なぜかみんな、自然とそう呼ぶようになっている。

「え、なんでって……ねぇ?」

「まさかの聖人君子せいじんくんしなんだもんな」

「俺たちにはマネできない芸当だもんよ。賢者だ賢者」

「だから「さん」付けでもしっくりくるんだよね。全面的に」

 せ、聖人君子? 賢者?

 マネできない? 全面的?

「しっくりくるって……え? 僕、何かしたっけ?」

 部員たちの言うことが、直人は理解できなかった。

「いいんだ、気にすんな。それでこそ大神さんだ」

「別にいいじゃん。部長より長く弓道やってるんだし」

「それに一年生の副部長だし、ね」

「一応、俺らなりに尊敬してるんだよ」

 ……別に気にする必要はない、のか?

 みんなの言葉通りに受け取るなら、そういうことになる。

「……そ、そっか」

 なんだか変な感じがするが……。

 まあ、みんながそれでいいなら、それでいいことにしよう。

「大神さん、他のことでもちょっと聞いていいですか?」

「あ、うん。どうぞ」

 それから一時間ほど指導したところで、中と外の班を交替。

 玄関口が混雑するのを避けるため、先に中で練習していたB班が外へと出てくる。

「ナオトー! ミキワメ、合格したヨ!」

 その先陣を切って出てきたのは、弓を携えたドミニクだった。

 満面の笑みで直人の元へと駆け寄ってくる。

「そっか。おめでとう――」

 直人もドミニクに笑みを返すが、すぐに表情を引き締める。

「――ところでドミニク。屋外で弓を扱う時の注意点は?」

「オ、オゥ……え、えっと、周りにぶつけないように、縦にして持ち運ぶコト。それと――」

 ドミニクは戸惑いつつも、指を折り数えながら列挙していった。

「――雨の日は絶対に濡らさないようにするコト。直射日光にはなるべく当てないようにするコト。あとは……これくらい、かナ?」

「うん、大体いいね。でも、ここは日向ひなたでしょ?」

 直人は西日に向けて手で日傘を作り、目を細める。

「オ、オゥ!?」

 すぐさまドミニクは、近くの日陰へ跳び退いた。

 道場の壁際に寄り、汗をぬぐうそぶりを一度。

「よし。じゃあ、みんなが揃うまでちょっと教えようか。何か課題は言われた?」

「ハイ! まずは、うちを綺麗に維持しろって、言われてきましタ!」

 背すじを正し、ドミニクは答えた。

うちね。じゃあ、まずは自分でやってみる?」

「ナオトがやってるのを見せてもらった方がいいカモって、マヤは言ってたヨ」

「そっか。なら、ドミニクが持ってる弓でやってみようか」

「ウィ。あ……アタシはドコから見ればいいかナ? 正面? 隣?」

「実際に見える角度からの方がいいね。僕の後ろから覗いて見ればいいよ」

 早速、ドミニクへの指導を始める。

 ドミニクから弓を受け取ると、直人は素早く足踏あしぶみをして、左膝の上に弓を置いた。

 直人の背後に回ったドミニクは、肩越しに――直人の右鎖骨さこつ部分に顎を乗せて覗き込む。もぞもぞと顎の位置取りを定めて「オケ」と一言。

 ドミニクが見やすいよう、直人は弓構ゆがまえの位置を体の中心から右側に寄せておく。

「いい? まずは、親指の第一関節の腹と、中指の第一関節の背をくっつけて――」

「――あ、ちょっと待っテ。アタシも一緒にヤル」

 肩に腕を回すようにして、ドミニクは直人の体と弓の間に左腕を伸ばしてきた。

「えっト? 親指と中指を、くっつけル……うん、オケ。デコピンの形だネ」

 直人はうちを作るその様を、しっかりとドミニクに見せていく。

 ドミニクは直人の言葉に従って、逐一左手を動かしていった。

「次はそれを踏まえた上で、小指から先に折り畳む」

「小指、薬指、中指の順だったネ」

「そうそう。で、小指の爪先に揃える。これが爪揃つまぞろえ。いい?」

「つ、ツマゾロエ……オケ」

「そうしたら、爪揃つまぞろえが整うのと同時に、さっきの要領で親指と中指を重ね合わせる」

「アハ! そっか、同時に重ねるんだったっケ。あ、人差し指はそのままでショ?」

「うん、あるがままで。じゃ、もう一度最初から。まずは親指の第一関節の腹と――」

 動作も言葉も繰り返し、直人はうちの整え方をしっかりとドミニクに教え込んでいった。



 班交替がすむまでの、ほんの一、二分間。

 直人とドミニクは、互いの頬がくっつくほどの距離でうちを指導し、指導されていた。

 そんな、ドミニクが後ろから直人に抱きついているかのように見える光景。部員たちはその光景を横目に見ながら、互いの交替場所へ移動していく。

 特に、玄関口の混雑で待たされている者たちは、ガン見で眺めていた。

「俺、今だけ大神さんの背中か右肩になりたい」

「さすが賢者さま、恐るべしだな。くっそ、うらやましい」

「ほんと、なんであれで付き合ってないんだか」

「大神さん、絶対ドミニクちゃんの好意に気づいてないよね」

「もうこの一週間で、大人の余裕って感じにすら見えてきたわ」

「けど、お姉様が可哀相よ……あ、でも可愛らしいお姉様が見れるし……嗚呼アア、悩ましいわ」

「あんた、いつも何に悩んでるのよ」

「だが、可愛いことには激しく同意する」

「「まったくだ」」

「はぁ……。これだから男子ってやつは……」

 ほどなくして、混雑の列は進み始めた。

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