第2話 名付け




 ウキウキ気分で来た宿屋の店先にて、私のウキウキは崩れた。

 此処に二晩泊めてください。というたったそれだけの文言を間違わず発音するのに、私はかなり大変な思いをしたからだ。

 そして、片言ながらも、問題なく取れた宿の部屋、目の前に広がる天国ベッドに私は倒れこんだ。

 宿の受付さんの怪しむような目も、少々薄い敷布団もこの際どうでもいい、寝袋もない野宿に比べれば雲泥の差である。


「あー、きもちいい!」


「楽しそうだな」


 子供のようにベッドで泳ぐ私を見て、犬が面白そうに言った。

 そりゃあはしゃぐでしょう、野宿のせいで体はバッキバキだったのだ。それから開放されるとあっちゃあテンション上がらずに入られない。


「楽しいわよ。だってベッドだもの」


 私は犬に向けて笑顔でそう告げた。


「そこまで喜んでもらえるならありがたいことだな」


「いやぁ、ここまで死ぬような気分だったもの。こちらこそ、ありがとう」


 そう言いながら布団にグデリと手足を伸ばす。

 上がりまくったテンションはそうしていると次第に冷めてきて、リラックスした気分で私はベッドにうつ伏せる。

 テンションの冷えたところで、私は先ほどスルーした質問を思い出した。


「でさ、結局あなたってなんなの?」


 内心では犬、今はあなた。二通りで読んでいるが、目の前の彼(男なのかは分からないが)は一体何なのか? 先ほど犬ではないと言っていたその真意を私は疑問にした。

 犬はそれに、どう説明したものかと少し悩んだ後、言葉を探すように、ゆっくり話し始めた。


「喋っていることからも分かる通り、ただの犬じゃない。今の私の把握していることだけで簡潔に言えば、いろんな動物に変身できる不思議な実験生物といったところか」


 ドッペルゲンガーの動物版みたいなものか。


「人間にはなれないの?」


「なれないな。狼男とかにならなれるがね。

 ああ、ついでに言えば合成獣というような形にもなれるぞ」


 ドッペルゲンガーから変身能力獣にランクアップね。

 さすが実験生物といったところか。では、本題。


「じゃあさ、なんて呼べばいいの?」


「ご自由に」


 即答で返ってきた答え。だけれど、その答えでは私は困る。


「な、名前とか」


「無いぞ」


 これは困った。犬ではそっけないし、あなたというのもしっくりこない。

 ならば名前をと思ったがそれもないとなるとどうするか。

 悩む私は一番手っ取り早い答えを出した。


「私が名前をつけていい?」


 かまわんぞ。と犬は軽く承諾してくれた。

 初めての名付けだと私は気合を入れて頭をひねる。この世界の名前の基準なんて知らないが、ならせめて私基準でもいい名前にしてあげたい。

 意味のある名前がいいと祖父は言っていたし、そこも考えて私は頭を回す。

 だが、私のポンコツな頭では限界があった。目の前の犬に関連した感じでいい名前が全く思い浮かばない。


「野獣とかは……バカか私は」


 最初に浮かんだ名前に自分でツッコみながら私はうなだれる。

 犬で考えるからダメなのだろうか、いや、意味を考えるからダメなのか。

 うーん、でも何らかの意味は持たせてあげたい気もするのだ。


「決まったか?」


 そんな悩む私の横で、あくびをしながら待っていた犬が聞いてきた。

 それに私は首を振った。


「ううん。思いつかないんだけど、どうしよう」


「悩んでいるところを見ると、意味でも付けようと考えてるんじゃないか?」


「そうなんだけど。全然思い浮かばない」


 全く思い浮かばないことに少し悔しくなりながら、私は枕に顔を埋めてそういった。

 あからさまに落ち込む私を、そう落ち込むことはないと犬は励ました。


「意味のある名前をすぐには無理だろう。特に私のような生物にはね。

 そこまで悩むことはない、響きで決めてしまったらいいじゃないか。私はそれでも十分だよ」


「そうかな」


 犬に励まされた私は、その言葉に従って気持ちのいい響きを探す。

 別世界なのだし、そういう物語っぽくカタカナのやつを。

 そして、私はいいのを見つけた。


「『アレス』っていうのにするわ、なんか神話の英雄にいそうな名前で格好いいし」


 私はすっきりした気分でそう伝えた。


「そうか」


 それに短くそう答えてアレスは床に丸まった。

 もう少し何か反応が欲しかったのだが、いいだろう。

 日時は夕方。外を見れば人は少なくなっている。この世界の人のあとやることは夕飯を食べて寝るくらいだろう。私達も特にすることがない。

 だが、現代日本の若者である私に、この時間はまだまだ活動時間だ。

 眠たくもないし、寝る気にもなれない。……でも、外に出る気にはもうなれない。

 残りの時間つぶしはどうしようかと思案した結果、私はアレスに声をかけた。


「ねぇ、色々聞いていい?」


「いいぞ」


 丸まったアレスはそのままの姿勢で答えた。

 私もベッドに仰向けになって、そのまま話すことにした。


「アレスの出身ってどこ?」


「ここから東にしばらくした所の廃墟」


 結構近い。私はそれに少しだけ驚いた。

 意外と生まれて直ぐなのだろうかなんて思いながら、続けて聞く。


「日本のことってそこで知ったの?」


「ああ。地図帳や物語の本、それにビデオがあった。日本語を訳した物、そして、その逆もな」


 随分と用意の良い廃墟だこと。意味深すぎる。

 そんなに準備がいいならそこに行けば何か分かったりするんじゃないか?

 そう思って聞いてみると、それはすぐに否定された。


「私が調べた。私について知れるかもしれないとな。地下まで掘ったぞ」


 そりゃあそうか。調べて何かあったなら此処に来る理由はない。

 アレスに嘘をつく理由はないし、私の帰る方法は本当になかったのだろう。

 ここまで聞けば目の前の彼の今迄について気になる所は概ね聞いた。

 なら、次の話題にしよう。と、私は話題を明日の予定に切り替えることにした。


「二晩止まるって言ってたけど、明日はどうするの?」


「服やその他諸々を買う」


 ああ、それで気がついた。私の服は四日間着続けたジャージ一枚のみ。受付さんの怪しむ目の理由に私は今更気がついた。

 見たこと無い生地の見たこと無い柄の服、そして見たこともない大きな犬。そりゃああんな目にもなるわけだ。

 

「私完璧変な人じゃない」


 そう言って恥ずかしさに顔を覆った私に安心しろとアレスは言った。


「明後日には出発する。そしたらこんな一人と一匹なんてすぐ忘れられる」


「そうかな……うん、考えればそうかも」


 私はふんふん頷いて、無理やり納得することにする。


「もう寝る。外も暗くなってきた」


 そう言われて外を見れば、もう太陽はほとんど落ちきっていた。部屋はカンテラの明かり以外に光るものはない。夜の世界はもうすぐというやつか。

 そういえば、アレスは私が話しだしたころにはもう寝る体制だった。私は結構悪いことをしたのかもしれない。

 目は未だに冴えている。でも、眠れないからって眠ろうとしないのは少々問題が有るだろう。四日も外だったし、私自身も疲れているはず。気が張っているから目が冴えているだけのはずだ。

 目を閉じるだけでも、しておくのがいいだろう。眠りはゆっくり来てくれる。

 話すことも話して目を閉じれば、意外と早く眠りはやってきて、私は久々の安眠を受け取った。

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