少女と獣の異世界記
面無し
第1話 喋る犬
高校入学してすぐ、祖父が亡くなった。ポックリ逝ったそうだ。
収集癖があり、物を買っては蔵にしまいこんでいるのを見ていた。
祖父が旅立って二週間、祖母すら見たことがないという蔵の中身を遺品整理として片付けることになった。
家族総出で蔵の前に立つ。
祖父しか知らない物を貯めこんだ蔵は私たちには未知の代物で、目の前にするだけで言いようのない威厳のようなものが感じられる。
祖母に鍵を開けてもらい突入する。
そして、突入直後に目の前に現れたのは物品の山。
使用方法のわからないガラクタから、誰が見ても高かっただろうと予想できるものまで、区別なくこれでもかと詰められたそれらを見て、いい加減さに私たちは全員ため息をついていた。
端から崩し始めて一時間ほど立った頃、仕分け作業にもそろそろ飽きてきた私は背筋を伸ばしながら周囲を見渡す。
この山は祖父の集めた物品は一体彼にとってどんな価値があったのだろう? 祖母すら入らせなかった理由は何なのか。気にならないわけではない。
でも、死人に口なし、聞くことは出来ない。少々残念だ。
さて、気分転換はこんなものだろうと私は仕分け作業に戻ろうと視線を戻す。
その戻した先に、私の目を引く物体があった。
いや、他より高そうとか、あまりにもガラクタすぎるとか言うわけではない。
それが私の目を引いたのは、この高いも安いも関係なく詰め込まれたこの空間で、それだけが箱に入れられ、布にくるまれ、大切に保管されていたからだ。
手にとって、開けてみると、中にあったのは文字の刻まれた木製の立方体だった。
掘られていたのが文字だと分かったのは勘だったとしか言いようが無い。強いて言うなら模様なら一字ずつ書く必要はないからだ。
「なにこれ」
私は思わずそんな独り言をつぶやきながら箱をいじっていく。そんな時だった。
グルン。
視界が回転し、浮遊感に見舞われる。
声を上げるまもなく、私はジェットコースターに乗ったような揺さぶられる間隔とともに、外へと放り出された。
気持ち悪さに餌付き、咳き込みながら立ち上がり、周囲を見渡す。
そこには私の家も、祖父の家もなく、見たこともない町と、私を奇異の目で見る人々がいた。
それが四日前の話。
それから程なく、此処が別世界だと気づくのにそう時間はかからなかった。
道行く人に話しかけても言葉が違う。片言の英語も意味がない。アメリカやロシアなどの名前を出しても誰も反応してくれない。
身振りで頑張ってみたが、こんな見ず知らずの、しかも話も通じない人間を連れてってくれる親切な人などいるはずもなく、私は早々路頭に迷うことになった。
そして、本日の夕方前、私は連日の飲まず食わずと野宿により、最初に見た町の少し外れで精魂尽き果ててぶっ倒れていた。
町はどうみたって木と土壁の家ばかりで、そこから考えれば、私の世界での大体の時代も想像がつく。
何にも襲われなかったのは人生数度の運の良い日の連続だったに違いない。
ああ、喉が渇いた。体が重い。苦しくて苦しくて仕方がない。でも、そのくせ眠い。気分は最悪である。
行き倒れとはこういうことなのかと初めて実感した。
『死』人生八十年の時代、まだ先と考えていたものが私を捉えていた。
恐怖に私は息を詰まらせる。涙が出そうで、しかし、水分の枯れた目からは何も出なくて、私は掠れた嗚咽を上げるだけだった。
死んでいった祖父の顔が浮かんで、冷たくなることの恐怖があって、その恐怖が私の口をついて出た。
「死にたくない」
のどが渇いて掠れた私の声。返事なんて無いだろうと思いながらも、誰かにそれを聞いて欲しくて私はそう言った。
「そうか」
そんなところにやってきた返事の声に、私は飛び上がりそうになった。
慌てながらも、すぐに横目で周囲を確認する。
言葉が通じるなら、できれば助けて欲しい。そう思って確認した私の視線の先に、影が一つ。
その影を確認して、私は自分の血が引いていくのが分かった。大きな影は頭から尻尾までで私の身長は余裕で超える大きな犬だった。
運が尽きたのを悟る。
なんだ犬の鳴き声が空耳しただけか。と、私は肩を落とした。
犬の鳴き声を間違うとは私も随分ポンコツになったわけだ。
このまま食べられて人生終了ということか。痛いのは嫌いなのになんという最期か。自分の最期がむなしすぎて私は虚しい笑みを浮かべる。
そんな三日月に空けられた口に、冷たい何かが流れてきた。
「ガバボッ」
反射的に全て吐き出す。勢いのままに起き上がると、口からは水が滴っていた。
大半を吐いてしまったが、口に残ったそれを私は必死で飲み込んだ。
ガバリと周囲を見渡す。先ほどの水の出処を探す。
見つけた。私の隣に佇んでいた犬。その口に水筒が加えられていた。
「水」
ポツリ、犬の持つ水筒に向けて私はつぶやいた。
それに反応するように、犬は私に向けて水筒を差し出してくれた。
恐る恐る手を出すと、私の上に水筒が乗せられる。私はそれを迷わず、煽った。
腹減ったあとの飯は美味しい。その通りだ。だけどいま断言する。死にかけの時の水のほうが美味しい。絶対。
「美味しーい!!」
水筒を飲み干した私は生まれ変わったような気分でそう叫んでいた。
そして、その勢いのまま命の恩人ならぬ恩犬に飛びついた。
「ありがとー」
そう言いながら抱き寄せてこれでもかというほど撫で付ける。
これでもかというほどモフモフだ。気持ちがいい。
モフモフ、モフモフ、モフモフ。
「どういたしまして」
「わあ!?」
お楽しみの私の耳元から返事が返ってきた。
驚いた私は変な声を上げながら後ずさり、犬を見つめる。
見つめる私に、犬は首を傾げて近づいてきた。
「どうした?」
そして、喋った。今度は間違いなく、喋った。
私は目を見開いた。その驚きは次の瞬間には疑問になり、私の口をついて出た。
「話せるの?」
「犬の外見にしているだけで、犬ではないからな」
絶句とはこういう状況を言うのだろう。何も言えない。
目の前の犬の答えをそのままそうですかと返すしか出来ない。
でも、このまま流すのも納得いかない私は無理矢理でくだらない質問をした。
「喋るのって他にいるの?」
「いないぞ」
当然の答えである。
何を馬鹿なことを聞いたのか。
そう、と返して私は一度深呼吸をする。
意識を切り替え、何かを言おうとしてみる。が、何を言えばいいのか。
しばらくお互いに沈黙する。気まずい間をなんとかしたい私は、考えなしに今一番の欲求を口に出した。
「お腹すいた」
急に何を言っているのかと後から思ったが、そこは仕方がない。だって四日間何も食べてないのだ。
馬鹿な発言ではあったが、犬が笑ったおかげで、少しばかり空気が和んだのは事実だし、結果オーライだ。
私の発言に笑った犬は近くにおいてあった鞄へと歩いて行く。
しばらくして、犬が持ってきたのは肉。干し肉。何が重要か、食べ物である。
水に続いた肉は、私の短い人生史上最高の食物だった。
干し肉を女の子らしくない食べ方で思いっきりお腹に入れ、満足な気分で犬に私の世界への帰り方を聞いてみる。
私の言葉がわかるのなら、なにか知っているかもと考えたのだ。
「わからない」
まぁ、半ば予想通りその望みはあっさり消えた。
日本が有る世界、私の世界については知っていると答えながらの仕打ちである。
「冗談でしょ?」
「冗談じゃない。悪いが知らん」
そうはいうけれど、死にかけたのだ、もう帰りたい。
信じられない私はもう一度聞いた。
「嘘でしょ?」
「嘘じゃない。すまん」
へたり込み、ショックで顔を覆った私の頭を犬の尻尾が撫でた。
案外こういう優しさは胸に来るものである。私は犬を抱きしめ、そのまましばらく慰めてもらうことにした。
しばらく、泣いていた。泣いても許して欲しい。この状況なのだから。
「これからどうしよう」
私は犬の毛に顔を埋めたまま呟いた。このままだと私は死ぬ一直線だ。
「私の召使になるのは?」
犬のそんな声が聞こえた。
顔を上げて犬の顔を見る。急に何言ってんだこの犬。
今そんな雰囲気だったっけ?
「そんな顔をするな。空気を読めていなかったのは承知しているから。
だが、悪い話じゃないことは保証する。衣食は保証する」
私の冷ややかな目に犬が早口で主張する。
その慌てた声に私は吹き出して、仕方がないからまじめに話を聞くことにした。
「で、どういうお話?」
「いや、そのままだよ。このまま君を見捨てるのは少々良心が痛む。
よって、路銀は負担するので私の道行に付き合って欲しい」
「なるほど」
どうしよう。いや、選択肢なんて無いけれど。
このまま放って置かれてはどちらにしろ死ぬしか無いだろう。此処に来た時もそうだったが、見ず知らずの言葉も通じぬ輩を世話するほど此処は甘くない。
私は大きく頷く。
「よろしく頼むわね」
「相わかった」
お手をするように伸ばされた犬の手を掴み、握手する。
ひとまず宿屋に行こうと言われて頷く。やっとベッドで寝れるのだ。ありがたい。
前を歩きだした犬の後ろにつく。
少し歩いて、不意に犬がこちらを向いた。
「そういえば」
「何?」
「名前を教えてもらってなかったな」
そうだ。私はコミュニケーションの第一歩を忘れていた。
私は笑顔で応える。
「天野美奇。よろしくね」
「ああ、よろしく」
短く答えて、犬はまた歩き出す。
私は、なんだか久々に誰かと話が出来たのが嬉しくて、ウキウキ気分で犬の後ろをついて行った。
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