第53節

 四月二十二日の日曜。午前中、俺の自宅に望月さんから電話があり、オテント様を本日の午後に行うことが決まった。瀬良木と御手洗さんも誘って、同席させるとのことだ。

 昼食が済んだ。よそ行きの私服に着替えて、ファスナー付きのポケットに、幻銭を仕舞った。

 台所に長らく放置していた、自作の隔離室を、玄関から外に出す。


 中身が別人だったらさすがに笑うよ俺。あの髪型や体型からして、人違いじゃないだろ。


 紫の衣服類が入っている袋に、靴も入れた。外に持って出て、施錠。二階の踊り場から周辺を見渡す。人や車の往来は無い。袋を右肘に掛け、両手で隔離室を抱え、階段付近まで運んだ。


 いざゆかん。


 ブルムして、快晴の空へ急上昇。隔離室を抱えたまま、遠ざかっていく大地を眺める。地上から見たら気づかないほどの大きさであろう高度に達すると、万葉高校に向けて水平飛行を始めた。強風に煽られ、緊張感が高まる。四肢でしがみ付き、段ボール箱を倒した。天面を万葉高校側に向けて運んでいく。軽い荷物の中にある、重い命を。

 万葉高校の上空に到達。急降下を地上寸前まで続け、閉まっている校門前に着地した。隔離室を校門に寄せ、自分の背中で支える。袋を手に、暫し佇む。

 やがて、丁字路の真ん中の道に、三名の天道使を発見した。御手洗さん、望月さん、瀬良木が、一緒に歩いてくる。皆、私服姿だ。程なく、校門前に到着した。


「この狭い部屋に、緩菜さんを一週間ほど監禁していたわけだよな」

「はいはいそうです。全裸でね」

「オレまで来る必要はねえと思うんだが」

「せっかくなんだけん、みんなで迎えてやろうって、モッチーにあたしら誘われただで」


 さてと。改めて考えると、俺ら四人のうち、飛行できないのは望月さんだけか。屋上にどうやって連れてくんだ。


 話し合った結果、御手洗さんが衣服類を、俺が隔離室を、瀬良木が望月さんを運ぶことになった。

 袋を預かった御手洗さんは、足元に息を吹きつけ、校門を飛び越え、空中で何回かバウンドしていく。徐々に高度を上げ、屋上へ飛び乗った。


「今のは、御手洗さんの独身術なの?」

「おう。奴の『大気圧縮コンプレッションブレス』は、地面に吹くことで跳躍できる」

「何だか、飛行系の技が被ってるなぁ。しかも俺のだけ技名が無いから、ちょっと寂しい」

「緩菜さんは乗っている。菫さんは飛んでいる。古森君は浮いている。似て非なるものだ」

「そうだ。古森は浮いてんだ」

「浮いてるって言うなっ」

「どげしただー。さっさと運びないやぁー」


 俺が、隔離室を御手洗さんの元に運んだ。瀬良木は水泡環で、先に望月さんを運び、彼女を降ろしてから、自身が乗ってきた。

 屋上の中央付近に立つ、俺たち四名。段ボール箱の天面は、俺が開けておいた。中から邪気が漂ってくる。風で倒れぬよう、望月さんが両手で支える。

 俺は、ポケットから幻銭を取り出した。


 俺たちの間で起こった一連の騒動に於いては、たぶんこれが、最後のオテント様だ!


 幻銭を真上に放り投げた。


「新星さんを人間の姿に戻せーっ!」


 願いを込めた叫び声が、乾いた空に響く――。幻銭を無事に掴んだ。


「消費は、どうしよっかな。誰か、何でもいいから売ってくれ」


 瀬良木が、財布から小銭を摘まんで、差し出す。買えとのこと。


「瀬良木。それ十円玉だろ。金同士の交換でも、儀式は有効なのか?」

「オマエが透獣から人間の姿に戻る時も、望月が同じ手段で消費した」

「古森君はそれで復活したのだぞ」

「あたしもそう聞いたで」


 俺は幻銭で、瀬良木の十円玉を購入。彼の手に幻銭が、自分の手に十円玉が渡った。

 この場に姿を現している四者が、一斉に隔離室を目視する。ひと時の、沈黙。


 邪気が……小さくなったぞ。精気も感じる!


 不意に段ボール箱が、望月さんの立ち位置とは逆方向へ、傾いていく。望月さんが微かに慌てる様子。彼女の両手からずれ、横倒しになった。その際聞こえたのは、鈍い音と、呻き声。


「ぁいたっ!」


 箱の天面側の傍には、誰も居ない。開けてある蓋から、呻き声の主が顔を出した。セミロングの癖毛を揺らして、辺りを見渡す。まだ視界には誰も入っていないようだ。この場に立っている四者が見つめる中、赤子のように這い出てきた。一糸纏わぬ、新星さんの姿態。

 四つん這いの彼女が振り向き、魔道使同士で目が合う。


「あっ。いやぁっ。珠やんや」


 新星さんの両手が、乳房と股間を隠す。胸の谷間や膨らみが強調された。


「瀬良木も居るわ。やあぁん。男子はこっち見んといてぇ」


 上半身を捻る新星さん。彼女の反応は、俺にとっては意外で、しおらしいものだった。てっきり甲高い悲鳴を浴びせられるのだろうと思っていた。


「コモリンとジローは、後ろ向いときないや」

「男子は二人ともバドしろ」


 俺は惜しみつつ、新星さんに背を向ける。瀬良木も従った。


「絵利果。菫。あんたら、どういうことやこれぇ。ウチ何で裸になってるんやぁ」


 天道使の女子二名が、新星さんの方に寄る気配。俺は聴覚を頼りに、後方の情景を想像する。


「しかもここ、万葉コーコのオクジョやないか。菫、何わろてるん。腹立つわぁ」

「ニボシ。これにあんたの服が入っとるけん、ひとまず着ないや。風邪ひくで」


 袋から衣服を取り出す音。手にした新星さんが、広げて確認しているようだ。


「あんた痩せとるのに、いい乳しとるなー。おっきなブラだな、これ。何カップあるだ」

「あぁっ、見んといてっ。返しいよ、ウチのブラ」


 サイズは未確認だったことに気づく俺。心底悔やんだ。

 俺と瀬良木は地べたに腰を下ろした。あぐらをかいて、小声で会話を始める。


「お前天眼で覗いてたのか」

「人間の姿に戻ったかを、確認する為にな。邪気や精気で判断するより、確実だろ」


 後方からは女子三名の声が聞こえる。新星さんは下着姿になった模様。


「ウチ何でこないな箱の中に居たん。昼間になってるし。今何時なん」

「緩菜さん。驚かせてしまったようだな。案ずるな、落ち着いてくれ」

「なぁニボシ。意識を失う前のこと、覚えとるかいな」

「うむ。古森君の自宅で、私と三人で語り合っただろ。あの後解散してからことは、どこまで覚えているのだ」


 学生寮から紫の自転車で去った新星さんの様子を、俺は思い描きながら、耳を澄ます。


「あの時途中から雨が降ってきたやろ。どこかで雨宿りしよかと思たけど、夜遅かったから真っすぐ帰ってたんよ。ほんで信号待ちになった時な、何となくブルムしてみたんよ。そしたら後ろから高い精気を感じてな。振り返ったんやけど……その後のことは、記憶に無いわ」


 天道使三名から、合点がいく声。


「顔に当たったんだわいな。前を向いとったら、無事だったかもしれん」

「古森君が無彩虹をはなってしまったこと。緩菜さんの行動。偶然が重なったようですね」

「まぁ結局、古森が悪い」

「改めて言わんでもいいだろ」


 望月さんは新星さんに、次々と教えていく。透獣や陰獣及び無彩虹と、天道使の有彩虹について。新星さんが透獣化したこと。その原因は、俺の無彩虹だと思われること。魔道使が無彩虹を使えること、加えてそのやり方を告げる。

 尚も話は続く。透獣化した新星さんを俺が捕獲したこと。俺と望月さんが、瀬良木との間に、確執があった故、戦ったこと。その末に和解したこと。更には筧先生の正体。幻銭を誤飲した俺が、一時は透獣化したこと。今日に至るまでの、諸々の経緯について、語っていった。望月さんが正式なオテント様で叶えようとした願いの内容については、伏せた。もはやオテント様に頼る必要の無い願いである、とのことだ。


「ウチが居いひん間に、雨降って地ぃ固まったんやな――。ところで、菫も事情を知ってるみたいやな。あんたは、何者なん」


 御手洗さんの素性について、本人の口から、部分的に語られた。肉体年齢が十五歳。既に不老長寿。望月さんや瀬良木の先輩にあたる天道使であること等だ。但し、二十年前の件には触れなかった。

 新星さんは既に衣服を着ているようだが、俺と瀬良木は、振り向かず、交わす言葉も無い。

 会話の途中、彼女たちは小声になる場面も。その内容は聞き取れなかった。

 話がひと段落し、望月さんから、俺たち男子二名を呼ぶ声。瀬良木と共に腰を上げ、体を翻した。三名の女子が歩いてくる。中央には、紫ずくめの魔道使。

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