第52節
「一枚岩じゃないメビウスができてから、御手洗さんは、どうなったの。同級生だったメビウスの女幹部は、関係あるの」
「中学の頃からそいつは、あたしの体に、病気の疑いを持っとったそうでな」
御手洗さんの口調が重くなった。俺は小さく返事。
「不老長寿とかの研究の参考になるかもって睨んだらしくて、あたしの体を利用する為に、幻銭でオテント様したんだで」
「じゃあ願いは……」
「御手洗菫を出現させろ」
「どこに現れたの」
「そいつの通っとる大学の、屋上。あたしに気を利かして、
冷めた目の幼女は、淡々と語っている。
「あたしが消えとったのは、五年間くらいかなぁ。その間の記憶は全然無いわ。タイムスリップして約五年後の世界に放り出されたようなもんだで。人が自殺を試みたとも知らずに、わざわざ出現させただでー」
「……そげですか」
もはやファンタジー世界の様相を呈してやがる。現実なのに。
「そもそも御手洗さんは何で、生存でも死亡でもなく、消滅したんだろう」
「全ての条件を満たすことで願いが叶うってことは、満たさんかったら叶わんよな」
「うん。しかも日没までに消費しなかったんだから、本来は死んでた、よね」
「だけど願いは“死にたい”だで。条件を満たしとらんのに、叶ってしまうがな」
「矛盾が生じるよね。オテント様も判断に困ったのかね」
「死亡させたらいけん。生存させてもいけん。もう知らん! 消してしまえ! ってことかもしれんで」
「投げやりかよオテント」
「あたしが出現した時、メビウスは既にバイオロイドの研究をしとった。あたし才育園で検診を受けてな、成長は止まっとるけど老化はしとるって状態だった。推定年齢十五歳。あたしはそのままプラントされたわ。リスクがあることは事前に知らされたけど、抵抗する気力も無かった。だって、結果的に自殺未遂したうえに、浦島太郎状態だったあたしは、髪じゃなく頭の方が真っ白だったけんな。プラントは無事に成功。研究の参考になったのか、あたしは記憶を消されんかった。メモ帳の件は別としてな。偽名は付けられずに過ごしてきた。バイオネームもスミレだし」
「御手洗さんは行方不明になったんだから、捜索願いが出てるんじゃないの。今まで誰にも通報されんかったのは、不自然だよね。名前や顔で、バレてもおかしくないだろうに」
「あたしは、クローンの死体が発見されて、死亡扱いになっとるよ」
「クローン……。メビウスが作ったの」
「生きとるクローンは、まだメビウスでも作れん。でも初めから死んどるクローン、いわば本物そっくりの人形なら、作る技術がある。たとえDNA鑑定をしても、本人と一致するで」
「そんな人形を、何の為に作ったの」
「メビウスは、ネット上の裏サイトで、十代までの自殺志願者を募っとる。当然、組織の名を隠してな。楽に死ねるっていう名目で、志願者を呼び出して、プラントするだで。被験者となる幾つかのルートの一つな。家族には、自殺したと見せかける為に、クローンの死体を現場に残すだで。自宅に遺書もな。あたしの場合、遺書は書いとらんよ、このメモ帳以外」
「やばいウェブサイトは、通報されるんじゃないの」
「メビウスが警察に手を回しとるけん、無くならんで」
「……御手洗さんの、今の肉体のこと、聞いてもいいかな。無理にとは言わん」
「あたしの体は、もう老化せんよ。実験的に、十五歳で固定されとる。既に不老長寿だで」
《あたしは永遠の十五歳だけん》
「そうなのか。……ごめん」
「このメモ帳、読んでくれたのがコモリンで、良かったわ」
御手洗さんは架台の外側にメモ帳を掲げ、大きく息を吸い込む。口を閉じ、頬をぷうっと膨らませた。
「待って! 何すんの」
「ふぇっ。今、天道で捨てるとこだで」
「それを捨てるなんてとんでもない!」
「いいがな。あたしのもんなんだけん」
「そのメモ帳は、御手洗さんにとってタイムカプセルみたいなもんでしょ」
「当時の中学生がしたためた、黒歴史の塊だで」
「言われてみると、文面的にそんな匂いが漂ってたけど、だからって、捨てんでもいいがな」
御手洗さんは手を下げ、メモ帳を開いた。眉をしかめる。
「だってこれ、遺書だもん。当時は、誰かに読んでほしかった。大人ではない、誰かに。あたしは一度死んだようなもんだ。バイオロイドとして、第二の人生を歩んどる。この遺書は、もはや要らんもんだ」
「遺書を捨てたいってことは、今の御手洗さんに、死ぬ意思が無い、ってことだよね」
「消えた当時の、二倍くらい生きてきたし、環境が違うけんな。価値観も変わるわい」
「つまり今の君には、生きる意欲がある。この世に未練がある。そうだね?」
「それは認めるで。消える前の貧しい暮らしと違って、メビウスの世話になっとるけん、生活には不自由せんもん。ゆとりができれば、欲の一つも出るわいな」
「その欲ってのは、ひょっとして、子供を産むこと、かな」
「そげだわい。あたしがオテント様で叶えようとした願いは、出産できる体になることだで」
御手洗さんはメモ帳を閉じた。渋い顔で表紙を睨み付けている。ふと、彼女は一瞬、俺を見た。
「コモリン。やっぱりあたしの願い、まだ叶えんでいいわ」
「おや。どういう風の吹き回し」
「だってその願いは、小作りに精を出す時になってから叶えればいいでしょ。急いで叶える必要は無いがな」
精を出すって言葉が、最も卑猥な意味合いに聞こえるパターンだなこりゃ。小作りに組み合わせると、いやらしさが跳ね上がる。美しき健全なる日本語の一つなのに。
「むしろ今の状態なら、……避妊せんでも、いいんだけん」
「御手洗さんの口から、そんなアダルトな発想聞きたくなかったよ」
「あら、中身は大人だでー。子供扱いせんでよ」
「新星さんの方が、まだ恥じらいがあるよ」
「ニボシの願いのせいで、産むに産めんくなったしなぁ。第一、あたしには相手がおらんし」
御手洗さんは台の外側をぼんやりと眺める。哀愁に満ちた表情が、俺の問い掛けを誘った。
「ねぇ御手洗さん」
彼女は、素っ気ない返事。俺は続ける。
「もし良かったら」
つぶらな瞳で上目使いになる御手洗さん。
「さっき途中でやめた天道、どんなのか見せてよ」
「なあぁんだそげな話かぁっ。はいはい、見せてやるがな。何か、手頃なもんはないかいな」
「メモ帳をとめてあった、これで良ければ」
俺は、二本のゴム紐を、御手洗さんに手渡す。彼女のツインテールから、髪ゴムだと察した。
御手洗さんが髪ゴムを、台の外側に掲げ、先程と同じ動作に入る。頬を膨らませ、手を放した瞬間、尖らせた口から息を強く吹いた。
髪ゴムが、無数の塵へと化す。風に運ばれ、四ツ葉町の空へ溶けていった。
「あたしは
「望月さんや瀬良木は、御手洗さんのこと、どこまで知ってるの」
「この遺書の内容は、全然伝えとらんよ。ジローはともかく、モッチーには、あたしに気を遣ってほしくないけん。着帯者としては、二人共あたしより背の低い頃から、顔馴染だで」
「望月さんとは、親交が深いみたいだね」
「雰囲気が、似とるけんね、マリリンに。顔は似とらんけど。むしろあんたが瓜二つ」
「俺の母さんには、御手洗さんの病気のこと、伝えてたのかな」
「言えんかったわ。マリリンどころか、あたしの母親以外、誰にもな」
「古森磨鈴、いや、堀磨鈴の独り息子として、御手洗さんに言っておくぞ」
「お。何だかいな、改まって」
「御手洗さんが、俺の母さんとどれだけ親しかったのか、俺は知らん。だけど母さんは、君が行方不明になったことを、心配したと思う。死亡扱いになったことを知ったら、悲しんだと思う。自殺未遂のことを知ったら、自分の至らなさを嘆いたと思う。もちろんそれらは第三者である俺の推測にすぎない。むしろ亡くなったのは母さんの方だしな。母さんが知ってるのは、君が行方不明になったことだけかもしれん。実際に本人がどんな心境だったかは、俺の知る由もないことだ」
相槌を打つ御手洗さんに、俺は力強い口調で続ける。
「今後、御手洗さんの身に万一のことがあったら、少なからず悲しむ人間が、ここに居る」
右手の親指を自分の胸に、数回突き立てた。
「出会って二週間目の人間ですらそんな状態だ。母さんとの付き合いは何年くらいだったの」
「保育園と小学校も同じだったけん、十年以上だわ」
「そりゃ心配するだろうよ。行方不明だよ? しかも肉体だけ消えるっていう奇妙な形で。まして女子なんだから」
「そげだわな」
「そのメモ帳は、君が母さんと同じく四ツ葉中に通ってた頃から存在する代物だ。正に裸一貫で復活した君にとっては、その黒歴史の塊が唯一のまともな所有物なんだ。今や死亡扱いになってる君は、自分の所有物が遺品として残されてるかもしれん親族の家に、僅かでも顔を出しに行きたいとは思うのかな」
「やだやだ。絶対やだわ」
「じゃあ卒業アルバムとかが残ってても、見れないね。そのメモ帳、大事にした方がいい」
言い終えた時の、御手洗さんの表情が印象的だった。俺の方を見ているが、どこか遠い目をしており、まるで俺の姿に、在りし日の母さんの面影を重ねているかのようだ。
「うん。大事にするで」
過去と現在の架け橋となる立場。生前の母さんや、メビウスの中心人物の一人である幹部と、元同級生。天道使の中では例外的な作品。更には望月さんや瀬良木とも古くから親交があり、万葉高校の同級生。かつては疑念を抱いた相手だが、今では俺にとって貴重な存在だ。
「ところでさ、御手洗さんは何で、今年から高校生になったの」
「メビウスに、モッチーとジローの、世話役を名乗り出たんだわ。実際には、世話なんてしとらんけど。あたしは高校に行っとらんかったから、いい機会だと思ったし。高校側には、年齢は十五歳で通しとるよ」
赤子の頃から家族の居ない、望月さんと瀬良木にとって、御手洗さんは身近に居るだけでも、頼もしい存在だと思う。同じく、両親の居ない独りっ子の独り暮らしである俺は、そう感じる。
「じゃあコモリン。そろそろ行くで」
「行くって、どこに」
「ジローの家。さっき席を外してもらう時、自宅に待機させたんだで。後でコモリンと一緒にお邪魔するって告げといた」
「あ、瀬良木に直接会って教えるのね」
「うん。コモリンに打ち明けて、気持ちの整理がついたわ。せっかく四ツ葉町に来たんだけん、あいつの家に案内してやるがな。付いてきないや」
俺たちはフェンスの辺りまで寄った。御手洗さんに頼まれ、俺はフェンスの上から見下ろす。校舎の近辺に人が居ないことを確認した。
互いに飛び立つ。地面に息を吹きながら着地する御手洗さんの様子が、髪の動きで分かった。
俺が魔道で地上に降り立つ。横で見ていた彼女の反応は。
「あんたの方が、物音一つ立たんから、隠密行動に向いとるな」
「俺は忍者か。まぁ、目立たない点は、性に合ってる」
「――そういうことか。成る程なぁ」
瀬良木は、御手洗さんから手渡されたメモ帳を読みながら、呟いた。
彼の自宅を訪れた、俺と御手洗さん。洋室の居間にて、三人で同じテーブルに着いて、座っている。俺と御手洗さんは、情報を瀬良木に補足する。
珍しいスリーショットだこと。ていうか今日が初めてだよな、この三人だけで集まったのは。
「事情は理解した。望月には、黙っときゃいいんだな」
「そげだでー。モッチーには言ったらいけんでー」
「新星さんには、どうするの」
「ニボシには、言わんでいいわ。変に気を遣われるのも癪だけん」
「オレは元々、新星に話す気なんてねえよ」
「じゃあ、ここに居る三人だけの秘密、ってことか」
「
「そげそげ」
「ん、園長って誰のこと?」
「さっきあたしが言っとった、メビウスの女幹部」
「才育園の
「あぁ、そういうこと。才育園の長だから、園長、か」
メモ帳は御手洗さんに手渡された。雑談が始まる。訪問してみて知ったのは、瀬良木の部屋が、一般的な高校生のそれに準ずるものであること。存在する品々に於いても、俺の自宅と大差は無い。
話が済み、帰る際、瀬良木が見送りにきた。俺と御手洗さんが、靴を履いて玄関に立つ。
「園長は、オテント様を知ってんだから、尚更幻銭を取り戻してえはずだ。既に本腰入れて、着帯者らに探し回らせてるだろうぜ。屋外でむやみにブルむと、天道使が駆けつけるかもしれねえぞ」
「おぉ、そうだな」
「油断するなよ。今幻銭を所持してるのは、オマエなんだぜ、古森」
瀬良木の自宅を後にして、御手洗さんに辞去する。彼女は切なそうに微笑んで、手を振った。
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