第51節

 不意に俺は、高い精気を感じだした。ブルムしている天道使並みである。


 お……おい、これ誰の精気だ。天道使か? 俺、屋上に飛んだ時からずっとブルムしてたな。メモ帳を見つけて、興奮してたから、バドすることに気が回らんかった。四ツ葉町では、なるべくバドしてるべきだった。


 俺は、高い精気の漂ってくる方へ、歩み寄った。恐る恐る、フェンス越しに眺める。道路上に見つけたのは、私服姿で自転車に跨っている、瀬良木だった。彼はブルムしている模様だ。


 何だ瀬良木か。はて。奴に、このメモ帳を読ませても、いいんだろうか。


 メモ帳をポケットに仕舞った。瀬良木の元へ、魔道で素早く飛行。着地して、バドする。


「気になったから様子を見にきたぜ。わざとブルんで、オレの精気に気づかせた」

「脅かしやがって。俺の知らん、他の天道使かと思ったがな」

「例の物体は、取ってきたみてえだな。何だったんだ」

「……なぁ。お前、御手洗さんの連絡先、知ってるか」



 俺は瀬良木に、メモ帳のことは一切伝えず、ケータイで御手洗さんを呼び出させた。彼女が来るのを待つ間、瀬良木から幾つか質問されたが、ノーコメントを貫いた。

 暫くして、御手洗さんが自転車で来た。俺は彼女に手招きする。自転車を停めた御手洗さんと共に、瀬良木の傍から少々離れる。ポケットからメモ帳を取り出した。


「どげしただコモリン。こげなとこに呼び出して」

「急にごめん。早速なんだけど、このメモ帳は、御手洗さんが……君が、書いたの」

「そのメモ帳、何だかいな。あたしは知らんで、そげなもん」

「えっ。君じゃないの。じゃあ書いた人は、同姓同名の、別人か」

「そげなこと言われたら気になるがなー。あたしにも読ませてや」


 御手洗さんに手渡す。表紙をめくって程なく、彼女から笑みが消えた。ページをめくるにつれ、幼い顔が蒼白になっていく。沈痛な面持ちで、低めの声を出す。


「コモリン。あんた、……これ読んだだか」

「うん。只、瀬良木には読ませてない」

「どげして見つけただ」


 俺は、自分や瀬良木が本日ここに来た経緯を、御手洗さんに話した。相槌を打つ彼女は、瀬良木の天眼を知っている口ぶりだ。


「そげか。じゃあなぁ、コモリンは、ちょっと待っとって」


 御手洗さんは瀬良木の元に行き、何やら小声で会話を始めた。瀬良木が眉間に皺を寄せる。彼は自転車を漕いで去っていった。御手洗さんは、俺の傍に戻ってくる。


「ジローには、席を外してもらったわ。あたし今、コモリンと二人きりで、話したいけん」

「あ、そうなの。結局そのメモ帳に、心当たりはあるの?」

「さっき読んで思い出したわ。これは、あたしが書いたもんだで」

「忘れてたの」

「立ち話も何だけん、続きは屋上で話すわ。あんたも空飛べるんでしょ。付いてきないや」

「お、おう」


 御手洗さんは、自身の足元に息を吹きつけ、反動で飛び上がった。なびく衣服とツインテール。吹き荒れた風に、俺は若干身構える。

 彼女は空中で何度も弾むような軌道を描きながら、次第に高度を上げ、校舎に近づいていく。ツインテールが、上昇時は下になびき、下降時は上になびく。その様は、鳥がはためかせる翼を、連想させた。屋上のフェンスを越えて、降り立つのが見えた。


 御手洗さんは、自分が天道使だってことを、もはや俺には隠さないんだな。


 俺は魔道で後を追う。屋上に立つと、御手洗さんに促され、二人で貯水タンクの架台に向かった。


「中学生までのあたしについては、二十年前、この場所で、このメモ帳に書いた通りだけん。四ツ葉中でオテント様して行方不明になったのは、あたしだで。けれど、こげな文章を書いたことや、このメモ帳の存在自体は、今まですっかり忘れとった。尤も、記憶から消え去っとったというよりは、記憶の奥底に封印されとった感じだわ。――プラントされた時から」

「御手洗さんは一体、何者なんだよ。オテント様の結果は、実際どうなったの」

「その前に、言っとくことがあるわ。ここ座りないや」


 御手洗さんが、架台の横棒に跨って腰掛ける。俺も同じ棒に跨って座り、向かい合った。


「コモリンが昨日まで学校休んどった間な、あたしモッチーから事の顛末を聞かされたけん」

「あぁ、そうなんだ」

「あたしはミサキンと同じく、あんたら四人の揉め事を知らんかった」

「ミサキンって誰」

「着帯者のヒューマンで不老長寿になった筧先生だがな。まったく、若いもんたちばっかりで盛り上がって。あたしも仲間に入れてほしかったわ。あたしはあんたらの身近な天道使なんだでー。水臭いわー」


 御手洗さんは、二十年前の件に話を戻す。


「言うまでもないけど、あたしがオテント様で用いたのも、幻銭だけん。当時は知らんかったけどな。別に変なルートで手に入れたんじゃないで。財布の中に入っとっただけだもん」


 新星さんもそんなこと言ってたな。幻銭って、元々はどこから来たのやら。


「オテント様をした結果、日の沈んだ後、あたしは消えたらしいで。肉体だけ」

「でも御手洗さんは、居るでしょ。高校に入学したでしょ。意味が分からんよ」

「一時的に、消えとったの。後から出てきたわ」

「どうやって」

「当日あたしが消えた後、屋上に残された幻銭を、一人の女子が、拾ってな。そいつはあたしの同級生だった」

「もしかして、俺の母さんのことか」

「確かにマリリンは同級生だったけど、今あたしが言っとるのは別の女子だけん。この話にマリリンは関係無いで。要するに、あんたの親の世代の話だわ」


 俺は、人物相関図を脳内に描きながら、当時の情景を想像する。


「ちなみにその人は、そのギザ十が幻銭だってことを知ってたのかな」

「いーや。当時は、まだそのギザ十が名づけられてなかった頃だで。尤も、拾った女子は、そのコインに興味が湧いたらしいわ。何しろ、オテント様して日没までギザ十持っとった生徒は、あたし以外に大勢おったのに、あたしだけ行方不明になったんだけん。しかも肉体だけ消えるっていう妙な形でな」

「御手洗さんが儀式で用いたギザ十に、手掛かりがあるのではと、その人が睨んだわけだね」

「そげそげ。そいつは調べた結果、そのギザ十が、発行されとらん、本来なら存在せんはずの十円玉ってことを知った。正体は不明だけど、只のギザ十じゃない、特別なもんだと分かったわけだ。そいつが命名したんだで。幻の銭だけん、幻銭ってな」


 さっきからそいつ呼ばわりしてることから察するに、御手洗さんにとっては、そう呼称するに相応しい人物なんだろうな。名前は、敢えて聞かんでおこう。


「そいつはオテント様で実験したそうだわ。只のギザ十と、幻銭を比較してな。そんで、正式なオテント様のやり方には、幻銭が必要だと結論づけた。自分独りで、こっそりな」


 俺にとっては共感できる行動だが、やや嫌悪感も抱いてしまうのは、否めなかった。


「あたしが消えてから四年後、そいつが十九歳の頃、そいつは大学でオテント様をして、不老長寿になった」

「……その人は、ヒューマンなんだよね」

「そげだで。そいつが中心人物の一人となって研究活動しとった連中が、メビウスを設立した。そこから初めて、バイオロイドやら天道使やらが生まれたんだで」

「その研究活動って、科学的なもの、なんだよね」

「うん。コモリン。その様子だと、腑に落ちんか」

「あのさ、オテント様で不老長寿になれることを知ってる人が、何でわざわざ科学的に不老長寿とかの研究をするの。プラントせんでも、オテント様で不老長寿にすればいいのに」

「着帯者でオテント様のことを知っとるもんは、幹部であるそいつを含めて、ごく僅かな人数にとどまっとる。まして正式なオテント様のやり方に幻銭が必要だってことを知っとるもんは、更に限られる。そいつら以外の着帯者は、幻銭とオテント様の関係を知らされとらんよ」

「事情を知ってる側の御手洗さんに聞きたい。幻銭とオテント様の関係が、一部の着帯者だけの秘密になってる、理由を」

「十円で願いが叶う儀式――。そげなもんが実在するって知った人は、目の色を変えるで」


 俺が連想したのは、才育園から何者かが幻銭を持ち去ったこと。


「旨い情報を、不特定多数の人間が共有する。その人数が増えれば増えるほど、抜け駆けする人の現れる可能性が高くなる。だけん信用できる限られた人にのみ教えとるんだわい」

「才育園から幻銭を持ち去った人は、誰なんだろうね」

「実はな、ミサキンなんだで」

「えええっ。何で筧先生が」

「先月、あたしの自宅にミサキンが訪ねてきてな。頼みがあるんだって。十円玉を渡されたわ。それが幻銭だってことを知らされた。あたしな、そりゃーもう、たまげたわ」


 容姿と実年齢の差で、シュールな光景になってそう。御手洗さんの方が年上だもんな。


 御手洗さん曰く、筧先生から、ギザ十の歴史や、幻銭とオテント様の関係も教わったとのこと。


「ミサキンは、叶えたい願いがあるから、幻銭でオテント様してくれって」

「願いってもしや、不老長寿になること?」

「そげだで。ミサキンは成人だけん、あたしに頼んだわけだ。肉体年齢は十代な、あたしに。実年齢も十代の人の方が確実だけど、信用度も考慮すると、あたしが適任だったらしいわ」

「だけど、無償で引き受けるのは、割りに合わないよね。叶えるのは、他人の願いだし」

「ミサキンは、自分にも願いがあれば、後で叶えればいいって、誘惑してきたわ」

「御手洗さんには、あるの」

「うん。だけんミサキンの頼みを聞き入れた。あたしが儀式をすることにした学校は、万葉高校。四ツ葉中の方が近いけど、ここは気が向かん。かつて自分が自殺を試みた、現場だけんな。このメモ帳は別として、ここに座っとったことは、記憶にずっと残っとった」


 独りで腰掛けて日没を待つ、当時の彼女を思うと、不憫でならなかった。


「後日あたしは、万葉高校の屋上でオテント様を始めた。ところがなぁ。願いを叫んで、幻銭が落ちてくるのを待っとったら、空中で、鳥が幻銭を咥えて飛んでったわ」

「うわぁ、幻銭はテカってるからなぁ」

「上空を南へ進んどった鳥に、あたしは天道で軽く攻撃した。幻銭が落ちていくのは確認できた。でも残念ながら、見失ったわ。校門前の丁字路を直進する道があるでしょ。幻銭は、あの道路に向かって落ちてった。探したけど、見つからんかった」

「外見は十円玉だから、通行人に拾われたのかもね。そして新星さんの手に渡ったわけか」

「先週の金曜、モッチーに事情を話す時、幻銭だとは言えんかった。単なるギザ十を落としたことにして、翌日に探すのを手伝ってもらった」

「幻銭を無くしたことは、筧先生に話したの」

「ミサキンに打ち明けたら、メビウスには旨く伝えとくって言われた。だけん気にするなってな。但しミサキンの顔は、引きつっとった。申し訳ないことをした」

「結果的に、筧先生の願いは叶ったんだし、幻銭は見つかったんだから、一件落着だよね」

「当初の予定では、ミサキンとあたしの願い事が済んだら、幻銭を才育園に返す手筈だった」

「生憎、俺にも願いがあるんでね。新星さんの件もあるから、返すわけにはいかんよ」

「今回は、組織の中で起こった反乱だけん、争いや被害は小規模なもんだった。けどな、幻銭やオテント様の情報が、世界中に広まったら、どげなると思う」

「第三次世界大戦でも勃発するのかね」

「さすがにそこまで大規模な戦争は起こらんだろうけど、日本が他国からの標的にされるのは、揺るがんわいな」

「もしそうなったら、メビウスはどう出るの」

「天道使の存在は、その為でもあるんだで。有事に備えての、戦力だけん。文明の利器は天道使に通用せん。メビウスはやろうと思えば、人類を滅ぼせるで。まぁそげなことしたら衣食住を維持できんくなって、自分たちも滅ぶけん、実行せんよ」


 外見上は愛くるしい幼女の発する言葉である故、先程からギャップが凄まじい。

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