第44節
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望月絵利果が、まぶたを開ける。目の前に広がった光景は、朧月が浮かぶ、夜空だった。
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もう夜か。……え、夜!?
私は起き上がる。自身に掛けられているブレザーが、誰の物か疑問に思った。
「やっとお目覚めか」
隣から聞こえた声。振り向くと、Yシャツ姿であぐらをかいている侍狼ちゃんが居た。
「このブレザーは、侍狼ちゃんのか。それより、古森君は? 古森君はどうした!?」
私は周囲を見回す。自分たちが座っている一棟の屋上に、古森君の姿は見当たらない。
「古森は、二棟の方に居るぞ」
侍狼ちゃんが指差した先へ、私は目を凝らす。屋上を照らす光は月明かりのみ。フェンス越しの暗闇に、人影は確認できない。再び、侍狼ちゃんの方へ振り向く。
「古森君は幻銭を、日没までに消費したのか?」
「してねえよ。古森は、オテント様した時、幻銭を掴み損ねて、誤って飲み込んだんだとよ。まだアイツの胃の中にある。オレが天眼で確認した」
《体外的には平気だけど、体内的に、問題がね》
――。
私は、膝に置いていたブレザーを跳ね除け、隣の棟へ駆けだした。東側の渡り廊下を疾走。二棟に着き、見渡すと、中庭側のフェンス付近に発見した。横臥している、古森君の姿を。
私は即座に駆け寄り、古森君の傍で両膝を突いた。彼の体を揺する。
「古森君。おい。古森君! 起きろ!」
彼の両まぶたは開かない。
「もしや私を引っ掛ける気か。騙されないぞ。さっさと目を開けろ」
沈黙。
「つまらない冗談はよせ。“死にたいと思ったことすらない”と君は言っていたではないか」
彼の頬を軽く叩いてみる。仄かな温もりを感じた。
「起きろよ。起きてくれよ。もう夜だぞ。夕食もまだだろ。明日も学校だぞ」
眼前に横たわる少年は、無反応。
「上下どちらからでも構わない。幻銭を出してくれ。最悪、手術で摘出すればいい」
背後から侍狼ちゃんに名を呼ばれた。後から追ってきたのだろう。私は体勢を変えない。
己の発する声が、震えだす。
「古森君は、オテント様を私にさせる気か。たとえ緩菜さんが元の姿に戻ったとしても、私はどのような顔で彼女に会えばいいのだ」
「望月」
「そうだ、オテント様で、古森君を生き返らせよう。オテント様なら、きっと」
「望月!」
「何だ、侍狼ちゃん」
「ブルめ」
「また私と戦うというのか」
同じ姿勢で、侍狼ちゃんの返事を待つ。
「バドってたら、相手の精気や邪気を感知できねえだろ」
私は、まばたきせず固まった。目から鱗が落ちる。ブルムして、確認することにした。
月明かりの
古森君の身体から、精気と邪気が入り混じった、生きている人間の証を感じる。
又、幻銭らしき微小な精気も感じ取れた。
私の視線が、ようやく侍狼ちゃんへ移る。既に彼はブレザー姿であり、ブルムしている。
「オテントとやらがどう判断したかは、オレも知らねえがよ。古森は、まだ生きてる」
侍狼ちゃんは私の隣に来て、腰を下ろした。
「……先に言ってくれよ。侍狼ちゃんの意地悪」
「オマエがオレの話を最後まで聞かなかったからだろ。早とちりすんな」
「古森君が、死亡しなかったことはさておき、今眠っているのは、なぜだ」
「オレの天道をくらいまくったから」
「何と酷いことをするのだ! 実際に死んでしまうではないか!」
「オレ手加減してたって。おい、本式詠唱すんな。殺す気で戦ったんじゃねえよ。体は、切断も貫通もしてねえし、
私は天術の詠唱を中断した。
「古森君は、魔道を昨日使えるようになったばかりなのだぞ」
「んなこと知るかよ。オレは手加減してたっつってんだろ」
「まったく。貯水タンクの下で侍狼ちゃんが抜水を撃った時、古森君のブルムが間に合わなかったら、彼は即死だったぞ」
私の小言が、暫く続いた。侍狼ちゃんは、落ち着いた様子になって、問い掛ける。
「幻銭をキャッチした後、日没までに消費しなければ死亡、だったよな。幾つか質問がある」
「私は、オテント様の研究家ではないぞ。何だ」
「日没後も生きてるってことは、もしや何らかの条件を満たしてなくて、無効になったんじゃねえのか」
「全ての条件を……満たしていたと思うぞ。飲み込んでもキャッチしたことになるだろうし。私が侍狼ちゃんと戦いだす前、太陽は雲の隙間から見えていたし」
「そういやオマエと戦ってた頃、一時的に辺りが薄暗くなったよな」
「あぁ。空は確認しなかったが、確かに少しの間、屋上が陰った」
「古森が儀式をする直前は、太陽が雲から出てたんだろう。だが幻銭を投げてからキャッチするまでの間に、太陽が雲に遮られたとしたら、どうなるんだ」
「たぶん、その時点で儀式は終了だ。振り出しに戻るのだろう」
「幻銭を投げる時からキャッチするまで、太陽にずっと見つめられてなきゃ無効なんだな」
「真相は不明だが、古森君が生還したことは確かだ。雲に遮られた線には、賛同しておく」
「ところで、幻銭の消費については、オマエの私物を売るつもりだったのか」
「もちろんだ。あと一歩だったのに、私の計画をよくも狂わせてくれたな」
「胃の中の幻銭をすぐには消費できねえだろ。ちなみに、どんな計画だったんだ」
「緩菜さんを復活させた後、私も幻銭でオテント様をする予定だった」
「オマエの願いは」
私は、ためらいがちに答える。
「侍狼ちゃんを、……性に目覚めさせたいのだ」
「あ? 何でそんなことするんだよ」
「現状のままだと侍狼ちゃんは、一生恋愛できないのだぞ。子孫も残せないぞ」
彼は、呆然とした面持ちになる。
「望月は、恋愛、結婚、出産、育児、っていうイベントが、人生に於ける最大の目的か」
「認めるが、女たるもの、そう考えるのは、ごく自然なことだろ」
「オマエはヒューマンか」
「バイオロイドは皆、元ヒューマンだ」
侍狼ちゃんは目を尖らせ、口角を片方だけ上げて語る。
「いいか望月、はっきり言うぞ。オマエの価値観で、オレの人生を決めつけんな。全ての生物には、子孫を残す義務でもあんのか? 誰がそんなルール作った? 大体な、オレは性欲が無い件で、不満を感じたことは一度もねえぞ。恋愛? 何だその乙女チックな響きは。全く興味がございません! なーにが“性に目覚めさせたい”だ、この発情期の雌豚が。仮にオテント様で、オマエが自己満足な願いを叶えるとしても、どうせオレに備わるのは、取って付けたような性欲だろ。本能的なもんじゃなく、人工的なもんだ。仕組まれた、精力剤みたいな感じでよ。嫌だな。そういうの生理的に嫌だ。本能的に目覚めるのを、気長に持つ方が健全だ」
「えっ。侍狼ちゃんの性欲は、永遠に失ったわけではないのか」
「プラントされる時、基本的に、本能は残ったままだろ。生存欲、食欲、睡眠欲とかな。その中で性欲だけが永久に消滅するってのも、不自然じゃねえか。ひょっとしたら、オレも将来、性に目覚めるかもしれねえ。その可能性を、誰が否定できるってんだ」
私は表情を、力無く緩ませた。
「遅咲きのルピナス、か」
「巧いこと言ってやった、って顔すんな」
「儀式で性に目覚めたら、侍狼ちゃんの心境が変化するのではと目論んだのだが」
「んなことで心変わりするかよ」
「幻銭については、どうする気だ。古森君が飲み込んだわけだろ」
「保留だ。オレ、そろそろ帰るぜ。腹減った」
「おい待て。私一人で、古森君を運べというのか」
腰を上げた侍狼ちゃんは、搭屋の方を向いて、佇む。
「階段の方はシャッターが閉まってるから、下へ行くには屋上から飛び降りるしかねえな」
「そうしよう。だが、古森君を担いで運ぶのは大変だな。侍狼ちゃん、天術で頼む」
「世話が焼けるぜ……。雨季の四刻・水泡環」
侍狼ちゃんは、古森君だけを水泡環で包み込んだ模様。寝ている彼は、仰向けの体勢だ。侍狼ちゃんは古森君ごと宙に浮かばせた。水泡環は視認できないので、私の目には、古森君の体が、あたかも魔道で浮かんでいるようにも映るのだった。
「ひとまず一棟まで運んでくれ。そして前庭側から飛び降りよう」
渡り廊下を歩いていく。侍狼ちゃんは水泡環を誘導している。私は、重い足取りだ。
「私はこの一週間余り、独りで何をしていたのだろう。無駄骨もいいところだ」
「幻銭は見つかったんだから、収穫があったじゃねえか。正式なオテント様には、幻銭が必要だってことも判明したんだろ。まぁ、結果的に多少の犠牲を払ったが」
「ちなみに私には、侍狼ちゃんの全色盲を治す、という第二の願いもあったのだ」
「余計なお世話だ。二通りの世界を見れることが、後々役立つかもしれねえだろ」
「では、まず緩菜さんを人間の姿に戻したい。……侍狼ちゃんは、今後どう対応するのだ」
「オレな、今回の一連の件を、メビウスには黙っとくことにしたぜ」
「えっ。幻銭を返したいのではないのか」
私は足を止めた。斜め前で、侍狼ちゃんも立ち止まる。
「だって冷静に考えてみたら、以前からオレが幻銭の外見を知ってた、ってことをメビウスに白状するようなもんだぜ」
「天眼のことをメビウスに伝えるのは、自殺行為、か。それを聞いて、安心したぞ。めでたいことだ」
「めでたくねえよ。オレもオマエらの一味扱いされるんだぜ」
「おや。嬉しそうだな侍狼ちゃん」
「楽観的でいられるのも、今のうちだぞ。メビウスにバレたら最後だ。肝に銘じとけ」
「これで侍狼ちゃんも、共犯者だな」
再び歩き出す。不平を漏らす侍狼ちゃん。聞き流す私。
良かった。今後も私たちは一緒だ。残るは、古森君が飲み込んだ幻銭と、緩菜さんの件だな。
一棟の、前庭側のフェンスに辿り着いた。
「先に私が下りる。侍狼ちゃんは、古森君をそのまま連れてきてくれ」
私がフェンスを乗り越えて縁に立つ。スカートを押さえながら飛び降りた。ブルム中なので、落下による衝撃は大幅に軽減され、無事に着地した。
屋上を仰ぐ。侍狼ちゃんは水泡環の上に座って、古森君と一緒に下降してきた。地上に着き、侍狼ちゃんが降り立つ。
私たちは前庭を通って、閉まっている校門前に来た。道路の様子を窺う。通行する車が途切れるのを見計らい、私たちは門を乗り越えた。古森君を運び終えた侍狼ちゃんが、水泡環を消し去る。
アスファルト上で仰向けに着地した古森君。相変わらず、死んだように寝ている。
侍狼ちゃんと相談した結果、私はケータイで救急車を呼んだ。通話を済ませ、歩道で佇む。
「あとはオマエに任せるぞ。古森が起きた時、傍にオレが居たら、警戒されるだろうからな」
「そうか。私は付き添うことにする。詳しくは、また明日な」
侍狼ちゃんが、丁字路の交差点を直進していく。彼が渡り切る前に、私は口元に手を当てた。
「侍狼ちゃん」
彼の歩みが、横断歩道の上で止まった。私は告げる。
「ブレザー、掛けてくれて、ありがとな」
侍狼ちゃんは振り返って、流し目。
「跳ね除けるほど暑かったみてえだな」
「あ、……すまなかった」
「その後の慌てっぷりは、傑作だったな。古森に見せてやりたかったぜ」
「おいっ。私は、ブルムして精気や邪気を探ることが、咄嗟には思い浮かばなかっただけで」
「そんなにも動揺してたってわけだろ」
「もうっ。古森君には言うなよ!」
「ともあれ、望月。オマエ、垢抜けたよな」
「え。そう、だろうか」
「高校に入る前のオマエは、もっと堅物だったぜ。ま、何の影響を受けたせいなのかは、オレの知ったこっちゃねえ。じゃあな、主犯」
侍狼ちゃんが背を向けて遠ざかる。ブルムした状態で、闇夜に消えていった。
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