第43節
身構える俺。瀬良木は殴り掛かってきた。俺は魔道で瞬時に空中へ回避する。そのまま浮上を続け、水幕に到達して止まった。貯水タンクの上部とほぼ同じ高度だ。
俺がこんな高いとこに居れば、瀬良木に近接攻撃されることはないだろう。けれど、悠長に浮かんでる場合じゃないよな。
俺は右足の裏を瀬良木に向けた。体勢を変えず、高速で接近。足に激しい衝撃が加わる。瀬良木の顔に蹴りが命中したのだ。彼はコンクリートに叩き付けられ、転がっていく。
おおっ。当たったがな。これは、いけるかもしれん。
瀬良木は起き上がり、口元を拭う。こちらを睨みながら、腰を上げた。
「やりゃあできるじゃねえか。スピードだけは、大したもんだな」
速すぎて回避できないのか。よーし、そうとなれば、容赦せんぞぉ。
俺は右肘を構え、魔道で突っ込んでいく。肘打ちを試みたのだ。
ところが瀬良木の傍に差し掛かった途端、水幕らしき見えない壁に激突した。
「くっ……。いつの間に天術を」
俺の虚を衝いて、瀬良木が突進してきた。彼の右拳が唸る。
腹部に強烈な打撃。俺は突き飛ばされ、数メートル後方の空中で止まった。
視覚による認識では、一撃だった。けれども俺は、まるで連打を受けた感触があった。
痛む腹に手を当て、顔を上げる。
「オレの体を包んだ天術は、水幕じゃないぜ。雨季の
俺は眉根を寄せた。水泡環について、幾つかの疑問を感じたのだ。
「お前さっき、呪文の詠唱したか? 略式詠唱すらしなかったよな」
「ん、オマエ知らねえのか。天道使は、
「零式詠唱って……詠唱してねーじゃねぇかっ」
「心ん中で唱えてんだよ、心ん中で」
望月さんは、天術を零式詠唱で使う機会が、無かったんだな。うん、きっとそうなんだ。
「その、水泡環ってのを使ってる状態なのに、何でお前は、俺に触ることができたんだ」
「オマエを殴った時は、水泡環を一旦消したんだ。こんな具合にな!」
再び腹に拳を受けた。俺は後ろ向きに跳ね飛ばされ、宙に浮いたまま仰向けとなる。先程と同じく、見た目は一撃でありながら、連打された感じだ。苦痛に悶えながら、声を出す。
「おい、瀬良木。お前、どう殴ってんだ。只のパンチじゃねーな」
視界には茜色の空。体を瀬良木の方に向けた。
「通常、天道使に備わってる独身術は、各自一つずつだけだ。けどよ、訳あってオレが使える独身術は、二つある。一つは、天眼。そしてもう一つが」
発せられる声に、意識を集中する。
「『
技名カッケーな畜生。
「もうすぐ夜だから死に土産として教えてやるぜ。ウルトラソニックってのは、超音波って意味だ。まず、音波が発生する為には、何らかの媒体が振動する必要がある。例えば、人間の声でいう声帯、ギターの音色でいう弦だ。そして、超音波が発生する為には、媒体が二万ヘルツ以上の周波数で振動する必要がある。打撃の瞬間、精気による力で、肉体の一部を秒間二万回以上振幅させることで、瞬間的に多数の連打をぶつけ、発生した特殊な超音波も同時に加えることで、爆発的なダメージを与える。それが、
やっぱり中二病だろメビウス。
「考えてもみろ。単に殴っただけなら、オレより図体のでかい、望月やオマエが吹っ飛ぶわけねえだろ」
「望月さんにもやったのか! そのウルトラ何とかってやつを」
「
「てっめえええええ!」
俺は空中から、死に物狂いで瀬良木に突進。体当たりで水泡環を打ち破った。
瀬良木が目を見開く。
衝撃で飛行速度が緩んだ瞬間、俺は渾身の力を込め、右拳を突くと同時に、魔道で急加速。瀬良木の左頬に叩き込んだ。彼が吹き飛んでいく。
瀬良木は受け身を取り、両手を構えた。何やら呪文の詠唱を始めたようだが、距離的に俺は聞き取れない。長いので、本式詠唱なのだろう。
俺は幼い頃から、漫画やアニメやその他諸々で、腑に落ちない点がある。
誰かが呪文の類を詠唱してる時、相手はなーぜ攻撃しないのか、と。隙だらけじゃん、と。
その作品の作者側にとって、その方が好都合だから。んなことは分かってる。だから作品によっては、相手が攻撃できない理由を持ってる場合もある。術者が予め相手の動きを封じるとかさ。タブーを逆手に取って、相手が敢えて攻撃しちゃう作品もある。けれど大半の作品は、詠唱が終わるまで、無抵抗で待ってる傾向があるよな。何なの? 戦いの美学なの?
所詮は子供騙しな、筋書きのある物語だ。消費者に媚を売って金を儲ける為の、商品だ。
幼少期に楽しめた創作物が、歳をとるにつれて楽しめなくなる。それを大人になるということなら、俺はずっと少年でありたい。
ここは架空の世界じゃないんだ。現実世界だ。俺を操ってる作者なんて居ない。法に反しない限り、俺が何をどうしようと俺の自由だ。そもそも、こちとら時間がねーんだよ。
瀬良木の声が、辛うじて聞き取れた。
「雨季の
いいなぁ、技がたくさんあって。どんな天術か知らんけど、させるか!
俺は魔道で急接近。またもや見えない壁に阻まれた。全力でぶつかったが、突破できない。
「しまった――」
「
瀬良木の手から、巨大な球状の物体が放たれる。直径は彼の身長ほどか。半透明なので視認はできる。至近距離から撃たれたので回避できない。防御が精一杯だ。
浮かんでいる俺を直撃した。四肢に激痛が走る。球体が水飛沫を上げて破裂。俺は吹き飛び、中庭側のフェンスに衝突した。浮いたまま、手足が、だらりと下がる。
瀬良木の歩いてくる気配。緩慢な足音だ。彼の精気が近づいてくる。
「オマエに魔道でぶん殴られた後、オレが先に使ったのは、略式詠唱の水泡環だ。零式詠唱のよりは、強度があるぜ」
「二つ、唱えてたのか……」
「タイマン張ってるオレが、無防備に本式詠唱してるとでも思ってたのか? 漫画の読みすぎだぜ古森」
傍に来た瀬良木。俺は再び腹に
「オマエの死体を切断するのは簡単だがな、リアル人体の断面なんて、なるべく見たくねえんだよ、零ちゃんのグロ画像じゃあるまいし。できれば死ぬ前にリバースしてほしいから、腹殴ってんだぜ。日没までに幻銭吐けりゃあ、オマエにとっても好都合だろ。感謝しろ」
蓄積されるダメージ。俺は四肢が痛んで、ガードもできない。攻撃の手を休めない瀬良木。
「おい。どうした魔道使さんよ。魔道の使いと書いて、魔道使だろ。魔道を使ってこそ、魔道使じゃねえのか。あ、一応まだ浮いてるか」
水幕で体を打った時も、今も、背中はあまり痛くないな。ブルムしてる魔道使も、天道使と同様ってことか。いわば、防御力の極めて高い法衣を、纏ってるようなもんか。
――防御力が高い?
そうか。だから昨日望月さんは、俺をブルムさせてから、蹴落としたんだな。ブルムしてれば屋上から落ちたって死なないんだろう。それを分かってたから、蹴落とせたんだな。
瀬良木は執拗に
このままじゃ、俺の方が気絶しそうだ。その前に、聞いておくか。万が一に備えて――。
「なぁ、瀬良木」
「お、何だ」
瀬良木は攻撃を中断した。彼の腕が下がる。俺は、か細い声。
「お前、望月さんのこと、どう思ってるんだ」
「……それはもしかして、恋愛感情ってやつのことを、言ってるのか」
「あぁ。ライクじゃなくて、ラブの方だ」
「……オレは、自分がプラントされた時、記憶以外に、二つのものを失った。一つは、性欲だ。つまりオレは、恋愛感情を持つことがねえんだ」
《侍狼ちゃんは今のところ、私のことを恋愛対象としては意識していないのだ》
そういうこと、か。
「成る程。で、もう一つは」
「視覚に於ける有彩色。要するに、オレは全色盲になった。肉眼に映る光景は、完全に白黒の世界だ」
二つとも、予期せぬ返答内容だった。記憶の中から、瀬良木に関する見聞を引っ張り出す。
「オレの通学で使ってる鞄が水玉模様なのは、他人の鞄と見分けが付きやすい為だ」
「今も、世界が白黒に見えてるのか」
「ブルんでる時は天眼で見てるから、フルカラーだ。ちなみに天眼も、超音波が関わってる。性欲の件も、全色盲の件も、望月は知ってる。メビウスは、どっちも把握してねえんだぜ」
「……そうなのか」
辺りが薄暗くなってきた。俺は苦痛に顔を歪めながら、右手を掲げる。
「瀬良木。お前に頼みがある」
「ん。まぁ、聞くだけ聞いてやる」
「もう時間が無い。今から俺は幻銭を吐く。お前の私物を、何か売ってくれ」
俺は右手の人差し指と中指を、口の中に入れる。
「おぉっ、まてまて。売るとは言ってねえぞ。やめろっ。吐くなっ。オレは何も売らねえぞ」
瀬良木は俺の手首を掴んで引っ張る。俺は呻き声を漏らす。喚く瀬良木。
「やめろっつってんだろうがっ」
「うるへぇ、はなひやがれ」
突如、俺は後頭部に打撃を受けた。感触は
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瀬良木侍狼が今し方
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弱めに殴ったんだがな。くたばったか。
古森の精気が急低下した。まだ微かに感じ取れる。既に彼は両目を閉じており、動かない。
しぶとい野郎だ。気絶してバドったか。
さて、眠ってる古森にとどめを刺すのは気が引ける。日が落ちれば、自動的に死ぬだろう。
西の空を確認。雲には隠れているが、まだ太陽は辛うじて地平線より上に位置している。
望月が今、目を覚ましたら、古森を叩き起こして幻銭を吐き出させるかもな。オレには幻銭を渡さねえだろう。日没まで、望月は眠らせておくのが得策だな。
脱ぎ捨てたブレザーを拾い、自分の肩に掛ける。水幕を消し去り、一棟の屋上へ向かった。
寝ている望月の元に着く。オレのブレザーを、彼女の首から下に、そっと被せた。
座り込み、古森の姿を天眼で眺める。彼に殴られた左頬を、少し撫でた。
切断したら、後始末が大変だよな。幻銭を狙って撃ち抜いてみるか。だがそんなことしたら幻銭が壊れるかもしれねえ。死体を才育園に運んで、幻銭を摘出してもらうわけにもいかねえよな。
あれ。ちょっとまてよ。オレが幻銭を返すってことは……。
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