第42節
さーて、どうしようかな。考える時間を稼ぐか。
「おい瀬良木。ここだと望月さんが寝てるから、戦いにくいだろ」
「そうだな。日没までは、起こしたくねえ」
「じゃあ場所を変えようぜ」
俺は右手の親指で、二棟の屋上を指す。
望月さんを残して、俺たちは、屋上伝いに東側の渡り廊下を歩き出した。
幻銭を飲み込んでしまった以上、吐き出すしかないわ。でもここで吐くと、瀬良木に奪われる恐れがある。嘔吐しても幻銭が出てくるとは限らんけど、まずは出さんと消費できんよな。
戦う前に、遠いとこまで飛んでって、吐くとするか。
二棟に差し掛かり、瀬良木が背を向けて、西へ徐々に離れていく。その隙に俺は魔道で、屋上から飛び立った。フェンスの上を通過する間際――
俺は顔面に衝撃を受けて、移動を止めた。一見、前方に障害物は一切無い。両手を伸ばしてみると、見えない壁のようなものが確認できた。硬い感触だ。
何だこりゃ。出られんがな!
「おおっ、浮いてやがる。何してんだ古森。空中でパントマイムの練習か」
瀬良木を見下ろす。彼は俺の魔道に、さほど驚いていない模様。顔つきに、余裕すら感じる。
「どこかへ移動して、幻銭を吐き出して、何らかの手段で消費するつもりか。だが残念だったな、屋上からは逃がさねえぜ」
「この壁みたいなのは、お前の仕業か」
瀬良木は左掌を、今渡ってきた方に向けた。
「雨季の
二棟と渡り廊下の、境目が一瞬壁でもできたように光った。瀬良木は続けて、西側の渡り廊下と、二棟の塔屋にも、掌を向ける。それぞれに同様の現象が見て取れた。
「大気中に含まれてる水分の位置を強制的に固定して、障害物を作れる天術だ」
「なっ……。外周のは、いつの間に作ったんだ」
「今日の昼休憩だ。屋上全体を包んである。フェンスから反対側のフェンスまでを、ドーム状の屋根が覆ってると思えばいい。校舎の外はおろか、中庭にも行けねえぜ。そして今、二棟の逃げ道を塞いだ。渡り廊下も、塔屋のドアもな」
用意周到な野郎だ。
「今朝望月に聞いた話だが、新星は
俺は、瀬良木との間合いを取って、屋上に降り立った。
「俺にここから脱出する方法を教えろ」
「オレを気絶させれば、水幕は消えるぜ。とはいえオマエには到底無理だろう。さっさと幻銭をよこせ。そうすりゃ少なくとも今日は生き延びられるぞ」
「そんなに欲しいなら、力ずくで奪い取ったらどうだ」
「オレは急いで分捕る必要なんてねえんだよ。日が沈んだ後、オマエの死体から幻銭を抜き取りゃいいんだからな。もしも途中で望月が起きて、こっちに侵入できたとしても、また寝てもらうまでだ」
「俺の体から、幻銭を抜き取る? 果たして、取れるかなぁ」
「どこに仕舞ってても無駄だ。オレの天眼で見つけてやる」
「勝手に覗くなって言っただろ。うわ、見てやがるんだな。覗き魔」
互いに一歩も動かない。俺は、不用意に近寄るのをためらっていた。
「どうした古森。オレは今、隙を見せてんだぜ。かかってこねえのか。オマエが、学生寮に住んでるから、暴力沙汰を起こしたくねえってのは、オレも知ってる。だが気にすんな。んなことチクるようなセコいマネをするタチじゃねえよ」
「近づいたら、水鉄砲みたいなの撃つんだろ」
「抜水って呼べ。さっき間近でオマエの額に撃った時は、手加減してやった」
あの天術は、間合いが短いほど、威力が高そうだ。全力で撃ったのを、至近距離でくらったら、致命傷になるかもしれん。
瀬良木の表情が険しくなっていく。
「古森。幻銭をどこに隠した」
「おやおや。天眼で見つけるんじゃなかったのか」
「屋上のどっかに隠したようでもなさそうだな。……オマエ、まさか」
瀬良木の視線が、俺の胴体に向けられた。彼は唖然とした顔になる。
「なぁ古森。オマエの胃袋は、貯金箱か」
「この歳で胃カメラは御免だわ」
早くもバレちまったか。
「わざと飲み込んだのか」
「誤飲だ。さっきの儀式で、キャッチする時に掴み損ねて、口の中に入ったんだ」
瀬良木は納得の声を漏らす。彼はこちらに歩き出した。後ずさりする俺。
「そう警戒すんな。ちょっと見せたいものがある」
「な、何をする気だっ」
「時空走のことは、望月から聞いたんだろ。手を出せ」
「んん、罠じゃないだろうな」
「んなことしねえよ」
瀬良木の左手が、俺の右手を、むんずと掴んだ。
消える物音。際立つ鼓動。止まった景色。時空走をしたようだ。手が放される。
「付いてこい」
瀬良木に促され、中庭側の隅に歩み寄った。彼は、フェンスに向けて左手を上げる。
「雨季の三刻・抜水」
人差し指から猛烈な勢いの水を射出している状態で、振り下げて、U型の軌道で振り上げた。飛沫が辺りを濡らす。ストライプフェンスの上下が二箇所ずつ切断され、H型の棒となって抜け落ちた。水を止めた瀬良木が、掴み取る。
「受け取れ」
放り投げられた、フェンスの一部。俺は両手で掴んだが、ずしりと重い。
「そんな硬い金属でも、抜水で切断できるんだ。オマエの胴体もろとも胃を真っ二つにするのは、簡単なことだぜ」
「実演する為に、わざわざ時空走したのか」
お。この棒、武器として使ってみよ。瀬良木め、迂闊だったな。
俺は頭上に棒を構え、瀬良木を目掛けて振り下ろす。
ところが彼は微動だにしない。俺は躊躇する。重くて寸止めできそうにない。棒の軌道を逸らし、空振りした。
「ん、どうしたってんだ古森。不意打ちするチャンスだったのによ」
「……よけるかガードぐらいしろよ。こんなもん頭にくらったら、最悪死ぬだろ」
俺は、瀬良木を殺す気は無い。こいつが死んだら望月さんは、きっと悲しむ。彼女に、嫌われたくないし、恨まれたくもない。
「遠慮せずに、ぶちかましてみろよ。その一撃は、無防備で受けてやる」
どういうつもりだ。まぁ、言動から察するに、こんなもんで叩いても死にはせんのだろう。
殺す必要は無い。気絶させればいいんだ。お言葉に甘えて、やってみるか。
「後悔するなよ!」
俺は再び棒を構え、全力で振り下ろす。槌状になった先端を、瀬良木の脳天に叩き込んだ。
――が。瀬良木は、首を少々傾け、突っ立っている。棒を当てたまま愕然とする俺。
「ブルんでる天道使は、己が受けたあらゆる有害なエネルギーの、大部分を精気に変換して、周囲に拡散する。但し、天道と無彩虹は例外だ。望月から教わらなかったのか?」
「初耳だ」
「魔道は、効くのか否か、気になるところだ」
俺は棒を下げ、足元に突き立てた。瀬良木の頭部に、出血は見られない。
単なる攻撃は、通用しないわけか。
俺は、ふと思い出す。昨日屋上にてブルム中の望月さんを突き飛ばしたことが、脳裏をよぎったのだ。
魔道を使いながら攻撃すれば、効くんだろう。
俺たちの居場所と体勢が、時空走を開始した時の状態に戻った。瀬良木が手を放す。中庭側を向く俺。切り取られたフェンスは、元通りになっていた。俺は、あたふたと間合いを取る。
「望月に免じて、オマエが生存中は、切断や貫通をやめてやる。日没まであと僅か。間もなくオマエは死ぬ。只な、日が落ちるまで呑気に待ってるのは退屈だ。――そこでだ」
瀬良木はブレザーを脱いで、傍らに投げ捨てた。普段と同じく、ネクタイは緩んでおり、Yシャツは第一ボタンが開けてあり、裾はズボンに入れていない。
「オマエに戦う意思がねえなら、今ここでオマエを殺す。生き延びたけりゃ――」
瀬良木がダッシュで迫る。
「オレを倒してみやがれ!」
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