第41節

「古森君! ブルムしろ!」

抜水ばっすい


 直後、俺は後方へ頭から吹っ飛び、地面に叩き付けられた。額には激痛が走る。


「侍狼ちゃん、よせ!」

「咄嗟にブルんだか。素人にしちゃあ、やるな」


 俺は、望月さんの言葉を聞くや、瀬良木の攻撃を受ける直前から、ブルムしていた。


 いってぇー。何今の。額を、固い棒で突き飛ばされた感じだ。天術か。


 俺は上体を起こす。顔を何らかの液体が伝う感触。手で拭いて見定める。出血していると知ったが、透明な液体も付着している。制服も、飛沫が掛かったように濡れていた。


 うわ、すげー血ぃ出てる。この透明なのは、水かな。

 望月さんが俺をブルムさせた理由は、何だ。たぶん、ブルムしてるとバリア的な効果があるんだろう。バド状態でくらってたら、もっと大ダメージ受けてたのかもな。望月さんが、助けてくれたのか。だけど、結構効いたぜ。


 架台の方を視界に入れた。瀬良木が横棒を乗り越えて俺の方に近づく。彼の後方から、望月さんが駆け寄る。彼女は、瀬良木と俺の間に立ち、こちらに尻を向けた。


「望月、どけよ。どのみち古森は、最終的に始末した方が、オレたちの身の為だ」

「手荒なマネはするなと予め言ったはずだ」


 二つの精気を感じるぞ。片方は知ってる精気、望月さんのだ。するともう一方が瀬良木のか。


「やけに古森を庇うんだな。よほどのお気に入りと見た」

「おや。もしや侍狼ちゃんは、私と古森君の仲に、妬いているのかな」


 二名の天道使による会話が続く。望月さんは両手を腰の後ろに回している。左手を少し開いた。畳んだ紙を持っており、文字が書いてある。座っている俺の眼前なので、すんなり読めた。


〈古森君へ〉


 望月さんは、左手で持っている紙に、右手の人差し指を向けて小刻みに動かす。


 受け取ればいいんだな。了解だ!


 痛みをこらえ、望月さんの左手から紙を摘まみ取る。


「古森君、急いで離れろ! 早く!」


 俺は即答。屋上を東へ走り出した。


「待て! 古森ぃっ」

「おっと、侍狼ちゃんの相手は、私がしてやるぞ」


 背後から聞こえた二人の声。俺は振り返らず駆け抜ける。一年一組の屋上付近で止まった。


 あ。魔道で飛べばよかったな。突然だったから、思わず走ったわ。


 後方へ振り向く。階下でいう七組の辺りに、天道使二人が居た。前庭側に望月さん。中庭側に瀬良木。

 望月さんは氷紋機関弓ノーザンクロスボウを瀬良木に向けて連射している。矢がフェンスに当たると、甲高い音が聞こえてくる。

 瀬良木は、飛んでくる矢を、よけたり、拳で弾いたりしている。

 二人とも徐々にこちらへ移動していることが、俺は見て取れた。


 あの人ら、もといあのバイオロイドたちが、天道使……。

 おっと、見入ってる場合じゃない。この紙、開けてみよ。


 広げると、一枚のルーズリーフだった。文章が書いてある。


 今日俺を屋上へ連れてくる前、望月さんが予め書き留めてたのかな。


 望月さんと瀬良木の戦況を、時折窺いながら、記されている文章を読んでいく。


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 君がこの手紙を読んでいる時、私は侍狼ちゃんと戦っているだろう。


 もしも条件が揃っていれば、今すぐ幻銭でオテント様をしてくれ。

 緩菜さんを人間の姿に戻す――という願いを叶えるのだ。

 科学的には不可能だが、科学を超越する幻銭で行うオテント様なら、可能性がゼロではないと思う。

 幻銭の消費については、私物を売ってやる。つまり、後で一旦私が幻銭を預かる。

 以上だ。儀式の成功を祈る。


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 俺は西の空を向いた。昼間は雲に覆われていたが、現在は隙間が散見できる。沈みゆく夕日が、丁度今、顔を出していた。


 分かったよ。やりますよ。……もし今日やらんかったら、最悪の場合、望月さんが倒されて、俺は殺されて、瀬良木は幻銭をメビウスに返すだろうからな。


 俺は、ルーズリーフを畳んでポケットに突っ込んだ。


 瀬良木は、まだ遠くに居るから、儀式の邪魔をしてくることはないだろう。いくぜ!


 幻銭を空高く投げた。


「新星さんを人間の姿に戻せーっ!」


 高く投げすぎたかな。だけど落とすもんか! 絶対に――


 額から流れる血が、右目に入った。


 やっべ。片目だろうと――


 頭部が動いた拍子に、左目にも血が入った。


 見えんくなったがな! どうしよ。落としたら死ぬわけじゃないけど、この広い屋上に落ちた幻銭を見つけるのは、至難の業だ。たとえ見つけたとしても、もう一度真上に投げるのは難しいだろう。望月さんが戦ってるのに、そんな悠長なことしてる時間は無い。日没までのカウントダウンは止まらないんだ。


 両目を閉じた。まだ幻銭が落ちた気配は無い。


 やけに長いな。走馬灯現象ってやつかね。人間は、生命の危機が迫った時、生還する方法を脳が探そうとする為、過去の記憶から、物事が次々と思い浮かんでくる、との噂だ。時間的にも、スローモーションみたいに感じるらしい。別に何もヒントになりそうなことは――



《精気とは、万物を生成する根源の気。あらゆる、生物も、物質も、精気を持っているのだ》



 あらゆる物質も……。てことは、幻銭も精気を持ってるわけか。感じたことないけどな。ブルム状態の天道使とかに比べたら、かなり低い精気なんだろう。

 感じろ。幻銭の精気を感じ取るんだ。そしてキャッチすればいい。

 今こそ、心を無にするんだ。天眼ならぬ、心の目で見るんだ、幻銭の、小さな精気を。


 なぜか阿部の姿が頭に浮かんだ。


 阿部は引っ込んでろ。あいつの夢は一体何だったのかね。別に大して知りたくもない。


 次に思い浮かんだのは、筧先生の姿。


 筧先生。まだ職員室に居るのかな。勝手に不老長寿の実験台にしてすみません。


 更には、御手洗さんの姿。


 御手洗さん。結局あんたは歳幾つなんだよ。母さんとの昔話でも、いずれ聞かせてくれ。


 そして、新星さんの姿。


 新星さん。段ボールの中で、今も立ってるのかな。ケータイ見てごめん。復活したら、また殴ってくれても構わん。

 ――見つけた。あれが幻銭のはずだ。精気ちっさ。


 俺は、両腕を顔の高さで前方に構え、立ち位置を微調整した。


 こんな時こそ冷静に。最後に頼れるのは自分だけだ。神頼みなんて無駄なことだ。神なんて……。なぁ、オテント様よ、あんた今見てんだろ。俺を見つめてるんだろ。あんた何者だよ。何でもいいさ。俺に味方してくれよ。十五年余り、自分なりにがんばって生きてきたんだぜ。        

 俺は、まだ死にたくないんだよ!

 父さん……母さん……。



 幻銭が左手首に当たった感覚――半開きだった口の中に入った感触――喉につかえ――

 ゴクリ。



 俺は、幻銭を飲み込んだ、と確信した。

 両腕を下げ、俯き、何度も咳き込む。薄目を開けると、視界は赤く滲んでいる。


 太陽に見つめられている時、学校の屋上で、十代の人間が、幻銭を、空に向けて放り投げ、願いを叫び終え、落とさずキャッチする……。

 落としては、ないよね。キャッチ、したことになるんだろうか。

 その幻銭を日没までに消費する……。どうやって消費するの。おい。しかもじきに日が落ちるぞ。

 幻銭をキャッチした後、日没までに消費しなければ死亡。死亡。しぼう。


「フフッ。フッフッフッ……」

「古森君っ、何を笑っている! 危ないっ」


 俺が振り向くと、顔面に、水らしき液体が勢い良く掛けられた。水圧で多少仰け反ったが、痛くはない。上体を戻し、手で目元を拭って、まぶたを開く。視界は良好となった。


「大丈夫か、古森君」


 髪や制服が濡れている望月さんは、俺に背を向けた状態で、瀬良木と応戦中。


「体外的には平気だけど、体内的に、問題がね」


 三人の位置関係上、俺には聞こえて、瀬良木には届きそうにない声量で、望月さんが話す。


「体内がどうかしたのか。まぁいい。先程叫び声が聞こえたから、キャッチするところまでは終わったのだな」

「たぶんね」

「見ての通り、私は取り込み中だ。幻銭の消費は、私の――」


 望月さんが俺の方へ振り向いた、僅かな隙をついて、瀬良木が間合いを詰めていく。


「あっ、望月さん、前!」


 望月さんが標的を見るより先に、瀬良木は彼女の腹へ、左拳を叩き込んだ。鈍い衝撃音。望月さんの体が吹き飛び、俺の隣に倒れる。左手を覆っていた氷は、粉々になった。


「望月さぁん!」


 俺は地面に膝を突いて、望月さんを気遣う。彼女は目を閉じており、身動きしない。


 望月さんの精気が、消えた……? いや、精気が低くなっただけだ。意識せんと感じ取れない低さだ。あ、微かに邪気も感じる。気絶してバド状態になったんだな。


 俺は望月さんを、敢えて起こさないことにした。瀬良木を睨み付ける。


「瀬良木ぃ。てめぇ!」


 彼は息を切らしている。望月さんほどではないが、瀬良木の精気も、意外と心地良いものだ。


「古森。オマエさっきオテント様しただろ。幻銭をよこせ」

「やなこった」

「望月は、お寝んね中だ。オレの私物を売ってやるよ。早く消費しねえと、オマエ死ぬぞ」

「消費するとしても、お前には、やらねーよ。才育園に返す気だろ」


 俺は腰を上げ、瀬良木と対峙する。


 この緊急事態で、タイマンか。……いいだろう。修行した甲斐があるってもんだ。

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