第37節

 望月さんと共に、学生寮の階段を下りる。彼女が駐輪場から出したのは、俺の自転車。


「今日乗ってきたが、また借りるぞ」


 望月さんがペダルを漕いで、道路を東へ進みだした。俺はバド状態で並走する。

 事前に、本日は曇り空なのでオテント様をしない、と言われた。よって幻銭は自宅にある。


「ねぇ、天衣には、何でバドする機能があるの」

「天道使が才育園に出入りする時は、天衣を着て、ファスナーを閉じるよう義務づけられている。公私のけじめをつけ、天道の乱用を抑制し、天道使の反乱を防ぐ為とのことだ。天道は、日常生活に必要無いし、使い道を誤れば、大きな被害をもたらすからな」

「ふーん。束縛されてんだね」


 望月さんが自転車を降りて停めた場所は、万葉高校の、閉まっている校門前。彼女は天衣のファスナーを全開にした。

 ここに赴いた理由を俺が問おうとする。無言の望月さんに、右手を握られた。

 その途端、辺りが静寂に包まれた。俺は見回して確かめる。道路を行く歩行者や車等、あらゆる物体が、静止している。


 時空走か。察するに今から、他人に見聞きされたらまずいことを、するんだな。


 彼女は校門の傍に寄り、両手を掛けた。


「中に入るぞ。付いてこい」


 校門を乗り越えて、俺たちは昇降口に来た。ガラス戸が閉まっている。望月さんは手で開けようとするが、施錠されているようだ。

 彼女は左拳を、分厚い氷で覆った。鍵穴付近のガラスに叩き付ける。戸の一部が割れて、穴が開いた。拳の氷は形を保っていたが、望月さんが腕を下ろすと、氷は全て砕け散った。


「ガラス割っちゃっていいの」

「問題無いから割ったのだ」

「俺はてっきり、模造鍵で開けるのかと思ったよ」

「壊した方が早い」


 望月さんは、ガラスの割れ目から手を入れ、サムターンで開錠した。戸を開けて侵入する。ガラス戸には警備会社のステッカーが貼ってあった。


 時空走中にセキュリティーは作動しないんだろう。今は、校則どころか法律さえ無意味だな。


「土足でいいからな」


 靴を履き替えず、二人で廊下を進む。見慣れないシャッターが下りている前で、望月さんは立ち止まった。廊下と階段の、境目にある位置だ。

 彼女は左掌をシャッターに当てた。


「冬季の六刻ろっこく砕花さいか


 触れている部分から霜が発生し、ほぼ円形に拡大していく。望月さんの身長を越える高さまで広がると、手を離した。拳で一回、小突く。

 校舎内に響く衝撃音。叩いた点を中心とする、シャッターに霜の付いていた範囲が、一気に破砕された。人が通れるほどの、大穴が開く。真下から階段側にかけて、破片が飛散した。


「今のは、どんな天術」


 望月さんは、散乱しているシャッターの破片を一つ拾う。掌サイズだ。


「古森君。低温脆性、という言葉を知っているか」

「いいえ」

「例えば、花びらを一定の温度以下に凍らせて握ると、歪まずに砕ける。簡単にいうと、物質が低温になると脆くなる性質のことだ」

「あぁ、テレビで見たことあるわ。凍った花びらが、パキパキッと砕けるやつね」

「低温脆性を示さない物質も存在するが、天道使が精気による特殊な凍らせ方をすれば、物質を問わず低温脆性が生じる」


 望月さんが破片を握り締めた。床に向けて開いた手から、細片となって舞い落ちる。


「たとえ金属等の頑丈な物でも、僅かな圧力で破壊できるほどに、脆くさせることさえ可能。それが、今し方使った天術である、砕花だ」


 彼女がシャッターの穴を通過する。破片を踏み潰して、俺も続いた。


「模造鍵の時と違って、呪文の詠唱が短かったね」

「天道使や天術によっては、略式詠唱でも発動できるのだ。本式詠唱した方が、効果や成功率は増すぞ。今回は対象がシャッターだったから、そこまでする必要は無かっただけだ」


 階段を上っていく。私服に土足で校舎内を移動するのは、多少の罪悪感があった。

 屋上へのドア前に到達した。望月さんが人差し指を鍵穴に当てる。


「冬季の零刻・模造鍵」


 このドアは壊さんのね。


 手を捻り、開錠する音。氷は床に捨てられた。


「ここでは略式詠唱でもいいの」

「初めての鍵穴では、本式詠唱した方が楽さ。二回目以降は略式詠唱で充分だ」


 ドアをくぐり、屋上へ。揺れるポニーテールを見つめながら、望月さんを追行する。

 白く広々としたコンクリート上を進む、俺たち。聞こえるのは、互いの足音ぐらいなものだ。風も日差しも無い、重苦しい世界に、二人きり。

 貯水タンクの傍を通り過ぎて、前庭側のフェンス付近で、彼女は歩みを止めた。ブルムしろと促されたので、俺は素直に従った。


「古森君は、フェンスの外側に立ってくれ」

「えぇっ。危ないって」

「フェンスの外側に立てと言っているのだ」


 望月さんは目が据わっている。


「案ずるな。まじないをするだけだ」


 戸惑う俺だったが、しぶしぶと乗り越え、そっと縁に足を置いた。ストライプフェンスに掴まり、屋上の内側を向いている。


「体を外側に向けろ」


 恐る恐る、反転した。四階建ての校舎の、屋上である。眼下には、前庭のアスファルト。


「両手を上げろ」

「いいけど、押さんでよ?」

「こちらを見るな」

「絶対押さんでよ?」

「君の両手は、私が掴んでやる」


 俺が、顔の高さまで両手を上げる。後方から両手首を掴まれた。


 どんなおまじないだよ。


 突如、俺は背後から腰に激しい打撃を受けた。自身の両手首から、望月さんの両手が外れる。後ろから勢い良く、押し出された感覚。

 俺は屋上から落ち始めた。


 ――蹴った? 望月さんが――俺を?

 シャレにならん! 死ぬって!


 迫りくる地面。激突する間際、俺の落下が急停止して、宙にとどまった。

 高鳴る鼓動が聞こえる。無事だったことに安堵はしたが、唐突な出来事が連続して発生したので、動揺を禁じ得ない。


 浮かんでる。これが俺の魔道、なのか。できたのかよ。

 新星さんの超新星スーパーノヴァとは違って、俺は自分の体一つで飛べるのか。

 確か新星さんの場合は、意のままに超新星スーパーノヴァが動いたんだよな。


 地面に向いている体を、真っすぐに起こそうとする。

 全身が、腰を軸に高速で縦回転を始めた。景色が縦方向に流れゆく。空、校舎、大地を、判別できないほどの速度だ。


 はえーよ! 回りすぎだっての!


 減速し、ゆるりと回転を続ける。頭を上にして止まった。次に横回転を、慎重に行う。校舎の一階部分が、視界を覆った。

 速度を抑えつつ、上昇していく。敢えて見上げない。

 屋上の高度に達して、移動を止めた。フェンス越しに立っている望月さんは、したり顔。


「やればできるではないか」

「押さんでって言ったでしょーがっ」

「押したのではない。蹴ったのだ」

「同じようなもんだよっ」

「そもそも私は、押さないとは言わなかったぞ」


 望月さんは両腕をフェンスに乗せた。押し付けられた両胸が、フェンスの隙間からはみ出る。


 おぉ……。あんなに太い棒が、隠れるほど挟まれてるっ。


「効いたようだな。魔道を使えるまじないが」

「ん、魔道を使える、おまじない?」

「緩菜さんは、交通事故を機に、初めて魔道を使った。即ち、死を予感するほどの危険な目に遭ったことが、引き金になったとも解釈できるだろ。だから私は睨んだのだ。魔道使は、命の危機が迫ることで、初めて魔道を使用可能になるのではないか、とな」

「助かるような魔道だったから良かったけどね」


 望月さんは両腕を下ろして、一歩後退した。


「これで心置きなく、古森君と手合わせできる」

「なっ。何で望月さんと戦わなきゃいけないの」

「明日、学校で侍狼ちゃんを説得する予定だ。無論、君にも同席してもらう。だが私は正直いって、話し合いで解決できるとは思っていない。侍狼ちゃんのことだ、力ずくでも幻銭を奪い、才育園に返そうとするだろう。とどのつまり、侍狼ちゃんとの戦いに備える為だ」

「急いで説得する必要はあるの? 新星さんを元の姿に戻してからでは、ダメなの」

「月曜に学校で話し合いをすると言いだしたのは、侍狼ちゃんの方だ。おととい私の自宅に彼が来た時、最終的にそう告げられ、私も同意した」

「そうか。時間は、限られてるんだね」


 俺はフェンスの上を通過。望月さんと距離を置き、屋上に降り立った。互いに向かい合う。


「戦う前に、一つ聞いていいかな。別に大したことじゃないよ」

「どうした」

「望月さんがジャージの下に着てるのは、もしかして、体操服?」

「あぁ。体操服の上下も含めて、天衣だ」


 望月さんの表情が、若干の恥じらいを醸し出す。


「何なら、屋上から蹴落とした詫びとして、……脱いでやろうか」


 彼女は上ジャージを脱いで、フェンスに掛けた。体操シャツは、襟だけでなく袖も黒で縁取られている。眼前で望月さんが脱衣するという、願ってもない光景。俺は口が半開きになる。

 靴を脱いだ彼女は、一瞬躊躇した後、下ジャージをずり下げた。履いているのは、黒いブルマー。雪を欺く太股が露出する。足を抜いて、同じくフェンスに掛ける。

 豊満な女体をぴっちりと包んでいるのは、地味な体操服といった印象。丁度、万葉高校のものと色違いだ。体操シャツの裾は、ブルマーに納められている。望月さんは身を竦め、上目使いになる。


「これで許してくれるか」


 許した。


「蹴ったことは、もういいよ。ところで、そのブルマーは、メビウスが採用したの」

「そうだ。着帯者の間で、ブルマー派の声が強かったせいらしい」


 意外と人間味溢れる組織だな。


「ちなみに、万葉市内の小中高で、ブルマーが今年度から復活したのは、メビウスの仕業だ」

「そうなの。何で万葉市内だけ」

「着帯者の中には、年頃の娘を持つ者も居る。つまり未着帯者であるヒューマンの少女が、家族に居るわけだ。要するに着帯者たちが、ブルマーの体操服姿となった愛娘を見たいが為に、メビウスの権力を行使して、万葉市内の小中高だけ体操服にブルマーを指定したのだ」

「どんだけ親バカなブルマーフェチだよ、その人ら」

「もしも娘が天道使だったら、天衣を着るのだから事足りる。けれどもヒューマンの娘に、天衣を着てくれと頼んでも、断られるそうだ。着用を義務づけられている、学校指定の体操服だからこそ、ブルマーを採用したわけだ」


 成る程ね。謎が一つ解けてすっきりしたわ。くだらない真相だこと。


「話し込んでいる場合ではない。始めるぞ」

「戦うっていっても、俺は、どうすりゃいいの」

「単純なことだ。私を倒してみろ」


 まいったな。世界で一番、厄介な相手だ。


「俺は、できることなら、君とは戦いたくないよ」

「私も同感だ。この件もあるしな」


 彼女は胸元に、右腕を掲げた。本日も、手首に装着されている。互いに守り合う約束を交わした、形ある証拠の品。時空走中である今、針は止まっているのだろう。


「だがな古森君。誰かを守る為には、強くあるべきだ」


 望月さんは右腕を下げた。左拳から手首までが、分厚い氷で包まれていく。


「私に勝てぬ者では、侍狼ちゃんにも敵うまい」

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