第38節

 籠手の如き形状となった、透明な氷。彼女の白い肌が、透けて見える。左腕を曲げて、手の甲を俺に向けた。


「私が今使っているのは、天道の一種である、ドクシンジュツだ」

「どくしんじゅつって、唇の動きから、話してる内容を読み取る、あの読唇術?」

「いや。独り身の術と書いて、『独身術どくしんじゅつ』だ」

「……何だか切ない名称だね。行き遅れた女性が使うと、悲惨なことになりそう」

「天道使は皆、未成年だぞ」

「肉体年齢が、でしょ」

「他の天道とは異なり、その人物だけが使えるという特徴を持っているから、独身術と名づけられたのだ。未婚の天道使を揶揄する意味合いは無い」

「で、君はその籠手を、どう使うの」

「私の独身術は、籠手などではない。まだ途中までしか氷を成形していないのだ。本来の姿を見せてやる」


 手の甲を中心として、氷が幾何学模様となって放射状に伸びていく。雪の結晶を巨大化させたような形に近い。最も長い突起は、腕と交差する向きで弓なりに伸びた二本であり、肩幅ほどに達した。双方の先端を、輝く弦が結ぶ。クロスボウを思い浮かべる形態だ。篭手と一体化している。


「これが私の独身術、『氷紋機関弓ノーザンクロスボウ』だ」


 やだ何その技名カッコいい。


「ノーザンクロスという言葉を、聞いたことぐらいはあるだろ」


 俺は肯定し、意味は知らない、と添えた。


「北半球の空である北天には、白鳥座がある。中心部で十字に並んだ星が特徴的な、星座だ。片や南半球の空である南天には、南十字座がある。同じく十字に並んだ星が含まれている、星座だ」


 俺が相槌を打って各星座をイメージする中、望月さんは続ける。


「南北に十字型の星々が存在することから、白鳥座の方は北十字星、南十字座の方は南十字星と呼ばれている。その北十字星の別名が、ノーザンクロス。そして十字に交差した形状を持つ、機械仕掛けの弓である、クロスボウ。寒さを連想させるノーザンクロスと、クロスボウを掛け合わせて、氷紋機関弓ノーザンクロスボウだ」


 中二病かメビウス。


「これは余談だが、北十字星やノーザンクロスとは、白鳥座の十字に並んだ部分を指す。だから、白鳥座イコールノーザンクロス、ではない。白鳥座全体を別名で呼ぶ場合は、英語名ならキグナスが適切だ」


 どうでもいい豆知識だけど、誤解されるのは嫌なんだろうな。


 望月さんは左腕を伸ばし、右手で支える。弓が俺に向けられた。弦の中央に、氷の矢が成形される。引き絞る様子が、見て取れた。

 くうを貫く音。射られた矢が、俺の左腕を掠った。後方でフェンスに当たった模様。


「おぉっ。あっぶねー。そんなもん人に向けて撃たんでよっ」

「寝ぼけたことを言うな。戦いは既に始まっているのだぞ」


 弓には一瞬で矢が出現し、再び発射。俺の右頬を掠り、痛みが走る。頬を触った手には、少量の血が付着した。


「今までは、直撃しないように狙って撃った。次は、まともに当てるぞ」


 冗談で言ってるんじゃなさそう。


 三本目の矢が放たれる。目で追えぬ速度ではない。俺は咄嗟に魔道で右横へ飛んだ。勢い余って、危うく貯水タンクの架台にぶつかりかけた。望月さんは攻撃の手を休めない。矢が射られては身をかわしていった末、俺は空中で貯水タンクの陰に隠れた。


「どうした古森君。防戦一方では、私を倒せないぞ」


 こっちは移動するスピードや距離を、まだ巧くコントロールできてないってのに。


 下方から、望月さんの声が聞こえてくる。


「場所を取りしものよ。壊れゆく定めに従順たれ」


 俺は、彼女が唱えだした呪文よりも、自分の取るべき行動に神経を注いだ。


 俺には飛び道具が無いから、相手を攻撃するには、間合いを詰める必要がある。


「万物に極寒を。等しく凍てつき衰えよ」


 だけどさ。殴れってのか。望月さんを。


「減退する延性。加速する脆化」


 第一俺は、他人と本気で喧嘩したことなんてない。


「繋がれし手を引きちぎれ」


 俺は、戦闘の初心者だぞ。


「冬季の六刻・砕花!」


 架台が、下から急速に霜で覆われていく。貯水タンクもすっぽりと白く包まれた。架台が崩壊し始める。貯水タンクが落下。轟音を立てて砕け散り、中に入っていた大量の水が、辺り一面に飛沫を上げて広がった。


 こんなことができる相手を、俺が倒せるのか?


 俺たちの間に障害物が無くなり、俺は見下ろす。無数の破片が散乱している中、望月さんは氷紋機関弓ノーザンクロスボウを下げており、右掌をかざしていた。彼女は全身ずぶ濡れである。


 おいおい、ブラが透けてるよ。……もっと近くで見よう。


 俺は降下し、屋上に立った。望月さんが右手を下ろす。体操シャツが肌に張り付いている。


「古森君からは、戦意を感じない。そんなに私と戦うのが嫌か」

「うん、まぁね」

「私が女だからか」

「それもあるけど」


 一番の理由を、こんな状況では言えないよ。


「私と菫さん以外にも、天道使の女子は多数居るぞ。君は将来、メビウスに命を狙われたら、彼女たちに対しても手を出さないつもりか」

「相手が敵なら、俺は容赦せんよ」

「ほう。とびきりの美人でもか」

「よ、容赦せんもん」

「口だけなら何とでも言えるだろう。せめて私に一撃でも与えてみたらどうだ」

「一撃で、いいんだね」


 はて、どこにしよ。


 彼女の悩ましい姿を見つめる。否応なく、乳房に目が行く。


 あぁ……その大いなる胸に、飛び込んでみたい――

 不意に俺の体が前方へ高速で飛行。望月さんの胸部に、顔面から激突した。


「あぁんっ」


 両乳に顔をうずめた状態で、滑空する。望月さんを押し倒す形で、コンクリートに叩き付け、引きずった末に止まった。彼女の弾力ある柔らかな肌に緩衝され、俺に痛みは無い。

 自身の顔に伝わる、湿っている胸の感触が心地良い。望月さんの呼吸による、腹部の動きを感じる。俺は息苦しさに、上体を起こし、四つん這いになった。彼女の体操シャツの胸元が一部、赤く滲んでいる。俺の右頬から出血している為だろう。


「ごめん。大丈夫、だったかな」

「それでいい。どいてくれ」


 あたふたと身をどけた。望月さんは体育座りになり、濡れている乱れた髪を、右手で整える。

 俺は腰を下ろし、あぐらをかいた。


 まさか実際に飛び込むとはね。俺自身も意表を突かれたわ。


「むやみに戦闘して深手を負ったら、明日に差し支えるからな。今日は、ここまでにしよう」


 彼女の左手を包んでいた氷が、瞬時に全て破砕した。


「戻るぞ」


 直後、俺と望月さんは校門前に立っていた。俺の右手は、彼女に掴まれている。上ジャージから覗く、体操シャツの胸元は真っ白。望月さんの体や、纏っている天衣は、濡れていない。

 手を放した彼女は、学校の屋上を向いた。貯水タンクは元通りの姿だ。ポニーテールが、そよ風に揺らめく。


「時空走中に万物をどう変化させても、時空走をやめれば元に戻る」


 こちらに振り向く望月さん。


「但し、時空走中だった者たちは例外だ。該当者の肉体と記憶は、時空走をやめる直前の状態が引き継がれる」


 俺は右頬を撫でた。手には少々の血が付く。


「だから私は先程氷紋機関弓ノーザンクロスボウを撃つ際、君の回避しやすい箇所を、常に狙っていた」


 立ち尽くす俺たち。道路を行き交う車の音が、騒々しい。


「……俺は明日、活躍できるのかな」

「魔道を使えるようになっただけでも、大きな成果だ。不安なら、あとは自分で腕を上げるのだな。まだほぼ半日残っていることだし」

「望月さんは帰っちゃうの」

「ここ数日は侍狼ちゃんと菫さんと緩菜さんと古森君に時間を奪われて、学校の課題が溜まっているのだ。独り暮らしの学生が暇ではないことを、君も知っているだろ」

「そうだね。じゃあ俺は、独りで修行に励んどくわ」

「言うまでもないが、魔道を使う際は、人目を忍べよ」


 望月さんは天衣のファスナーを閉じて、丁字路を南へ歩いていった。


 図らずも、オッパイ触っちゃったな。望月さんの体、凄く気持ち良かった。


 余韻に浸るのは、早々に切り上げた。辺りを窺い、人や車の通行が途切れるのを待った。

 俺は、校舎を越える高さまで、瞬時に上昇。素早く屋上に降り立った。フェンスの付近を避け、なるべく中央の範囲内で、足が浮く程度の高さを維持し、四方八方へ飛び回る。

 自力で屋上に侵入できるのは、便利なもんだな。



 孤独な修行を夕方まで続けた結果、俺は屋上で仰向けに倒れていた。もはやへとへとである。暫く休んでから、校門前に移動し、バドした。停めてあった自転車に乗り、帰宅。

 夕食と入浴を済ませる。新星さんのケータイは、いつの間にか電池が切れたようで、操作しても画面は真っ暗だった。台所にそびえ立つ、段ボール製の隔離室は、すっかり乾いた。

 居間に干してある、紫の洋服と、白い下着。さながら同棲している気分になる。

 就寝時、消灯後のベッド上にて。新星さんのことを、思い返していた。

 新星さんの画像を保存するか否かで葛藤した件は、記憶に新しい。何せまだ一昨日のことである。

 結局パソコンには保存しなかったが――

 今現在、閉じているまぶたの裏に、喜怒哀楽を見せる新星さんの姿が、再生されている。

 新星緩菜という“名前を付けて保存”してあるのだ。彼女の生き様を。俺の、心で。

 映し出される女子高生は、屈託の無い表情であり、若さに満ちていた。


 始末されてたまるかよ。生き抜いてやる。新星さんを復活させる為にも、幻銭が必要なんだ。


 瀬良木の説得を明日に控え、俺は志気が高揚していた。

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