第36節

 夜が明けて日曜、四月十五日。俺は朝から自宅の居間にて、ブルムの練習に励んでいた。


 明日、瀬良木を説得することになる。奴が大人しく応じるとは限らんだろう。どんな天道の使い手なのかも分からん。下手すりゃ俺に危害を加えてくるかもしれん。俺は、未着帯者の身で、メビウスのことを知ったんだからな。相変わらず魔道は使えてないけど、せめてブルムは素早くできるようにしておこう。


 バドからブルム、ブルムからバド、という動作を、まぶたを閉じた状態で繰り返す。慣れてくると、まぶたを開けたまま、同一の行為を始めた。


 いちいち目ぇ閉じてたら、隙だらけだもんな。


 昼になり、練習を継続しながら、調理及び食事を済ませた。

 今や、目を開けた状態で尚且つ動作しながらでも、ブルムとバドを速やかに切り替えられる。

 台所で食器を洗い終えた頃、玄関のチャイムが、来客を告げた。


 日曜の昼間から俺んちに来る人なんてセールスぐらいだろう。けど一応見とくか。


 俺は玄関のドアスコープから、外を覗く。相手の顔を視認した途端、俺の心は、張り詰めると同時に弾んだ。洗面所に駆け寄り、鏡に映る自分の寝癖を直す。玄関に駆け戻り、呼吸を整えて、バドした。ドアを開く。


「……今日は、何を売りにきたの」

「敢えていうなら、喧嘩を、だな」

「うちは要らないですよ」


 客人は、真っ黒なジャージの上下に身を包んでいる、望月さん。左胸には、むげんの記号を傾けてカタカナのメと組み合わせたようなマークが、刺繍されている。


「いうなれば、今回は押し売りだ。買ってくれるまで、私は帰らないぞ」


 望月さんにしては妙な言動だな。事情があるんだろうけど、まずは昨夜のことを伝えよう。


「生憎、喧嘩してる場合じゃないんだ。俺、丁度君に話がある。入ってくれ」


 俺の様子から、ただならぬ気配を感じたのか、望月さんは玄関に足を踏み入れた。置いてある紫色の靴に、彼女の視線が落ちる。


「む。この靴は、どこかで見たような。誰か来ているのか」


 俺が上がらせる。次に望月さんが目を留めたのは、台所の端にそびえ立つ段ボール箱。


「その箱は、何だ。昨日は無かったよな」

「話ってのは、その箱の中身に関することだよ」


 俺は、昨夜学生寮前で解散してから就寝に至るまでの出来事を、望月さんに語った。


「……そうか。想定外の事態になったな。状況は、把握した。喧嘩は後回しだ」


 彼女は、上ジャージのファスナーを全開にした。襟を黒く縁取られた、白い丸首Tシャツが、隙間から露わになる。裾は仕舞ってある為、胸の膨らみが強調されている。


「俺んち、暑いかな」

「暑くて開いたのではない。このジャージを着て、ファスナーが僅かでも閉じていると、天道使はブルムできないのだ。又、ブルム状態でファスナーを閉じた際は、自動的にバドする」


 望月さんはジャージの左胸にあるマークを、指差しながら、俺に見せる。


「私が今着ている服一式は、天道使の正装だ。天のころもと書いて、『天衣てんい』と呼ぶ。このマークは、メビウスのロゴマークだ」

「今日は何でその、天衣を着てきたの」

「動きやすいからさ。緩菜さんの件で、予定は狂ってしまったが」


 望月さんは、新星さんが入っている段ボール箱の、傍に寄る。本日も普段と同じ髪型だ。


「古森君。私も確認したいから、一番上の蓋を開けるぞ」

「うん。気を付けてね」


 俺はブルムしてみた。望月さんは既にブルムしていることが、彼女の精気で分かる。

 最上段の天面を閉じている布テープが、全て剥がされた。蓋が開かれ、望月さんの精気に、異臭が混ざる。彼女は段ボール箱を傾けて、中をそっと覗き込む。元通りに立てて、蓋を閉じた。

 望月さんは室内を歩き、見回す。彼女の目に、新星さんの私物が数多く映っただろう。


「確かに、緩菜さんらしき人だな。古森君、悪いがテープを剥がした所は、貼り直してくれ」


 俺が済ませると、望月さんに促され、二人で居間に腰掛けた。俺は昨日と同じ席。彼女の席は台所側、つまり昨日新星さんが座っていた位置だ。望月さんは、単刀直入に切り出す。


「あの濃い影の正体はな、元を辿ると――」


 俺は、望月さんの発言に注目する。


「プラントに失敗した、被験者の、成れの果てだ」


 俺は唖然とした。自分の認識では、新星さんが未着帯者である為、理解が追いつかない。


「昨日も言ったが、プラントは失敗する場合もあるのだ。手術のようなものだと思えばいい。成功ならバイオロイドとして生まれ変わり、失敗なら、濃い影のできる無色透明な肉体になる。その状態になった者のことを、メビウス用語で、こう呼ぶ」


 俺が昨夜のことを思い返す中、望月さんは続ける。


「肉体の方は、透ける獣と書いて、『透獣とうじゅう』。映し出される濃い影の方は、かげの獣と書いて、『陰獣いんじゅう』だ」

「新星さんは、被験者じゃないのに、何でその、透獣ってやつになったの」

「原因は、私にも分からない。才育園の外に透獣が居ること自体、前代未聞だ」

「才育園の中には、透獣が居るの」

「研究の為に、一部残してある。隔離室に閉じ込めてな」

「ねぇ、プラントに失敗した被験者ってさ、どんなプロセスを経て透獣になるの」

「プラントが失敗した時点で、被験者は目を覚ます前に、隔離室に運ばれ、閉じ込められる。透獣化するまでは一定の時間が掛かる。その間に被験者が起きたとしても、隔離室は外側から施錠されている為出られない。やがて、独特な香り漂うふんわりとした透獣の出来上がりだ」


 レンジでチンして出来上がりみたいに言うな。


「残されない透獣は、どうなっちゃうの」

「透獣化した被験者の大半は処分されるから、結果的に死亡する」

「残酷だなメビウス……。処分って、どうやるの」

「手を下す者は、研究者ではなく天道使だ。見ていろ」


 望月さんは、両手の親指と人差し指を組み合わせ、長方形に近い形を作り、自分の口元に寄せた。テーブルに向かって、前屈みになる。

 続いて、大きく息を吸い込むような動作。そしてシャボン玉でも作るように、四角の穴へと息を吹く様子が、俺には見て取れた。

 彼女の両手を通して出てきたものは、七色に輝く、光の帯。直線的な虹だ。放った瞬間、テーブルに到達。吹き終えると、光線は消えた。


「私の手から出た、直線的な虹は見えたか」


 肯定する俺。望月さんが構えを解き、両手を下げる。


「今のが、彩りある虹と書いて『有彩虹ゆうさいこう』。天道の一種だ。有彩虹が陰獣に当たると、その透獣が陰獣と共に消滅する。古森君には、実際に消える様を見せたいところだが、緩菜さんを消すわけにもいかない」

「う、うん。無理に実演せんでもいいよ」

「被験者をプラントするのは研究者だが、失敗した被験者を始末するのは、成功した被験者である天道使だ。皮肉なものだろ」

「それにしても、一方的にプラントした挙句、失敗したら殺すなんて、エグいなぁ」

「透獣を必要以上に残しておいても、メリットが無いからな。研究者たちにとっては」

「透獣って、元の姿には、戻せんの?」

「メビウスの科学力をもってしても、不可能とのことだ。透獣化した人間が、元の姿に戻ったという、前例は無い」

「そんな。じゃあ新星さんは」

「古森君。君は、私たちにオテント様という手段があることを、忘れたわけではあるまい」

「透獣を、オテント様で元の姿に戻せるの?」

「さぁな」

「知らんのかい」


 望月さんは、間の抜けた表情を、引き締める。


「昨日も言ったが、幻銭は、現代の一般的な科学を超越した、神秘なる物質だ。科学を超越した方法、即ち正式なオテント様なら、緩菜さんを元の姿に戻せるかもしれない」

「そうだよね。幻銭は無事だから、まだ希望は残ってる」

「昨夜古森君が緩菜さんの元に急行しなかったら、もっと深刻な事態になっていただろう」

「幻銭を財布ごと誰かに盗まれてたかもね。そのギザ十が特別なコインだとは知らずに」

「幻銭だけではない。複数の人間も行方不明になり、騒ぎになっていたかもしれない」

「複数の人間が、行方不明に?」

「古森君は昨夜、陰獣が放った、灰色の光線を見たのだろ」

「あぁ、新星さんの陰が口から出した、真っすぐなモノクロの虹みたいなやつね」

「彩り無き虹と書いて『無彩虹むさいこう』。あれにれると、有名になれるぞ。行方不明者としてな」


 真顔の望月さん。


「要するに、その無彩虹ってのをくらった人は――」

「透獣になってしまうのだ。直後にな」

「死ぬわけじゃないんだね」

「透獣化した被験者は、前述した通り、最終的に殺されるがな」

「そもそも陰獣って、何で無彩虹を吐くの」

「透獣は、周囲にいる人間の元へ近づき、相手の肌に向けて、陰獣から無彩虹を放つ習性があるのだ。透獣の口からは撃てない。陰獣の口元が映っている面だけから、垂直にのみ撃てる」

「じゃあ透獣化した新星さんを道路上にずっと放置してたら――」

「人間が次々と透獣化し、警察には行方不明者として扱われていただろう」

「現場には、新星さんの私物以外の衣服類は無かったから、他の人らは無事だったみたい」

「被害を最小限に抑えられたのは、不幸中の幸いだな」


 天道使が撃つ有彩虹と、透獣の陰獣が吐く無彩虹、か。


「大体さ、透獣から感じる、あの臭い匂いは、何なの」

「あれは、『邪気じゃき』と呼ばれている。透獣が、放っているのだ」

「邪気って、邪悪な気の、邪気?」

「安易な解釈をするな。言葉としては一般的にも存在するが、メビウスでは別の意味で使われている。むしろ、理性を司る気という説もあるのだぞ。あくまでも一説にすぎないが。人間誰しも、邪気を持っているのだ」

「えっ。じゃあ俺にもあるの」

「地球上に存在する全ての、生物や物質に於いて、生存中の人間だけが、精気と邪気の、両方を持ち合わせていてな」

「俺も、邪気を持ってるんだね」

「加齢と共に、邪気は増加していく」

「歳をとるにつれて、けがれてしまうのか。下世話だねぇ」

「生後間もない人間は、精気を一とすると、邪気は一万分の一といわれている」

「赤子は、けがれの無い存在といっても過言じゃないね」

「二十歳の人間は、精気を一とすると、邪気も一だ」

「あぁっ、けがれたっ。大人ってそんなにけがれてるのか」

「二十歳以降は、どちらも変動しない。精気は、生涯を通して、一定だ」

「そうか、心身が成熟へと近づくにつれて、理性が高まる。だから邪気は、理性を司る気っていう説があるんだね。頷けるわ」

「ヒューマンだからこそ、人間であるが故に、邪気を持っているのだ。たとえ赤子でもな」

「バイオロイドにも邪気はあるの」

「天道使は、バド状態なら邪気はあるが、ブルム状態だと邪気がゼロになる」

「俺と新星さんも、ブルム中は邪気がゼロになるの」

「いや。魔道使は、ブルム状態やバド状態を問わず、邪気が一定のようだ。そこが天道使との相違点だな。おととい緩菜さんに接触した侍狼ちゃんは、途中で気づいたそうだ。本人曰く、イレギュラーな作品なのだろう、と解釈したらしい」


 あぁ、瀬良木が新星さんに対して、器用なことしてるって言ってた件か。


「人間は、誰もが邪気を持ってるんだよね」

「生きている間はな」

「昨日学生寮前で見送る時、俺はブルムしてたけど、君らの邪気は感じんかったよ」

「魔道使は別として、基本的にヒューマンは常時バドしているわけだ。バド状態での精気と邪気は、ブルム状態の天道使が意識することでやっと感じ取れるほど、低い。バド状態の天道使も、精気と邪気共に、ヒューマンとの判別ができないほど低く、邪気も歳相応だ」

「それだけ、ブルムしてる時の精気や、透獣の邪気が、高いってことか。ブルム中は、意識せんでも感じたから」

「相手が密閉された空間に居て、自分が外側に居る場合は、互いに精気や邪気を感じ取れないがな」

「透獣って、五感は無いの」

「透獣が持つ感覚は、第六感だけといわれている。第六感によって、ヒューマンやバイオロイドの、精気や邪気を、感知できるのだ」


 話がひと段落する。俺は、透獣や邪気等について、概ね理解できた。


「緩菜さんの件は、以上だ。古森君、バドしろ。出掛けるぞ」

「えっ、どこに行くの」

「着いてからのお楽しみだ」

「何をしにいくの」


 望月さんが腰を上げる。天衣のファスナーを閉じた。


「言っただろ。私は喧嘩を売りにきたのだと」

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