第35節

 俺は、新星さんの影から目を逸らさず、学生寮の二階まで階段を上り切った。


 俺すぐ戻ってくるから、大人しく待っててくれよ、新星さん。


 全身ずぶ濡れで帰宅。玄関のドアを閉めた拍子に、異臭が途絶えた。


 あれ。匂わなくなったぞ。今の俺んちは、ドアや窓が全部閉められてる状態だよな。つまりほぼ密閉されてる空間だ。あの異臭って、空気中を伝うことはできても、固体を突き抜けることはできないのか。


 新星さんの衣類は、脱衣所のカゴに入れた。彼女の財布と、自転車の鍵を、手近な台に置く。

 居間から布テープを持ってきた。続いて、台所の壁に立て掛けてある、物体を見つめる。

 天地を開いて畳んである段ボール箱だ。複数個重ねてあり、サイズは全て同一。今月一日に引っ越しで使用したものだ。古紙類のゴミ収集の日に出し忘れた為、残っている。


 こんなもんで大丈夫なのかねぇ。まぁ、やってみよう。俺は、段ボールの汎用性に賭けるっ。


 新星さんの身長と、段ボール箱の高さを照らし合わせた末、四つ手に取った。布テープと共に、外へ持ち出す。玄関のドアを開けると、やはり異臭を感じ始めた。

 階段の方に戻って駐輪場を見下ろすと、新星さんは目を放す前と同じ様子だった。階段を下り、持ってきた物を駐輪場に置く。

 段ボール箱を一つ広げ、底面の蓋を閉じ、外側を布テープで固定。その箱を立て、二つ目の箱を広げる。上に積み重ね、一段目の天面の蓋と、二段目の底面の蓋を、広げたまま布テープで貼り合わせる。以降、三段目と四段目も、二段目と同様に組み立てていく。最上段である四段目の天面は、蓋を閉じていない。

 準備は整った。天面を全て開いた、牛乳パックに似た形状。新星さんの全身を収納できる体積だ。

 作成した箱を、新星さんの正面から倒した。彼女の足先に、天面側が向いている位置関係だ。


 問題は、ここからだな。丁重に扱おう。


 新星さんの左手側に、俺は両膝をついた。天面側の蓋を持って、うごめく濃い影を見ながら、彼女の頭部側へ、箱を徐々に引きずっていく。箱の内側に濃い影が映ることで、新星さんの肉体が入っていく様を、俺は認識できた。

 腰に置いていた靴は、箱が到達する際、僅かに持ち上げた。彼女の下半身が全て納まると、その靴は取り除いた。

 胸に置いていた靴を、僅かに持ち上げ、箱を頭部側へずらしていく。首元まで入ったが、揺れ動く両腕が箱に引っ掛かり、新星さんは万歳する体勢になった。


 手がはみ出ちゃったよ。そこまで想定してないぞ俺は。箱を起こせば、大丈夫かな。


 右手で浮かせている靴を、左手に持ち替え、新星さんの額付近に真上から右掌をかざす。左手で持っている靴も、取り除いた。現在、新星さんの重しとなっている個体は、俺の右手だけだ。

 箱を引きずり、頭部が納まった。コンクリート上に残っている濃い影は、両腕から先のみ。


 このまま蓋をしたら、はみ出てる両手を挟んでしまうよな。


 俺は深呼吸をした。影を見ながら、自身の両手に、神経を注ぐ。

 箱を天面側から、ゆっくりと起こし始めた。ある程度の角度に達した際、俺の右手は、新星さんの額に届かなくなるので、外に素早く引っ込めた。彼女の両手も、箱の中に入ったことが、影の様子から分かった。地面に対して、箱が垂直に立つ。

 念の為、箱の傍でジャンプして、中身を覗く。濃い影が納まっていることを、確認できた。

 天面の蓋を閉じ、布テープで固定。異臭は消え去った。


 おおおっしゃあ! 新星さん捕獲したぜ!

 やっぱり密閉されてると、匂いが外側に漏れんな。つまりは、天道使に気づかれることもない。この中なら安全だ。よし、俺んちに持って入るか。


 先に、布テープと新星さんの靴を、自室に置いて、駐輪場に戻ってきた。

 箱の全長は、地面から俺の目元辺りだ。両手で抱え、持ち上げる。体感的な総重量は、空の段ボール箱四つ分程度だ。大して重くはない。階段を上り、玄関のドアから通す。濡れているので、台所の端に立てて置いた。もちろん上下の向きは変えていない。


 俺の服も、新星さんのと一緒に、洗濯しよ。


 自分の衣類を全て脱ぎ、洗濯機の中に入れた。新星さんの衣服をカゴから取り出して、各ポケット内を探る。ケータイが出てきたので、財布と同じく台に置いた。衣服の内側からは、下着が上下とも出現。若干動揺したが、状況的に、卑猥な感情は押し殺した。新星さんの衣類も全て洗濯機に入れ、運転開始。洗剤は多めに投入した。

 くしゃみを一つ。俺の体は冷えており、心身共に疲労している。

 風呂場でシャワーを浴びてきた。体をタオルで拭きながら、先刻の出来事を振り返る。


 学生寮を去った後の新星さんに、何が起こったんだろうな。……分からん。今の俺の知識では、理解できないことなのかもしれん。


 居間に入り、他の服に着替えて、腰掛けた。小腹がいたので、テーブル上に残っているお菓子をかじった。力無く噛み砕く。望月さんの散らかした氷は、すっかり水と化している。


 望月さんは、俺んちの方に引き返さず、あのままバド状態で帰ったんだろう。俺は、さっき外に居る間、望月さんの精気を一度も感じなかったもんな。


 部屋の隅には、本日ホームセンターで買った日用品が、袋に入れたまま放置してある。


 これ買ったの今日なんだよな。随分前のことみたいに思えるわ。


 やがて洗濯が済んだ。衣類を居間に干す。新星さんの下着の色は、上下とも、純白だった。


 こんな形で知りたくなかったよ、俺。


 不意に台所の方から、小さなブザーのような音が、一定間隔で鳴り始めた。寄ってみる。ケータイから鳴っており、バイブレーション機能による振動音である、と分かった。


 やっべ……。たぶん家族からの電話だろう。確か新星さんはケータイで、食べて帰るとか、帰りは遅くなるとかって伝えてたよな。困ったなぁ。俺は、出るべきなのか。


 俺が決断しかねていると、振動は止まった。


 また掛かってきたら、どうしよ。


 俺が困惑しているとケータイが、先刻より短い、長さと間隔で、数回振動した。推測できたことは、メールの受信。他人のケータイを無断で覗くのは、気が引ける性分だ。けれども、能動的に、何か行動を起こしたかった。


 ごめんな新星さん。メール、読ませてもらうわ。


 俺はケータイを手に取る。ケータイの操作をした経験は無い。とはいえ、メールを読む点に関しては、パソコンの方で慣れている為、手探りで操作し、該当メールに辿り着いた。一通だけ届いている。

 件名は、“どうしたん”。送信者の名は、女性らしきものだ。苗字は新星。メールを開いて、本文を黙読する。


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 緩ちゃん、今日は彼氏のお家にお泊りなん? まだ高一なんやから、ちゃんと避妊しいよ。もちろんパパには言わへんから。明日、帰りが遅くなるようやったら、連絡してな。


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 かんちゃん、か。母親、だろうな。お気の毒ですが、お宅の娘さんは消えてしまいました。


 ケータイを台に置く。居間に入り、消灯後、ベッドに倒れ込んだ。バドして、眠りに就く。


 意識を失うとバドになるらしいけど、ブルムしてると体に負担が掛かりそうだからな。


 以降、その日俺が知る限り、ケータイは沈黙を保った。

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