第17節 儀式決行! 全ての条件を満たせ
万葉高校に着くと、駐輪場は
屋上への階段を上っていく、俺と新星さん。踊り場を通り、最後の階段を見上げる。最上部の手すりに、もたれ掛かる望月さんが居た。俺たちを見下ろす。
「電車の時刻の関係で早めに来てな。もう鍵は開けておいたから、通れるぞ」
「やったぁ! ついにオクジョ行けるんやな!」
新星さんは階段を駆け上がる。俺も続く。望月さんの傍に寄った。
「ピッキングやとしたら、生で見たかったなぁ。ちょっぴり残念やわ」
「企業秘密だと言っただろ。帰る時は施錠するわけだが、その間は四階に下りてもらうからな。新星さんさんだけではなく、古森君もだ」
望月さんがドアを開ける。光が射し込み、俺たちを照らす。望月さん、新星さん、俺の順で、屋上に足を踏み入れた。俺がドアを閉め、施錠する。
新星さんは望月さんを追い越して前方へ飛び出した。周囲を一望して、両手を突き上げる。
「オクジョやあああああああああああああああああああっ!」
「声がでかいっ。静かにしろっ。おぉいっ、端に行かんでー。外側から丸見えだよー」
俺の声に耳を貸さず、フェンスに駆け寄る新星さん。眼下の景色を眺めだす始末である。
「時間は限られているのだ。さっさとオテント様をして、中に入るぞ」
「望月さん。あの人、嬉しそうだね」
望月さんを見やると、口元を緩めていた。彼女に眠気は無さそうである。
「私も初めて来た時は嬉しかった。小学生の頃から夢見てきた、憧れの場所だからな」
俺と望月さんは、貯水タンクの横を通過し、屋上の中央付近に立った。新星さんを呼び寄せる。
俺は右胸内側のポケットから、満を持して、メモ紙とギザ十を取り出す。
「新星さん。これ読んで、おさらいしてみて」
新星さんはギザ十を片手に、半眼でメモ紙を黙読。暫くして、顔を上げた。
「なぁ。ウチが珠やんのギザ十でオテント様した後、ギザ十を消費するんやから、珠やんは十円損するやんな。ええの? たかが十円やけど」
「じゃあ交換しようか。されど十円ってことで」
新星さんは自分の財布から十円玉を摘まみ出し、俺に手渡した。
「これでこのギザ十は、ウチのもんになったわけやな。あ、この紙あんたに返すわ」
オテント様のやり方が書かれたメモ紙を受け取る。改めて目を通し、ポケットに納めた。
「絵利果は、ウチの願いが変わったこと、珠やんから聞いてるん」
「え、私は知らないぞ。魔法使いになりたいのではないのか」
「フフフッ、ウチがどないな願いを言うか、楽しみにしてるとええわ」
儀式の邪魔にならぬよう、俺は後ずさりを始めた。歩み寄ってくる望月さんは、新星さんの発言が腑に落ちない、といった面貌である。
「望月さん、つかぬことを聞くけどさ」
「何だ、改まって」
「キスしたこと、ある?」
「キス? 未経験だが、急になぜそのような話を」
よおおおおおし!
「もう一つ質問。望月さんって、バージン?」
「唇だけでなく体も、重ねたことは無い」
おおっしゃああ! 処女っ! 望月さんは処女おおおおおおおおおお!
――誰にも渡さない。君の、心も体も。
新星さんとの間合いをとって立ち止まる、俺と望月さん。
望月さんへの懸念は解消された。そしてついにこの時が来たか。長かったなー。初めてだわ、実際にやるとこを見るのは。風は、弱めだな。頼んだぞ、新星さん。
「ほな、やるわー」
「いいよー。落とさんようにねー」
俺は新星さんを見守りながら、オテント様のやり方を、心の中で暗唱する。
太陽に見つめられている時――
新星さんの背景に、輝かしい朝日が昇っている。
学校の屋上で――
白いコンクリートに映る、長く伸びた影。
十代の人間が――
新星さんは真上を仰ぐ。そよ風に揺れる黒髪。プリーツスカートが膨らむ。
ギザ十を――
新星さんの右手にしっかりと摘ままれている、俺がずっと胸に秘めていたもの。
空に向けて放り投げ――
天高く放つ新星さん。
願いを叫び終え――
「AやCしたことあらへん十五歳から十九歳までの日本人を魔法使いにしいやーっ!」
早口な大声が響く、禁断の空間。まだ宙を舞っているコイン。
落とさずキャッチする――
新星さんは、右手一本でがっちりと受け止めた。
…………。
立ち尽くす俺と望月さん。眠気など吹き飛んでいた。けろりとした顔で、新星さんが傍に来る。
「今のとこ順調やんな」
「うん。ここではギザ十を消費できんから、中に入ろう」
「緩菜さん。生憎私は君の願い事が、よく聞き取れなかった。特に前半の内容が」
「はよ言わな間に合わへんもん。実はウチな、おとといから家の近くで普通の十円玉投げて練習してたんよ。叫びはしいひんかったけど、声出しながらな」
今の俺だから分かったものの、予め内容を知らずに、初めて聞いてたら、把握できてないだろう。オテントには正確に伝わったんだろうか。
新星さんは、自身の願ったことを、一段階詳しく望月さんに述べた。
「それにしても、いかなる経緯でそのような願いを」
「自分が魔法使いになるだけじゃ飽き足らず、程良く目立たず希少な存在になりたいんだとさ。日本中の国民を巻き込んでね。説明は後だ」
「古森君は童貞らしいが、キスしたことはあるのか?」
「俺もないよ。新星さんもキス未経験の処女だってさ」
「では三人とも該当するわけか。私たちも魔法使いに……なるというのか」
俺と望月さんが搭屋の方に行こうとしたら、新星さんに呼び止められた。振り返る二人。
「ここでギザ十を消費したら、後で珠やんもオテント様でけるやん」
「ここで? どうやって消費するの」
「例えば、あんたのもんを何かこうたらええやん。その方が、ギザ十を失わへんで済むし」
「そうか、そういう手もあるな。でも、何を買うってんだ」
新星さんの目線がゆるりと下がる。
「その腕時計にしましょ。十円で買うわ」
「ええっ、これは、ダメだ。しかもたった十円かよ」
「あんたがオテント様する時、ウチから十円で買い戻せばええやん」
「うう……。時間が無いしなぁ。分かったよ。もってけ泥棒」
俺は腕時計を外し、新星さんのギザ十と交換した。彼女は自分の買った品を見つめる。
そのギザ十を日没までに消費する――まだ朝だから余裕でセーフだな。
「ウチのオテント様は、これで終わり、やんな」
全ての条件を満たすと願いが叶う――満たした、と思う。たぶん。
「もう魔法使いになったんかな」
腕時計を胸ポケットにしまった新星さん。両手を開いたり閉じたりして落ち着きがない。
「俺たちも対象に含まれてるわけだけど。これといって変化は感じん、よね」
「あぁ。魔法使いといわれても、肝心の、魔法の内容や使い方は、皆目見当が付かないな」
オテント様は、単なるデマなんだろうか。だとしたら、とんだ期待外れだな。
「効果が現れるには、時間が掛かるのかもしれへんやん。例えば、翌日の日の出からとかな」
おどけてみる俺。
「オテント様だけに?」
「うん。オテント様だけに」
新星さんは両手で、握り拳を作って、きりりとした表情。
……むなしくなってきたのは、気のせいですか。
望月さんの願いは、儀式をした翌日以降も叶わずじまいだったもんなぁ。
「ほら、珠やんもやりいよ。物欲とは関係あらへん願い、考えてきたん」
「うん。その件なんだけどさ、望月さん」
「どうした」
「屋上の合い鍵が欲しい、って願いは、無効……だよね」
「そうだな。確かに合い鍵があれば便利だろうが、鍵は物だからな」
「やっぱりダメか。一応聞いてみたんだ」
「ほな、生徒がオクジョへ自由に出入りでけるように、校則を変えればええやん」
想像してみる俺。好ましくない未来が予想できた。
「俺は嫌だな。四ツ葉中出身の人の中には、オテント様を知ってる人も居るはず。万葉高校では、別段噂になってないだろう。だけど出入りが自由になれば、儀式を実行する人も現れる。目撃者も続出する。たとえ俺たち三人が秘密にしてても、いずれ学校中に噂が広まりそうだ」
「却下だな。何度も言うが、オテント様は危険な儀式だ。それに、遊び半分でふざけた願いを叶えてしまったら、世界の秩序が乱れて大変な事態になるかもしれない。屋上が立ち入り禁止なのは、私たちにとって都合が悪いようで良くもあるのだ」
俺は、目の前に居る人が、ついさっき、ふざけた願い事をしたような気もする。
「そやな。オクジョはこのままでええとして、あんた他に願いはあらへんの」
「あるよ。どんな願いかは、お楽しみだ。オテント様するから、離れてくれ」
筧先生を不老長寿にするっていうだけなら、この二人に知られても差し支えんだろう。俺も不老長寿になりたいってことまでは、後で言ってもいいか。
俺は二人に距離を置いてもらった。右手を開く。
十円で願いが叶う儀式、か。
掌に乗っているコインが、日光を受けて輝きを放つ。ぎゅっと握りしめた。
ものは試しだ。やってみて損は無いだろう。
俺はギザ十を掴み直し、空に向けて放り投げた。
「筧先生を不老長寿にしろーっ!」
低めに投げたので、叫び終えてから容易にキャッチできた。
よし、あとは消費するだけだ。
二人の元に寄ると、案の定質問された。
「筧センセって、あの筧センセなん。五組の担任の、べっぴんさん」
「うん。不老長寿になりたいって、入学式当日のホームルームで本人が言ってたんだ。ねぇ」
「あぁ。またしても他人の願いを叶えるのか」
「へぇー。あの綺麗なセンセが、そないなこと生徒の前で言わはったんやぁ」
俺は新星さんの左胸を指差す。
「その腕時計、十円で買う」
新星さんは取り出して、俺に両手で差し出す。
「お買い上げ、おおきにぃ」
ギザ十と交換した。彼女の胸ポケットに入っていた為、心が若干高鳴る。早速、装着した。
「これで珠やんのオテント様も完了やんな。絵利果は願いがあらへんのやろ?」
「今のところな。また気が向いたら、ここに来る。さぁ、下りるぞ」
望月さんがドアの方に歩き出す。彼女の後ろに、俺と新星さんが横並びで続く。
「あんた、何で筧センセの願いを叶えたん」
「オテント様で不老長寿になれるのかっていう、丁度いい実験台だから」
「ちゅうことは、あんた不老長寿になりたいん」
「将来はね。まだ十五歳の肉体だから、その願いを叶えるのは当分先の話だ」
「不老長寿なぁ……」
二人の会話が聞こえていたようで、望月さんが振り向く。
「そういうことなら、望みの時期になれば、私が手伝ってやるさ。いつ頃する予定だ」
「高三の終わり頃。ねぇ、その時は、望月さんも不老長寿になってみない?」
「……考えておく」
「ウチも考えておくわ」
「新星さんもかよ。いいよ、みんなで不老長寿になればいいさ。ま、さっき願った二つのことが、本当に叶ったのか定かじゃないけどね」
ドアをそっと開けて、俺たちは中に入り、閉めた。望月さんがドアの前に立つ。
「では二人とも、四階に下りてくれ。私は今からドアを施錠する」
指示に従う、俺と新星さん。四階の階段前で、望月さんが来るのを待つ。
「このギザ十、財布に入れてたら、気づかずに使ってしまうかもしれへんな。……そや」
新星さんは財布からレシートを取り出し、ギザ十を包んで、財布の小銭入れに納めた。そのアイデアに、俺は唸る。
「紙に包むとは、考えたな。俺はそのギザ十、懐に入れてファスナー閉めてたけど、夏場はブレザー着んもんなぁ。財布に入れてる方が、季節を問わず、持ち歩きやすいか」
「肌身離さず持っておくわけやあらへんわよ」
望月さんがゆっくりと下りてきた。ドア前での様子は、今回も窺い知れなかった。
「ところで珠やん。素朴な疑問があるんよ」
「何でしょう」
「オテント様って、いわゆる神様なん。それとも天使みたいな存在なん」
「さあねぇ。望月さん、どうなの」
「私も知らない。単に太陽が関係あるから、そのような儀式名になったとも考えられる。仮にオテントという名の者が居るとしたら、むしろ悪魔のような存在かもな。……人の欲望を叶えるわけだから。最悪の場合死ぬ、という点を合わせ持っている儀式だしな」
「いやぁああっ。おぞましいこと言わんといてよ」
「俺たちは、一歩間違えたら死ぬ儀式を、さっき済ませたばかりなんだよね。実感が無いわ」
「ホンマに効果があるんかなぁ」
「魔法については確かめにくいけど、筧先生の方は、話を聞けば何か分かるかもしれん」
階下からは、登校してきた生徒らの物音。望月さんがケータイを取り出して、画面を見やる。
「まだ始業時刻までかなりあるが、長居は無用だ。解散しよう」
各自の教室へ向かう。新星さんの願いの経緯について、望月さんに詳細を解説する俺だった。
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