第18節 叶ったのか? 二つの願い

 朝礼が始まり、俺は筧先生の容体を見澄ます。凛々しさ。艶めかしさ。見飽きない美貌。


 不老長寿になった、のか? 全然分からん。普段通りの筧先生だぞ。



 結局その日、担任教諭に対して、異変は看取できなかった。放課後早々、五組の教室に新星さんが手ぶらで登場。まだ筧先生の姿がある。新星さんは、帰り支度中の俺に問い掛けてきた。


「どやったん。筧センセ、何か言うてはったん」

「異常は無いみたい。いつもと変わらん」

「儀式をしたことは、本人に伝えたん」

「声を潜めろ。そもそも生徒の立ち入りは校則違反なんだから、まだ言ってないよ」

「ナスビちゃん、どうしたの。珠夜君と何の話してるんだい」


 隣に座っている阿部が、首を突っ込む。


「うっさいわ。童貞は黙っててー。邪魔やから話し掛けんといてー」

「つれないこと言うねぇ。同じ中学のよしみじゃないか」

「中学が一緒で、偶然三年間同じクラスやったからってな、幼馴染面するのも大概にしいよ。小学生の時は別々のガッコやったやん」


 そうなんだ。正直、ちょっと阿部が羨ましい。瀬良木ほどじゃないけど。


「珠夜君と、やけに仲いいんだね。一緒に登下校することもあるって聞いたよ」

「あっ、筧センセっ。質問質問っ」


 阿部を無視して、新星さんは、教室から出ようとする筧先生に挙手した。


「六組の、新星さんよね」

「はいそうです。ウチの名前もう覚えてくれはったんですかぁ、嬉しいわぁ」


 俺の席の前方で会話する両者。身長差は頭一つ分ほどある。俺は黙って見守る。


「筧センセは今日、体の具合どうですか。違和感とかあらしませんか」

「体の違和感……。そんなことを聞かれるということは、私、顔色でも悪いのかしら」

「そ、そうですな。念の為病院に行かはるべきですよ。珠やんもそう思うやろ、なぁ」


 俺に振られてもね。だけど旨く誘導できれば、シメたものだ。


「えっ、んーと、健康診断を受けてみるのも、悪くないかと」

「そうやんな! この際徹底的に診察してもろた方が、筧センセの為やんな!」

「心配してくれるのは嬉しいけれど、わたしは至って健康よ」


 やや困り顔の筧先生に、新星さんは食い下がる。


「筧センセにもしものことがあったら、彼氏が悲しまはるんやないですか」

「先生にはそういう人居ません」


 自己紹介の時、筧先生は、四大卒業したばかりって言ってたな。仮にAとCが未経験だとしても、十代を過ぎてるから、魔法は使えんだろう。彼氏が居ないってのは、耳寄りな情報だ。


「少なくとも六組の男子には、筧センセのファンが何人か居るみたいなんですよっ。彼らを悲しませてもええんですかっ」

「考えすぎじゃないかしら。あなたの発言こそ、違和感があるわよ」

「珠やんも、悲しむやろ」


 そりゃあイエスかノーで答えるなら、迷うまでもない。


「……うん」

「まあっ、古森君もわたしのことを?」

「えぇっ、いえ、そういうわけでは」

「筧センセ。ここは珠やんに免じて、お医者はんに診てもろておくれやすぅ」


 筧先生は、肩の力を抜いたように微笑む。


「……そうね。古森君に勧められては、先生も嫌とは言えないわ」


 なぜそうなる。俺が特別な存在でもあるまいし。


「明日にでも、病院に行ってみるわ。行き付けのところがあるのよ」


 筧先生が教室から出ていく。お大事に、と告げる新星さん。


「やったやん。思いがけない誘導作戦が、大成功したなぁ」

「出任せじゃないといいんだけどね」

「何が成功したのだ」


 荷物を背負って寄ってきた望月さんに、新星さんが耳打ちする。俺には全く聞き取れない。


 こんな時だけ小さい声でしゃべりやがって。ちゃんと事実を伝えてくれよ。


 女同士の内緒話が終わった。望月さんは、冷淡な口調で呟く。


「行き付けの病院、か……」


 望月さんは廊下に出て右折していった。あっさりとした反応に、新星さんは拍子抜けした面貌だ。


「ホンマ、顔立ちとは裏腹に、可愛げのあらへん子ぉやな」

「望月さんの悪口は、やめろ」

「不老長寿や魔法使いっちゅう、とんでもない存在が、近々現れるかもしれへんのに、やけに落ち着いてはるなぁ、絵利果って」

「非現実的なことには、あまり興味無いんだろうか」

「あんたが大金欲しいって言うた時は、“ロマンより安定を採るか”って批判してたのに」


 望月さんの発言部分は、ものまねをした新星さん。関取のような声に、俺は吹き出した。俯いて目を閉じるほどである。似ていないのに、笑いが込み上げてくる。


 自らロマンチスト宣言したぐらいだ、儀式の危険性を再三に渡って忠告してる点も含めて、少なくともオテント様のことを信じてるのは確かだ。本人の願いは叶わんかったけども。


「冷静沈着な私カッコええ、とでも思ってるんかな」

「望月さんは何考えてるのか分からんところがあるよ。でも、ナルシストじゃないわ」

「何よ。あんたは絵利果を庇うん。根拠でもあるっちゅうの」

「きっと違うもん。俺はそんな気がするもん」

「珠やん。説得力あらへんわよ」

「新星さん。さっきから阿部が俺らの方じーっと見てるから、続きは帰りながら話そう。教室では人が多くて話しにくいしね。只でさえ新星さんがそこに居ると目立つんだよ」


 呼び止める阿部を相手にせず、俺と新星さんは廊下に出て右折した。

 新星さんが六組の教室に入り、荷物をまとめる。廊下側から四列目、最後尾の席だ。後ろ側のドアから眺める俺は、無意識のうちに瀬良木の姿を探していた。


 瀬良木は居ねーな。望月さんと帰ったんだろう。


「コモリン、どげしただ」


 教室内から御手洗さんが歩み寄り、見上げてきた。背中越しに、桃色のリュックが見える。


「新星さんを待ってる」

「ニボシ? あの子と知り合いか」

「人を干物みたいに呼ばないであげて」


 御手洗さんが頭を横に傾ける。ツインテールの描く曲線が、左右非対称に。


「ふーん。コモリンはニボシの肩を持つだか」

「深読みしすぎだよ」

「まったく。モッチーといい、あんたといい、お盛んなことだわ」

「そんな関係じゃないって。ん、望月さんの方は、瀬良木のことか」


 頷いた御手洗さんは、手招きしながら廊下に出た。俺は興味心から付いていく。前庭側の窓際に寄った。

 突如、御手洗さんの右手にネクタイを掴まれ、下方に引っ張られた。喉から一瞬奇声が漏れる。互いにしゃがむ格好となった。彼女は下半身を窓側に捻っているので、俺はパンツを拝めない。


「なぁ。コモリンは、モッチーとジローのこと、――どこまで知っとる?」


 目線を近づけて密談する為のようだ。御手洗さんは、厳めしい眼差し。口を真一文字に結んでいる。

 望月さんと瀬良木の関係は、おととい聞いたばかりだ。図書室にて望月さんから釘を刺された件は、記憶に新しい。


《相手が古森君だから言ったのだ。もちろん、このことはトップシークレットだぞ》


 どこからどこまでなら、伝えても差し支えないのか、俺は判断に迷った。

 睨めっこの勝敗がついたように、彼女の険しい表情が和らいだ。


「意地悪な質問だったかいな。答えにくいことなら、無理に言わんでもいいで」


 手を放した御手洗さんが、先に立った。俺は、彼女を見つめながら、膝に手を添え、ゆっくりと腰を上げる。


「帰るけん」

「お、おう。御手洗さんは、望月さんとは帰らんの」

「だって……邪魔したら悪いがな」

「そげですか」

「そげだわい」


 ツインテールが反転し、御手洗さんは廊下を進んでいった。

 不意に俺は、右隣に来た人物から、話し掛けられた。普段より、どすの利いた声。


「たーまやーん……」

「あ、新星さん。帰ろう」


 新星さんは、いぶかしげな顔。


「さっき菫と話してたやろぉ。どないなこと言うてたぁん」

「御手洗さんは空気が読めるってことだ」

「……怪しいわぁ。菫はあんたの何なん」

「俺の母さんの知り合いだとよ」

「えっ。あんたのお母はんと? どないして知り合ったん」

「本人に聞いてくれ。俺にも教えてくれんのだ」


 校舎を出て駐輪場へ歩く、俺と新星さん。


「ねぇ新星さん。六組の男子に、瀬良木侍狼って人、居るでしょ。話したことある?」

「今まで、ろくに会話してへんなぁ」

「教室の席は、君の右隣でしょ。瀬良木って、どんな人」

「物静かな奴、って印象よ。まだ一週間目やから、よう知れへんわ」


 クラスが別々だと、分からんことが多くて、やきもきするなぁ。


「そういえばウチ、昨日の放課後、瀬良木が絵利果と一緒に帰ってるとこを見たわ。あの二人、でけてるんやろか」


 御手洗さんの時とは違って、意味深な問い掛けじゃないから、無難な範囲で言ってみるか。


「望月さん曰く、幼馴染で、毎日一緒に登下校して、昼メシも共に学食で食う仲だとさ」

「怪しいやんなぁ。男女でそないなことするなんて」


 通学に関しては、僕と君も、度々ご一緒してますけど。


 俺たちは自転車に乗り、校門前の丁字路を右折した。視界の空に、太陽が映る。


「なぁ珠やん。一つ気になってることがあるんやけど、聞いてもええかな」


 俺は質問を受け入れた。新星さんの視線が、俺の左腕付近に送られる。


「あんた何で、女向けの腕時計してるん」

「……気づいてたのか」

「えぇ、屋上で買った時にな。間近で見たらすぐ分かったわ。女向けのデザインやもん」

「この腕時計さ、本来は、値段の付けられん物なんだ」

「ちゅうことは、やっぱり」


 俺は、自身の腕時計と、亡き両親の関係について、新星さんに明かした。


「……すまんかったなぁ。ウチ、そうとは知らずに、十円でこうてしもうて」

「気にせんでくれ。直後に買い戻すことが分かってたからこそ、俺も承諾したんだ」

「ウチな、買った直後は腕に付ける気やったんよ。そやけど受け取って見た途端、ひょっとしたら形見の品かもって思たから、やめておいたわ。ウチはこのアイテムを装備でけへん、したらあかん、するべきやない、無関係のウチが装備するのを、神が許さへんってな」

「どんな伝説の防具だよ」

「その腕時計は、世界で珠やんだけが装備することを許されるんよ」

「神が云々ってわけじゃないけど、ちなみにこの時計、太陽電池で動いてる」

「いやぁ。オテント様の力が宿ってるんやな!」


 科学的な意味じゃあ、間違いじゃない。


「十五年以上前からね」

「年っちゅうたら、筧センセ、不老長寿になったんかなぁ」

「仮に、もうなってるとしよう。だとすると新星さんの願いも叶ってる可能性が高い。かといって、魔法の使い方が分からんよね」

「難儀やなぁ。……普段の状態では使えへんのかな。変身でもするんやろか」

「ほう。では見せてもらおうか。変身とやらを」

「んんっ。んんんん……」


 新星さんの、必死に変身しようとする気持ちは、感じ取れた。


「ともあれ、新星さん。明日から二連休だから、魔法使う方法を、各自で模索してみよう」


 彼女は息が上がっている。その様は、見習い魔法使いが特訓に励んでいるようだ。


「そやな。せっかく、オテント様、したんやもん。絶対、魔法、つこてやるわ」


 新星さんの眼差しは、真剣そのものだった。互いに、口数が少なくなる。

 やがて学生寮前に差し掛かった。俺が減速する。


「じゃあね新星さん。無茶すんなよ」

「あんたもなー。ほな、さいなら」


 ようやく休みか。今週どんだけ長いんだよ。でも楽しかったわ。悲しいことも、あったさ。

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