第二章 覚醒

第16節 珠夜は語る! 生い立ちから将来まで

 あくる朝、四月十二日の木曜。上空に雲は点在するが、日は射している。登校時、後方から俺を呼ぶ声がした。自転車で追いついてきた新星さん。彼女はご機嫌な顔で、隣を走る。


「やっと晴れたなぁ。今日オテント様でけそうよ」


 俺は人差し指を立てて、自分の口元にやる。


「声がでかいよ。周りに人が居る時にその話するなら、もうちょい小さめでね」

「絵利果に頼んで、昼休憩にでも開けてもらおか」

「昼間はダメだよ。オテント様のことだけじゃなくて、屋上に忍び込むこと自体、周りにバレるわけにはいかんから。人の少ない放課後にした方がいい」

「オクジョで叫ぶんやしなぁ。そやけど、日没までにギザ十を消費しいひんと死んでしまうんやろ。放課後の、例えば夕方頃に儀式したら、残り時間が少ないから危険やんな」

「万が一ということもあるか。かといって、土日祝は校舎閉まってるらしいからなぁ」

「あっ、ええこと考えた」

「名案でも浮かんだの」

「万全を期すなら、早朝にするっちゅう手もあるやんな」

「成る程。早朝なら人が少ないし、残り時間に余裕ができるね。賛成だ」

「決まりなぁ。今日はもう遅いから、明日にしましょ」

「明日の天気はどうなんだろう」

「昨日見た予報では、確か晴れやったわよ」

「よし。明日の早朝に決行だ。はて、うちの学校って、開門は何時だっけ」

「入学案内に、七時って書いてあったやん」

「よくそんなこと覚えてるね。じゃあ七時半頃に、一棟屋上へのドアの前に集合しよう」

「うん。絵利果には、あんたが頼んでおいてな」



「というわけなんだ。明日その時間に来てくれるかな」

「断る」

「えええええ」

「冗談だ。しかしな、はるばる四ツ葉町から出向くことになる、私の身にもなってみろ」


 望月さんは平然とした物言い。始業前の、五組の教室にて。

 俺は、望月さんの席の前方で、机に両手を掛けてしゃがんでいる。


「ほんとごめん。今朝、急に決めたことでさ」

「問題無い。普段よりも早い便の電車で来ることにする」

「じゃ、明日の七時半頃ね」

「古森君。一番大事なアイテム、忘れずに持ってきてくれよ」


 望月さんは親指と人差し指で輪を作り、示した。掌の向きは真上。俺も同じ仕草をする。


「あー、これね」


 輪を作ったまま掌を彼女に向けて、OKサイン。

 自分の席に戻る。望月さんとの会話に関する、阿部の問い掛けは、適当にあしらった。




 明けて金曜、四月十三日。自宅の、八畳ある洋室の居間にて、俺は朝食のパンをかじる。天候を確認する為に、カーテンを開けようとした時、玄関のチャイムが鳴った。


 誰だ、こんな朝早くから。


 俺は上下のスウェット姿。玄関に忍び寄り、ドアスコープから外の様子を窺う。客の姿を見るなり、着替えようか迷った。チャイムが再び鳴ったので、構わずドアを開ける。


「おはようさん」

「おはよう。どうしたの急に」


 訪問者は、制服姿の新星さん。普段より若干まぶたが重そうだ。


「あんたが寝坊しはらんように、起こしにきてあげたんよ」

「そりゃどーも。仕度するから、ちょっと待ってて。あ、入っていいよ」


 俺はノブから手を放した。新星さんはドアを開けたまま、玄関前で立ち尽くしている。


「あんた、女の子を入れるからって、変な気ぃ起こさんといてよ」

「そんなに警戒するなら、外で待っててもいいよ」


 彼女は、不安げな面持ちで玄関に入り、ドアを閉めた。


「ごめんやすぅ……」


 食べかけのパンを牛乳で胃袋へ流し込んだ。居間に入り、着替え始める。洗面所に行き、鏡を見ながらネクタイを結ぶ。普段、朝の歯磨きをしない俺だが、今日はすることにした。

 部屋の間取りは一K。玄関との位置関係で、洗面所の鏡に、新星さんの姿は映らない。


「なぁ珠やん」


 新星さんは玄関内に居るようだ。俺は振り向かず、鏡を見ながら歯を磨く。


「あんた、何で学生寮に住んでるん」


 理由を簡潔に説明する。歯ブラシの動きを止めたのは、満喫の頭文字を発声する時だけ。


「ふぅん。家族と離ればなれで、寂しくないん」

「もう慣れたよ。俺、独りで居るのが苦にならんもん」

「両親は心配してはるやろぉ」


 ……。


 俺の生い立ちについて、伝えていく。唇を閉じずとも、マ行とバ行とパ行を含んだ言葉さえ使わなければ、案外まともに発音できるものだ、と些細な発見があった。淡々と言った軽い口調に反して、内容は重いものである。


「……堪忍なぁ。ウチ余計なこと聞いたな」


 状況からして新星さんの表情に興味はあったが、敢えて振り向かない、俺だった。


「いいんだよ新星さん。全然気にせんでいいよ」


 あーあ。だから嫌なんだよ、両親の話するの。家庭環境云々じゃなくて、相手に気を遣わせてしまうことになるから嫌なんだ。この空気どうすんの。俺がどうにかすんの?


 歯磨き完了。制服、腕時計、リュック、スニーカーを装着して、玄関のドアノブを握る。


「いざ」と声を掛ける俺。

「行こか」と返事する新星さん。


 外に出て施錠。階段を下りる。本日は、雲一つ無い晴天に恵まれた。


「よーし、絶好のオテント様日和だ」


 駐輪場から、新星さんが自転車を出した。色は、スニーカーやソックスと同じく、紫。


 こんな色のチャリどこで売ってんだよって感じだわ。まぁ探せばあるだろう。


 俺と新星さんは、万葉高校へ自転車を漕ぐ。普段の通学時間帯より、交通量は少ない。


「珠やんは、両親が亡くなってから、どないして生きてきたん」


 遠慮無く聞いてくるか。構わんさ。その方が新星さんらしいわ。


「俺の爺さんと、二人暮らしだったよ。婆さんは病弱だったから、俺が生まれる前に亡くなったそうだ。その家が、三ツ葉町にある。両親のことや、俺の生い立ちについては、爺さんから聞いた話によるものだ」

「ふぅーん。あんた三ツ葉町に居たんや。そやかて、独り暮らしって大変やろ。わざわざ学生寮に住むなんて」

「正直、爺さんとの二人暮らしが嫌だったわ。祖父と孫じゃあ、話題や価値観とかも合わなかったし。俺、田舎自体が嫌いだし。大黒の方がまだ都会だし。学校近くなるし。そもそも、万葉高校を選んだ決め手は、学生寮があるからだもん」

「……一見我がままを言うてるようにも聞こえるけど、裏を返せば、自立したいっちゅうことやんな。世の中には、親の脛かじって生きてはる人がたくさん居るんやから、その歳で保護者から自立したがる珠やんは、大人やなぁ」

「おだてたって、何も買ってやらんよ」


 第一俺は、他人に奢る金銭的な余裕なんて無い。歳とるにつれて、人付き合いにも金が掛かってくるしな。だから余計に、他人と接することを敬遠しがちなんだろう。

 俺にとって一番大事なものは、自分の命。生きていく為には金が必要。他人の命より、自分の財産が大事だ。守銭奴上等! 備えあれば憂い無し。細く長く生きてやる。


「家賃とかの生活費は、どないやりくりしてるん」

「両親が居ない関係で、国から手当が多少は支給されてる。けれど食っていけるほどの額じゃないから、足りない分は爺さんに出してもらってるよ」

「バイトでもしたらええんちゃう?」

「えー。やだ。めんどくさい」

「あんたのお爺はんにとっては、それでも可愛い孫なんやろな」

「独り息子を亡くしたもんだから、どうも俺を息子のように育てたふしがある」

「お父はんの交通事故のこと、聞いてもええかな」

「何なりとどうぞ」

「どないな事故やったん」

「父さんは歩行者でね。相手の飲酒運転が原因で、車にはねられたんだ。即死だとさ。おかげで俺は、酒は当然のことながら、寿命を縮めるタバコ、更には世のおっさんどもが三点セットで愛好してるギャンブルも、忌み嫌うようになったわ」

「健全なのはご立派やけど、あんたまだ高一なんやから、適度に息抜きしたらええわよ。辛い過去の分も含めてな。花の高校生活やもん、楽しまな!」

「もちろんだ。国からの手当が出るのは高校生までだし、卒業後は就職予定だ。俺にとって学生としての生活は、高校が最後。だからこの三年間には特別な思いがある」

「将来はどないな仕事したいん」

「できることなら、働きたくないです。やるなら、せめて楽しい仕事がしたいです」

「あんたにでける楽しい仕事って、例えば何なん」


 返答に困った俺は、言葉を濁した。


「ちなみに結婚願望は、あるん」

「んん、無きにしもあらず、ってとこかな。只ね」


 俺の歳で結婚観を話すのはどうかと思うけど、ついでだから言ってみよう。


「この人とは絶対離婚しないだろうな、って相手じゃないと、結婚なんてせんよ」

「大半のカップルが、そう思って結ばれるんやろうけどな」

「ところが、世の中には離婚する人が多いわけで」

「別れる理由はどうであれ、二人の間に生まれた子ぉが、気の毒やなぁ」

「そう、結婚したらやがて子供ができる。俺の生い立ちはさっき言った通りだから、わが子を、自分と同じような目に、遭わせたくないんだ。両親が揃ってない家庭で育つ子供の気持ちは、同様の家庭で育った人が、一番良く分かってる」


 ま、俺の場合は、どっちも居ないからもっと悲惨か。保護者は居たけどさ。


「珠やん……。この三年間、思いっきり遊びいよ。問題行動しいひん程度にな」

「うん。今から校則違反をしに行くんだけどね」

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