第3節 立ち入り禁止! 学校の屋上へ行こう
ホームルームが終了し、以後は放課となった。黒板の文字を消す筧先生。生徒らは帰宅の準備を始める。気の合う仲間と打ち解けようとする者。教室の後方で保護者と会話する者。少ない荷物を緩慢な動作で、黒いリュックに入れる俺。本日、俺の保護者は来ていない。出席を控えるよう、予め自分が諭した為だ。視界の窓側が気になって、横目で窺う。
教室から出ようとする筧先生の姿。一人の女子が追って呼び止めた。望月さんである。
「筧先生、つかぬことを伺いますが」
望月さんと筧先生は、丁度俺の前方で立ち止まり、会話を始めた。
「うちの学校は、屋上に生徒が行けますか?」
「屋上? 生憎わが校では、生徒の屋上への立ち入りを禁じてるわ」
「どうしても入れないのですか」
「ドアは施錠されてるし、正当な理由がない限り無理でしょうねぇ」
二人を見比べると、筧先生の方が長身だと分かる。彼女が履いている、低めのヒール靴を差し引いてもだ。座った状態で見上げる俺。薄めとはいえ化粧している筧先生の隣に立つと、化粧っ気の無い望月さんの顔が幼く見える。
「望月さんは、屋上に行きたいの?」
担任教諭の問いに、少女は小さな声で肯定した。更に筧先生は尋ねる。
「理由を聞いてもいいかしら」
「……他愛のないことです」
筧先生は流し目で口元を緩め、教室を去った。俯き加減で席に戻る望月さん。我に返る俺。
今のツーショット、会話の内容よりも二人の美貌に気を取られてしまったわ。
Uターンしてきた望月さんの背には、青いリュック。俺の前を通過し、教室から出ていった。
望月さんもか。三年余り前までは小学校のリュック背負ってたんだろうな。想像しにくいわ。
美しき女性二名が去った、教室内を見渡す。五組生徒の約半数、二十名程度が点在する。
断続的に張り詰めていた緊張の糸は、既に切れていた。蘇った睡魔に、俺のまぶたが頭部ごと下へ引っ張られる。逆らうことをやめ、卓上のリュックに両腕を乗せ、顔を伏せた。
もぉー眠い。今帰ったら新星さんと顔合わせるかも。何か話し掛けてくるのかな。望月さんともお話する機会があったりして……いやいや、無いだろ。そう都合良くあるもんか。俺は今、性欲よりも睡眠欲を満たしたい。居眠り運転では危険だしな。ここで仮眠をとろう。
本日二度目の起床。周囲を見回す。もはや残っているのは俺一人だ。腕時計の針を見て、思わず吹き出した。壁掛け時計もチラリと確認。示している時刻は、どちらも二時前。
誰も起こそうとしなかったんだろう。まだ外は明るいから、午後だな。
リュックを背負い、廊下に出て右折した。一年五組の教室から最短距離で昇降口へ向かう際、必然的に一年六組の教室前を通過することになる。
通り掛かると、前側のドアが開いていた。歩みを止め、教室内を覗いてみる。案の定、無人。
新星さん、教室ではどんな様子だったのやら。
各学年とも八組まである。続けて七組と八組の各教室内を、開いているドアや窓から眺めながら、廊下を進む。一見して、人影は無い。閑散とした中、自分の足音が際立つ。
新星さんどころか、俺以外の生徒全員帰ったみたいだな。保護者の人らも居ないわ。
階段に差し掛かり、下りようとした際、ふと立ち止まった。右斜め上に顔を向ける。
視線の先には、上に続く階段。午前中にも見かけたが、緊張と落胆の為、意識しなかった。
この校舎って四階建てだよな。四階の上に続いてるってことは、屋上への階段か。そういや、教室で望月さんが筧先生と話してたな。屋上に行きたいって。だけど立ち入り禁止らしい。
その場に佇む。好奇心をそそられた。他人の居る気配が無い状況では、尚のこと。
ドアには鍵掛かってんだよな。でも気になるわぁ。よーし、行っちゃお。
なるべく足音を立てずに、階段を駆け上がる。中間の踊り場を通過。最後の階段を上り切り、踊り場に立った。突き当たりにドアが。片開き戸だ。窓は無く、ノブが左側にある。
これが屋上へのドアか。初めて見るわ。俺が通ってきた学校の校舎は、小中ともこんな構造じゃなかったもんな。屋上に続く階段自体を見かけんかった。だから自由に出入りできんどころか、一度も屋上に行ったことがない。
漫画やアニメで、よく学校の屋上に生徒が屯してるけど、俺には違和感があった。なぜ生徒が屋上へ自由に出入りできるんだと。都会の学校では当たり前の光景なんだろうかって。屋上への階段ってどこにあるんだよ、どっかスイッチ押すと隠し階段が出てくるのかよって言いたいぐらいだった。うちの高校は、ドアの前まで行けるだけでもまだマシか。
だから俺にとって学校の屋上はファンタジーといっても過言じゃない。禁断の空間なんだ。
鍵閉めてあるんだろうけど、ダメ元でやってみよ。
ノブに手を掛けようとした。その時――
ドアから、鍵を開閉するような金属音が鳴った。
うわっ、先生かな。見つかったらまずいかも。
突然の出来事に、手を引っ込めることしかできず、一歩も動けなかった。ドアが外側へ開く。日光が差し込む中、相手の姿を捉える。
俺、寝ぼけてんのかな。
ドア越しに対面したのは、望月さん。彼女が初めに一瞬見せた表情は、女子便所に入ろうとしたら男子便所だったうえ、小便中の男子と目が合った、という感じだ。
「望月さん……」
「……古森君」
俺の名前覚えてくれてたんだ。自己紹介で奇しくも目立ったことが功を奏したか。
彼女は左手でドアを開けたまま、右手で手招きする。
「ひとまずこちらに来てくれ」
「え、うん」
俺は屋上へ足を踏み入れる。すぐに望月さんがドアを閉め、施錠した。屋上側にはサムターンが付いている為、手で回せば鍵を開閉できる。
彼女の後ろ姿。ポニーテールを束ねている、赤い髪ゴム。まだ背中にはリュック。
帰ったんじゃなかったのか。どうやって侵入したんだ? そしてなぜ屋上に招いた。
望月さんは、俺の方に体ごと向いた。軽く腕を組み、落ち着いた口調で問い掛け。
「君は、なぜドアの前に来ていたのだ」
彼女を眼前にして、俺の意識は、相手の容姿に誘引される。
間近で並ぶと、縦にも横にもでかく見えるな。俺よりは背ぇ低いか。俺が男子の平均より少し高め程度だから、女子にしては望月さん高い方だろう。むっちりしてるな。ふくよかだぁ。
「古森君? 聞いているのか」
「あ、ごめん。何でそこに来てたのかっていうと、んーとね」
初めはうろたえる俺だったが、やがて決意した。
正直に打ち明けよう。望月さんに、嘘はつきたくない。
俺は、教室で望月さんと筧先生の会話が耳に入ったこと、その際決して盗み聞きしたわけではないことを強調、睡眠不足の為に教室で仮眠をとったこと、下校する際屋上への階段に気づいたこと、自身は学校の屋上に行った経験が無い為、個人的に一層興味が湧いたことにより、現在に至る――という経緯を、度々吃りながら告げていく。
相槌を打つ望月さんは、納得したのか、又は共感したのか、表情の僅かな変化を時折見せた。前髪の隙間から覗く、太すぎず細すぎず濃い眉が、凛々しさを醸し出す。俺は一息ついた。
新星さんほどじゃないけど、望月さんも目ぇでけーな。顔の可愛さは甲乙付け難いわ。髪がロングでストレート、身長高め、大人びた顔という点で、望月さんの方がより俺好みだなぁ。直毛の方が、清純且つ正統派美少女って感じだもん。それに俺、大人っぽい人に惹かれるわぁ。
こっちも聞きたいことがたくさんあるけど、どこから突っ込めばいいのかね。
「俺はてっきり、望月さん、というか他の生徒はみんな帰ったと思ってた」
「私も、自分以外の生徒は下校しただろうと踏んでいたのだが」
計画性のある、行動だったみたい。
「望月さんは、屋上で何してたの」
「……まじないだと思ってくれればいい」
彼女は視線を逸らした。顔にはうっすらと困惑の色が窺える。
「おまじない、ねぇ。どんなの」
「秘密だ。ところで、君が先程四階に居た時、誰かの声が聞こえたか」
「声? いーや。寝てた時は知らんよ。大体さ、そのドア、元々は鍵閉まってたんだよね」
「あぁ」
「望月さんが開けたの」
「……そうだ」
「どうやって」
望月さんは黙り込んでしまった。回答は得られない。彼女の表情が曇っていく。
うーん。そう簡単に事情を話すわけにはいかんってか。言いにくいことなのかな。隠されると余計気になるがな。かといって、このまま問い詰めるのは、いかがなものか。
「俺は別に、立ち入り禁止の屋上に入った君を、とがめる気は無いんだよ。現に自分も来ちゃったんだし」
そうなんだよな。ついに来たんだ。僕は今、禁断の空間に立ってるんだ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます