第2節 不老長寿になりたい女教師! 筧未咲
県立万葉高校の門を突っ切る。昇降口にて受付を済ませる際、新星さんとはクラスが別だと判明し、俺は落胆した。うな垂れる暇も無く、彼女と共に、集合時刻寸前で体育館に駆け込む。檀上側の椅子には新入生一同、後方の椅子には保護者らが座っている。本日、上級生は不在だ。
厳かな入学式が開始。初めて耳にする万葉高校の校歌も、校長の話も、うわの空で聞く。
俺が五組で、新星さんは隣の六組、か。正直、残念でならない。
式は滞りなく終了した。体育館に集合だったので、生徒たちは各自の荷物を持って、一棟の教室へ向かう。一年生の教室は全て四階だ。三階には二年生、二階には三年生の教室が並ぶ。
階段を上る、ブレザー姿の行列。俺の足取りは重い。
一年間、平日は毎日四階まで上り下りするのか。ちょっとした修行だな。
自分のクラス、一年五組の教室に入った。教卓に、人だかりができている。覗いてみると、座席表のプリントが一枚。黒板にその旨が記されている。着席していく生徒たち。どうやら男女混合の出席番号順だ。俺の席は廊下側、右端から二番目の列で、一番前。
しぶしぶと自分の席に座り、リュックを机に掛けた。息を凝らし、教室内を見回す。
知らん人ばっかりだ。
登校時の昇降口にて俺とはクラスが別だと知った際の、新星さんの表情が、脳裏をよぎる。
どことなく寂しそうに見えたのは、気のせいかな。……いや、うぬぼれるのはやめとこう。新星さんモテるだろうから、俺のことなんて只の同級生としか思ってないだろうよ。
もしも同じクラスなら、さぞや刺激的な高校生活になってただろう。来年度に期待しよ。
財布を取り出し、小銭の中からギザ十を探した。一枚だけギザ十があったので摘まみ出す。これこそが間違いなく、新星さんから受け取った十円玉である。矯めつ眇めつ観察する。
この十円玉を手放すのが惜しくなってきたわ。財布に入れてたら使ってしまいそうだな。
右胸内側のポケットがファスナー付きだと見取り、ギザ十を大事に仕舞った。
黒板に視線を定めて頬杖をつく。入学式の緊張感からは解放されたせいか、昨日夜更かしをしたツケが、回ってきたようだ。何しろ昨夜は不安と期待と緊張等で、あまり眠れなかったのだ。睡魔に襲われ、重いまぶたをこじ開ける。始業時の鐘が鳴った。
前側のドアから、担任と思しき女性教諭が登場。多少ざわついていた教室内が、静まる。
黒いスーツに包まれた、大柄な女体が、俺の前方を通り過ぎていく。教卓に着いた。左胸にコサージュ。彼女が、合図して皆を起立させた。礼をして着席する生徒一同。
教諭は入学祝いの言葉を投げ掛けた。続いて黒板に三つの漢字を、掌サイズの文字で横書き。
「今日からこのクラスの担任を務めます、
美しい。という言葉がまっ先に連想される、容姿と立ち振る舞い。俺が感じた、筧先生の第一印象である。漂う大人の色香。檀上の淑女は、落ち着いた口調で語り始めた。
筧先生曰く、担当科目は理科。四大卒一年目の新米なうえ、この四月に赴任してきたばかりであるにも関わらず担任を務める羽目になった為、至らない点もあるのは大目に見てほしい、という意味合いの内容を、上品且つ爽快に伝えた。
俺が出会ってきた歴代の女性教師では、ぶっちぎりで一番綺麗だわ。しかも若いしスタイルいいし。髪を後ろでまとめてるのは、入学式だったからかな? 普段の髪型はどうなんだろう。
次に、生徒たちが出席番号順で、自己紹介をすることになった。筧先生は付け加える。
「名前や出身中学とかだけじゃなくて、自分の夢をみんなの前で打ち明けてみましょう」
拒否を示す声が、多数の生徒から上がった。戸惑いの言葉も聞こえてくる。筧先生が手を叩く。
「はーい、ざわざわしない。夢といってもね、現実的なものじゃなくてもいいですよ。非現実的な夢でも構いません。欲望むき出しで語ってみてください」
生徒の一人が挙手し、担任教諭の夢が何なのかを尋ねた。筧先生は目つきを鋭くして答える。
「わたしの夢はね、不老長寿になること」
どよめく教室内。筧先生は生徒らの反応に表情を緩めて続ける。
「フィクション作品なんかで、よく不老不死になりたがる人が出てくるでしょ。でも不老不死だと、死ぬことができないわけよ。形あるものはいつか壊れる。地球もいつの日か消えて無くなる。その時不老不死の人間はどうなるのか。独りきりで宇宙空間を永遠にさまようことになるのか。想像してみると怖いでしょう。だからわたしは死ぬ自由を奪われたくない。かといって歳はとりたくない。そこで不老長寿に憧れるわけ。以上、先生の非現実的な夢でした」
語り終えた筧先生は生徒らに、夢についての考えをまとめる、時間を与えてきた。
筧先生の夢には、実に共感できる。そりゃあ俺は死にたくない。でも不老不死になりたいとは思わんからな。不老長寿の方が、何かと都合がいいだろう。
歳をとらないってことは、劣化しないわけだ。不老長寿の美女が居たら、付き合うに値するよな。尤も、居るわけないし、俺自身が不老長寿になれるわけでもない。
人間は老化する生き物だ。男はもちろん、どんな絶世の美女も、老いれば劣化する。
歳食った女性芸能人の、全盛期の姿を、ネットやテレビとかで知ることがあるよな。かつてどんなに若々しく美しかった女性だろうと、いつしかオバサンを経て、やがてお婆さんになる。人間って、容姿のピークが短すぎるわ。バランス考えろ。
リアルの女性に対しては、結婚願望が無いも同然だな。
そりゃあ、お互いが若い頃は、幸せだろう。さぞかし仲むつまじい新婚生活だろうよ。けれど、いつまでも若さは保てんよ。歳には勝てんのだ。面食いな俺は、老けていく女性と、生涯を共にするなんてまっぴらだ。
性欲は自分で処理する。家電も娯楽も充実してる。俺にとっては、結婚なんて割りに合わん。
金さえあれば、大抵のことはできる。結婚しないなら、モテる必要も無い。だからモテる為のオシャレとかに金を費やさんでもいい。その浮いた金を趣味に回せば、俺の生活は更に充実するわけだ。
できることなら、一生遊んで暮らしたい。俺の稼ぎでは、宝くじでひと山当てるとかでもしなきゃ、夢のまた夢だな。たとえ不老長寿になったって、生きる為には結局、金が必要だ。
「あまり難しく考えなくていいよ。ささやかな夢でもいいんです。要はみんなの人柄がいかなるものかを知りましょう、ということです。では、自己紹介をしてもらいます」
筧先生は教卓の椅子に腰を下ろした。右端の先頭の生徒から順に立ち、名前に加えて出身中学校や、趣味、特技等、そして夢を交えて語っていく。俺は体を右側に向けて、各人の顔を眺めつつ聞く。次第に高鳴る鼓動。
俺には、生き続けること、欲を言えば、一生遊んで暮らすという非現実的な夢がある。一方、現実的な夢もある。どっちを言うかは俺の自由なわけだ。……何て言うべきかな。
俺の番となった。起立して、口を開く。
「古森た」まで言った瞬間、すかさず筧先生が横槍を入れる。
「あ、みんなの方を向いて言おう。せっかくなんだから」
俺は黒板に向かって喋り始めたことを、恥じた。後ろを向く。視線の送り先に迷った。
更に、筧先生が口元に両手を当てて、声を響かせる。
「おーい、よそ見してる人も、みんなの自己紹介ちゃんと聞いてあげてー」
あっ、余計なことをっ! 注目されるがな! よりによって俺のターンの時に。
「古森珠夜です。三ツ葉中出身です。僕の夢は」
迷うことなく言い放つ。
「夢中になれるものを見つけることです。よろしくお願いします」
早くも疎らになりつつある拍手の中、腰掛けた。ひとまず胸を撫で下ろす。
クスクス笑ってる人がちらほら居たな。ウケを狙って言ったんじゃないのに。むしろ黒板に喋って指摘された時がピークだったな。
生徒らの自己紹介が続く。夢の発表に於いて悪戦苦闘する者が、後を絶たない。
もしもうちのクラスに新星さんが居たら、あの人がどんな夢言うか、想像が付くわ。今頃は新星さんも自己紹介してるんだろうな。言われなくても自分から夢を大発表してそうだ。
窓側、左端の列に順番が回った。一番前の席に座っていた生徒が、起立する。俺の位置からは他の生徒らに遮られて死角になっていたので、初めて姿が見えた。女子である。
大人びているが、微かにあどけなさも残る、整った目鼻立ち。後頭部の真ん中で束ねられた、直毛の黒髪。頬と耳の間を切り裂き、宙に垂れ下がる後れ毛。凛とした表情。女子にしては比較的背が高めのようだ。全身が、仄かにふっくらとしている。
やだ可愛い……! どっちかといえば綺麗系か。あんな人居たんだ。もっと近くで見たいな。
少女は教室の中央付近を向いて、下腹部で両手を組む。やや低めな、澄んだ声色を披露した。
「
クラスの女子の中で、一際目を引く。彼女が自己紹介したことで、張り詰めた空気が教室内を満たしたようにすら感じる。
小さく疎らな拍手の中、俺は大きめの拍手をした。彼女は一瞬こちらを見て、着席。
うちのクラスも捨てたもんじゃないな。望月さん、か。座ってると俺の席からは見えんがな。
四ツ葉中出身ってことは、四ツ葉
痩せたいらしいけど、見た感じ、さほど太ってなかったぞ。少なくともデブじゃない。ぽっちゃりしてる。察するに、女の子ならではの、デリケートな夢なんだろう。
あ、もうすっかり眠気が覚めてるわ俺。
やがてクラス全員の自己紹介が終わった。担任教諭がしとやかに立ち、再び話し始める。
筧先生もほんと綺麗だわぁ。それが故の不老長寿願望かもな。彼氏居るんだろうか。
数人、生徒らが、教室の後方を振り返る。俺が向くと、保護者らが入室していた。
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