禁断のメビウス ~十円で願いが叶う儀式~

安田有稲

第一幕 十円で願いが叶う儀式

序章 紛失したコイン

第1節 魔法使いになりたい少女! 新星緩菜

 研究所の一室にて、不穏な空気が漂う中、彼と二人きりで、立ち話をしていた。


「『幻銭げんせん』を紛失しただと?」

「はい。申し訳ございません」

「なぜ無くなったんだ」


 重い口調で、事情を話した。


「何たることだ……。これは我が組織にとって一大事だよ。謝って済むことではない。どうしてくれるんだ」


 深々と頭を下げ、重ね重ね謝罪した。


「顔を上げたまえ」


 上体を起こす。その顎に、彼は手を添えた。


「詫びとして、体で払ってもらおうか?」

「そんな……。奥様がいらしゃるのに」

「冗談だよ。悪かった。僕も鬼ではないから、君の今後については、考えておこう」

「ありがとうございます」


 彼は手を放して、腕組みをした。


「問題は幻銭だ。あんな物がもしも一般人の手に渡ったら、探し出すのは困難だよ」

「おっしゃる通りです。一見、どこにでもあるコインなので」

「ちなみに君は、今回の件を、園長えんちょうに伝えたのかい?」

「いいえ、まだです」

「また彼女に叱られるだろうね、僕が」

「……同行致します」

「いや、君は来なくていい。僕は園長に、紛失したことだけ話すよ。真相を伏せて」

「園長は、納得して頂けるでしょうか」

「案ずることはない。僕を誰だと思っているんだ」

「では、お任せ致します、帯長たいちょう

「いいか? こういうことにするんだ。君は今回の件に関わっていない。そして真相も知らない。君に協力した者も含めてだ。分かったね?」

「了解致しました。ご配慮を感謝致します」


 再び頭を下げた。彼が呟く。


「今頃、どこにあるのかな、幻銭は」

「落とした場所は万葉ばんば高校の付近なので、生徒が拾った可能性もあります」

「万葉高校か……。面白い巡り合わせだ」


 彼は、遠い目をして、淡々と語る。


「たとえ生徒が拾ったとしても、そのコインが特別な物だとは、知る由もないだろう――」



 ――――――――――――――――――――

 その後、約一ヶ月が過ぎた。本日、万葉高校では入学式が行われる。

 新入生の中に、とある男子が居た。

 どこかの組織から特別なコインが紛失したことなど、全く知らない、単なる一般人だ。

 ――――――――――――――――――――


 高校生活初日の朝、俺は着慣れないブレザーの制服を纏い、自転車を漕いでいた。

 四月にしては朝から気温が高めなので、俺は喉が渇いている。登校の途中で、道沿いに飲料の自動販売機を見つけた。飲み物を買うことにした俺は、自転車を停めたのだった。

 自販機の前には、先客の女子高生が一人居る。後ろ姿だ。彼女の後方に並んで待つ。

 前方の女子高生は、やけに手間取っている。

 ――幾つか、気になる点があった。

 少女の手によって硬貨投入口に潜った十円玉が、釣り銭の取り出し口に音を立てて落下する。それを取り出して、また投入する、という動作を彼女は繰り返しているのだ。何度やっても自販機の判断は覆らず、表示されている三桁の投入金額は、一向に変わらない。

 少女が上下運動する度、緩やかなウエーブのかかったセミロングの髪が、しなやかに揺れる。

 小銭を取る際、前屈みとなる為、俺の視線は彼女の下半身へ誘われた。


 使えんみたいだな、その十円玉。あのー、パンツ見えそうですよ。これで顔がお気の毒な人だったら、俺のトキメキを返してもらおう。


 見覚えの無い後ろ姿な為、どこの誰なのかは不明だ。彼女が着ている制服は、常盤色のブレザーに、グレーチェックのプリーツスカート。俺と同じく、万葉高校の新入生だろう。

 地方都市であるここ万葉市に於いて、各校の制服は、学ランとセーラー服が主流だ。俺の通う万葉高校では、今年度の新入生から男女ともブレザーになった。他にもブレザーを採用している高校は存在するが、市内では少数派。男女両方となると、更に限られる。


 目立つんだよ。他の高校もブレザーにすればいいのに。

 制服に限ったことじゃないけど、どうも田舎という所は変化を嫌うんだろうな。いわゆる、古き良き日本を、好むのか。奇抜な考えを持つ人は、奇異の目で見られる。右へ倣えの精神が尊重される。個性よりも協調性ってか。伝統とか文化とかを大事にしたいんだろうよ。

 俺は田舎のそんなところ、嫌いだわ。型に嵌めた生活で、人目ばかり気にしながら死んでいけば、人々は満足なのかね。


 辺りは車や通行人の往来する住宅街。他校の生徒らも、徒歩や自転車で行き交う。


 あ、女子のセーラー服は、無理に変えんでもいいわ。俺は結構好きだ。んー、でもブレザーだと大人っぽくていいんだよなぁ。中学生じゃなくて、いかにも高校生っ、て感じがするし。


 先客は財布の中を探り始めた模様。背丈は俺の顎の辺り。俺は一歩右側に移動して、気づかれない程度に観察する。どうやら他には十円以上の小銭や千円札を切らしている様子だ。財布から一万円札が覗く。しかし生憎この自販機が扱う紙幣は、千円札だけのようだ。


 粘るなぁ。どいてくれんと俺も買えんがな。どうしよ。


 見ず知らずの人に話し掛けるのは、抵抗がある。相手が女子では、尚更だ。


 黙って突っ立ってんのか俺は。この人たぶん困ってるぞ。見て見ぬフリすんのか。

 ――こんな調子で三年間過ごすのか?


 俺は高校を卒業後、就職する予定。つまり学生としての生活は、この三年間が最後となる見込みだ。

 俯くと視界には、グレーチェックのズボンと、よごれ一つないスニーカー。中学三年間で使い古した、リュックとスニーカーは、先日捨てた。


 ……リュックと靴を買い替えたのは、ボロくなったからだけじゃない。形からでも新たな自分になりたいって思ったから。万葉高校を志望したのは、学生寮があるから。学生寮に住むことを選んだのは、独り暮らしを満喫したいってのもあったけど、実家を出て自立したかったのも理由の一つ。

 普段余裕かましてるけど、将来に漠然とした不安を抱えてる。面倒事は避けるか後回しにしがちな、自分の怠け癖が気掛かりだった。例えば夏休み。毎年八月三十一日は宿題に忙殺された。人付き合いに消極的なのは、億劫だからってのもあるけど、苦手だからって面も大きい。こんな人間性じゃあ、社会に出たら、苦労するのは目に見えてる。要するに俺は――。



 このまま年老いていくのが怖かったんだ。



 いつかどこかで勇気を出さなきゃって。

 高校生活で、何か新しいことしたい。人として、成長し自立できそうなことを。夢中になれるものがいい。それを通じて他人と触れ合う機会が増えれば、ひと皮むけるかもしれん。


 少女は先程と同じ動作を再開している。俺は一歩後ろまで寄った。彼女の上体が起きるタイミングで、自分の財布から十円玉を差し出して話し掛ける。


「すみません」


 彼女は、微かな震え声を放ち、肩を竦ませて素早く振り返った。視線が合う。


 ――ぁすんげー美人。ていうかそんなに驚かなくてもいいじゃないですか。


 特に印象的なのが、大きな両目。突然の問い掛けであり、相手が見知らぬ男子な為に、見開いているのだろうか。少なくとも、目の輪郭自体が、並外れていることは明白だ。


「何や、びっくりしたぁ。後ろから急にぼそっと話し掛けんといて」


 彼女の口調は、少々訛っている。万葉市の方言とは異なる。


「あの、良かったらこれと交換しませんか」


 少女の視線が、俺の差し出した十円玉へと下がる。狙撃手が銃で照準を合わせるように、手から、制服、顔、という順にゆるりと見上げて、艶やかな唇を開いた。


「あんた童貞なん?」


 俺は右手が宙に固定された状態で、死体の如く固まる。


 質問の意図が分からんけど、嘘をつく必要はあるまい。同級生だから、タメ口でいいか。


「うん」

「えええええなあああああ」


 宝くじの一等当選者を羨むような表情で、少女は声を上げた。

 お互い、右手に十円玉、左手に財布を持ったままである。


「童貞なのが何でいいの。第一、君は女子でしょ」

「だって童貞が三十歳になったら魔法使いになれるっちゅうやろ」

「それはネット上で語り継がれてる都市伝説でしょ。作り話だよ」

「童貞の魔法使いが居いひんっちゅう、証拠でもあるん? もしあるならウチに見しいよ! この童貞!」

「でかい声で童貞童貞言わんでよっ。周りに聞こえるがなっ」


 周囲の交通量は多い。話し声に振り向く人らが、俺の視界に散見する。再度少女の問い。


「あんた何歳なん」

「まだ十五」

「ほんでも折り返し地点は過ぎてるやん。ええなぁ。童貞なんやなぁ」


 高一なんだから過ぎてて当然だろ。経験の有無は別として。


「大体な、何で童貞だけ魔法使いになれるんよ! 男ばっかりズルいわ! ウチも魔法使いになりたい!」

「んなこと言われても知らんよ。女として生まれてきたメリットだって、あるんじゃね」


 極めて容姿端麗な少女の口から、童貞という言葉が出る。俺は、この状況にも興奮した。


 さっきからトキメキが止まらないっ。あれ、まてよ。


「もしかして、君は処女、なの?」


 調子に乗って我ながら大胆なこと聞いてしまった。


「え、えぇそうよ。処女でも三十歳になったら魔法使いに……なれるかもしれへんやろ」


 へぇ。処女なんだ。……。いかん、表情に出すな。エロい妄想すんな!


「ところでさ、この十円、交換せんの」

「あぁ、童貞君のならお願いするわ」

「名前みたいに呼ばんでよ」


 まるで、俺が童貞じゃなかったら断られてたような言い草だな。


 少女も右手を伸ばす。華奢な手が、光沢のある十円玉を摘まんでいる。


「これギザ十やから使えへんみたいなんよ。最近の自販機は偽金対策か何か知れへんけど、シビアにしすぎやわ。ギザ十はれっきとした通貨やのに」


 お互いの十円玉を交換すると、少女は嬉しそうに告げる。


「おおきにー」


 彼女の眩い微笑みに対し、俺は口が半開きになる。その間、少女は缶ジュースを購入した。

 受け取った十円玉の縁を目すると、五十円玉や百円玉と同じく、細かい溝がある。


「ほんとだ。久々にギザ十見たわ。何か、昔の十円玉にしては、やけにピカピカだな」

「たぶん前に持ってた誰かが、綺麗にしたんやろ。ほんで、あんたは買わへんの」

「買うよ。そもそも君の後ろに並んでたんだよ、俺」


 ギザ十は財布の中へ。同じく缶ジュースを購入し、その場で飲み始めた。ようやく喉の渇きが癒される。飲みながら少女の横顔に視線を移すと、目の前の光景に、一旦口を離した。

 日光を受けてほんのり茶色に染まる髪が、風になびいて肩を撫でる。一定のリズムで踊る、潤い溢れる唇。通った鼻筋の描く曲線は、一国の王女さながらの気品を漂わせる。潮の満ち引きのように、まぶたの溝が消えては再生。大きな瞳に、いかなる景色が映るのか。

 美少女が出演する、飲料のテレビCMを見ている感覚に陥った俺は、暫し呼吸を忘れた。

 閉じていないブレザーの隙間に目が行く。ブラウスを突き出している胸は、先月まで中学生だったとは思えないほど、膨らみがある。


 でかいな。天は二物を与えたってか。


 缶を逆さにして飲み干した少女は、手を下げて、沈黙。感じる視線。俺は、自分が飲み終えるのを待たれている気がした。急いで喉に流し込む。途中でむせた。その有様に対して彼女は、含み笑い。憎めない表情が、俺に愉快な苛立ちをもたらした。共に、空き缶を分別箱へ。


「何でじっと見てたの」

「その制服、実物を見るのは、ウチ初めてやもん」

「確かに俺も、女子のは君が初めてだ。学校案内のパンフレットに映ってただけだから」

「あんたも万葉コーコの一年、やろ」

「うん。制服見ただけで、うちの高校って分かるよね」

「名前は何ていうん」

古森こもり珠夜たまや――というもんです」


 目をぱちくりさせる少女。まぶたの動きに効果音が付きそうだ。


「あんたのことは、たまやん、って呼ばせてもらうわ」


 かつて俺を、初対面でそこまで馴れ馴れしく呼ぶ女子は居なかったな。新鮮だし、良かろう。


「あぁいいよ。君は?」


 少女は、風に舞う前髪を掻き上げて、名乗る。


新星にいぼし緩菜かんな。制服っちゅう名の法衣を纏った、けがれのあらへん十五歳よぉ」


 誰かこの人を魔法使いにしてやってくれ。


 新星さんの目は依然として、驚いているような大きさだ。


 これでも普通に開いた状態かよ。くっきり二重のぱっちりおめめって、憧れるわ。


 ふと彼女は、ポケットからケータイを取り出す。視線を画面に落とした瞬間、眼球が、こぼれそうなほど露わになった。


「いやっ、もうこないな時間やわ! はよ学校行かなあかん!」


 反射的に、俺は左腕を胸元に振り上げた。腕時計の分針が、笑えない方向を指している。


「やっべ。初日から遅刻したらシャレにならん」

「一緒に行こ。あんたも自転車なん? 急ごうや!」


 彼女は傍に停めてあった紫の自転車に乗り、一足先に飛び出した。俺も後に続く。

 風を切る新星さんの、うねった黒髪が、激しく舞い踊る。マントのように広がる、ブレザーの裾。自分と同じく彼女がリュック派であることに、些細なことだが親近感が湧いた。


「珠や―んっ。はよいやー」


 彼女が振り向いて声を上げる。俺は加速して追いつき、並走する形となった。


 女子と一緒に登校するのは、小学生時代の集団登校以来だな。しかもこんな美少女と。



 ……しかしまぁ、今でこそ輝いてる新星さんだけど、やがては年老いて劣化するんだろうな。そうと分かってても、動揺してしまうわ。いくら理性で性欲を抑えようとしても、体は正直なんだな。所詮俺も単なる雄か。悲しいな、男のさがってやつは。

 この胸のトキメキは何だろう。只ね、恋と呼ぶには物足りんのだわ。確かにすげー可愛いよ新星さん。巨乳だしな。けれど、付き合いたいとは思わんよ。劣化するのが分かってんだもん。

 彼女の思想には、難ありみたいだし。

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