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笹本メディカル医院  診療棟 特別室 ~小野さくらの病室~


 千草は、診療棟と研究棟の両方で仕事を行う。

 そして、空き時間がほんの少しでもあると、この部屋を訪れる。

 さくらは、20年前からずっと想いの欠片かけらの中にいる。

 ただ、眠っている様にしか見えない。

 外見も、この病室へ運ばれて来た当時のまま、全く変わらない。

 彼女だけ、時が止まったままだった。


 彼女のベッドは、特別製だった。

 強化ガラスで覆われ、中は特殊なガスを充満させている。

 身体の老化を進行させない為のものだ。

 そして、身体には沢山の医療機器が繋がっている。

 人工的に作った画像を、実際にさくらが経験した事と錯覚させ、想いの欠片かけらとして、脳内へ送り込んでいる。

 脳の活動を、ある程度休ませない様にし、生命を維持している。

 自力で活動させられない代わりに、人工的に刺激し、脳神経が死んでしまわない様にしている状態なのだ。

 だが時々、画像データが脳へ大きな負荷をかけ、心肺機能へ影響を与えてしまう事がある。

 そのせいで、容体を急変させてしまう事も起こっていた。

 医療技術は、昔に比べれば飛躍的に発展した為、問題は起こらなかったが、工学技術を多様した『想いの欠片かけら』の技術が追いついていなかった。

 さくら専任のチームを組み、常に傍で診療をする話も上がったが、千草が全て却下した。

 さくらの診療は千草が専任で、それも一人で行うと謂いだした。

 勿論、この医院と研究所の運営を管理している経営陣からは、反対意見が出た。

 千草はその猛反対に対して、しかも相手は経営陣だったが、臆する事無く、意見を曲げなかった。

 自分の意見を全て承諾しないなら、さくらを連れ、自分の研究データも全て持って、自身で開業すると謂いだしたのだ。

 それともう一つ、彼らを凍りつかせる様な事を口走った。


「例の、世間で噂されている削除Deleteに関するについても、情報と証拠を持っています。」と。

 そして大きな封筒から、少しだけそのとやらの写真と資料の幾つかをひらひらとチラつかせ、口の端を歪めて微笑んだ。


 その微笑みは、悪魔のでしかなかった。

 経営陣は青ざめ、一様に口を閉ざした。

 その提案と謂うか、もはやが、千草の狙いだったのも直ぐに理解出来た。

 つまりこう謂う事だ。


「お前達の地位も名誉も、失墜させるだけのスキャンダルを握っている。寝首をかかれたくなかったら、大人しく自分の提案を受け、さくらには今後一切干渉するな。」と。



 千草を指名の外来患者数や、削除Deleteと想いの欠片かけらに関する症例・実績データを失う事。

 何より一番の恐怖は、の件を表沙汰にされ、全てを失うのは、余りにも代償が大きすぎる。

 経営陣の全ての人物が、まさに、苦虫を噛み潰した様だった事は、謂うまでも無い。

 けれど、彼らにもプライドがあった。

 千草からしたら、薄っぺらいプライドだったが、敢えてそこは見て見ぬフリをしてやったのだろう。

 経営陣側からも提案があった。

 千草一人では無く、自分達が選出した助手を、一人だけ付ける事と、今までどうり、診療・研究も引き続き行う事が交換条件として出された。

 そして選出されたのが、ましろだった。


 千草は、自分が経営陣側だった場合、同じ事をするだろうと容易たやすく想像出来た。

 助手の選出も、確実に自分達の手駒の一つでしかない人物を選ぶだろう。

 きっとそいつは、何かしらの弱みを握られている。

 表向きは助手として。

 本当の目的は、監視と報告役として。

 についての証拠も、本当に掴んでいるのかを含み、探らせる気だろう。

 必要ならば、何の躊躇も無く、自分事削除Deleteする手筈てはずも整っているはずだ。

 何もかも全て理解した上で、これ以上、金勘定しか頭に無い、な輩と会話する事が耐えられず、あっさり承諾した。

 削除Deleteと想いの欠片かけらの診療と研究を、今までどうり行いながら、さくらの容体も常に管理していた。

 その為に、千草の持ち歩く端末には24時間・365日、さくらの医療機器のデーターが連動して送られて来ている。


 こんな生活を千草は20年続けている。

 そう、さくらをに連れて来たあの日からずっと。

 経営陣達とも、腹の探り合いと駆け引きを、それこそ文字どうり命がけで続けて来た。


「今日も顔色がいいな。君がここへ来てから20年も経ったんだな・・・君はいつまでも綺麗なままだ。俺は、こんなに歳を食ってしまった・・・」と、自傷気味に微笑む。

 おもむろに、さくらを覆っている強化ガラスを解除し、ベッドのかたわらへ腰を下ろす。

 そして、ほんのり紅の差すさくらの頬を、愛おしそうに、そっと指でなぞる。


「あぁ、大丈夫だ・・・温かい。・・・ちゃんと生きてるんだな・・・」


 千草はまだ学生だった頃から、さくらの持病の事は知っていた。

 千草は、無名の学生の頃から、今の経営陣達に目をつけられていた。

 彼らは、初めから千草の研究は利益の高いになると踏んでいた。

 だから、卒業と同時に予定だった。

 千草が何の為に、誰の為に医療と工学技術の研究を進めているのかも、勿論事前に調査済みだった。

 間違いなくさくらが、彼のアキレス腱になると踏んでいた。


 前例のない医療と工学技術の研究は、莫大な資金が必要になる。

 幾らあっても足りないくらいなのだ。

 その辺の事も、腹黒い連中は考慮済みだった。

 国の要人も取り込んだ。

 案の定、利害の一致する相手は引く手あまただった。

 経営陣達は、正直、笑いが止まらなかった。

 着々と準備は整い、後はの時に備えて、千草を人身御供ひとみごくうとして、備え付けるだけだった。

 

 千草が、卒業を間近に控えたある日。


「お~い笹本~。学長が、今すぐ学長室へ来いってよぉ~何?お前、卒業間近のこの時期に、ナンかやらかしたのかぁ?ヤバくない?」

「えっ!!何だろう・・・あぁ・・・研究費の使い過ぎの件かな・・・」

「いや、ウソ・ウソ。冗談だってぇ~真面目だな~オレならまだしも、笹本が卒業出来なくなる様な事、ある訳ないだろ?ほら、続きやっとくから、早く行って来いって。」

「あぁ・・・冗談か。脅かすなよ。悪い、続き頼む。ちょっと行って来る。」

 そう告げ、研究のデーター取りの続きを頼み、研究室を後にする。

 後ろ手に部屋の扉を閉める。

 同時に深く溜め息をつき、舌打ちした。


(チッ!くだらない冗談を謂うな!!十分承知してる。あの無能どもやっと接触して来たか。遅いんだよ!!)

 内心、罵詈雑言を吐きながら、学長室へ向かった。

 しかし、直ぐに冷静になる。


(いや、駄目だ。冷静に対処しなければ。ここからが正念場だ。全てを手に入れなければ・・・さくらを救う為に、今まで来たんだ。失敗は許されないんだから。もう少し・・・もう少しでそれも手に入る。)


 千草は、さくらの笑顔が大好きだった。

 遠くから眺めるしか出来なかったが、あの笑顔を思い浮かべるだけで、自然と冷静になれた。

 自分と太陽あさひは、そっくりイソップ童話の『北風と太陽』だと思った。

 まさに太陽あいつは、さくらにとって笑顔を引き出す『太陽』だった。

 そして、自分を見る彼女は、辛そうな眼差しで、何時いつも表情を曇らせていた。

 自分に向けられる笑顔は、悲しげなものばかりだった・・・


 学長室の扉をノックし、中からの声かけを待つ。

 程なくして扉が開いた。

「あぁ、笹本君だね?待っていたよ。さぁ、入りなさい。」

「はい。失礼します。」

 一礼し、中に入る。


 待っていた面々は、そうそうたるメンバーだった。

 政財界・医療業界・最新工学技術の著名な学者達。

 最初から、この面々を揃えて来る事は、少し意外だった。

 が、千草にとっては、ここまでは予想どおりだった。

 自分へ接触して来るのが、遅かったと謂う事以外は。

 もしも、このまま接触が無かったら、自分から行く予定だった。

 しかし、それでは余りにも魂胆が見え見えで、イライラしながら待つしかなかった。


 千草は、研究を進める日々において、常々痛感させられた事があった。

 それは資金確保と、その為の後ろ盾だった。

 やはり千草も、あの頭の悪い輩達と同じく、前例のない医療や研究には、莫大な資金がいるのだと、嫌と謂う程目の当たりにさせられていたのだ。

 その為にも、特に強固な後ろ盾も必要だと。

 綺麗事では済まないのが現実だった。

 その壁に阻まれ、これまでに潰れてしまった医療技術や工学分野の研究は山ほどある。


 千草も馬鹿ではないし、そこまで純粋でも無かった。

 成功するかどうかも分からない。

 しかも、自分達の様な若造に、無償で資金や後ろ盾を用意してくれる大人など居ない。

 そんなに世の中は、出来ていない事を知っていた。


 こんなにも自分の思惑内で動く輩を、軽蔑も通り越し、いっそあわれみの目で見ていた。

 自分の身辺調査も終わり、さくらの事が自分にとってのアキレス腱になる事さえ、考慮済みな事。

 経営陣達への利益が大きい、謂わばビジネスになると踏んでの接触。

 もし、失敗しても自分を切り捨て、また新たに首をげ替えればいいだけだと考え、手元に置こうとしている事。

 全て千草の想定内で、心が躍った。

 自分の思いが、顔に出てしまわない様にするのが大変だった。


「もうすぐ卒業だろ?君の、医療技術と工学分野における一連の研究は、とても興味深く、関心を抱いていたんだ。」

「有難うございます。このような、そうそうたるその道のエキスパートである先生方にお声かけ頂いて、光栄です。」


 自分は、一筋縄では落ちない事をチラつかせる。

 勿論研究一筋の、けがれを知らない世間知らずなフリをして。

 案の定、少しざわめきだすのが分かった。


(おいおい。せめてもう少し演技しろよ、金の亡者どもが。)


 焦り方が余りにもあからさまで、思わず噴き出しそうになるのを必死に堪えた。

 卒業後、千草が満足いく医療と研究が出来る場を用意していて、既に受け入れる準備が整っているという。

 いずれは、その最高責任者になって貰いたい、と。

 よっぽど、自分のやろうとしている事から得られる利益が大きいのだろう。

 千草は、さくらを救う事が出来る為の医療と、工学技術の研究さえ金に糸目をつけずに出来るなら、他人のどんな黒い思惑の上に成り立つ事であろうと、関係なかった。


 純真無垢なフリをして、全てを手にしたのが約20年前。

 彼女を受け入れるにあたって、死に物狂いで医療と工学技術の研究を進めた。

 そして、ようやく準備が整った時。

 さくらの消息が、分からなくなっていたのだ。

 千草は、初めて焦っていた。

 思いの外、研究に時間がかかってしまって、さくらを向えに行くのが遅くなってしまった。

 そのせいで、消息を掴めない事態に陥るとは、想定外だった。

 直ぐに、彼女の行方を追わせた。

 すると、太陽あさひが先に卒業し、ジャーナリストとして活躍。

 国内・外を飛び回っていた事。

 その頃さくらは、まだ大学生だった。

 しかし、持病の悪化を理由に急遽、大学を休学。

 その直後、太陽あさひと結婚し、旅をしながら転々と住む所を変え暮らしていると、調査が上がって来た。

 間違いなく国内に、二人で居る様だが何処で生活しているのか、詳しい行方が掴めなくなっていた。

 手詰まりだった。

 太陽あさひと結婚し、彼が今は国内のみの活動しかしていない事。

 さくらの病気の事もある。

 だから、それなりに医療設備の整った病院がある地域で暮らしているはずだ。

 太陽かれと一緒に居るとなると、さくらだけ連れて来るのは簡単にいかないだろう。

 その事も考慮し、二人の行方を探すのと同時に、さくらの身辺調査も行っていた。

 さくらの両親・親戚・友人関係・診察を受けただろう医療機関内の人間。

 さくらが、今まで係わってきたであろう人々の事も調査した。

 何処からでもいい。

 もはや、手段を選んでいられる場合では無い。

 崩し所が無いかを、必死に調べ上げた。

 その結果、さくらに最も近い存在から、崩せる事が分かった。

 やはりこう謂う時は、身内の人間が足を引っ張る事に繋がるのだと、冷めた気持ちで報告書に目を通していた。

 だが、これで何より容易たやすく、さくらを笹本メディカル医院うちへ搬送する事が可能になったと、胸を撫で下ろした事を今でも覚えている。

 そして早速、その崩し所を攻めに、自ら行動を起こしたのが20年前。

 さくらを見つけるのに、実に、12年もかかってしまった。



「最近は容体も落ち着いたな。脳神経も何も問題無い数値だ。今日のは、3人で桜を見に行った日の画像だ。あの日俺は、本当は、さくらと2人で行こうと思っていたのに、お前が、太陽あいつまで誘いをかけて・・・だったら俺は行かないと謂ったのに、2人してダメだって聞かなくて。あの時。お前を誘うの、俺は必死で、やっとの思いで誘ったのに。それを知ってか知らずか・・・いや。お前は、俺と太陽あいつをどうしても繋ぎたかったのだろうな・・・」


 千草は珍しく、昔を思い出していた。

 すると、部屋にアラーム音が鳴り響き、はっと我に返る。

 慌てて再びベッドを強化ガラスで覆い、ガスで満たす。

 強化ガラスで覆われたベッドは、ある一定時間以上解除したままになると、警報アラームが鳴るように、設定されている。

 基本、治療はこの強化ガラスを開けずに行う。

 強化ガラスの解除コードは、千草しか知らない。

 だが、情報は漏れて当たり前。

 いつ、誰が、よからぬ事を企み、彼女の命を危険にさらす事になるとも限らない。

 第一ましろは、千草の監視役として傍に居るのだ。

 だが、どうやら、ましろから情報が漏れている事は、今までに一度も無い。

 経営陣達を脅すのに使った写真と資料。

 あれは、実のところ千草の『ハッタリ』だった。

 あの時使ったものは、それっぽい写真と、証拠資料の様に見せかけた研究レポートを、端だけをひらひらと見せただけだった。

 本当は、確かな証拠を掴み出す予定だったのだが、物的証拠は最後まで掴めなかったのだ。

 国の要人も係わっているせいだろう。

 簡単には尻尾を掴ませてはくれなかった。

 だから、千草は一か八かの賭けに出るしかなかった。

 けれど、向こうの態度から察するに、例の噂がなのは明らかだ。

 それに、自分が証拠を持っていると思わせる事で、それがいろいろな抑止力になっているはずだ。


 千草は、今は直接触れる事の出来ないさくらを、ガラス越しに見つめた。

「さくらは、きっと俺を恨んでいるんだろうな。あんなにここへ来る事を拒んだのに、無理やり太陽あさひ達と引き離した。挙句、犠牲者まで出ている事を知っていて、野放しだ。」

 千草は、苦しげに顔を歪める。

「ちゃんと俺なりにはつける。だが、もう少し、その時は先だ・・・恨んでくれて良い・・・それじゃぁ、また来るな。」


 そう告げて、さくらの病室をあとにした。

 千草が去った病室には、再び医療機器の音のみが、規則的にさくらの生命を維持させていた。


 

 



  


 

 


 

 



 

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