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 朝から降り始めた冷たい雨は、まるで絹糸のように、まとわりつく雨へと変わり、深夜になってようやく降りやんだ。

 現実リアルと想いの破片かけらの狭間で微睡まどろむ中、自分の置かれている状況を段々と思い出す。


 朝からの雨が嘘のような、気持ちの良い夜風に誘われ、部屋の窓辺へ近づく。

 漆黒の空に、蒼白い満月が佇んでいた。

 と謂っても、私の視界の景色には色彩いろがない。

 だから、本当の色彩いろは分からないのだけれど。


 その月を眺めていて、そのまま寝落ちしたついでに、想いの破片かけらへ堕ちたのだろう。

 最近、へ行きやすくなっている様な気がするのが、気がかりだった矢先の出来事。

 最も気になるのが、本来、破片かけらへ堕ちるのは、軽い削除Deleteを一度でも行った事のある者が、謂わば、削除Deleteの後遺症として起こる現象で、しかも、あまりディープな場面へ堕ちる事は滅多にないと謂うのに・・・

 私は、何時いつへ堕ちる。

 タチの悪い事に、ひとしきり全てをハッキリ目の前にさらされるまで終わらない。

 見る度に、あやふやだった言葉・想い・音・匂い・温度・・・様々なものが五感に

 鳥肌が立つほど不愉快な、気持ちの悪い感覚。

 時には、現実リアルへ戻った時に、嘔吐する事もある位なのだ。


私は、一度も削除Deleteの経験が無い・・・と思っていた。

けれど、何度も堕ちて、その度にどんどん濃く、深く、刻みこまれる嫌な感覚の中で、少しずつ思い出した。

 恐らく、自分が知らない内に、記憶を削除Deleteされている。

 きっとその影響で、私の視界から色彩いろが消え、モノクロの世界になった。


 今ならまだ、現実リアルへと跳べるはずだが、中々上手くいかない。

 このままだと、想いの破片かけらに堕ちてしまう。

 それを避けるべく足掻もがくが、叶わなそうだ。

 案の定諦めると、すんなり堕ちた。

 段々と濃くなる輪郭。

 色彩いろは無く、まるで水墨画の様な世界。


 如何いかにも、見るからに地元で有名な地主様のお屋敷。

 屋敷の塀ずたいに、ずらりと並ぶ大きな花輪。

 どうやら、葬儀が営まれているようだ。

 喪服を身に纏った参列者達の長い列。

 誰もが固く口を閉ざしたまま、ただ静々と時は過ぎていく。


(あぁ・・・よりによって、またに堕ちたのか・・・今は正直キツイな・・・)

 私の思いとは裏腹に、容赦なく目の前の想いの破片かけらは、何度か見た世界へ、新たに五感へのをしてくる。


 喪服の参列者達に混ざり、謂っては何だが、身なりの良くない青年と、幼女が居た。

 参列者達は、その二人に気が付くと、一様に動揺し、道を空け、その結果喪主である、年老いた父親に、あっと言う間に対面する事になった。

 年老いた父親は、二人に対面した時、一瞬、何が起きたのか理解出来なかった様で、その場でただ茫然と立ち尽くした。

 しかし、次の瞬間。

 まるで般若のような形相に変わり、青年の胸倉を掴み、降りしきる雨の中へと引き摺り出し、突き飛ばす。

 青年は、雨に打たれ、泥まみれになりながら突き飛ばした相手を、ただ静かに、ゆっくりと見上げる。


(今回は、私の中に青年の想いが、はっきりと流れ込んでくる・・・胸がヒリヒリいたむ・・・)


 相手は、自分の最愛の人の父。

 自分にとっても義父ちちである人。

 今は、憎しみの対象でしかない自分。

 しかし、それでも構わないと思っていた。

 いや、むしろ、その方が良いとさえ思っていたくらいだ。

 恨み、つらみの感情は、強ければ強い程、執着へと変わる。

 自分を恨む事で“生きる事へのかせ”になれば良いと思った。

 だからあまんじて、その冷たく鋭い、憎しみの刃で刺され続けた。

 その行為が正解なのかは、全く分からなかったが、そうするより外なかった・・・

 憎しみに満ちた顔と声で、泥まみれの青年へ絞り出すように言葉をかける。


「何しに来た。二度と私の前に現れるなと言ったはずだ。さくらの葬儀にも参列は許さん。今すぐ帰れ。」

 それだけ告げると、踵を返し立ち去ろうとする。

 けれど、青年は直ぐ様土下座をして、こう告げた。


「私は参列しなくても構いません!でも、娘の瑠香だけは、母親に、ちゃんとお別れをさせてやりたいんです!!お願いします!!あの子だけは!!」

 そう懇願するが、父親は、全てが許せない様で、青年の懇願もただイラつかせただけだった。

 再び胸ぐらを掴み、今度は殴りつけようとしたが、それは叶わなかった。

 瑠香と呼ばれた幼女は、小さな身体をいっぱいに広げ、老人と青年の間に割って入り、涙を浮かべた眼差しで、ぐっと精一杯睨み付け、叫ぶ。


「父さんをイジメるな!!父さんをイジメるな!!お前ナンか、キライだ!!」


 そう言って、立ち塞がったまま、瑠香は泣きじゃくった。

 泣きじゃくったまま、決してその場を退こうとはしなかった。


 幼い子供に、そんな事をされては、流石にその場には長く留まっていられなかったのだろう。

 老人は、振り上げた拳をぐっと堪え、その場を足早に立ち去る。


 青年は、泣きじゃくる瑠香を、ただきつく抱き締めるしか、成す術がなかった。

 苦しい程抱き締められ、彼女は、泣きじゃくるのを止めた。

 そして、小さな小さな手で、父親の頭を撫でてやったのだ。

 自分が転んで、怪我をして泣いていると、よく、母親がしてくれた様に。

 優しく、温かく・・・

 ただ黙って、撫でてくれた様に・・・

 青年は娘のその行為に、大きく目を見開き、胸が押し潰される程に傷み、今度は優しく抱きしめ、その場に泣き崩れた・・・


 ここまでは、新たに上書きされる事もあるが、何度か見た世界。

 

 青年は、私の父の若い頃で、幼女は、幼い頃の瑠香わたし

 あの葬儀は、さくらのものだったのだ。

 数度、想いの破片かけらへ堕ちて思い出した。 

 

 今日は、青年の想いが強く上書きされる結果だったようだ。

 そろそろ現実リアルへ跳べるはずだか、一向にその気配がない。

 すると、青年と瑠香の元に、一人の少年が小走りに近寄って来た。


(この子は、初めて見るな。一体、誰?)


 少年は、傘もささずにずぶ濡れな二人へ、引き摺る様に持って来た大きな傘を、青年へ手渡し、瑠香には、何かキラキラしたモノが一杯に入った硝子瓶を手渡し、何かを告げていた。

 しかし、さっきまで、はっきりと流れ込んできた想いは影をすくめ、少年の言葉は、何も伝わって来ない。

 瑠香は、恐らく見知らぬ少年だったのだろう。

 はっきりと警戒しているのが伝わって来る。

 手渡された硝子瓶も、受け取らず、彼の胸へそのまま突き返す。

 しかし、少年も負けじと、もう一度、今度は小さな手を取り、直接手渡すと、その場から足早に立ち去って行った。

 少年は、途中で振り返り、二人にと言うより瑠香へ、笑顔で手を振りながら何かを告げた。


(ダメだ・・・さっきまでとは打って変わって、全く想いが流れて来ない・・・あの子は、瑠香わたしに何を告げたのだろう・・・思い出せない・・・)


 少年は名前を呼ばれ、はっとして、また踵を返し、再び駆け出した。

 少年を呼んだのは、どうやら父親のようだ。

 二人は何か言葉を交わしたようだが、これも流れ込んで来ない。

 少年と父親は、そのまま葬儀の行われている屋敷へ姿を消した。


(父子おやこは、あの葬儀の参列者だろうか?)

 それにしては、哀しんでいる様子もなく、如何いかにも、都会から来た余所者よそものとしか見えない事に、違和感を覚える。


 少年と父親の登場は、今回の上書きで初めての事だ。

 しかも少年の顔は、ぼんやりしていて、はっきり見えなかった。


(一体、あの父子おやこは、誰?全く見当もつかない・・・少年の、恐らく父親であろう男は、青年と歳の差はなさそうに見える。が、高級そうなスーツを着こなしている人物と、青年とでは、イメージに差が出ても仕方ない・・・)と水墨画の様な世界で、冷静に分析してしまった。


 今日は、情報量としては重かったのか、頭が割れそうに痛み、気分もかなり悪い。

 早く、現実リアルに戻りたいのだが、中々叶わない。


 想いの破片かけらから、自然に自力で戻れないならば、現実リアルで自分の身体からだに、何らかの刺激があれば、それが衝撃となり戻れるのだが、恐らく、あのまま窓辺で眠りに堕ちてしまい、側には愛犬しかいない筈だ。

 愛犬が、私の状態に気付き、どうにか起こしてくれたら助かるのだが・・・

 破片かけらと、現実リアルがリンクしているなら、破片こちらで強い刺激があっても、戻れるのではないか?とふと思いつく。


(今まで、こんなに長く戻れなかった事が無かったから、試そうともしなかったけど、この際、試してみるのも手だな。)


 辺りを見まわし、何か刺激になる物を探す。

 すると足元に、割れたガラスが一欠片落ちている事に気が付く。

 想いの破片かけらは、ある種、元々ある想いに、願望や妄想が重なり合い、合成されたもの。

 だから、都合良く必要な物が手に入っても不思議は無かった。

 早速、ガラスを手に取って、強く握り締めてみた。

 割れたガラスは、鋭く欠けていて、掌に食い込み痛みを与えて来る。

 すると、現実リアルへ跳べる感覚が段々濃くなって来て、周りの景色も薄れて来るのを感じた。

 けれど、まだ刺激が足りないせいか、戻りきらない。

 更にガラスを強く握り締めると、掌に先程より強い刺激が走り、生温かいものを感じた。

 はっとして、改めて掌を見つめると、かなり深く傷つけてしまったせいか、ガラスが食い込み、掌に深く傷が走っていた。

 色彩いろが分からないが、錆びた鉄の様な臭いが鼻を突く。

 そして、ヌルリとした嫌な感触から、出血した事を実感した。

 実際には傷を負っていないはずなのに、やけに痛みをリアルに感じ、生温かい自分の血液が、更に気分を悪くする。

 貧血を起こし始めたのか、意識が薄れていく感覚が強くなり、現実リアルへ跳べる感覚が戻って来る。

 遠くで、自分を呼ぶ声が聞こえた気がした後、その場で崩れ落ちた。


 身体からだ全体を、温もりが包んでいる感覚が強くなり、徐々に微睡まどろみから覚醒していく。

 気が付くと、見慣れた自分の部屋だった。

 傍には、愛犬のアサヒが心配そうに覗き込んでいた。


(やっと戻れた・・・まだ気分が悪い・・・油断すると、気を失いそうだ・・・)


 現実リアルへ戻れた安堵に包まれ、自分の置かれている状態に気が付くのが遅れた瑠香だった。

 

 

 

 

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