第21話 反撃開始

 何の音だと疑問に思う間もなく、次に聞こえてきたのはじゃらじゃらとした鎖の崩れる音。ライナーは目を見開いてティーナの小さな背中を凝視する。深紅の髪が邪魔で首元を見ることができないが、まさか――。

 ティーナが徐に立ち上がる。その足元には鎖付きの首輪が、拘束するという本来の役目を果たさないまま落ちていた。


「貴様! てめえら、起きろ!」


 反逆。すぐにそう断定したライナーは寝入ったばかりの二人の仲間に声を掛けた。ティーナ一人ぐらいならライナーだけでも十分だが、首輪を外し逆らおうとしている奴隷に容赦する意味はない。徹底的に痛めつける。そのためだけに二人を起こした。

 寝たばかりの二人は相当不機嫌そうだったが、気にする意味もない。


「こいつ、やっぱり鍵隠し持ってやがったぞ! 反逆だ!」


 二人が目を瞠る。剣奴にとって反逆とは深い意味を持つ。コロシアムでは反逆行為は絶対に許されない重罪。ただ殺すだけでは甘く、他の剣奴の目の前で徹底的に生きてきたことを後悔させ、じわじわと殺されることになる。見せしめだ。

 首輪を外したのがそれだけ許せなかったのは確かだが、なぶり殺しにすれば、もしかするともう一本ライフ・ポーションが出てくる目算もあった。どちらが持っているのか、どうやって隠しているのか知らないが、我慢できずに出したところを奪えば早い。

 ライナーは舌なめずりして背中を向けたままのティーナを見据える。


「首輪外したこと、後悔させてやるぜ」

「まさか俺達から逃げようとするなんてな。金が減るのは困るんだが、仕方ねえか」

「そうだね。こういうのは一回許したら他のが調子に乗るからね」


 ロイドとラザリアも仕方ないと言いつつ、ティーナの処分に賛成する。剣奴時代の常識が三人を突き動かしていた。

 ライナーがぶん殴るために一歩進もうとしたところで、ティーナが差し出すように手を前に伸ばす。簡単に握りつぶせそうな小さな手の中には、緑の石が握られていた。


「それは」


 ラザリアが呟く。


「……希少なものが出ないかと期待して待っていたが――もういい。〈転職石〉使用」


 緑の石――〈転職石〉が淡く光を発し、パリンと水晶の弾ける澄んだ音と共に消滅した。一瞬、ティーナの全身が同じ光を纏い、吸い込まれるようにして消える。


「はん、たかが一ツ星のジョブについたからなんだってんだ。ふざけやがって」

「それがお前の強気の理由か?」

「私はただ、怒りが限界を越えただけよ」

「怒りが越えたからどうだってんだい。餓鬼があたしら舐めてんじゃないよ!」

「……貴様らこそ、あまり私を舐めるなよ?」

「なあ、ライナー。みせしめとかしないでさ、すぐにやっていいかな? こいつ、すっごい腹立つ!」

「ダメだ。じっくり痛めつけてやれ」

「ちぇ、りょーかい」


 ティーナは殺気立つ誘拐犯共を前にしてひどく落ち着いていた。拳を握り、開き、感触を確かめる。〈転職石〉、ほんの二週間ほど前、影法師を作ったとき霊峰でメロスから渡され、以来ずっとインベントリに入れていたアイテム。

 初めて就いたジョブにスキルの取得が影響すると聞かされ、どうせならメロスの驚くようなジョブに就きたいと後回しにしていたが、選んだジョブはこの小さな身体にもよく馴染んだ。

 すでにどのジョブに就くかは決めてあった。内容もメロスから説明を受けている。少しだけ使いこなすための時間が欲しいところだが。


 目前のラザリアが腰の剣を抜いた。暗い森でも鈍い銀の光がよく映えた。

 ああ、ちょうどいい練習相手か。ティーナは口角を上げてラザリアを見据えた。

 ラザリアが剣を水平に構え、腕を引く。突きの構え。数秒後、剣先がまっすぐティーナの右腕を狙って飛んできた。


 ――遅い。ラザリアの顔に浮かんだ嗜虐的な笑みは、甚振ってやろうという愉悦に歪んでいる。まるで本気ではない。しかしそれでも普段のティーナであれば避けることの敵わない速度。

 だから、取得したばかりのスキルを使用した。

 ティーナの身体が淡い緋の光に包まれ、世界の流れが緩やかになる。ラザリアの速度もまた、一段と遅くなった。

 全身に走ったキリキリした痛みに思わず顔をしかめ、同時に体を捻って剣を避ける。


「え?」

「舐めとるのか」


 まさか避けられるとは思っていなかったらしいラザリアは、やや前のめりの無防備な姿をティーナに晒している。

 思考するより早く、気づけばラザリアの顎目掛けて殴りつけていた。ガツン! と鈍い振動が手に伝わる。


「おま、よくも! あ、あれ……?」


 殴られ一瞬怒りを見せたラザリアがバランスを崩して尻餅をつく。立ち上がろうとしてもうまく立てないようで、再び倒れ込んだ。一手勝ったというところだろうか。脳震盪を起こさせたが、しかし素手ではダメージに限界があるらしく、一切堪えていない。

 だが今はこれで十分だ。


「ごめん、しばらく動けなさそう」

「チッ、何やってんだ」


 ライナー達は未だティーナを舐めきっている。いくら転職石を使ったからといっても、就いたのは所詮下位のジョブ。子供の背伸び程度にしか感じていないのだろう。

 だから、失敗した。時間を稼げた。

 スキルを切断し、纏っていた淡い緋の光を消した。そして別のスキルを使用する。


「力を宿せ、〈龍人化〉」


 ティーナの身体が光に包まれ、闇を薙ぎ払なった。夜の森に落ちた一点の光玉は冒険者達の網膜を焼き、数歩を退かせる。ホムンクルスとして生まれたときから習得しているスキル。首輪を外してすぐ待機状態にさせていた切り札は、ティーナの一言に強い反応を示す。待ちきれないとばかりに力強い気の放出。森を焼かんとする光の奔流。


 この光を遠くから認めた魔物は数十。そしてほとんどが光に誘われるようにして近づいた。光源の力は弱い、あれは獲物だ。高い感知能力で相手の力を探った魔物達にとって、あの光は誘蛾灯でしかなかった。


 ナユタ大陸の中では弱いと言われる魔物の群れ。しかし他の大陸においては一匹いれば街一つ滅びるとさえ言われる、厄災の権化。

 餌、餌、餌。食欲だけに満たされた魔物達の行軍。光の元を喰らうのだという本能に支配された異形の存在がじわじわと近付いた。獲物を喰らう。それだけで意思が統合されていた。


 だが、意気揚々と進んでいた魔物の行軍はぴたりと止まる。魔物達に悪寒が走った。原因は先の光。感知能力は相変わらず容易く仕留められる相手だと認識しているのに、本能は決して近寄ってはならない強者の気配を嗅ぎ取った。弱肉強食の大地であるからこそ、強者の気配には敏感である。アレに近寄るべきではない。本能からの警鐘を受け取った魔物達はすぐに身を翻し、近づいていたときの数倍の速度で光から逃げ散って行く。


 そんな一幕すら知らず、ティーナはただ目の前の相手を殺すために力を宿す。

 光体と化したティーナの姿がスキルの力により新たな姿を形成する。龍型、人型に続くホムンクルスの第三形態。十数秒続いた光が弱まり収束する。そして再び重い暗闇で世界が閉ざされたとき、ティーナは龍でも人でもなくなっていた。


 そこには小さな龍がいた。


 こめかみから緩く歪曲しながら天に伸びる二本の角、深紅の瞳に宿る縦長の瞳孔。そしてなにより全身に肌の見える場所はなく、代わって深紅の光を反射する鱗が覆っていた。

 幼い子供という姿を維持しながら、深紅の龍にしか見えない覇気が体中から迸っている。

 冒険者達が驚きに言葉もないなか、ティーナの端正な口が開き、告げる。


「喰われる立場と、喰う立場。すでに入れ替わったことを理解するがいい」


 言った直後には、ティーナの両手に武器が握られていた。赤黒い色に染められた卜型の金属――トンファー。

 ユウキはティーナとルカのために様々な装備を見せた。そのほとんどは使えないため受け取らなかったが、全て受け取らなかったわけではない。〈人造人間の足環〉などは全能力をプラス二十させるアクセサリー。これがあったおかげでルカは瀬戸際で耐え切れたのだろうと、ティーナは確信していた。

 そしてこのトンファー。〈転職石〉と共にティーナのインベントリに入っていた、龍人形態専用装備。この姿になったときだけ、武器の求める要求値を満たし扱うことができる。

 ティーナは右足を引いて半身になると同時に左腕を盾のように構え、右手は腰に。

 ようやく戦闘体勢に移行したことにより、呆けていた冒険者達の硬直も解け、慌てて剣を構え直した。ラザリアはまだ脳震盪が収まっていないらしく倒れたままだが。


「ふざけんなよ、コラ。糞ガキがちょっと姿が変わったからってどうにかできるつもりか」

「簡単に死ねると思うなよ」

「御託を並べる暇があるなら向かってきたらどうだ。愚か者が」


 ライナーの顔が鬼となった。飛び掛かろうと動きを見せる寸前、わずかに早くロイドがティーナに斬りかかる。見た目はライナーほどの変化はなかったが、腸が煮えくり返っているのは同じだった。ライナーに先行かれたら獲物が取られる。そう思えば自然と体が動いていたのだ。

 横一閃。ティーナは右から迫る白銀を、一歩踏み出して右のトンファーで受ける構え。接触、赤い燐光が散った。甲高い金属音が響き、誰の眼にもティーナが吹き飛ばされる光景を幻視した。大人の本気に子供が勝てるはずのないという常識。


 だからこそ冒険者達は目を瞠る。


 ティーナは力負けすることなく、ロイドの一撃を受け切った。ギリギリとせめぎ合い、細かな赤い燐光が舞う。

 至近距離のロイドの顔に驚愕が浮かんでいた。今の攻撃で終わらせるつもりだったか。実のところティーナに見た目ほどの余裕があったわけではないが、驚愕している隙を突いてロイドの剣を受け流し、懐に入り込む。腹部へ左の打突。皮鎧にトンファーがめり込んだ。

 ロイドが衝撃で肺の空気を吐き出し、ティーナを睨み据え、叫ぶ。


「効かんわあ!」


 事前に攻撃を察知したティーナは飛んできた右の拳を飛び退って避けると、左腕に残った攻撃の感触を確かめる。

 やはり無理か。いくら龍人型になってもティーナの攻撃力は低いことに変わらず、失望はそれほどない。鎧を狙った攻撃は無効、そう考えるのが妥当だろう。

 なら狙いは鎧に守られていない部分。両腕、、下半身、頭。鎧を買う余裕もなかったのが助かった、狙える場所は多くある。

 けれど、やはり不利は否めない。


 考える間もなく、下がったティーナに迫る人影。ライナー。振り降ろされる剣に頭上で交差させた両腕で受け止める。ズシンと圧し掛かってきた重みに思わず顔をしかめる。

 強い。剣奴をやっていたというだけあって、人との戦いには慣れた動きだ。すでに視界の端でロイドも動き出し、ラザリアも回復し始めているのを認めた。

 あまりじっくりしている暇もない。ライナーの懐に入ろうとしたが、重みの増した剣に動きを封じられた。


「そのナリじゃあ懐に入らねえと攻撃なんぞ届かねえだろ。そのまま死ね!」


 ティーナは未だ幼い少女の姿でしかない。リーチが極めて短く、数度の攻撃を潜り抜けて懐に入らなければ攻撃を届けることは不可能。

 そう、思っているのだろう。

 側面からロイドが向かってくるのを認めながら、静かに言った。


「死ぬのは貴様らだ、ようやく感覚が掴めた」


 直後、ティーナの身体が淡い緋の輝きに包まれた。

 突如訪れ異変にライナーは咄嗟に後ろに下がった。コロシアムで度々聞いた生存本能の警鐘が全力で逃げろと耳の奥で囁く。見やればロイドもティーナから距離を取って硬直している。アレも生き残る術に長けた男だ、同じく生存本能が警戒しろと訴えているのだろう。

 緋の光、おそらく先ほど強くなったスキルを再びしようしたのだろう。だが大したことはなかったはずだ。無防備なラザリアに攻撃を成功させながら、所詮ダメージのひとつも与えられなかった技。警戒する必要もない。

 思考ではそう判断しているのに、剣を構えたまま動けなかった。


「なんだい、あいつ。色々光っておかしな奴だね」


 ようやく脳震盪から回復したらしいラザリアが呟いた。ライナーやロイドの感じているモノを彼女は感じていないらしい、暢気なものだ。

 だがライナーには都合がいい。


「ラザリア、お前が行け」

「あたしがか? まあいいけどね。獲物頂くけど、恨まないでよ」


 にいっと口角を上げ、ラザリアがティーナに向かっていく。さっきやられたばかりだというのに完全に相手を見くびった動き、だからこそティーナの変化を見極めるのに都合が良かった。

 剣が上段から振るわれる。ラザリアも女だてらに剣奴などというものをやって来た身、その一撃は軽いものではなく、子供の命ぐらいは容易く奪い去る鋭さを持っていた。


 その剣を、ティーナはトンファーで受け止めた。――白刃取りの要領で剣腹を挟み込んで。


 ラザリアが驚愕を浮かべたのも束の間、剣身にヒビが縦横に走った。直後、パキィィィン! と剣の甲高い悲鳴と共に無数の破片へ姿を変じた。

 放心。現実に思考が追いついていない。一体どこの誰が、こんな小娘に、あんな武器で、あんな方法で、剣が破壊されると予想しようか。

 生じた決定的な隙。ティーナはその隙を逃さず、すかさず懐に潜り込む。右手を限界まで後ろに下げ、数瞬後には攻撃を打ち込むという刹那の時間、


「死ね」


 ティーナは告げた。

 直後、勢いよく引かれていたティーナの右腕は強弓の矢より疾く宙を走り、ラザリアの腹部に打ち込まれる。一瞬の抵抗を貫き、トンファーごと拳がラザリアの中に埋まった。


「あ……が……」


 コプ、と血を吐き出す。だが、まだ生きている。

 ティーナの引き抜かれた拳を追ってボタボタと血が飛んだ。ラザリアの下半身が血で赤く染まって行く。

 腹を押さえたラザリアはよろよろと後ずさり、カクンと膝が崩れた。辛うじて倒れることこそなかったが、膝立ちにすらなれずそのまま尻餅をついた、その瞬間。

 ラザリアがふと顔を上げる。目の前にあったのは赤黒い丸。トンファーが目の前に迫ってきたのだと認識するのとほぼ同時、ボゴンという鈍い音。ティーナの追撃による打突で、ラザリアの顔にトンファーがめり込んでいた。

 一瞬硬直したラザリアの身体から力が抜ける。そしてゆっくりと後ろに倒れていく。トサッという意外と軽い音が沈黙の森に小さな波紋を残した。

 三人の冒険者のうち、一人が死んだ。

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