第19話 ルカの得意技

「そろそろ野営の準備した方がいいんじゃない?」


 ルカがそう声を掛けたのはまだ陽の高い頃。途切れがちの雲間から注がれる明るい陽光は、ライナーの経験に照らし合わせると野営の準備には少々早い。

 当然怪訝に思ったライナーが空を見上げて問う。


「野宿の準備にはちと早えんじゃねえか?」

「ナユタ大陸の夜は早い。山が高いから、明るいからって油断してるとすぐに何も見えなくなるよ」

「ふぅん、そういうもんかね。じゃあお前ら、今日はここで休むぞ」


 ライナーの指示に従って冒険者達は野営の準備を始めた。手際は決して良いものとは言えず、彼らの冒険者歴は本人の申告通り、そう長いものではないことが窺えた。


 ルカとティーナにも枝を拾ってくるよう命令され、内心うまくいったとほくそ笑んだ。

 ナユタ大陸には薬の原料となる者が多い。中にはライフ・ポーションの原料となるものもあり、もちろん薬効もある。残念ながら来る途中に見つけられたらよかったのだが、まあここで見つけられたので良しとする。


 枝を集めるふりをして狙いの樹に近づくと、ざりざりした手触りの葉を数枚千切る。それをそのままティーナの顔に張りつけ抑える。痛そうな顔をされて辛いが、我慢してもらおう。


 ちゃんと調合して薬効を取り出しているわけではないので、薬効はかなり弱い上に、感知するまで時間もかかる。それでもライフ・ポーションを使うまでの繋ぎとしてなら十分だろう。


 そんなことをしているうちに、全ての準備が終わったのはすっかり陽の沈んだ頃。正確には太陽が山に隠れてしまった、他の大陸であれば夕方ぐらいの時間だ。

 ルカは少し余裕を持って教えたつもりだったのだが、完全に読み間違えた。


「ふう。これでいいな」


 ライナーが満足して頷き、今度は夕食の支度を始める。とはいえ、お湯を沸かす以外に何も準備をしようとしない。

 それで何の準備かと思ったが、先に教えておかなければならないことがある。


「ねえ、いつまでもこんなところに居たら危ないよ」

「どういうこと?」


 ラザリアが訊ねる。


「ここの魔物って夜行性だから、火を狙って近寄ってくる。明かりの届く範囲でできるだけ離れるのがナユタの基本」

「そうなんだ」


 残念、嘘だ。現実はもっと酷くて四六時中なにかしらの魔物が動き回っていて、安全な時間帯など一刻たりとも存在しない。ここまで遭遇しなかったのは運もあるが、メロスのテリトリー内と魔物が判断しているのだろう。そもそも数が少ない。

 火を狙って近づいてくるから離れるのは正しいけど、大抵視覚以外の器官を頼りに近づいてくるので、こちらも完全に正しいかと言われると微妙。


 一番正しい対処法が、魔物に奇襲されても返り討ちにできる実力をつけることなのだから酷い。次点で魔物に察知されるより先に察知する、である。


「はん、魔物が来たって俺が返り討ちにしてやるよ」


 ライナーが息巻くのを根拠のない自信と受け取るも、ルカは頷いて見せる。


「でも無駄に戦って疲れるのも馬鹿らしいでしょ?」

「まあそれもそうだな。うし、お前ら火から離れて待つぞ」


 号令一声、五人で火から離れてお湯が沸くのを待った。

 そしてしばらく経って、ラザリアが湧かしたばかりのお湯を持ってくる。料理に関しては何の助言もせず、任せるままにしているがどうするつもりなのだろう。そんな疑問を抱いているルカの前で、お湯をそれぞれのお椀に注いでいく。


 ……まさかお湯だけ?


 言い知れぬ不安を感じていると、ライナーが腰に掛けていた小袋を取り出し、お湯の入ったお椀に白い粉を入れていく。

 ライナー、ロイド、ラザリアときてルカの番。白い粉がお湯の入ったお椀に入れられ、白く濁る。


「……何、これ?」

粉粥こながゆだ。混ぜて食べろ」


 ロイドとラザリアが白い粉の入ったお湯をかき混ぜていた。顔をしかめ、ルカも真似て中身をかき混ぜる。しばらくはお湯をかき混ぜているだけのサラサラした感触だったが、やがてとろみがつき始め、最後にはドロドロした粘り気のある液体に変化した。


 思わずティーナと顔を見合わせる。腫れた顔の彼女も、非常に困った顔をしてドロドロになったお椀に視線を落としていた。


「ほら、とっとと喰え」


 言われ、おそるおそる口に運ぶ。

 ねばっとした嫌な感触が口に広がる。


「……味がしない」

「そういうもんだ。けどこんだけの量で一日に必要な栄養は取れる」

「……そう」


 もう一口食べる。思えば生まれてこの方食事に不自由したことはない。食べることにこんな苦痛を感じたことも、だ。

 滅茶苦茶で非道な師匠だが、初めて食事に関してだけは心からの感謝をささげた。


 やがて食事が終わると、あとはもう眠るぐらいしかやることはない。

 ライナー達は交代で見張りにつかせて休むようだ。もしかすると見張りはルカとティーナに任せて三人共寝てくれるかもしれないと期待したが、ロイドから順に見張りにつくようだ。ルカとティーナは逆に信用できないからと任せる気はないらしい。


 それぞれ寝床を作ると横になる。ライナーとラザリア、それとティーナから寝息が聞こえてくるまでいくらとかからなかった。


 ロイドは一人、自分の武器である直剣を手入れしながら周囲を警戒している。

 そしてルカ。彼女は布を敷いただけの寝床で横になりながら息を潜めていた。首から伸びる鎖は地面を伝ってロイドの手元にある。動けば鎖の音で気付かれるだろう。

 時間帯を考えてもロイドは難しいか。


 狙い目は三人目。時間帯を考えると最もこちらの攻撃が有効になる時間のはず。ルカはそう考え、〈システム・オープン〉を思考操作で表示しアラーム欄を選択。元はプレイヤーが予定時間を越えて約束を逃さないようにという措置で、これは自分にしか聞こえない音が鳴る。ルカはこの時間を、大体二人目――ラザリアの見張りが終わるころにセットした。

 目を瞑る。ルカにとっての戦いまでもう少しだった。




 頭の中に金属を力いっぱい打ち据えるようなけたたましい音が途切れることなく鳴り響き、ぱちりと目を覚ます。心臓がバクバクと脈打ち血液ポンプの役目をこれでもかという強さで果たしていた。初めて使ったアラームは音量がいまいちわからず、万が一にも寝過ごしてはならないと考えたせいで最大まで上げたのが悪かった。おかげで眠っている中で突如響いた大音響。驚きを通り越してそのまま気絶してしまいそうだ。これで目を開けるだけの反応で済ませた自分を褒めてやりたい。


 思考操作でアラームを停止。ガンガン鳴っていた音が消えようやく一息つけた。


 今の見張りはラザリア。うとうとと舟をこいでいる姿が目に入り、千載一遇のチャンスにルカは目を瞠る。


 見世物として戦わされる剣奴は夜に起きているということは少ない。翌日のために体力を回復させないといけないなら、夜更かしは滅多にやらなかったはず。

 盗賊のときなら夜に活動したかもしれない。しかし基本的に襲撃する方である盗賊は警戒心が薄くなりがちになる。もちろん頭ともなれば別だろうが、聞く限り一構成員でしかなったらしい彼らに警戒という基本が身についていないのは、ナユタを歩く動きを見て把握した。


 ひたすら野卑。それがルカの見た印象だった。


 夜に弱いから、警戒し慣れていないから、明かりが近くになくて暗いから、魔物が来ても返り討ちにできるような保証をされてしまったから。

 ライナー達はすっかり安心してしまっている。だから肝心の見張りが船をこぐなどという醜態を晒すことになった。


 起きている見張りが最も夢現になる時間。このときを待っていた。


 本当なら三人目、ライナーのときを待つつもりだったが、こうなれば特に待つ必要もない。

 ルカは魔術を使う。首輪によって封じられたのはスキルだけだ、魔力自体を操作して術式を編むことになんの不都合もない。


 ルカは目を瞑り、集中する。ラザリアに魔力の高まりをばれてはならない、慎重に。

 かつてメロスはルカのことを広域殲滅型の魔術師と評した。ティーナが一発の威力が強い一撃型の素質を持っているから、と。


 違う。全然違う。


 あのときメロスはルカのスキル構成はおろか、ティーナのスキル構成さえ知らなかった。だから使っているほんの少しのスキルを見て、そう判断してしまったのだ。


 例えば〈多重展開マルチプル〉スキル。これはティーナが元々持っていてルカに引き継がれたものだ。単にティーナではまだ使いこなせず赤文字表記となっているだけで。


 龍に限らず、生まれながらにいくつものスキルを所持している存在は多い。というよりも魔物は新たにスキルを覚えることができないため、使いこなせないだけで一通りはすでに持っているのだ。

 おまけにティーナの持っているスキルはかなり多い。


 メロスは自身が強すぎるため、神龍に次ぐ格を持つティーナという存在を十二分に評価しているつもりで、真実は過小評価していた。持っている潜在能力の高さは遥か上だ。


 そんなティーナをサポートする存在が、広域殲滅を得意とするわけがない。できるかできないかでいえば可能だが、有り余る霊力に飽かせた威力向上を得意というには些か語弊がある。


 そもそも広域殲滅はティーナが経験を積むことでできるようなる技能。放てばあっという間に霊力が空になり回復に時間のかかる広域殲滅はむしろルカの苦手とするところだった。

 ならば、本当に得意なものは。


 ――五分以上かけて魔術の構成を終える。


 ふわりとルカを中心にして甘い香りが漂った。香りは風に乗り、一番近いティーナへ。次に冒険者三人を優しく包み込んだ。

 ライナーとロイドに変化はなかったが、舟をこいでいたラザリアの頭がガクンと落ち、すぐに小さないびきが洩れてくる。


 念のためさらに二分待ち、すっかり静かになったところをルカは起き上がった。

 〈精霊の誘う夢心地スリーピング・フレグランス〉。発動までの時間が長いことに加え、抵抗力の極めて低い相手にしか効かないが、一度効いてしまえば二十分は深い眠りに陥る。


 ルカの得意とする状態異常喚起技。眠り、毒、麻痺、混乱、忘却、幻視、幻聴、石化など様々な状態変化を相手に強いることこそルカの特技だった。

 これらを使う限り、少ない霊力で高い威力を発揮することができるだろう。


 しかしそれでもライナー達とルカの間にある力量差は大きすぎた。この場合、ルカ達が弱すぎたという方が正確か。ナユタ大陸の適性レベルに達していないとはいえ、剣奴として鍛えた実力は本物。メロスにやったように霊力での力押しならともかく、普通にやったところで何ひとつ効果はなかっただろう。


 だが相手の抵抗力がかなり低くなっている時間帯に、眠いという感情を後押しするように使えばうまく行くと思っていた。

 霊力残量がもう少しあれば、この程度の相手起きていても問答無用に眠らせるぐらいできただろうが、いかんせん空に近い状態ではこれができるギリギリだった。


 ルカは疲れた顔で、しかし満足そうに口角を上げる。


 彼らは深い眠りに陥っただけで絶対に起きないわけではない。首から垂れる鎖が鳴らないよう気をつけながら、順に荷物を漁って行った。こちらなら滅多なことで起こしてしまうこともない。


 ライナー、ロイド、ラザリアと脇に置かれていた荷物を漁ったが、食糧やら武器を手入れするための道具が入っているぐらいで、肝心の鍵はどこにもなかった。やはり誰かが身に着けているか。

 さっきまでは気楽に探せていたのだが、ここからはそうもいかない。


 暗闇が重く圧し掛かる。ルカは緊張の面持ちでまずはライナーに近づいた。身体に掛けてあった布を慎重に剥ぎ取り、横向けになっているライナーの身体を探って行く。


 ポケットのひとつひとつを丁寧に探した。もしかしたら首にでも掛けているかもしれない、何かのアクセサリーみたくしているかも。思いつく限りのところは短い時間ながら探し尽くし、とうとう見つからなかった。


 違った。ライナーではなかったか。小さく失望を感じたのは確かだが、落ち込んでいる暇などない。ルカは次にロイドへ目を向けた。


「んん……」


 途端、ライナーが呻いた。心臓が大きく跳ねる。強張った顔でルカはライナーへ視線を飛ばし、じっと見つめる。


 起きただろうか。 


 むにゃむにゃと口元の筋肉が何度か動く。


 起きるな、起きるな。何度も心の中で祈る。


 ライナーが寝返りを打った。


 じりと思わず後ずさる。緊張を誤魔化すように唇を舐めた。


 どうだ……?


 互いに固まったように動かず、森のざわめきがやたらと耳に痛い。世界にはルカとライナーだけが存在した。やがて聞こえ始めたライナーの寝息に、ようやっとルカは肩の力を抜く。


 生きた心地がしなかった。たった十数秒にすぎなかったのに、全身が冷や汗で気持ち悪い。


 額の汗を袖で拭い大きく息を吐き出すと、ルカは改めて平和そうに眠っているロイドに視線を向ける。こちらはライナーと違って仰向けで眠っていたため調べ易そうだった。


 ライナーのときと同じ順序で体を探って行く。そしてズボンの右ポケットに手を入れたとき、指先に金属らしい冷たい硬質のモノが触れた。


 まさか。


 さっきとは全く別、期待に心臓が早鐘を打つ。二本の指先で金属のそれを摘むと、そろりそろりと引き出した。


 ――あった。


 手の中に転がってきたのは予想していた通り、小指ほどの小さな鍵。これできっとティーナの首輪を外せる。

 ルカは顔を綻ばせて鍵を両手で握りしめた。喜び勇んでティーナのところに戻ろうとする。今すぐにでも解放してあげたくて気が急いていた。


 だが、それがいけなかった。足元にあった鎖に気づかず引っかけてしまい、勢いのついていたルカは自然の法則に従って、思い切り前のめりに転倒した。鎖が波打って宙を舞い、静かな森に無粋な金属音を撒き散らした。

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