第18話 元剣奴の冒険者
ティーナの首輪を見る限り、開けるには小指ほどの鍵が必要だった。ならあの三人の荷物を漁り、鍵を見つける必要がある。三人の会話を聞いている限り、馬鹿なのでなんとかなるかもしれないが、逆に言えば見つかったとき何をされるかわかったものではない。
恐怖は小さい。ティーナに頼まれたという使命感だけが強く燃え上がっていた。
「なあ、ライナー」
「どうした、ロイド」
残った男の冒険者――ロイドがライナーに声を掛け、ついでルカとティーナに胡乱気な視線を向ける。
ばれているはずがないとわかっていても、身体に緊張が走る。
「あの餓鬼共、逃げねえように見張っとかなくていいのか?」
「あん? こんなところでどこに逃げるってんだよ」
「でもあいつらあんなところに住んでやがったろ? 安全なところとか知ってるんじゃねえか?」
「なるほどな。餓鬼共、どうなんだ?」
ライナーがルカに水を向けた。答える義理はないと思ったが、ちらりとティーナを見る。寝入ったばかりの彼女はボロボロで休息が必要だ。声を荒げさせ起こしてしまうことも避けたい。
「……ナユタ大陸に安全なところはない。あったとしてもボクは知らないし、しいてあげるならあの家だけ」
「ふん、使えねえな」
「ねえ、あの家って何なの?」
女の冒険者が二の腕を擦り薄気味悪そうに聞いてきた。逃げて来た方向を落ち着かない様子で気にしている。
「よく知らない。物心ついたときにはあのゴーレム二人に育てられていたから。あの二人は何よりもボク達を大切に思っていた」
「ああ、あの化物共、ゴーレムだったのか。正体なんて気にしてなかったから気づかなかったな」
メロスの情報だけを抜いて説明したのに、何か理由があったわけではない。ただ、他に人がいるとなればこいつらはまた怯え、ナユタを走り回るという無謀をするかもしれないと思ったからだ。
ここまで魔物に合わなかったのは運が良かったということもあるが、それ以上にこの辺りが誰のテリトリーかを魔物が理解している点にある。誰も自分より強い相手の縄張りで生活したいとは思わない。
だから魔物はそもそも少なく、ログハウスの魔物避けがなくとも魔物と遭遇しにくい環境にあった。
しかしその状況もいつまで続くか。冒険者らに抱えられあちこち移動し、すでにテリトリーを抜けてしまっているかもしれない。正確にはわからないが楽観できるような状況にないのは確かだった。
「まあ、その二人にゃ鎖でも付けてりゃいいだろ。どっちか持ってたか?」
「俺が持ってる」
ロイドはそう言いながら持っていた鞄から鎖を取り出した。ルカはそれを、本来の用途は魔物を捕らえるのに使っていたのではないかと判断した。小さな輪っかの羅列に過ぎない癖に、いかにも丈夫そうな鎖。長さは七メートルほど。
鎖を片手に迫るロイド。抵抗はしない。ルカの首輪に鎖が繋がれた。ついで、ティーナ。こちらもあっさりと繋がれた。
二本の鎖の先はロイドが持ち、ルカ達とは少し離れて座った。
首から伸びてだらんと地面に垂れる鎖を触る。鈍い冷たさが指先に伝わってきて、虜囚の身であることを改めて実感するに従い、徐々に屈辱感が膨れ上がってきた。ほとんど無意識に鎖を視線で辿るとロイドへ行きつく。
ティーナではなく、認めさえしていない人物が鎖の先を握る。それが異常なまでに怒りを沸き立たせ、反射的に片膝立ちになった。数秒後には勢いよく地面を踏み抜いて、飛びつける姿勢。殴り飛ばし鎖の先を奪い返したいという強い衝動が胸を穿ち――だが、ルカは止まった。
前のめりになった姿勢のまま激情に任せようとしたルカを止めたのは、脳裏に過ぎったわずかな思考。
――ここでボクまで動けなくなったら、ティーナはどうなる。
霊力が尽き、腕力でも負けているルカが感情のままに動けば、何度も殴られ、ティーナと同じように動けなくなるのは明白。
今は動くべきじゃない。その想いだけで屈辱に耐え、荒く息を吐くのと同時に座りなおした。そしてふてくされたように冒険者に背中を向ける。
冒険者は突然のルカの行動に反逆かと警戒していたが、ルカの様子を見て緊張を解く。
「そうそう。今さら抵抗したって痛い目見るだけなんだからな。大人しくしとけって」
ライナーのからかう声が背中にぶつかる。
「……ねえ、これからどうするつもり? 他の大陸に渡る宛、あるの?」
「心配ねえな。門さえ潜っちまえばこんなところすぐに抜け出せる」
「だから、その門の方向はちゃんと把握しているのかって聞いてるの」
肩越しに冒険者達を見やると、きょとんとして互いに顔を見合わせている。
「……誰か、わかるか?」
「いや、必死に逃げてたから。ラザリアは?」
「あたしはあんたらの後ろついてっただけだから……」
小声で交わされるやりとり。ここまで考えなしとは呆れを越えて恐れ入る。
全ての大陸には〈異世界への
ナユタ大陸に気軽に冒険者達が来られるのも〈異世界への
「迷子か……どこまで考えなしなんだよ……」
「うるせえ! てめえ、ナユタに住んでだろうが。門までの道を教えろ!」
「叫ばないでよ。魔物が寄ってくるでしょ。はあ……ボク達はそもそも家の周りから離れないようにしてたんだ。一時間どころか十分先の距離だって知らないよ」
「なんだと! ならどうすんだよ!」
「ボクが知るわけないでしょ」
こいつらと会話していると、本当に疲れる。……でも、どうしようか。自然と手が首元の鎖に伸びた。これがある限りルカ達に逆転の目がない。
背後ではギャンギャンと道に迷った責任のなすりつけ合いが始まっていた。あの様子だとしばらく動いたりはしなさそうだ。
ルカはゆっくり地面に横たわる。見張りは居るかもしれないが、三人同時に相手にするよりましだろうと夜を待つことにした。そのときに荷物を漁って鍵を見つける。眼を瞑り、途中で起こされるかもしれないが、ルカは夜に備えて体力の温存に努めることにした。
やはりというか、予想通りというか、ルカもティーナも眠っているのを途中で起こされた。眠れたのは大体二時間か、三時間ぐらいだろう。それからはライナー達に連れ回されながら門を探して、森の中を彷徨っていた。
足場の悪い、深い森だ。いくら毎日ランニングを続けていたティーナとルカでも、大人三人とは体の作りがそもそも違う。歩き回っているだけでどんどんと体力が奪われていった。
特に問題なのがティーナだ。遠慮なく顔を殴られた彼女の体力は尽きるのも早かった。彼女の深紅の眼に宿る意思だけは一向に衰えを見せなかったが、気力だけで何かが変わるものでもない。
たとえ怪我していてももはや抱えも背負いもしないつもりなのか、無理矢理歩かされていたティーナが何度か足を取られ、こけかけたのをルカが必死で支えた。しかも時々早くこいと鎖を引っ張られ、その度に湧き上がる怒りと、〈インベントリ〉に入っているライフ・ポーションを使いたい衝動に駆られ、抑えるのに気力がいった。
ライフ・ポーションはたったひとつ。反撃のタイミング以外で使えば逆に自滅を招くことになる。こんなところで使えない。
自分のことなら我慢するのも容易い。けれど、ティーナが関わるだけで胸の奥に激痛を伴った。肉体の疲労などなんということもなかったのに。
一行は門を探してひたすら歩く。一度通ったらしい獣道を見つけては違ったと一喜一憂するライナー達は、本当に冒険者なのかルカにはよくわからない。
この三人には生き残るための危機感というものが、まるで欠けてしまっているように思えた。というよりも、魔物を相手にしてきた者の動きではない。警戒心がなさすぎた。
まるで常に気を張っているルカが馬鹿みたいだ。もしかすると傍まで魔物は近付いていて、今にも襲いかかってくるかもしれないと全力で警戒しているというのに。
「三人って本当に冒険者? それにしては動きが固い気がするんだけど」
嫌味を込めてルカは訊ねた。
返事は期待していなかったが、ライナーがこちらを一瞥すると言葉を発し、その答えはルカを少なからず驚かせた。
「俺たちゃ今でこそ冒険者なんてやってるが、元は剣奴あがりだからな。人間の相手は慣れてるが、魔物の相手はしたことねえよ」
「……剣奴? コロシアムとかで戦わされる奴隷だよね? 一回剣奴になったら抜け出せないって聞いたことあるけど」
「あのゴーレムにか? そうだな、その点に関しちゃ運が良かった。いや、運が悪かったのかね。コロシアムでもギリギリ上位って実力の俺達を、馬鹿な貴族が金にもの言わせて買いやがったんだよ。……盗賊をやらせるためにな」
「盗賊? そんなことして後からばれるんじゃないの?」
「知るか。とにかく生き残るのに必死だったからな。毎日毎日殺し合いだ。何度も上の命令に従って商人を襲って、どれだけ殺したかわからん」
そう言ったライナーはどこか遠くを見た。見れば、ロイドとラザリアも似たような顔をしていた。
全員、元は同じ剣奴だったらしい。
「けどまあ、派手にやりすぎたんだろうな。軍に目ぇ付けられて、ある日襲われて盗賊団は壊滅。俺はそんときの戦闘で従属の首輪が運よく壊れてな、そっから仲間達の従属の首輪を壊して逃げ出して冒険者になった。そこまではよかったんだが所詮学のない奴隷上がりだ、すぐに金に困った。で、仕方ねえから盗賊時代に聞いたナユタ大陸に、これまた奴隷時代の伝手で渡ってお宝を探しに来たんだが、この様だ。くそっ!」
ライナーは八つ当たりするように足元に転がっていた石を思い切り蹴とばした。
ルカは彼らの行動にある根本の原因を見たような気がした。結局、彼らは人から命令を受けることには慣れていても、自分で考えることをしてこなかったのだ。これは彼ら自身が悪いというより、環境がそう育ててしまったのだろう。
いつから剣奴をやっていたのか知らないが、ライナーの口ぶりからはかなり幼い頃からだと受け取れた。人相手に剣を振り回すことしかして来なかった奴隷が、突然広い世界に放り込まれて。右も左もわからない中で生き残ろうと必死に足掻いている。今まで使ってこなかった頭も精一杯働かせて。
もしかしたらナユタ大陸の恐ろしさも、彼らは理解していないのかもしれない。剣奴としての経験が、魔物ぐらいどうとでもなると考えているのではないだろうか。
ルカにとっては無謀で考えなしの行動も、彼らにとっては精一杯考えた末での行動。ライナー達は決定的に魔物の世界というものを知らなかったのだ。
特にナユタ大陸の魔物は他の大陸とは格そのものが違うのに。
だが、これは朗報だろう。ルカはこの情報が何かに使えないか、静かに考え始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます