第17話 ティーナの頼み

 要塞と謳われるログハウスからの逃亡。恐慌に駆られた彼らは一時間以上に渡り続けられ、ナユタ大陸を走っている。その間ルカはずっと抱きかかえられ、そろそろ体勢が辛い。


 一体どうしたものか。宛もなくナユタを走り回るのが危険なことは、影法師として生まれたときにティーナの記憶を引き継いだため、嫌とというほど理解してしまっている。


 だから止めたいのだが、恐慌に駆られた彼らにルカの言葉など入りそうにない。

 一抹ながら気持ちはわかる。何せ炎に焼かれた男の断末魔はまだ耳に残っているし、次いで炎に絡み付かれた男もじわじわ殺されていったのだろうな、と理解できるからだ。


 おそらく冒険者達の何かしらの行動をスイッチとして、要塞として防衛機能を遺憾なく発揮したログハウスから、何が何でも遠ざかりたいと思うのが人情だろう。

 まあ、いいざまだ、とも思っているが。


「ね、ねえ! もうさすがに大丈夫なんじゃないの?」


 ルカを抱えた女冒険者が、息を切らしながら言った。先頭を走っていたライナーが振り向く。


「あ、ああ……そうだな。こんだけ離れりゃ大丈夫だろうよ。……はあ」


 安堵したとたん気が抜けたのか、三人がへたり込む。解放されたルカはすぐさまティーナを奪い返すと、歯を剝き出しにして威嚇しながら距離を取る。そして十分離れたところでティーナに抱きついた。


「ティーナ! ティーナ、大丈夫?」


 眼と鼻の迫る距離、何度も殴られた顔が痛々しく思わず涙が溢れた。――よくも! ルカは鋭くライナーを睨みつける。


「はん。暴れるから悪ぃんだよ」


 震える拳を握りしめた。今すぐにでも胸の内で暴れ狂う衝動に従って、へらへら笑う顔面向かって殴りたい。


「――師匠さえ帰って来れば」

「待つだけ無駄じゃ」


 無意識に口から出た期待の言葉に対する弱々しい声。聞き覚えのある声にハッとして、ティーナを見た。


「ティーナ!」

「……師匠は帰ってきても、私らを助けようとはすまい」


 弱っているが意識のはっきりしている様子に、ほっと安堵した。しかし――。ルカは声を潜めて訊ねる。


「どういうこと?」

「あの師匠じゃ。メーコを修理するだろうし、私らも見つけてくれるだろうが、助けはせん。これぐらい乗り切って見せろといいおるだろうよ」

「そんな、馬鹿なこと」

「ありえるよ。あの師匠じゃからな」


 ティーナは断言するが、ルカはいまいち信じ切れずにいた。確かにあの師匠なら、けれどいくらなんでも。そんな相反する感情が三対七ぐらいの割合でルカの中で渦巻き、ティーナに従えばいいかと迷いを放棄した。


「わかった。じゃあこれからどうする?」


 腫れた顔でルカを一瞥したティーナは、自身の首についている銀環に触れる。


「こいつを外す方法を探してくれ。外せばスキルが使える」

「でも、スキルじゃ……」

「あの程度の輩なら問題ない。……頼む」

「……わかった。任せて。だからティーナ休んでいて」

「……そうさせてもらう。さすがに疲れた……」


 そう言い残すと瞼を閉じ、すぐに緩やかな寝息が聞こえてきた。よほど疲れていたのだろう。

 ルカは視線を素早く離れた冒険者達へ向ける。一人残った男の冒険者がこちらを見ていたが、声の届く範囲にいないことを確認すると、小声で呟く。


「……〈システム・オープン〉」


 空中に不可視のプレートが出現する。スキルが封印されていても、〈システム・オープン〉の使用は可能。これは呼吸をするのと同じ、自然と備わった魔力を動かせるのと同等の、誰でも持っている能力であって、スキルとはまた違う。これなら使えるかもと思っていたが、実際に使えるのがわかってほっとする。


 あとは声を聞かれなかったなら、ここまではバレる心配はない。背中に冒険者の視線を感じる気がするが、実際にはどうなのだろう。ルカは振り向いて確認したいという不安を抑え込んだ。問題はここからだ、怪訝に思われる行動は慎まなければならない。


 〈システム・オープン〉にはいくらか設定をすることができる。一度表示すれば解除するまで続いたり、思考だけで選択できたり。「表示」と「選択」については結構応用が利くのだ。


 ルカの場合は無操作五分で勝手に消え、選択は右手の指で行わなければならない。これはデフォルトの設定であり、ティーナも同じだ。後々のことを考えると、この設定を変更しておく必要があった。

 問題は、指を不自然に動かす動作を見た冒険者達が、〈システム・オープン〉を操作していると感づかないかどうか。ユウキがメロスに、極一部の特権階級しか知らないと言っていたような気がするが、うろおぼえではっきりしない。


 勝算は十分ある。身動ぎして自分の身体でウィンドウを隠すような位置取り。これでちょっとした動作ぐらいなら気にしないでもらえるはず。ルカは緊張しながら、しかし素早く指を宙に躍らせ、設定欄をタップする。


 〈システム・オープン〉の設定項目がずらりと並ぶ。上から下へ。視線を走らせ、文字の海から開示項目を見つけた。即座に音声から思考にチェックを変更。

 次に操作項目を探す。――見つからない。どこかで見逃したか?

 そのときぬぅっと人影が落ちてきた。


「おい、何してんだ?」


 心臓が飛び跳ねた。身体が条件反射でビクリと震え、背後を見る。さっき、ルカを見ていた男だ。


「いえ、何でも」

「……そうか」


 首を捻りつつも、何もないことを確認した男は元の場所に戻って行った。ほっと息を吐く。身体の強張りをほぐすように、一度背筋を伸ばした。〈システム・オープン〉のことを知らなかったが、考えが及ばなかったか。どちらにせよ、助かった。


 だが、安心している時間もあまりない。肝心の操作項目で思考操作にしなければ、また空中に指を走らせる、傍から見れば不思議な動作をしなければならなくなる。これが何度も続けばさすがにおかしいと思われてしまうだろう。


 早く探さねば。ルカは開きっぱなしの設定項目を、今度は下からさっきより時間をかけて探していく。


 ――見つけた。ほっとする。すぐに直接操作から思考操作へ。そして一度決定を押す。これで設定が繁栄され、残りは思考するだけで〈システム・オープン〉の操作をできるようになった。


 ルカは設定画面を閉じると、今度は〈インベントリ〉を開いた。元プレイヤーと違い、保存量が最大魔力に影響するそこには、たった一行だけの文字があった。


 ――ライフ・ポーション。


 メロスのいなくなったティーナが情緒不安定で、怪我でもするのではと心配し、念のために弐号に頼んで倉庫から取り出してもらったそのアイテム。


 これを飲ませればティーナはたちまち回復するだろう。だが、それでどうなる? また殴られて終わりではないのか。銀環のせいでまともな抵抗もできないまま、やれるなんて……。

 今すぐにでもという焦燥を無理矢理抑え、まだ早いと未練を断ち切るように小さく首を振った。


 一度きりの回復。ティーナには悪いが、ここで使うべきではない。それより、この銀環を外してスキルを使える状態にすること。ティーナにも何か考えがあるようだし、そのときに使うのがベスト……!


 頭の中ではそう結論が出ているのに……。


 ルカは小さな舌打ちと共に、〈システム・オープン〉の項目を消した。これで最低限、後々のための準備はできた。

 ライナー達を鋭く見た。後はあいつらから……どうやって――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る