第13話 ウェルの死

「では今日はこれまでとしようか」


 ゴーレムと模擬戦をし、屍を晒しているティーナとルカに日が暮れたので終了を告げると、ゴーレムの姿が崩れて砂となった。

 二人の反応はない。どこからあんな悲鳴がでているのかと疑問に思うような声をあげながら、ひたすらゴーレムの攻撃から逃げ回っているだけの時間だったので、こうなるのも仕方ないといえばそうかもしれない。

 すでにこの修行を始めて一週間。辛うじて反撃らしいものをできるようになったとはいえ、実力差は測ることさえ馬鹿らしくなるほど大きい。ただティーナが一度だけ、ほぼ反則に近かったがゴーレムにいいものを入れて転倒までさせている。さすがにそんなことでスキルは手に入らなかったが。


「ほら、二人共早く立て」


 再度、声を掛けると酷く覚束ない足取りで弟子達が立ち上がった。

 そして恨みがましい目をこちらに向ける。


「ゴーレムの調整、間違っとらぬか? 倒せる気が全くせんぞ」


「当たり前だ。一年掛かってもしかしたらというレベルが相手だぞ、そうそうに倒せるものか」


「それにしたって……二人掛かりでも攻撃したら受け止められるどころか、投げ飛ばされるんだけど。ボク、この一週間で数えられないぐらい空中泳いだよ。何で片手で投げられるのさ、ステータス差?」


 ゴーレムの身体能力は間違いなく四ツ星クラスでしかない。だが、技術面だとメロスの持っているものをそのままトレースしているので、生半可な攻撃は受け止めさえしてもらえない。

 腕をからめ捕り、宙に放り投げる。ゴーレムは定められたルーチンを繰り返すだけで、これ以上の動きを二人は引き出せずにいた。とはいえ、対応でき始めているのさえ、本当はおかしいのだが。

 こと戦闘に限っては才能に満ち溢れているようだ。


「飯食って寝るぞ」


「……わかった」


「今日のメニュー、何かな。あれだけが最近のボクの楽しみなんだ」


「奇遇じゃな、私もよ」


 メロスが先導し、疲れ切った二人が体に鞭打ちながらトボトボとついてくる。

 しかし唐突にメロスが足を止めたことで二人の足も止まり、訝しげにメロスを見た。


「どうしたんじゃ、師匠」


「……ウェル?」


 呟いたのは時々訪れる旧知の名。感じ取ったのは知っている憤怒狼ラースウルフの気配。

 憤怒狼ラースウルフというのはそもそも縄張りを持たず、気まぐれだ。ウェルが来るのも数年ごとだったときもあれば、三十年近く来なかったことも普通のようにあった。

 前に来たのは八年前。ウェルが訪れる時期としては微妙な時期であり、来たとしてもおかしいことはない。

 しかし、不穏なものを感じたメロスの顔に緊張が走る。


「……気配が弱い」


 メロスの普段使う感知スキルは〈生体感知〉だ。生命力に反応し、強いものほどはっきりと知ることができる。逆に弱いもの、あるいは弱っているものは感じ取りにくい。

 ウェルはメロスが展開している〈生体感知〉のかなり内部に至ってから突然現れた。しかもいつもより遥かに弱々しい。

 憤怒狼ラースウルフは決して弱い存在ではない。ナユタ大陸にあってさえ強者に位置する存在であり、多少の怪我程度なら一日で回復しきってしまうタフさまで兼ね備えている。

 だからこそ嫌な予感が募る。ここまで弱った憤怒狼ラースウルフなど、メロスは知らない。


「二人にはウェルのことを話していたな?」


「確か、師匠の友人の憤怒狼ラースウルフじゃったな」


「ああ。そいつが近くまで来たらしいんだが、どうにも不穏だ。少し見てくる」


「わかった」


 ティーナが頷いたとき、一陣の風が吹いてメロスの〈風渡り〉が発動する。

 〈生体感知〉によってウェルのいたポイントは正確にわかっていた。ナユタ大陸ではありふれた深い森。時刻もそろそろいい時間になってきており、しかも山の影になっている場所。

 わずかな星明りが降り注ぐ中、〈風渡り〉がメロスをその場所へ運んだ。

 ナユタにおいては珍しくない、しかしメロスにとっては信じ難い光景に目を瞠る。


「ウェル! どうしたというのだ、この有様は!」


 予期していたとはいえ、久しぶりにあったウェルの姿は酷いものだった。

 血に染まったような赤黒い体毛を持つ、見上げんばかりの巨狼。眼光は鋭く黄色い輝きを放ち、遭遇すれば敵対と死を避けられないと覚悟させる、凶悪な形相。上顎から伸びる二本の大牙。戦うためだけに生まれてきたと言われても納得してしまう、戦意と活力でできたような存在だった。

 それがかつての――本来の姿だったはずだ。


 なのに今やどうか。顔の半分以上が嬲られたような傷跡だらけで、後ろ左足と尾の半ばから先、それらが全て欠損していた。無事であるところなどどこにもなく、ふらふらと何度も倒れそうになりながら、残った足で弱々しく歩いている。

 拷問の痕。千年以上前、人の世で暮らしていた頃に幾度と見た下種の所業。メロスは経験からそう判断した。

 だからこそ驚きを隠せない。激闘を繰り広げて大怪我をした方がまだ理解できた。

 どこの誰が憤怒狼ラースウルフを拷問し傷つける者がいるというのか。

 一体何があった。そんな風に考えているメロスの前で、ウェルが大樹にもたれるようにして崩れ落ちた。


「ウェル!」


 もう一度、名を呼ぶ。

 ウェルがわずかに顔を上げた。


『メロ、ス……か……?』


 低く渋い、掠れきった声。

 メロスは奥歯を噛みしめた。すでに目が見えなくなっている。それ以外にも五感の大部分がやられている。……もう、長くない。


「……何か、言い残すことは?」


 全ての思いを押さえ、問う。


『……子を……た、のむ…………ひと、じちに……』


 人質。全身の血が沸騰しそうになった。

 憤怒狼ラースウルフは個体数が極端に少ないためか、子をなせば大切に育て、絶対に見捨てることはない。だからこそ子が独り立ちするまでは番で行動するのが普通だ。

 ウェルの連れ合いはどうしたのだろう。先に殺されたのだろうか。

 何かしらの理由で別行動していたとしても、子を人質にされた時点でウェルに打つ手はなかったはずだ。

 まだいくつか疑問はある。聞きたいことはある。

 しかし、ウェルに告げるのはただ一言。


「――わかった、あとは任せろ。お前は安心して、もう休め」


『……よか……た……』


 ふ、と弱々しく脈打っていた命の息吹が消えた。ここにはウェルだったものの、抜け殻だけが残っている。

 ウェルが通って来た道に目を向ける。あれだけの怪我を負いながら随分歩いてきたようだ。とっくに死んでいてもおかしくない怪我だった。気力だけで来たのだとすれば、どれだけの精神力を必要としたのだろう。

 子を救うため。メロスに託すためだけにここまでやって来た――。

 メロスは再び、じっと感情のない顔で遺骸を見る。


「……こうやって見送るのは、いつぶりだったかな」


 遥か悠久の向こうだったか、つい数年前のことだったか。

 手を握りしめる。ギュリッと肉を割く音が鳴り、血が流れた。ボタボタと土に落ちた血が吸い込まれていく。〈弱攻撃無効〉〈負傷自動回復〉をあっさりぶち抜く〈攻撃強化〉と〈スキル無効化〉のスキル……。軽く握っていたつもりだったのに、と頭の片隅で考え、緩慢な動作でウェルの巨体を肩に担いだ。

 ――ウェルはこれほど軽かっただろうか。

 一度でも担いだことはなかったのに、メロスは自然とそう思った。


「――〈風渡り〉」


 ポツリと呟いてスキルを発動する。

 風が肩に背負っていたウェルごと身体を運び、弟子達と別れたところに戻ってきた。


「ッ、なんじゃ、それは!?」


「うわあ、おっきい! ……生きてるの?」


 去る前とまだ同じ場所にいた二人は、戻ってきたメロスの担ぐ巨体に驚きの声をあげる。

 ウェルの血によって真っ赤に染まったメロスの心配は一切していない辺り、強さに関しては信用しているのだろうか。

 そんなことを考えながらも、ルカからすれば当然の疑問に対して、思わず殺気が洩れた。

 二人の顔が青ざめる。


「もう、死んだ」


「……ごめんなさい」


「構わん」


 殺気を抑えなければ。そんな思考とは相反して体からは全く力の抜ける様子はない。

 これがナユタの生存争いに敗れた結果、命を失ったのだとしたらメロスはここまで怒りを覚えなかっただろう。それは自然の摂理だ、こんな場所に住んでいるのだから仕方のない結末である。

 だが、果たして拷問する必要はあったのだろうか。ナユタで見ることはないだろうと思っていた行為の痕を見せつけられて、メロスは自分で思っている以上に冷静ではなかった。


「……二人は先に食べていろ。私はウェルを埋めてくる」


 これ以上殺気に怯える弟子達と同行することもないだろう。

 メロスは普段よりやや重い足取りで家の裏に回る。日当たりのいい一角を選んで、〈土人形生成クリエイト・ゴーレム〉の要領でウェルの巨体が十分に入る穴を掘る。土系統の魔術は得意でないため、掘るだけの作業に三十分近い時間を掛けた。

 ようやく完成した墓穴の中に飛び降り、ウェルを置く。そして一度はそのまま出ようとしたメロスだが、ふと思いとどまる。

 代わりに骸となったウェルをじっと見て、


「……あまり死体を壊すのは好まんが」


 難しい顔で呟くと、ウェルの残っている足に向かい、人の胴ぐらいなら真っ二つにできそうな爪の根元を、手刀で叩き折って回収する。ついで、牙へ。


「この牙を渡して、ウェルの子の形見になるものを爪で作って貰うつもりだ。さらに遺体を傷つけるような真似をして、すまない」


 拷問の末殺されてしまったウェルを思うと、本当はこれ以上の破壊行為はしたくなかった。

 だが、ウェルの子供とやらに何か渡してやりたいと思ってしまったのだ。憤怒狼ラースウルフは親が子を想うように、子も親を慕うものだから。

 ユウキに牙を渡せばいい仕事をしてくれるだろう。

 それでも自分の行動には納得できていないのか、メロスは難しい顔をしながらウェルに向かって軽く頭を下げると、墓穴から飛び出た。

 墓穴の中で眠るウェルを見た。


「……さらばだ、我が友」


 最後に語りかけ、墓穴を埋めた。

 掘るときと違って五分ぐらいで終わったその作業のあとは、やや土が盛り上がっているだけの場所となった。

 あとで墓石を用意してやらねば。

 しかしやるべきことが残っている。メロスはもう食べ終えているだろう二人の元へ向かう。おそらく一回のリビングにでもいるのだろう。

 そう考え行ってみれば、やはり居た。さっきよりは幾分よくなった顔色で話している二人のところへ割り込む。


「ティーナ、ルカ。悪いが用事ができた。数日留守にするが、大丈夫だな?」


 二人は一度顔を見合わせた後、圧力でも感じているかのように重苦しく頷いた。


「私達は構わんが、師匠はどこへ行くつもりじゃ?」


「ウェルの子がまだ生きているらしい。探さねばならん」


「そうか。わかった」


 会話はそれきりで、メロスは背を向けると外に出た。食事はほぼ自動なので問題ない。万が一魔物が近づいたときには壱号と弐号が対応するだろう。あの二体はティーナとルカの安全を優先するように命令してある。

 今は二人の弟子のことよりも、ウェルの子のことだ。

 とりあえずウェルを拾った場所に〈風渡り〉で飛ぶと、ウェルが来た方向に視線を走らせた。


「向こうか」


 呟いた瞬間、メロスの姿が消えた。四ツ星仙術スキル〈縮地〉。高速移動スキルである。

 メロスの経験に裏打ちされた〈縮地〉は、本来の能力を軽く越えた移動速度を備えている。それでいて仙術スキル故の特性か、周囲への影響はそよ風が発生する程度に抑えられていた。

 風景が高速で後ろに流れていく中、メロスは走る。

 ウェルの子がどこにいるのかわからないため、とにかく探すしかない。見たことがあれば、そして屋外であれば〈風渡り〉で移動できるのだが、見知った相手という発動条件を満たしていない。

 いかなメロスが超位ジョブの〈神仙〉であったとしても、その能力は捜索に向いているわけではない。探知系スキルも個人を特定するようなものは知らず、覚えていたとしても知らない相手を特定できるようなものはさすがにない。

 直接足で探す以外の方法を、メロスは持ち合わせていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る