第14話 帰ってみれば

 そして血の痕跡を追いながら、誰がウェルの子を人質に取ったのだろうと思考する。

 ナユタ大陸で人質を取るような行動をする魔物――。簡単には思いつかない。人語を介せるぐらいの知能があれば取るかもしれないし、しかし魔物がそんな迂遠な方法を取るものだろうかというのも疑問だ。

 力と力のぶつかり合い。知能があろうがなかろうが、魔物はそれを特に好む。

 だがウェルは人質を取られたうえで拷問されていた。ふと気づく。


「ウェルはどうやって逃げたんだ? ……いや、逃がされたのか?」


 もう助からないだろうから、より苦しむように逃がした。……考えてみたものの、これは少し無理がある。色々意味不明だ。そんな理由より相手側に不都合が生じ、それに乗じて逃げ出したと考える方がありえるか。


 どうやって逃げたかは、逃がした方に直接聞けばいいかと思考を切り替える。犯人がナユタの魔物にやられたとは微塵も思っていない。ウェル相手に狡猾な立ち回りをしたものが、そう簡単に死ぬものか。


「それにしても憤怒狼ラースウルフを仕留められる実力者か。他の大陸の奴らとは思えんが」


 もしかすると、とは思う。

 だがいくらなんでも、それはない。ユウキから聞いたのだが、やはり今の世の中は〈システム・オープン〉を知っているのが一部特権階級に限られているため、スキルを組み替える方法も知らず、ステータスの上がり方も理解せずにいるらしい。


 メロスからすれば一種の縛りプレイだ。そんな奴らがどれだけ力をつけたとしても、超位クラスとも互角に戦えるウェルがどうこうされるとは思えない。たとえ無抵抗であったとしても、だ。

 ありえるとすれば、数少ない特権階級がナユタに来ていた場合だが、そこまで行くと雷に打たれて死ぬことを怯えるぐらいに、無駄な憂慮だ。


「ん? この辺りか」


 色々考えながら三時間ほど移動したところで、特に血が散らばっているところを発見した。血はすっかり乾ききっている。

 メロスが全力で三時間かかった道のりを、半死半生のウェルはどれだけの時間を掛けたのだろうか。三日か、四日か。こうして考えると、ウェルは本当に性能が高かった。瀕死の状態で移動できる距離ではない。


「――〈生体感知〉」


 普段は意識すらしていないパッシブスキルを意識して発動させる。感知範囲の広がる感覚。普段はわからないほど弱い魔物も、メロスの感知範囲に引き込まれた。

 ――把握。生命力の大小の判別。憤怒狼ラースウルフと同等レベルの個体反応、なし。


「……とりあえず、この全部を見て回るか」


 犯人がまだこの辺りに留まっているのかはわからない。ウェルがこの辺りにいたのは数日前、すでに範囲外まで出ていたとしてもおかしくない。

 どちらにせよ、発見にそう時間が掛かるとは思えなかったが。


 憤怒狼ラースウルフに致命傷を与えるなど、たとえ無抵抗だったとしても生半可な実力では足りない。確実に一定以上の強さがいる。生体反応の強い順から向かって行けばすぐにでも当たるだろう。


 〈縮地〉で再び高速移動。


 初めの魔物は違った。蛇型の魔物ではどうやってもウェルにあんな傷はつけられない。すぐに次へ。


 二番目は蜘蛛型の魔物。こちらは森の一部が真っ白になるほどの大きな巣を作っていた。待ち伏せタイプの魔物がわざわざ人質を取るようなことはしないだろう。これもハズレだ。


 三番目。猿型で、一応強さ以外の条件を満たす魔物を見つけたところで、〈生体感知〉の範囲ギリギリに、憤怒狼ラースウルフを傷つけられるレベルの魔物を発見した。

 猿型の魔物は放置、すぐにそちらへ向かう。


 そして、見つけた。全ての条件を満たし得る魔物。そいつらを認識した途端怒りが臨界点を越えて、逆にすうっと頭の冷える感覚が訪れた。

 メロスは表情の抜け落ちた顔で魔物達の前に姿を現した。


「な、なんだあ、お前っ!」


「人!?」


「おお、天の助けか!」


 深い森の中でみすぼらしい姿をした男達は、メロスを見るなり叫んだ。

 冒険者上がりの盗賊。一見してそんな印象の三人組み。おそらくナユタ大陸でなければどこにでもいそうな男達だろう。しかし生憎、ここで彼らは異常以外の何モノでもない。


「ひとつ、聞こう」


 メロスは静かに問う。


憤怒狼ラースウルフを殺した覚えはあるか?」


 三人は顔を見合わせ、一人が答える。


「いや。そんなの知らねえが……だいたい、そんな恐ろしい魔物と遭ってたら、俺達はもう生きてねえよ」


「なるほど。お前、名は?」


「ト、トートだ」


「トート。貴様ら三人はこんなところで何をしていた。ここがナユタ大陸だというのは十分承知しているのだろう?」


「頭に無理矢理連れて来られたんだよ」


「頭?」


「盗賊さ。ワルディネア大陸のカインっていやちっとは有名なんだが」


 確かに、トートとかいう男を含め三人共犬耳と尻尾をはやして獣人の特徴を備えていた。


「カインか、知らん名だ。どいつがカインだ?」


「死んだよ。俺達が殺した。ちょっと強いからって俺達をこんな危険なところに連れてきやがって! だから油断しているところを後ろから刺してやったよ。すっげえ驚いた顔してやがったぜ、ハハ、ざまあみろだ」


 トートが今にもとろけそうな愉悦に満ちた笑みを浮かべる。

 弱者の強者に対する卑屈が見え隠れしている。よほど自分達より強い存在に鬱憤が溜まっているようだ。

 ――その鬱憤晴らしにウェルが選ばれたということか。冗談ではない。


「……トート。いいことを教えてやろう。私は〈真実の眼〉というスキルを覚えていてな、発動している間は相手の嘘を見抜くことができる」


「へえ、それで?」


憤怒狼ラースウルフをどうしたのか、嘘ではない答えを聞きたい。真実を言うつもりはないか?」


 メロスがわずかに殺気を漏らすと、三人の顔が青く変わり腰が引ける。今にも反転して逃げそうな体勢を取るのを見て、メロスは獰猛に笑った。


「〈神仙〉が最も得意とするのは幻術や精神誘導、引いては真実を欺く術を得意としていて、相手の詐術に引っかかることはない。お前達が人の姿をしていても〈餓鬼〉だということはわかっている。油断を誘おうとしても無駄だ」


 餓鬼。人語を解する魔物の一種。本来の姿は大人の半分ほどの背丈をした醜悪な鬼。得物を喰らうことでその姿に化けることができ、同種の魔物の油断を誘って襲う。

 また、弱っている得物を甚振り殺す残虐性も持ち合わせている。

 ウェルを殺した犯人の条件は全て揃っていた。


「が、餓鬼だなんて、そんな馬鹿なこと……」


「言いたくないなら言わなくていい。だが、早く言うに越したことはないぞ。でなければ長く苦しむことになる」


 言い放つと同時、メロスはトートに飛び掛かる。

 狙ったのは腹部への掌打。しかし、今までの怯えた表情を一変させ、憎悪のようなものを浮かべたトートは、俊敏な動きでメロスの攻撃を避けた。

 残った二人がメロスを囲む。こちらも表情が変わっていた。

 まるで地獄で亡者を責める鬼のような顔。

 今まで付けていた仮面を外し、醜悪というに相応しい本性を現した。


「ふむ。本性を現してきたな。そういえば餓鬼の話をしたらティーナが酷く怯えていたが、他人の姿を取るタイプの魔物はとことんまで苦手らしい」


「一体何の話ししてんのか知らねえが、生きて帰れると思うなよ」


 抜剣した三人がこちらに剣を向ける。

 いよいよ取り繕う気はなくなったらしい。

 メロスは三人を見回した。


「貴様ら、憤怒狼ラースウルフの子を人質に取っていたはずだが、どうした?」


「はん、あのチビ狼のことか。あいつなら親の前で殺してやったよ。そのせいで憤怒状態になっちまって逃げられたが、あの様じゃどうせもう死んでんだろ?」


 にやあっと嫌な笑みをメロスに向ける。


「お前、あいつの死に様見たか? どうだったよ、子供人質にされただけで動けなくなった血塗れ狼の末路はよ。見たんだろ、教えてくれよ。せいぜい無様に恨み言でもいいながら死んだか? 子供を救えなかったって無念でも語ったかよ」


 ハハッとさも楽しそうに短く笑った。


「ざまあねえぜ。あいつらいっつも偉そうだもんな。偶然ガキの方を捕まえられて、ホント最高だったぜ」


 三人で下品な笑いを立てた。本性を現した彼らは囲んでいる安心のためか、酷く饒舌に語る。どれもがウェルを悪しざまに語る聞くに堪えないものだった。

 餓鬼の実力は高い。ナユタでも上の下には入るほどで、弱者というカテゴリーに入れるのは少し厳しい。しかし餓鬼はなぜだか自分達より強い者をことさら憎む。何が彼らを駆りたてているのかわからないが、卑屈で卑怯が彼らの代名詞。

 餓鬼がウェルを貶すのもそんな理由から。

 メロスはそれにじっと耳を傾けていたが、やがて口を開く。


「そうか。目の前で子を殺したのか。とりあえず、聞きたいことは聞けたな」


「何を強がってやがる。てめえももう終わりだよ! 人間が、正義感丸出しで俺達に刃向ってきやがって」


「正義感? 私からは遠い言葉だな」


 メロスが笑い、動いた。ゆっくりした手の動きだ。ちょっと握手でもしようか、そんな風に言われても違和感はなかった。半ばまで上がった手は腰を通りすぎ、胸元の高さで止まる。掌が一人の餓鬼に向いた。


 餓鬼が顔をしかめ、警戒する。攻撃か? 攻撃だろう。ならばどんな攻撃でも対応してみせるつもりで腰を低くし、構える。

 メロスが馬鹿にしたように鼻を鳴らす。徐に手を前に突き出した。緩やかな動作のそれは、餓鬼に少なくない戸惑いを生ませた。何を。警戒こそ途切れさせなかったが、肩透かしの感が強い。


 だが、違う。手を突き出す行動は、メロスの意識としては掌打に類するもの。遅い動きのせいでそうは見えなかっただけだ。

 メロス以外の誰もが動けずにいるなか、ゆっくりとした掌打が完全に打ち出された。


「ガッ!?」


 餓鬼の一人が短い悲鳴。体をくの字に折り曲げて吹っ飛んだ。微動だにしない餓鬼の横を抜け、勢いよく木立にぶつかる。胴の三周りは太い木立は、餓鬼を受け止めきれず圧し折れた。しかしなおも餓鬼の勢いは弱まらず、地面すれすれを飛び。次の樹木にぶつかってようやく止まった。降り注がれる落ち葉の数が、餓鬼がどれほどの速度で来たのかを物語っている。


 圧し折れた木立が今になって傾き、倒れる。バキバキといくつもの枝が折れる音。横たわったとき、落ち葉を勢いよく舞い上げた。


 土煙と落ち葉が宙を踊る中、ずるずると崩れ落ちていく餓鬼。樹木は折れなかったものの盛大に窪み、中心には赤いあと。餓鬼がうつ伏せに倒れた。真っ赤に染まった背中が衆目の元に晒される。痙攣。死んだようにしか見えないが、メロスの絶妙すぎる手加減は命まで奪うことはなかった。しかしここまでされるなら本人はむしろ死んだ方が幸せだったかもしれない。壮絶。白目を剥き、血を吐いて気絶した。


 呆然と見ていた残りの二人は、聞こえた足音に顔を白くする。メロスが一歩、また一歩と近づいていた。死神もかくやという姿に、全身の震えを止めることができない。


 カヒュッと呼吸が洩れた。一瞬、息が詰まっていた。


 何が起こったのか、全く理解できない。どうすればあの距離から、人一人吹き飛ばせるのか。いや吹き飛ばすだけなら方法はある。風を扱うでも衝撃波を出すでも思いつく。しかし今の餓鬼と同じ状態を生み出せるかといえば、否。樹木をへし折ってなお止まらない威力。そんなもの、餓鬼は知らない。

 圧倒的実力差。判然としたその事実に、誰かがゴクリと唾を飲む。


「〈遠当て〉。仙術の二ツ星の技でしかないが、最もよく使った技だ。習熟度は相当高いぞ。ああ、普段はあんなにゆっくりやらないから安心していい」


「てめえ……!」


「勘違いするなよ。人数で勝っているからといって、狩る側とは限らないのだからな」


 残った二人が剣をメロスに向けるが、その剣先は細かく震えている。怯え。彼らはすでに自分達が食われる側になってしまったことを悟ってしまった。


 弱肉強食はナユタの摂理。


 強ければ生き残り、弱ければ食われる。強者の気まぐれに生き残ることもあるが、そうは見えないメロスの怒りは、間違いなく自分達に向いていた。気まぐれはおろか、見せた実力の一端を考えれば奇跡すら握り潰されてしまう。

 メロスを前にし、生き残れるビジョンがまるで浮かばなかった。

 踏んではならない虎の尾を踏んでしまったのだと、今になって気が付いた。


「あ、謝って許してくれ、なんて……」


「認めるわけがなかろう。貴様らは死ね」


 メロスは嗤い、逃げ出した餓鬼を駆りたてた。




「まったく、手こずらせてくれたものだ」


 三つの死体を前に、メロスは一人ごちる。三人を発見してからすでに二時間経っていた。ウェルの味わった苦痛を味あわせるのと、八つ当たりを目的とした拷問に時間を掛け過ぎたのだ。

 メロスの感覚ではまだ十分ぐらいしか経っていなかったが、現実ではこの有様である。

 まだやることが残っていたのに時間を掛け過ぎたと、後悔が胸を過ぎる。


「いや、そんなことより。早く見つけないと」


 ウェルのもう一匹の子供。

 おそらくいるのだろう。

 ウェルが死の間際、言い残すことはとメロスに聞かれ朦朧とする意識の中呟いた、子供という単語。そして次に出てきた人質という言葉。これらはそれぞれ別の相手を指していたのではないか。

 餓鬼共の話を聞き、子供を目の前で殺したと知ってそう思った。


 もちろんメロスの考えすぎかもしれない。生と死の狭間で出てきた単語を並べただけかもしれない。

 どちらかわからない以上、もう一匹いる前提で動くべきだ。

 そうなると生きているのかどうかで不安が湧く。いくら憤怒狼ラースウルフとはいえ、餓鬼如きの人質になったことを考えても、子供ならそう強いわけではない。

 すでに他の魔物に殺された可能性は十分あった。


「任せろと言った以上、生きていてもらいたいが」


 再び、〈生体感知〉を発動する。

 いくつもの生命がいる。

 ウェルの子がどれぐらいの年齢かもわからない以上、ヒントは全く無く、しかもこの周辺にいるとも限らないため、かなり広範囲を探さねばならない。

 犯人共を見つけるのに時間が掛かったときに備えて一応、弟子達には数日留守にするとは言い置いてある。

 心配はない。

 メロスは本腰入れて探すことにした。




 二日目。

 メロスがそろそろ生存を諦め始めた頃、ようやく大樹の虚に籠っていた子狼を発見した。

 ウェルそっくりな赤黒い毛皮。牙はまだ生えておらず、大型犬ぐらいの大きさだ。

 どうやら衰弱しているらしく、覗き込んでも反応がない。〈生体感知〉に反応した以上生きているのだろうが、あまり時間はなさそうだ。

 インベントリからライフ・ポーションを取り出して子狼に振りかける。飲ませた方が効果は高いが、この状態では無理だろう。

 子狼が弱々しく目を開けた。スンスンと小さく鼻を鳴らす。


「お前はウェルの子か?」


 ウェル、という名に反応してわずかに顔を上げた。


「そうか。いつから、なぜお前が隠れていたのか知らんが、訃報だ。ウェルは死んだ。私はお前を託された者だ」


 子狼がじっとこちらを見つめたあと、悲しげに目を伏せる。

 ウェルが数日来なかったことで覚悟していたのだろうか。思っていたより動揺は少ない。

 メロスは周囲に目を走らせる。やはり母親は居ないようだ。瀕死のウェルがわざわざ遠方にいるメロスを頼って来たので、始めからいないとは思っていたが、やはり憤怒狼ラースウルフの片親がいないとなれば訝しむ気持ちが湧く。

 だが、それは子狼に聞けばいい。今は人語を解するほどの能力はないようだが、あと数年もすれば喋られるようになるだろう。

 今はそんなことより。


「お前を私の家に連れて行く。いいな?」


 同意を求めているようで求めていない、ただの勧告。

 何の保護者もないままナユタに放置してしまえば死んでしまうのは明らか。ウェルから子を託された以上、連れて行かない選択はなかった。

 幸いにも子狼が小さく頷いたので事を荒立てるようなこともなさそうだが。

 メロスはそっと手を伸ばし、子狼に触れる。


「では行くぞ。〈風渡り〉」


 メロスと子狼の身体を風が包み込む。

 視界がわずかに揺れて、暗転。数秒の間をおいて再び視界が戻ったとき、メロスは驚きに目を瞠る。


「壱号と、弐号?」


 着いたのは普段修行をしている家の庭。

 いつもと何も変わらない風景が広がっていると思えば、実際にあったのはボロボロになった二人のメーコ。

 両腕と両足が、おそらく剣で斬り取られてしまっている。それ以外にも切り傷がいくつもあり、無惨な状況だ。作り物の赤と青の瞳がメロスを見た。どうやら壊れているわけではないらしい。


「申し訳ありません、旦那様」


「お嬢様方を連れ去られてしまいました」


 壱号と弐号の言葉に目を瞠る。


「何があった、聞かせろ」

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