第10話 製作者の「仕掛け」
「メロスー! 俺だー! 開けろー!」
よく通るうら若い女性の声。しかし上げる大声は下品とも取れるもの。
ティーナとルカは驚き、素早く玄関に顔を向けた。
この家にはメロス達師弟を除くと、メーコの壱号から肆号までいるが、うち二人の声ではなく、残り二人は起動すらしていない。十日住みながら一度たりとも聞いたことのない声に警戒を強める。
それはつまり、あの恐ろしい魔物蠢くナユタの大地を歩んできたということに他ならないのではないか。
言葉を話しているからといって人であるとは限らないのがナユタ大陸の恐ろしいところで、強い魔物になれば人語を操ることぐらい理解している。
名前を呼んでいるが、外に居る者が魔物でないという保証はなかった。むしろ、こんなところに来るとすれば、人より魔物と言われる方がしっくりくる。いくらこの家が要塞化しているとはいえ、普段は防御力を高め、弱い魔物避けの結界を張っているだけなのだから、ありえなくはない。
「ユウキ? 珍しいな」
メロスのボソリとした声が聞こえた。
「師匠の知り合いか?」
「まあな。人語を操る魔物の一種とかじゃないから安心しろ。……まあ似たようなものではあるけどな」
「師匠、それって何も安心できないよ」
ルカが肩を竦める横でメロスは立ち上がり、食堂を出て行った。
メロスが迎えに行ったその間にも、外からの声は止むことなくメロスを呼んでいて、そのしつこさはなんとなし不気味にすら感じさせる。
声はメロスが玄関に着いた頃になって止まった。
声は綺麗なのに勿体ないというか、綺麗だからこそ恐怖心を煽るというか。具体的にはティーナがルカに感じているような恐怖と近いもの。
ティーナは思わずルカを見ると、ばっちり目が合った。
するとルカはにっこり笑う。
「うん、わかってる。覗きに行こう!」
何もわかってない。
興味を惹くどころか、引いているのにわかっていない。
しかしそのことを伝えるよりも早くルカはティーナの手を掴んでテテテと走り出し、仕方なしに引っ張られながらもついていく。
廊下を気配を消して駆け、そして玄関の近くにつくと角から二人してこっそり顔を出した。
そして、ティーナは息を呑んだ。
玄関でメロスと談笑しているのは一人の女性と――もう一人、一歩退いて、微笑みを浮かべているのは従者だろうか。何かの拍子に聞いた、日本人形のような可愛らしいおかっぱ頭の人。髪はルカより青みの強い色合い。
青を基調とした着物を着ていて、帯から鉄扇が覗いている。なんとなく、あれがあの人の武器だろうと察した。
「っ!」
こちらを見て、にっこりとほほ笑みを向けてきた。ばれているだろうとは思っていたが、実際にそれが明確になると、こそこそしていたのが恥ずかしい気分になる。ルカは手を振っていてまるで気にしていないが。
さて、肝心のもう一方。メロスと話している方である。
腰まで伸びる長い白銀の髪を湛え、瞳は力強い意思の光を秘めた漆黒。身長はメロスよりやや低い程度で、端正な顔立ち。スラリと細い体は凹凸がはっきりし、陳腐な言葉だが、絶世の美女を体現したような女の人。
一目見ただけで、吸い込まれそうな気がした。
だが――メロスと会話する声を聞く限り、先の大声の正体は彼女だったらしい。見目麗しい美女があれだけの大声をあげていたとなると……凄く、残念な気持ちになった。
ティーナ自身、女性は慎みを持つべきだなどと時代錯誤まるだしのことを言うつもりはないが、あの人は多少落ち着いた方がいいのではないかと思う。
ちなみに二人の年齢は二十前半、メロスと同い年に見える。
正直、どちらもとてもメロスと接点があるようには思えない。こんな魔物だらけの大陸で引き籠っている隠者が、どうやって知り合ったのだろう。
まるで想像がつかず首を捻っていると、メロスがこちらを向いた。
「二人共、客間に移動するから付いてこい」
ティーナとルカは顔を見合わせ、そろそろと角から姿を現した。
テテテとメロスのところまで駆け寄り、まるでそこが定位置とばかりにメロスの影に隠れ、顔を覗かせる。
「人見知りか」
女性二人が好ましそうに微笑む中、メロスが苦笑した。ティーナ自身己の行動が幼いと自覚しているものの、なぜだか体の方が思考より先に動くのだ。これを恥ずかしいとさえ思わなかった。むしろあんな美人の二人に正面から見られると思うと、そちらの方が恥ずかしい気がした。
白銀の女性と目が合う。ニコリとほほ笑まれた途端、顔が熱くなって思わず目を伏せた。
クスと小さく笑うと、白銀の女性はメロスに目を向ける。
「仕方ねえよ。ホムンクルスと融合したら精神は人型優先だからな」
「人型優先?」
「そうじゃねえと危なくて人間社会になんて置けねえんだよ」
「ああ、やはりそうだったか」
「そーそー。つまり今のこいつらは元が何だったとしても、ただの子供ってわけ」
姉御肌な口調で妙に訳知りな様子の白銀の女性。二人でこんな場所まで来れるだけあって只者ではないらしい。
精神状態が、子供。龍の姿だったときより明らかに幼くなった精神状態に、メロスが度々首を傾げて推論を述べていたが、まさにその通りだったようだ。
我ながらこうしていることが自然のように思え、傍から見れば親に甘える子供そのものなのだろう。
――甘える?
ふと、自分がどんな精神状態であるかを考え、ゾッとした。
慌ててメロスから距離を取るように後ずさる。ティーナの深紅の目は見開かれ、恐怖に唇を戦慄かせていた。
いくら精神状態が子供だとしても、殺したいほど憎んでいる相手に甘えるなど、何を考えている。
行動の異常性に、今更気がついた。
「どうかした、ティーナ?」
心配そうに声を掛けてきたルカを見る。影法師である彼女はティーナのコピー、同じくメロスを憎んでいるはず。しかしルカはメロスに甘えていて、それに何の疑問も抱いていないように思える。殺し合ったのはほんの十日前のこと、和解したわけではなく牙を研いでいるだけのはずなのに。
ティーナだけでなくルカまでも、意味のわからない毒牙に掛かっている。精神状態が狂ってる。
原因など考えるまでもない。ティーナは、メロスを鋭く睨む。
「私に……何をした……」
恐怖を押し殺し、問う。メロスが何かをしたとしか思えなかった。
だが、
「何かとは……なんだ?」
言っている意味がわからないとばかりに、メロスは首を捻った。
その瞬間、ティーナの中の何かが切れた。怒りが恐怖に勝った。
「お、おかしいではないか! いくら精神状態が子供とはいえ、なぜ私が貴様に甘えねばならぬ!」
今までの自分の行動を思い返すと顔が燃えるように熱くなった。今ならわかる。傍から見た自分はどう控えめに見てもメロスに甘え、傍に居ることで安心しきっていた。
殺してやるとまで宣言した者の行動ではない。メロスがどんな気持ちでティーナに接してきたのか、考えるだけで悶死しそうになる。
甘えて来るなんて可愛いところあるじゃないか、など思われていたら最悪だ。死ぬしかない。もし過去に飛べる魔術があるなら大急ぎで覚えて過去の自分を殺しに行きたいくらい、羞恥が募る。
何をされたかわからないままよくもやってくれたな、という怒りのボルテージが上がっていく。
ティーナは目元を真っ赤にし、メロスを射殺さんばかりに見据えた。
だがなおもメロスは怪訝げに首を捻っている。この期に及んで誤魔化そうというのか。そんな怒りまで加わろうとしたところに、メロスはハッとして白銀の女性を見た。
「お前、何か余計なことしたんじゃないだろうな」
恥知らずが。ティーナは咄嗟にそう思った。
誤魔化そうとして白銀の女性に責任をなすりつけようとしているように見えたのだ。
だから巻き込まれた白銀の女性はさぞ困惑しているのだろうと視線を走らせてみれば、笑っていた。
端正な唇が小さく弧を描く。だがティーナには三日月のように大きく口を割いて見えた。まるで魔女が満面の笑みを浮かべたような錯覚。
――なぜ、笑う?
訳がわからない。その表情は、この場で最も似つかわしくないものだ。ゾワリとしたものが背筋を走った。
「……どういうことじゃ」
「まだ紹介していなかったが」
メロスが苦々しげに白銀の女性を見る。
「この白い奴がホムンクルスを作った張本人だ。お前が自分自身に違和感を覚えるとしたら、こいつが何かやらかしたんだろう」
ティーナは目を瞠る。白銀の女性が前屈みになってティーナの顔を覗き込み、
「うまく種が芽吹いたようで良かったよ」
意味深に笑いながら、そう言った。
――思考が止まった。
あれからティーナは、白銀の女性に飛び掛かろうとしたところまで覚えている。
何をされたのか理解したわけではなかったがこいつが元凶かと理解した途端、気づけば飛び出していた。
何をしようとしたのか自分でもわからない。責めようとしたのか、――いやあの勢いであれば、一発殴ってやろうとでも考えたのだろう。
視界の端でおかっぱの女性が動いたような気がしたが、はっきり意識する間もなく目の前は暗転した。メロスのしわざだと思う。
……随分、無謀な行動を取ったものだと思う。ナユタ大陸を歩いてきた片割れだ、弱いはずがなく一撃殴るだけにしても命を懸けなければならない。成功するにしても、失敗するにしても。
相手の気分次第でティーナの首は飛んでいた。
メロスと出会ってから怒りばかりが募る。以前の自分はどちらかといえば臆病で慎重だった。卵龍の弱い身体では登竜門を登れないと諦めていたことを、失礼にもメロスは気概がないと酷評してくれたが、一分の可能性すらないものに挑めと言われ、躊躇いなく行くのはただの馬鹿だ。何の策もなく進んだ直後に襲うのは即死。誰が行くものか。
だから登ることはしないまま何か方法はないかと探しているうちに、メロスが〈不死再生〉などという術を使ったのだ。果たして、会ったばかりの奴が使うそんな得体の知れない術を誰が信じるだろう。生命力が減っているのはわかっても、強くなった感覚などないのだ。
賭けて挑むのは無謀に思えた。
あの頃のティーナは慎重で臆病だった。むやみに命を危険に晒すのも馬鹿らしいことだとそう思っていた。
それが変わったのは龍になったときなのか、もしくはナユタ大陸を知ったとき。
矜持が傷つけられることに我慢ならなくなったので、多分登竜門を登り切ったときには変わっていたのだろう。
最近では激情に飽かせて、簡単に命を投げ打つ行動を取るようになった。それもこれも、原因はメロスだが。
ティーナはゆっくりと瞼を開く。客間。どうやら気絶している間に連れて来られたらしい。
「起きたか」
隣に座るメロスが身動ぎしたティーナに気づく。――頭を撫でられた。そのことに安心し、ついでメロスが近くにいてくれたと安心した感情の動きに、小さく怒りが湧いた。
「……師匠がやったのか?」
手を払いのけつつ訊ねる。瞬時に気を失わせるなどメロスしか考えられなかったが、念のためだ。
「ああ。もしあのまま動いていたら、リンに殺されかねなかったからな」
「リン?」
「そっちのおかっぱだ」
来客の二人は正面のソファに座っていた。白銀の女性はメロスの正面、リンと呼ばれた方はティーナの正面にいた。目を向けると、リンが小さくお辞儀。如何にも内気なお嬢様という風で、殺意とは無縁そうだ。
「信じられんだろうが、リンは怖いぞ」
ティーナの疑問などお見通しなのか、メロスが説明する。
「随分昔の話だが、とある小国の王がユウキを――ああ、そっちの白い方だ。で、ユウキを妾にしようとしたことがあってな。当時、後ろ盾を何も持っていなかったユウキに対してしつこく付き纏ったり、その執着を見た貴族が、逆にユウキに国を乗っ取られるかもしれないなどと邪推して暗殺者を放ってきたことがあったんだ。一年ほどはうまくあしらっていたんだが、しかしドジってな。腕に軽い怪我を負った。で、激怒したのが本人ではなく、そこのリンだ」
「あの頃は私も若かったので」
顎で指されたリンがすまし顔で言った。
「……さっきの様子を見るに、性格が変わったとは思えんが。まあそれはともかく、激怒したリンは原因となった小国の王侯貴族、全て皆殺しにしてな。留守だったり他国に居たりで難を逃れた貴族達も、数十年掛けて殺し尽くしたんだよ。中にはどう考えても無関係だろうというのも被害者に含まれていたか」
「お恥ずかしいことです」
リンは顔を羞恥に赤くし、頬に手を添える。
さすがにやりすぎたと思っているのだろうか。
「あんなゴミ掃除に数十年も時間を掛けてしまうなんて。今なら一年以内にはやれますのに」
全然違った。ティーナは唖然とする。この人、見た目と性格が全く違う。苛烈などというものではない、アンタッチャブルである。もしメロスが止めずに白銀の女性――ユウキに殴りかかっていたら、リンに一生狙われるようになっていたのだろうか。
今更襲ってきた寒気に耐えるように二の腕を抱くと、隣からコテンと重圧が掛かってきた。見ると、ルカが眠っていた。
「ルカの方は私に向かってきたからな、面倒だから眠らせた」
つまり、ルカはティーナが攻撃を受けたと判断したのだろう。それもメロスから。リンやユウキに向かなかったのはよかったが、それにしても無茶をする。
今のルカは万全な状態ではない。十日前にメロスとの戦いで霊力を使い果たしたルカは、簡単に回復しないのだ。メロスの診断は、半年ほどで満タンになるらしい。
それでも霊峰の液体霊力で作ったマジック・ポーションを使えば、数日もすれば回復するのだが、莫大な霊力に飽かせた力技をさせないため、常に枯渇に近い状態において細やかな技法を先に学ばせる方針だと言っていた。
そんな状態なのに、ティーナが気絶させられただけでメロスに向かうとは。馬鹿だなぁと思うと、手が自然とルカの頭に伸びた。
「ん……ティーナ……? ティーナ!」
バッと音がするほどの勢いで起き上がると、そのまま抱きつかんばかりにティーナの身体を触りまくる。
押しのけようとはしたのだが、泣き出しそうな顔の前に手が止まった。おかげでルカに為されるがままだ。
「大丈夫? 首、痛くない? あの馬鹿師匠、ティーナによくもっ!」
始め悲痛な声を出していたが、確認する内に怒りが再燃してきたらしい。どころか、横で座っているメロスも目に入っていないようだ。
……眠らせたと聞いていたから魔術でも使ったのかと思っていたら、どうやら力技だったらしい。
横目でメロスを睨む。
「速攻性を考えたら圧倒的に早いんだ、ルカは魔術だがな。回復させたから痛みはなかろう?」
「ふう。ルカ、私は大丈夫だから落ち着け」
「……本当に?」
「もちろん」
「……わかった」
ルカはメロスを鋭く睨んだ後、不承不承な様子を隠さずに座った。
「でも、ティーナは突然どうしたの? ボク、びっくりしたんだけど」
「……そうじゃな。そろそろ、説明願いたいものだが」
結局、ルカは何も気づいていなかったようだ。ルカの視点に立つと突然ティーナが怒りだし攻撃をしようとして、メロスに無理矢理止められた程度の認識でしかないのだろう。
ティーナは沈黙を守り推移を見守っていたユウキに目を向けた。ニタニタと笑っている。美しかったはずの相貌が、今や悪女のそれに見えた。
こいつが、ホムンクルスの製作者。全ての元凶。再び、飛び掛からんばかりの怒りが胸中に燃え上がった。
「今更必要とも思えんが、改めて紹介はしておこうか」
メロスが言った。
「まず、この赤いのがティーナだ。
ティーナとルカが軽く頭を下げる。ティーナは鋭く睨んだまま、ルカはティーナが怒っているから機嫌悪く。
「で、こっちの白い奴がホムンクルスの生みの親であるユウキ。おかっぱは従者のリン。ユウキとは二千年以上の付き合いで、リンとは千六百年ほどになるな」
予想はしていたものの、付き合いの年月がまるで違う。メロスの家にたった二人で来られたことといい、戦闘能力も相当高いのだろう。
だが、ティーナが睨むのを止める理由にはならない。膝に置いた手をギュッと握りしめる。
ユウキが口にした「芽吹いた」という言葉。メロスでさえ把握していなかった余計なことのせいで、矜持を踏みにじられた怨みを忘れてかけているのかもしれないと思えば、筆舌し難い激情が心身を襲った。
「さて、ユウキ。お前が余計なことをしたらしいとはわかっているが、何をしたんだ? 一切合財教えてもらおうか」
メロスの声が、いつもより低い。どうやらそれなりに怒っていたらしい。
しかしユウキに気にした様子は一切見られなかった。それどころか悪いことは何もしていないとばかりに答える。
「特に大したことはしてねえさ。ちょっと感情を操作しておいただけで」
「それが一番問題だろうが、馬鹿者」
頭痛を堪えるように頭を押さえるメロスなど、ティーナは初めて見た。
「いやあ、本当に大したことはしてねえんだぜ? 『メロスを親として認識し、親愛の情を抱く』ってだけだから」
――愕然とした。
(誰が、誰に、親愛を……)
頭の中が一瞬で沸騰したかと思えるほど熱くなり、視界が歪んだ。それほどまでユウキが言ったことは衝撃的で、到底受け入れがたい不吉な囁きを孕んでいた。
ここまでくるとユウキに殴りかかろうとも思わない。全身から力が抜けて、崩れ落ちないようにするのが精一杯だった。
メロスが頭痛を堪えるように、トントントンと自分の額を指先で叩いた。
「あのなぁ……なぜそんなくだらんことをした」
「そりゃメロスが他の女に靡かねえようにに決まってるじゃん」
「私はすでに枯れきっているし、そうでなくとも元男に靡くつもりはない。自分の身体を改造するのはともかく、性別まで変えおって。ホムンクルスに嫉妬するぐらいなら、全て男型を渡して来たらよかったろうに」
「女性型の方が嬉しいだろ? 一応男性型も一個入れといたけど」
「それで感情操作なぞされては面倒なだけだ。しかもよりによって、なぜ親に対する親愛など」
「具体的には元の身体とホムンクルスの身体が馴染んだ頃に、ほんのちょっと親しみを感じるってだけなんだぜ? そうさなぁ、野良の子ネコを見たときに感じる庇護欲ほど強くないな」
「微妙にわかりそうでわからない説明だな。つまり、そう強いものではないんだな?」
「そりゃもちろん。この感情が強まるとしたら、親に――メロスに好意的な感情を抱いたときだけだな。特に恋愛感情だけは全部変換されるから、これで安心だな」
「安心ではないわ、馬鹿者が」
どこか、二人の会話が遠くの出来事のように聞こえていた。自分のことではない、別の何かについて話しているような気がして仕方なかった。
けれどいくら心の中で否定しようとしても、ティーナがメロスに対して親愛を抱くのは強制で。一度気づいてしまえば、そういう感情が確かにあることを認めてしまい、己に対する誤魔化しも難しくなっていた。
ティーナは隣りのルカを盗み見る。ここに至って何が起こっているのか理解したらしく、その顔は青ざめていた。
我慢ならないはずだ。ティーナが感情を操作されていることに嫌悪感を抱いているのと同じく、ルカも沸騰しそうな怒りを湛えているのだろう。
そんな二人の前で、ユウキは楽しそうに笑っていた。
――吐き気がする。
「……それは、取り除けないのか?」
「何で?」
ティーナが掠れる声で訊ねると、心底不思議そうにユウキは首を傾げた。
「あ、当たり前じゃ! 誰が好き好んでこんな奴を慕わねばならぬ! 絶対にごめんじゃ!」
「そうだよ! ボク達の目標はメロスを倒すことで、ならそんな感情は邪魔になるだけなのに! いらないよ、こんなの!」
もし将来、この感情が育ってメロスを親としか感じなくなっているのだとすれば。
矜持を傷つけた報復はティーナの中で決定事項。親だから殺せないと思ってしまわないか、手心を加えてしまうのではないか。
それはすでに、恐怖だった。
「ユウキ、私からも頼む」
意外にもメロスが援護する。
「メロス?」
「私は将来、強くなった二人と戦いたいとは思っている。必要ならその過程で苦しませるぐらいどうということはないが、意思が鈍るようなことは困る。大体、私は子を持つ気はない」
「なるほどなぁ」
ユウキはおとがいに綺麗な指先を当て、虚空を睨みつける。今日初めて、彼女の表情に懊悩が見えた。時折チラチラとティーナとルカに視線を向けた。
三分ほど沈黙を続け、メロスを正面から見据える。
「結論から言ったら、無理だな」
「理由は?」
「すでに本体とホムンクルスの身体が馴染んでいるから。ほら、元々のホムンクルスって黒髪黒目だったろ? 馴染むにつれて徐々に色が変わるんだけどな、二人はもう馴染み切っている。ここまで来て精神を無理に弄ると、下手すりゃ廃人だ。生きてるだけの人形になっちまうな」
ティーナが深紅に染まったのは龍型でナユタ大陸を飛んでいる間に。ルカに至っては封印術の終わった直後には髪と瞳の色が変わっていた。
個人差や相性があったのだろう。
何にせよ、メロスに対する親愛の情とやらを消すことはできないらしいと知って、悔しさに涙が出てきた。こいつらは、どこまで私を貶めるのだろう、と。
「……二人共、しばらく眠っていろ」
いつもより幾分か柔らかいメロスの声が聞こえ、そして意識が急速に遠のいた――。
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