第8話 メロスvs影法師

「ここは、魔物避けの結界の……?」


 〈風渡り〉によって移動したところ、家に直接帰るのだと思っていたティーナが不思議そうに辺りを見渡す。疑問に感じながらもすぐに影法師から距離を取るところなど、よほど近づきたくないらしい。

 ここに張られた魔物避けの結界は昨日までとまるで同じまま。許可もなく魔物が近づくことを、今も変わらず許していない。

 しかし、地面に刻み直されたような大小二つの陣は。片方の陣は前ほどの大きさではないが、見覚えのある光景。


 気を失っていて詳細を知らなかったはずのティーナが、何かを察したか、ハッとしてメロスを見た。

 

「まさか影法師もホムンクルスに!?」


「正解だ」


 言いながらメロスは、インベントリからホムンクルスを取り出すと、小さい陣の中心に優しく置いた。

 龍だったティーナを込める前のホムンクルスと瓜二つの容姿。多少、こちらの方が髪が短いかもしれない。


「影法師をそっちの陣に移動させてくれ。……ティーナ?」


 命じたのに影法師が動く気配のないことに、怪訝に思って振り返る。最初の場所から動いていなかった。

 影法師は主であるティーナに従う精霊だ。メロスの指示に従う謂れはない。となると、ティーナが行くなと命じたためその場に――いや、何も命じなかったから待機しているのだろうか。


「どうかしたか?」


「……こんな気持ちの悪いモノを、私の同類にするのか?」


「何を言うかと思えば。そんなに影法師が嫌いか」


「嫌いじゃ。極力近づきとうない」


 取りつく島もない。今もじりじりと影法師から距離を取っているティーナを見て、メロスは呆れて首を振る。


「馬鹿らしい。好き嫌いでお前に拒否する権利があるとおもっているのか」


「……影法師が必要だったのは、私にスキルを習得させるためだけじゃろう? ホムンクルスにする必要はないはずじゃ」


「これだけ準備されてるのを見てよく言えるな。ホムンクルスは仕方ないと考えていただけで、一番の目的がスキルの習得だったのは否定しない。だがそれだけの影法師が生まれたんだ、生かさなければ勿体なかろう」


 影法師の身体を構成するのは霊力であり、捧げただけの霊力を影法師の力とする。巨大な湖の水位を下げるほどの霊力で構成された影法師の力は、いかほどか。

 だが影法師の寿命は短い。徐々に構成する霊力が抜けていくためで、魔術などを使えば消費速度も上がるのと同時に、力そのものも弱くなっていく。

 つまり、影法師の最盛期は生まれた瞬間であり、こうしている間にも力を落としている。ホムンクルスに封印する絶好の機会は今をなくして考えられないのだ。

 しかも最終的に影法師が死んでしまうと、せっかく得たスキルの力も半減する。影法師は生かし続ける必要があった。

 そういった事情を伝えてはいないが、メロスの譲らない意思ぐらいは感じ取れているはずだ。なのに、ティーナはまだ悪あがきをしようとする。


「な、何とか……」


「なんともならん。大体、ホムンクルスになったら普段はお前と同じ人型で過ごすことになる。何が嫌だというのだ」


「せ、生理的に……見てみろ、この鳥肌。近くにおられるだけでこれだぞ、とても一緒になど暮らせぬ!」


 腕を差し出して見せたティーナの肌は、確かにぷつぷつと鳥肌が立っていた。

 譲る理由にはならない。


「諦めろ」


「……はあ。影法師、あの陣に移動しろ」


 全てを諦めきったような、絶望すら感じられる声音で影法師に命令する。ティーナがとぼとぼと邪魔にならないところに移動して、体育座りした。そのままコテンとこける。

 如何にも哀愁が漂っていた。

 その姿を見てふと思い出す。


「ああ、そうだ。陣の周りでいいからランニングしておけよ」


「ええっ!?」


 ティーナの抗議の声を黙殺し、マジック・ポーションを数本呷りながら、思考する。

 子供だから影法師が怖いというのはわかるのだが、あそこまで嫌がるものだろうか。それも、鳥肌が立つほど。

 生物としての特性にそれらしいものがあったかな、といくらか考えてみたが、知っている知識では反発する類のものは見つからない。

 となると、本当に性格的なことだろう。こちらはさすがに昨日今日の付き合いなので、理解するのは少々厳しい。


(影法師の能力がここまで高くなければ、止めてもよかったんだがな。あれは食指が動く)


 しかし、ティーナと影法師の仲が想像以上にうまく行かなかったら、どうしようか。

 ホムンクルスとなった後が面倒くさそうだとげんなりしながら、メロスは封印術を開始する。



 ◇◆◇◆◇



 光が収束していく。

 朝から何かと時間が掛かっていたせいで、空はすっかり夜になっている。時刻的にはまだ早いのだが、山の連なるナユタ大陸では夜の訪れが少し早い。

 やはり気になるのか、術が終了したと察したティーナが肩で息をしながら近寄ってきて、辿り着いた途端大の字に倒れる。


「ティーナ。新しいホムンクルスが生まれたが、見なくていいのか?」


「ちょ、ちょっと……待って、おれ…………もう少し……」


「寝たら置いて行くぞ」


「……ふぅ、貴様なら本当に、置いて行きそうだな」


 もう呼吸の整い始めたティーナが、緩慢な動きで立ち上がる。


「思ったより回復が早いな」


「そりゃ龍じゃからな。この程度の疲労、すぐに癒える。それより、あやつがそうか」


 ティーナの視線は陣の中心で横たわる少女に向いていた。未だ眠っているらしく、動く様子はない。

 メロスとティーナは、すでに役目を終えた陣へ足を踏み込み、少女の元へ向かう。


「やはり気に入らんか?」


 メロスが訊く。


「気に入らぬ。存在自体が気に入らぬ。まったく、アレと共に住むことになるかと思うと、嫌悪感ばかりが募りおる。……だが、貴様と二人きりよりマシかと、走っている間に思い直した」


「嫌われたものだな」


「身に覚えしかなかろうに、どの口が言うか」


 メロスは喉の奥で笑った。


「それにしても、お前は何がそんなに気に入らんのだ。存在自体が、など言うとは思わなかった」


「……影法師とはつまり、自分自身のコピーじゃ。もう一人の自分が目の前に居て、それが私に仕えるという。私からすれば、それを容易く受け入れるという方が、まともな神経をしているようには思えぬな。想像するだけでゾッとするのに、現実にそうなるとは……」


 なるほど、とメロスは頷く。

 心底嫌っているようにしか見えなかったが、どうやら彼女なりの理由というものが、確かに存在していたらしい。それはメロスには理解し難いものではあったが、その考えは間違っていると否定できる類のことでもない。


「……こやつがあの影法師、か」


 影法師のホムンクルスまでやってきて、薄気味悪そうに見下ろしながらティーナが言った。

 影法師の眠る姿はまるでティーナが寝ているのを見ているみたいに、瓜二つの容姿をしていた。違いといえば、ショートカットになった瑠璃色の髪ぐらいか。もしかすると瞳も瑠璃色に染まっているのかもしれない。


 双子。メロスにはそう思えたのだが、ティーナは二歩三歩と後ずさり、再びメロスを盾にする。

 顔は嫌悪に歪みきり、まるで存在そのものが許せないみたいに睨んでいた。


「影法師、起きろ」


 メロスが一言言えば、影法師の瞼がゆっくり開いた。覗いた瞳はやはり瑠璃の色。

 むずがゆそうな表情をして起き上がり、こちらを向いた。

 初めて正面から影法師を見ると、細かい点でティーナとの違いがチラチラ見つかる。例えば目つきは影法師の方が優しいし、顔つきも柔らかい。身長もやや影法師の方が低いだろうか。


 ただし感じる魔力は影法師がかなり上回っている。影法師として構成されていた魔力全てが、ホムンクルスとして正しく融合しているのだとしたら、数十年もあればメロスの魔力量に匹敵するのではないだろうか。

 二千年鍛え続けたものに、数十年で到達。背筋にゾクリとしたものが走った。この子もまた、ティーナに匹敵する才能の塊――。


「うむ、悪くない。この子も強くなりそうだ」


 メロスはにやりとして言った。影法師は一般的にオリジナルの劣化コピーと言われている。力を使えば弱体化する性質は長期に使うには向かず、〈神仙〉というトッププレイヤーの技を必要とする割には使い捨てなので、基本的に影法師が使用されることはない。


 だがホムンクルスとなった影法師にその弱点はない。元々体を構成していた霊力は融合の術式によって余すところなく吸収され、最大MPと同じ扱いへと変換された。霊力を使っても回復するようになったのである。


 弱点なき影法師。それはもはやもう一人のティーナが生まれたのと同じ意味を持つ。ならばこの子はどんな風に強くなるのだろう。最大の目的はティーナのスキル獲得であったことは間違いないが、もはやそれを抜いても瑠璃色の髪と瞳を持つ少女を育てるのが楽しみになっていた。


 メロスが将来の姿を想像して心躍らせていると、影法師はコテンと首を傾げ近づいてくる。

 背後に隠れているティーナと会話でもするのかと見ていると――、


「ッ!」


 パシンッ! と音が鳴った。訝しげに片眉を上げるメロスの腹部では、影法師の拳を受け止めたままに固定されていた。幼いながらも考え、隙を突いたらしい一発。しかしメロスの隙を突こうと思えば、最低でも上位クラスの力は必要で、生まれたての影法師がどう頑張ったとしても無駄だ。見てから動いてもなお余裕があった。

 まさしく、児戯。攻撃されたところで怒りは湧かず、訝しい気持ちが大きく勝っていた。


「喰らえ」


 ティーナとよく似た影法師の小さな声。魔力の高まりを感じた。


「水の魔術か。ティーナとは扱う属性も違うのだな」


 トンと軽く地面を蹴って影法師から距離を取る。警戒からの離脱ではない。メロスの顔に浮かぶ笑みは敵を前にするものではなく、何が起こるかわからない手品でも楽しむような笑み。


 二十メートルほどの距離を取ったメロスは動かない。望みさえすれば影法師の術などは発動前に潰すことも、魔力を散らして無力化することも可能。いくら霊力が多いとはいえ、術式を構成する速度といい、霊力の滑らかさといい、標準以下にもほどがある。ホムンクルスと化した割には出力は高いようだが、影法師に見られる力量は所詮その程度。


 まじめにやるのは大人げなく、警戒するのも馬鹿らしい。


 だからこそメロスは楽しみなのだ。

 彼我の実力差は明らかで、誰が見たって勝ち目はない。なのに不意を突いて殴り掛かってきたり、今もこうして魔術を構成している。何が影法師を突き動かしているのだろう。そんな興味も湧くが、何よりどうやってメロスに挑んでくるつもりなのかに強い興味が湧いた。

 どんな魔術を、どう使う? 普通の魔術では防御するまでもなくメロスに効きはしないのに。じれったい魔力の動きだが、メロスはじっと待つ。


「〈水の吐息ウォーター・ブレス〉!」


 影法師の口から細い――しかし威力の高い水が吐き出された。

 〈龍の吐息ドラゴン・ブレス〉を小型にして水にしたものだろうか。イメージとしてはウォーターカッター。斬るよりも貫くことに特化した水の光線。

 メロスは掌を少し角度を与えて突き出した。

 〈水の吐息ウォーター・ブレス〉が掌と勢いよく衝突する。本来ならば掌程度の厚みならそのまま貫通する〈水の吐息ウォーター・ブレス〉はしかし、掌から与えられた角度に従って逸れてメロスの後ろへ通りすぎていく。


「ふむ。影法師が今覚えているスキルといえば、初めから覚えていたものだけのはず。ティーナが火を司るのに、影法師が水を司るとは」


 これが魔術ならそこまで驚きはしない。スキルと魔術は似ているようで違う。

 スキルはあらかじめ決められた動作しかしないプログラムだが、魔術であればプログラミングから打ち込むようなもので、様々な応用を利かせやすい。その分威力が落ちるし、乱発が難しいという制限はあるが、苦手な属性でも適性次第で使うことはできる。


 そのため今の攻撃が魔術により一から構成したものなら納得できるのだが、影法師が使ったのはスキルだった。これで火のスキルを使ったのならティーナから引き継がれたのだと納得もしよう。しかし水のスキルなど、いつどこで手に入れることができたのか。


 影法師はティーナの言った通り、本人のコピー。精霊でもあるのでそちらに関するスキルが増えることはあるが、基本的にティーナと同じものしか持っていないはず。まして、本人と逆の属性など習得できるはずもないのに。

 なぜこんな違いが生まれているのだろう。

 その疑問には、影法師本人が怒りを滲ませた声で答えた。


「ボクはティーナが生み出した影法師。お前を殺すため、ボクは自分を『ティーナのサポートをする存在』として位置付けた。だから、ティーナにできないことはボクができる」


 メロスは、ティーナへ素早く視線を投げた。


「わ、私!? 覚えがないぞ!」


 本人も驚いて目を瞠っているところを見るに、意識してやったことではなさそうだ。ならば自分を位置づけたというのは、本当に影法師本人がやったということになる。タイミングとしては影法師になる前か、ホムンクルスになる前。影法師の前は核石なので意思などありえず、ならばホムンクルスになる前。


 確かに影法師のときも自我はある。その意思がホムンクルスになるどさくさに紛れて、新たな存在を確立しスキルを会得したというのか。馬鹿馬鹿しい話なのに、目の前で実例を出されては容易に否定することもできない。

 再び影法師に視線を投げかける。明らかに敵意のこもった視線を向けており、次のスキルの準備に入っていた。


「存在の位置づけ……聞いたことがない。自分でやったみたいに言ってるが、意識なんてなかったはずだろうに。一体、どうやって」


「アレだけの時間核に魔力を込められてたら、自我のひとつぐらい生まれる」


「――なるほど」


 確かにティーナが核石に魔力を込めるのは相当な時間が掛かった。本人の魔力の出力も低いし、一気に魔力を込めたら壊すと考えていた節があったため、さらにゆっくりと時間を掛けて魔力を流していた。


 大精霊の核石を手に入れて影法師を作ろうとするのは、普通なら超位ジョブ〈神仙〉のみ。そもそも神仙術を使わねば作れないので、そんな高ランクプレイヤーなら魔力を込めるのも数分で済む。

 核石の時点で自我が生まれる条件が魔力を込める時間だったなら、今まで誰にも知られなかったのも納得できる。だがこれは〈ドラゴン・ライズ〉時代からあった設定なのだろうか? さすがにそこまではわからないか。


「ふむ。で、今襲ってきてるのは何故だ?」


「お前がティーナに何をしてきたか! ボクは記憶も引き継いでるんだぞ、許せるもんか!」


「ま、そうだろうな」


 影法師が攻撃してくる理由を心から納得した。好かれようなどと一切考えず行動しているせいか、我ながら外道しかしていないとメロスは理解している。


 目的はただひとつ、強い龍を育てること。その過程において多少の憤慨は仕方ないと割り切っているので、いつかこうして攻撃されることもあると考えていたが、昨日の今日だというのに存外早く訪れたものだ。


 時期が早すぎたせいで、勝敗の見え切った戦いであることは不満だが、それでも勝つために何をしてくるのか見ているのは面白い。

 唯一影法師を止められるだろうティーナはまだ傍観している。なら影法師は止まらない、己の主に対する忠誠故に。

 そしてその結果はメロスの楽しみとして変換されているのだから、皮肉なものだ。


「で、会話したりして時間稼ぎは十分か?」


 影法師が苦い顔をした。


「バレてないと思っていたなら考えが甘いというものだ。まあ待つぐらい、いいがね。影法師がこうだとすると、ティーナの瞬発を鍛える必要があるな。あれはスキル発動までの時間が短くなるから便利だぞ」


「――〈踊るは氷の妖精ダンシング・アイス〉!」


 ようやく準備を終えた影法師のスキルが発動した。

 変化するは空間。足元には靄が漂い、周囲をダイヤモンドダストが包み込んだ。飛び交う氷の無数の粒子が月光を受けて煌めき乱舞する。気温が氷点下まで下がっただろうか、息が白い。霊峰が降りてきた、とは言い過ぎだろうか。


「精霊魔術か。五ツ星〈踊るは氷の妖精ダンシング・アイス〉。確かに弱いスキルではないが」


 メロスは自身の手を見る。ダイヤモンドダストの細かな氷が張りつき、凍り始めている。指先から徐々に白が広がった。五指が白で埋まり、すぐに手首まで。ピリピリとした痛みもある。ダメージだ。相手に状態異常を強制するスキルとしては、悪くない。完全に凍りつかせるまで一分ぐらいだろうか。

 強力なスキルだ。

 もっとも――、


「効かんがね」


 パリィィン、と手を握りしめただけで氷が弾けた。


「私にとってそのスキルはダイヤモンドダストを生み出すだけのものだ。まさかティーナの記憶を引き継ぎながら、この程度のことも理解していなかったとは、言わないな?」


 メロスは表情から笑みを消し、見下すように影法師を見据えた。

 精霊魔術の〈踊るは氷の妖精ダンシング・アイス〉などという魔力を多く使う魔術を選びながら、効かないことを想定していなかったとは思えない。

 むしろ想定していなかったら愚かすぎるほど読みが甘い。その“もしも”を考えればメロスの笑みも消えるというものだ。


「うん、これが本番だから」


 だが、杞憂だったようだ。影法師の顔に諦めはなく、言葉通りこれが本番であると揺蕩う魔力の力強さが示している。

 面白い。何をするのだろう。

 メロスは楽しみで仕方なかった。彼女のような、絶対に諦めないという目をした相手と対峙したのは、果たしてどれほど前のことか。影法師の実力では歩いて月を目指そうとするほどに、メロスに勝つのは絶望的。それでも工夫を凝らそうとしている姿に、メロスは純粋な感嘆を覚えた。

 そして影法師は、次のスキルを使用した。


「〈多重展開マルチプル〉・〈飛翔する氷柱アイス・ニードル〉」


 二つの同時発動。しかし準備時間が短い。やはり始めから想定していたことか。

 おそらく当初から準備していたらしいスキルは、〈踊るは氷の妖精ダンシング・アイス〉とは比べものにならない展開の速さ。

 空中。始めは拳大ほどの氷塊が生まれた。ひとつふたつではない。およそ百から百五十。それだけの氷塊がメロスを囲んで空中より出現し、氷塊は氷柱の如く鋭角を生じた。アイスピックのような切っ先は全てメロス一点に殺意を込めて指し示す。


 ――氷の檻。


 卵龍であったティーナを〈氷の讃歌アイス・ローズ〉で追い詰めたときのような状況が、メロス自身に跳ね返った。

 メロスはゆったりとした動作で辺りを見回し、どこにも逃げ場がないことを確認する。そして、笑みを深めた。


「――素晴らしい」


 呟いた直後、全ての〈飛翔する氷柱アイス・ニードル〉が勢いよく発射。

 氷同士がぶつかり破壊し合う音が鳴り響く中、氷霧でメロスの姿が見えなくなる。しかし影法師は手を緩めない。次々と〈飛翔する氷柱アイス・ニードル〉を生み出しては、もはや見えないメロス向かって発射する。むしろ影法師にとって手を緩める理由はない。これで確実に殺すというどす黒い殺意を込めて、連射する。

 氷のガトリングガン。そんな言葉が相応しい光景。

 飛び交う氷と破砕音だけが周囲を支配した。


 三十秒ほど続いただろうか。影法師の魔力が尽きて、ようやく氷が生み出されなくなる。

 踏み場もないほど、周辺に散らばる氷の残骸。それが影法師の攻撃の激しさを物語っていた。


「〈踊るは氷の妖精ダンシング・アイス〉の副次効果に、確か三ツ星以下の凍りスキルの魔力量半減、威力上昇の副次効果があったか。すっかり忘れていたよ、後の〈多重展開マルチプル〉・〈飛翔する氷柱アイス・ニードル〉のための伏線だったのだな――」


 氷霧が晴れる中、朗らかに笑い現れたメロス。

 一切の怪我を負っていない。影法師の全ての魔力を使って、それでも無傷――。

 その姿を見て、影法師は絶望的な気分に落とされた。本気で殺すつもりだったが、殺せるとは思っていなかった。どうやっても勝てない実力差があることぐらい、見ればわかる。

 それでも傷のひとつぐらい――付けられると思っていた。

 影法師が苦しげに膝を屈した。魔力の枯渇に荒く呼吸している。


「しかし、数に頼ったのは失敗だったな。まず一撃の威力を高めた攻撃――〈龍の吐息ドラゴン・ブレス〉のようなスキルの方が、まだ私にダメージを与えられたろうに」


「……でも、それで……お前の魔力は、尽きたはず」


 影法師が苦しげに言った。

 まだ、諦めてはいない。絶望深くに突き落とされようとも最後の策が残っていた。

 そしてそれはメロスの望むところでもある。すでに決着がついた状況にしてもなお諦めない影法師に、純粋な称賛を抱いた。


「……なるほど、確かに。魔力を消費させるのが目的だったなら、今の攻撃の方が有効だな。狙い通り、私の魔力はほぼゼロにまで減っている」


 神仙術の使用、それからの影法師に対する封印術の行使。多少余裕を持たせていたとはいえ、魔力の残量が一割を切っていたのは確かで、それも影法師の魔術を防御するのに使ってしまった。

 生半可な攻撃ではなかった。

 三ツ星の〈多重展開マルチプル〉、同じく三ツ星の〈飛翔する氷柱アイス・ニードル〉。莫大な霊力に支えられた二つの魔術は、限界を越えて強化されていた。


(影法師が〈多重展開マルチプル〉を覚えているということは、ティーナはそちらの才能もないか。どちらかといえば強力な一撃タイプがティーナ、広範囲殲滅型が影法師というところだろう)


 能力を分析しながら、考える。

 あれだけの霊力を全て消費して、影法師自身も動けないほど疲弊した中で、何を狙っているのだろうか。

 ビックリ箱を開ける前のような感覚で待っていると、影法師が叫んだ。


「ティーナ、とどめをっ!」


 突然呼ばれたティーナがビクリと震えた。何を言われたのかわからないという表情をしている。

 それはメロスも同じだった。


「……この期に及んで他人に縋るのは、減点だぞ?」


 やや失望を見せると、しかし影法師はにやりと笑った。


「始めに言ったはずだよ。ボクは『ティーナのサポートをする存在』として位置付けたって。お前を一番恨んでいるのはティーナだ、ボクはティーナが望みを達成するための捨て駒でいい」


「――ふむ、減点と言ったことは取り消そう。お前は見事役目を果たしたということか。見事だ」


 手放しの称賛。

 なるほど、確かに影法師は主に忠誠を尽くす生き物だ。己の全てを捧げ、主のために一生を捧ぐ。しかし、今の影法師はホムンクルスである。主に仕えるという本質は変わらないにしても、自我が強まれば自然とその本質も薄れるはず。

 しかしこの影法師はどうだ。ホムンクルスとなってなお変質さえ見せないまっすぐな気概は、メロスの琴線に触れた。

 メロスは視線をティーナへ向ける。


「どうする? 続きをやっても構わんぞ」


 人型では到底相手にならないが、龍型になれば可能性がないとは言わない。何しろ、今まで無効化されてきた〈龍の吐息ドラゴン・ブレス〉が通じる状態になっているのだ。

 遥か弱体されたメロスと、万全なティーナ。

 これもまた面白い戦いになりそうだと不敵に笑った。

 受けろ、受けろと内心で訴え続ける。


 箸を向けられた肝心のティーナは困惑していたが、やがて深呼吸すると、決然として言った。


「影法師。余計なことはするな」


「てぃ、ティーナ!?」


 メロスが、何だやらないのかと残念そうに笑みを消す中、影法師が予想外の言葉に目を瞠る。


「私はこんなこと、頼んだ覚えはない」


「でも! こいつに勝つには今がチャンスなんだよ? もう魔力は空っぽなのに、なんでさ。ティーナが恨んでるの、ボク知ってるんだよ?」


「そうだな、恨んでおる。いくら殺しても足らぬほど、怒りが煮えたぎっておる。私の矜持を粉々になるまで踏みにじりおった張本人じゃからな」


「なら!」


「だからこそ、だ。もはや殺すだけでは飽き足らぬ! 真正面から完全なる敗北を与えて屈服させなければ、我慢ならぬからだっ!」


 怒りに身体を震わせながら、ティーナが叫ぶ。

 今まで我慢してきたものが、一度に噴出してきたように見えた。


「ただ殺すだけでなるものか! 私がこいつを殺すときは徹底的に敗北感を植え付け、生まれたことを後悔させ、敵したことを懺悔させるほどでなければ我慢ならぬ! 圧倒的な力で上回って見せなければならぬのだ、我が矜持に賭けて!」


 興奮のあまり荒い呼吸を繰り返すティーナ。それでも幾分落ち着いてきた様子が見受けられ、天を仰いで肩を落とす。

 無力感を吐き出すように、言う。


「ただ殺すだけでは、私の望みは果たせんのだよ……」


「そう、なんだ……」


 ティーナの激情に触れた影法師が、地面を強く握りしめ、悔し涙を静かに流し始めた。

 ティーナが俯く影法師を見た。何かを言いよどみ、口の中で言葉を転がし、そしてはっきりと告げる。


「影法師。私がこいつを殺すまで私に仕え、道を遮る邪魔者を露払いしろ」


 影法師がハッとしてティーナを見た。随分酷い顔になっているが、本人に気にした様子はまるでなく、信じられないという思いだけが表れている。

 それはティーナに認められたということ。あれだけ影法師という存在を嫌がり、疎んじていたティーナの始めて見せた譲歩。

 影法師は胸に火を灯されたような温かみを感じた。


「……返事をせぬか」


 ティーナの顔はどこまでも不本意そうで、しかし困惑も色濃くでていて。

 ようやく認めて貰えたという実感の伴わないまま返事をする。


「は、はいっ!」


「言葉使いを改める必要はない。影法師が私のコピーなら、そういうのは苦手だろうからな」


「……うんっ!」


 影法師が涙でぐしゃぐしゃの顔を綻ばせた。また、涙が零れる。同じ涙なのに、さっきまでのものとまるで違っていた。

 近寄ったティーナが影法師を優しく抱きしめると、我慢しきれなくなったのか、わんわんと大声で泣いた。認めて貰ったという安堵に満ちた声だった。


 メロスはその光景を少し離れたところで見守っていた。嗤いが零れそうになるのを必死に耐え、しかし口角がわずかに上がってしまっていた。

 この二人、相性がかなりいい。残念ながら二人同時に向かってくる未来は訪れないかもしれないが、それもいいだろう。

 ひたすら鍛えてみよう。そして十分育ったら戦ってみよう。それだけが今の楽しみだった。

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