第7話 影法師
湖面――ちょうど核石の沈んだ辺りで、宙に浮いてこちらを見ている存在があった。
闇そのものが形を得たような――生物かも疑わしい物体が、じっとティーナを窺っている。
まるでティーナの影が質量を得て勝手に動き出したようで、知らなければ魔物としか思えない異形である。
ティーナは言葉もなく、固まっていた。顔は引き攣り、繋いだ手からカタカタと細かな震えが伝わってくる。
影法師がすうっと宙を滑らかに滑って近づいてくる様はどこか幽鬼に似て、ティーナが慌てて後ずさる。二歩と行かないうちにメロスの足にぶつかると、すぐさま足を盾にしながら影法師を窺った。
影法師もぬめっとした動きで、同じようにティーナを窺う。ティーナが悲鳴をあげて慌てて後ずさり、こけて尻餅をついた。
「そこまで怖がらなくてもよかろう」
「……無理」
引張り上げて無理矢理立たす。声まで少し震えていた。確かに影法師はホラーにしか見えず、子供には少しばかり厳しいかもしれない。
自分と同じ姿、黒い影、足が地面についてない、ぬぅっとした動作。子供が嫌いそうなものの目白押しである。
「影法師ってなんぞ、これは! 忠実? 忠実ならどこかに消えてくれっ、私の視界の外に!」
悲鳴をあげるティーナは油断すると手を離して逃げ出しそうだ。メロスと手を繋いだまま腕を限界まで伸ばして、稼働範囲のギリギリまで影法師から離れようとしている。しかしそれで逃げられるはずもなく、影法師に近づかれ慌ててメロスを盾にする。
子供が暴走していた。放っておいたらメロスを中心に鬼ごっこをしそうな勢いである。肝心のティーナ本人はほとんど泣いているが。
「……影法師は精霊の一種だな。精霊種の核石に主となる者の魔力を込め、神仙術の〈月影魂魄〉を使い霊力を与えることで生み出せる。今回は湖全体を使うほどの大規模な液体霊力を使ってやってみた。こいつの身体は霊力そのもので構成されている」
湖から減った液体霊力、琵琶湖よりも大きなこの湖の水位を減らすとは、どれほどの霊力を消費して構成されたのか。
何百年か前、メロスも同じように作ったことはあるのだが、そのときは水位が減ったようには感じなかった。ティーナの魔力と相性が良かっただけなのかもしれないが、減った霊力が精霊の実力となることを考えると、影法師の実力は目を瞠るものがあるのは間違いない。
少なくとも現段階で龍形のティーナより強いのは確かだろう。影法師は大精霊ではないはずだが、そこらの大精霊よりよほど強い霊力を持っている。
――ティーナのパートナーとしては実に相応しい。
「ところで話は変わるが、ティーナは強くなるにはどうすればいいと思う?」
「知るか! そんなことよりこやつを何とかしてくれ!」
「……お前が弟子になった理由のほぼ全部が否定されたな。影法師が怖いならちゃんと命令しろ」
「どうやって!?」
「普通に。影法師にも意思はあるから、あんまり無茶だと聞いてもらえんが」
「わ、わかった。影法師! 止まれィッ!」
悲鳴同然にティーナが命令した。今まで追いかけていた影法師がピタリと止まる。
ティーナが肩で息をしながら影法師への警戒を続ける。激しい動きが突然止まるところを見て、メロスはなんとなく猫を思い出した。
「と、止まったかの……。もうちょっと離れてくれ」
命令を追加すると、影法師は頷いてこの場から離れた。大体十メートルぐらい距離を置いて止まる。
ようやく安全を確保したことで腰が抜けたのか、ティーナの膝が折れて、氷の上に座り込んだ。
「仕方ないな。まあ、話をするにはちょうどいいか。さてもう一度聞くが、ティーナは強くなるにはどうすればいいと思う?」
「……せめてもう少し休ませてもらいところじゃが。そうさの、一日二十四時間眠ることなく格上の相手と戦い続けること、か?」
「……まあ、悪くないが。今度やってみるか?」
「師としての命令ならば従おう。しかしやりたくはないのう」
「ふむ、そちらはそちらで考えておくことにしようか。それはともかく、手っ取り早く強くなるのに一番効率がいい方法はスキルを覚えることだ」
「スキル?」
「あらかじめ決められた動きを強制する世界のシステム、それがスキルだ。龍には決められたスキルしか使えないからな。お前をホムンクルスにした理由そのものと言っていい」
スキルを覚え自在に使うことができるのは、〈ドラゴン・ライズ〉時代にプレイヤーが選択可能だった種族に限られる。その中で龍は敵として出てきてもプレイヤー側で操作することはできなかった。
そのため龍にできるのは、始めから覚えているスキルに限る。〈
またホムンクルスのときに覚えたスキルは龍体となっても使用可能。もちろん体型が大きく違うため使えなくなるスキルも多いだろうが、使えるスキルが増えるメリットに比べればなんということはない。
「ティーナは影法師を生み出したことでいくつかスキルを手に入れたはずだ。確認してみろ。〈システム・オープン〉と口に出せばいい」
「……〈システム・オープン〉」
どこか疑いながら、ティーナがシステムの開示スペルを口にする。すると驚愕に目を見開いた。
不可視状態にされているためメロスからはわからないが、ティーナの目の前にはプレイヤーのメニュー画面と同じものが表示されたのだろう。
〈システム・オープン〉と唱えれば誰でも使えるメニュー画面なのだが、メロスがここに引き籠る前には国策で使用禁止が言い渡されていた。無用の武力を民の間に広げないというのが理由だったが、本音は武力の独占を計ったのだろう。
千年か、それぐらい前の話だが今はどうなっていることか。
ちなみにプレイヤーとはいくらか違っていて、最大のものは〈インベントリ〉の有無だろうか。ホムンクルスは作成者のユウキが時空魔術を仕込んだおかげで、プレイヤーに比べると少量ながら使えるが。条件は魔力量、ティーナならもう使えるだろう。
「ログがないからスキルがいつ手に入ったか、まったくわからんのが不便だがな。わかるか?」
「……おう、見つけたぞ」
「うむ。ティーナが今回手に入れたスキルの取得条件は一定以上の実力を持つ精霊からの親愛、忠誠が向けられることだな。九ツ星スキルだな」
「九ツ星?」
「ああ、そこもか。装備品やスキルには入手難易度や総合的な強さから判断された“星”が与えられる。最低の一ツ星から始まり、最高で十ツ星。まあ私は慣れてしまっているが、四段階で分けるのが一般的だな」
一ツ星から三ツ星を下位、四ツ星から六ツ星を中位、七ツ星から九ツ星を上位、十ツ星は超位と呼ばれる。
元はジョブのみを位階で、スキルを星で表していたが、こちらの世界にきていつからか混ざり合い今の表記が一般的になっている。
どちらを使っても正しく、メロスは〈ドラゴン・ライズ〉時代に乗っ取った星でのクラス分けを好んだ。
「師匠。もしや今回手に入れたスキル、かなり強力な奴ではないのか? 何も知らないうちに取ったのだが……」
「スキルを手に入れるときはいつでもそんなものだな。頻繁にチェックしておかないと、知らぬ間に追加されている。一度にセットできるのは三百までだから気をつけろよ」
「ああ。確かにいくつかとっておるな。……〈復讐心〉やら〈未熟な龍〉やらまでありおる。龍の方はなぜか赤文字じゃが……この調子だと三百なぞすぐ埋まるぞ」
「入りきらなかったスキルは控えに回される。文字色が赤はなんらかの条件を満たしていないせいで使えないってことだな。ホムンクルスになったせいで使えなくなったかね? 黒での表示がそのスキルの能力を五割より多く引き出せるということで、逆に薄くなっているものは半分以下までしか引き出せない」
「曖昧じゃな。半分以下とか、それより多いとか。もっと詳しくわからんのか。それにスキルの能力を引き出すとか、なぜそんな話になる。手に入れたら自由に使えるものではないのか?」
「お前も〈
「八百か、遠いな」
「あと言っておくことは――ああ、そうだ。ジョブと種族についてだけ話しておこうか。ティーナ、ステータスという項目から自分の状態を見てみろ」
「うむ。……開いたぞ」
「ジョブと種族はどうなっている」
「ジョブは無し、種族はホムンクルスで後に(龍)と付いておるな」
「なるほど。ジョブと種族、これはどちらもスキルの取得傾向と限界を表すものだ」
種族はヒューマン、エルフ、ドワーフ、獣人などプレイヤーがどういう存在であるかを示す。
成長によって種族が変化することはないが、特殊な条件をクリアすることで、種族を変更できるようになる例は多い。むしろ〈ドラゴン・ライズ〉ではそちらの方がメインであっただろう。
たとえばメロスなら〈神仙〉という種族だが元はしがない一ヒューマンでしかなかった。ジョブが仙人になったときに始めて種族が変わったのだ。
そのときは仙人の弟子となり認められるという過程を辿ったが、中には〈ドラゴン・ライズ〉内で強い感情を発するのが条件という変わり種もあり、〈
また、ステータス限界は種族に大きく依存する。
〈ドラゴン・ライズ〉はレベル制のゲームではなく、特定の行動をすることでステータスが上昇するというシステムを取っていた。成長限界が種族に依存する以上、ジョブの選択以上にプレイスタイルに影響するため、特に重要な要素として扱われていた。
一方、ジョブはアイテムを使うことで就くことができる。
ジョブには四段階のクラスがあり、下位、中位、上位、超位と強くなっていく。〈ドラゴン・ライズ〉と違ってアイテムやスキルを位で表すのはこの影響だろうか。
ジョブに就くためのアイテムの〈転職石〉は、一ツ星、三ツ星、六ツ星と三種類。それぞれによって就けるジョブの位が変わり、条件を満たしているジョブにのみ就くことができる。そもそも条件を満たしていなければ、表示すらされないが。
また特定の種族にしか就くことのできない固有ジョブというのも存在する。
ただし、超位の場合のみは〈転職石〉を使わず、特殊な条件を満たす以外に就くことはできない。場合によっては下位や中位にも、〈転職石〉を使用しない特殊なジョブがある。
メロスの場合であれば、下位の闘士からの条件クリアで中位の道士と転職し、上位の仙人、超位の神仙へと至った経緯がある。
ジョブは取得できるスキルに強く影響し、そのジョブに就いていなければ使えないスキル、十全に力を発揮できないスキルなどもあるため、スキル構成を考えるうえでどういうジョブに就くかはまず考えなければならないことである。
灰色や赤文字で表記されるスキルなどはこれら条件を満たしていない場合も含まれている。
それら説明を終えて、最後にインベントリから緑の石をティーナに渡した。
「それが一ツ星の転職石だ。使ってみるか?」
「……ふむ。使ってみたいが、一度しか選べんのか?」
「中位や上位になっていても下位なら何度でも選べる。ただ変更するとそれまでの習熟度が落ちるせいで、元のジョブに戻ったら習熟度を上げねばならんがな」
ジョブやスキルには習熟度が設定されている。
スキルは使えば使うほど習熟度が上がり、性能が上昇していくのだが、ジョブの習熟度を上げるにはジョブに就いている時間だけが適応される。
ジョブの習熟度は、そのジョブに関連するスキルの性能をどこまで引き出せるかに関わってくる。同じジョブでも就いたばかりの者と百時間以上経過した者で同じスキルを比べると、およそ二割ほど性能が増し、一万時間ほどで三倍に達する。
ステータスの限界が決められていた〈ドラゴン・ライズ〉でこの違いは大きい。
しかし位を上げる以外でジョブを変更すれば、習熟度はゼロに戻り、始めからやり直しとなる。一度ジョブを決めれば最後まで変えないというのが熟練者の常識だった。
「まだ下位にも就いていないティーナには関係ないが、効率面で推奨はされんな。それに初めてジョブに就くと、ジョブに応じたスキルを取得できる。あえて今後取る機会のなさそうなスキルを選んでジョブに就き、スキルを入手したら別のジョブに変えるという手もあるな」
「なるほどな。なら今すぐ決めず、じっくり選んで見ることにするかの。それに――うむ」
ティーナが空いている手を顎に当て、目の前の虚空に視線を走らせつつ言った。自身のステータスでも見ているのだろう。
何かを思いついたようににやりと笑ったが、さて何を考えているのだろうか。
どんなジョブを選ぶにしても、手に入るスキルは有用なものばかり。どれでもいいかと、深く追求はしなかった。
「ところでティーナ、そろそろ立てるか?」
む、とこちらを見たティーナが膝を立て、おそるおそる立ち上がった。やや足が震えているようだが、激しく動かなければ問題なさそうだ。
「問題なさそうだな。ならとりあえず今日は帰るか」
「今日も修行はなしか? これでは私が弟子になった意味がわからんぞ」
「安心しろ、帰ったらランニングだ。私が疲れていてもお前が疲れていないのだから問題ない」
「ランニング!? もっとこう、修行らしいことはしないのか?」
「お前のステータスは低すぎる。身体作りから始めんと何もできんよ」
低く唸るティーナだが、どれだけ駄々をこねても無駄だ。ホムンクルスは人型でしか成長せず、その人型は並の五歳児の身体能力と何も変わらない状態。無理な修行は必ず体を壊すことになる。
しばらくは、できることなどこの程度だった。
「……はあ。仕方ないか」
「うむ、諦めが肝心だな。では移動するから、ティーナは影法師の手を取れ」
「はあ!? なぜ私がやらねばならぬ!」
「影法師は主以外に触れるのも霊力を消費する。明日までは霊力を温存しておきたいのでな、諦めろ」
「……ううっ。来い、影法師……」
離れていた影法師がやってくる。すぐ傍までくると、ティーナが腰の引けた状態で影法師の手を取った。そこまで怖いかと、内心呆れる。
「さて、行くか」
七ツ星仙術スキル〈風渡り〉。
一陣の風と共に姿を消し空を渡る移動術。メロスとティーナが唐突に現れたように、一陣の風が吹き止んだときには人影は全て消えていた。
――死の世界に日常が戻ったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます