第2話:出会い:Theo


 回復魔法といえば神官だろう。

 単純な思考からぼくは南神アテマリス神教会の知人、エーファ・R・ルターを訊ねた。


「ああ、ちょうど良かったわ。まさに渡りに船ね」


 何の偶然か、ちょうど教会側も、新人の神官を預けられる、信頼できる初心者ギルドを捜していたそうだった。

 紹介された人物は、木訥で真面目そうで、この都市ミドルアにまったく不釣り合いの人間だった。聞けば〝外〟からやってきたらしい。

 外の世界では高名な司祭の弟子の一人らしく、訳あってミドルアに派遣されてきた。外ではそれなりに地位もあり、徳も高かったらしい。しかし、外でどんな経験を積もうとも、ミドルアではただの初心者にすぎない。だから初心者ギルドに入るのは当然のことだ。

 初心者ギルドはこのミドルアにも何百と存在しているが、本当に信頼できるようなギルドはごくわずかだ。

 多くのギルドは、そこらのごろつきと大差はない。

 詳しい経緯は知らないが、その新人は教会にとってある程度重要な人物なのだろう。彼を任されるだけのギルドを探そうとした矢先に、タイミング良くぼくが訊ねてきたというのだ。

 あまりにものタイミングの良さに、エーファは神に感謝し、ぼくは罠を疑った。

 しかし紹介された青年レナート・バルビローリはどこからどう見ても善人であり、まさにちょうど探していた人材そのものだったこともあって、小さな不信感を心の奥に沈めて、ギルドの仲間に紹介するのだった。


 ちなみに、初顔合わせ時の、皆の反応。


「はじめまして。みなさん、これからよろしくお願いします」

「よお、色々大変だと思うが、よろしくな」

「よろしくね! 歓迎するよ!」

「ええっ! 年上! なぜっ! 話が違うっ! 年下がよかったっすよ!」

「これからサブヽヽ回復役ヒーラーとしてがんばってくださいね」

「あ、あの……そ、その……よ、ろし、くです……」


 とりあえず煩いティナの口をふさぐ良い方法はないものだろうか?

 あと、アイナの台詞に微妙な黒さを感じるのは気のせいだろうか?

 レナートはお世辞にも筋骨隆々というタイプではない。ひょっとするとそれが気に入らないのか?


 レナートは本当に初心者だった。

 ミドルアに来てからまだわずか三ヶ月。エルレア南部の地方都市出身らしい。アテマリス神教会を頼って尖晶石の塔スピネルのある区画の教会の一室に居を構えることになった。迷宮に潜ったのはわずか三回。教会の先輩が加入するパーティに混ざっての侵入だったそうだ。その際、いくつかの経験値をためて、ようやく〝ヒール〟の〝ギフト〟を一つ覚えただけ。

 なるほど、初心者だ。紛う事なき初心者だ。

 しばらくは足手まといになるだろうが、ぼくらギルドの仲間もそれほどレベルが高いわけじゃない。

 順当に経験を積めば、数ヶ月後にはギルドの一員として馴染むようになるだろう。

 しかしそれも、一度一緒に迷宮に潜ってみてからだ。

 日常でいくら相性を確かめたとしても、実際に迷宮に入り、探索し、戦闘を経験してみないと、本当の相性はわからない。

 初顔合わせから一週間。

 ぼくらはパーティを組んで、迷宮へ潜ることを決めた。


 メンバーは前衛のぼく。当然今回のメインであるレナート。前衛要員としてティナ。そして後衛のサラだ。

 ゲオ、それにアイナ、カルタの姉妹はお留守番。

 アイナをパーティから外すことに一抹の不安を感じないでもなかった。回復魔法を使えるとはいえ、レナートのレベルは低すぎて、ほとんど役には立たないことがわかっていたからだ。

 けれども今後のことも考えて、ここでアイナを休ませることは、とても重要なことのように思えたのだ。

 準備を整え、組合ユニオンに遺跡探索の申請を出した。

 今回の入り口は尖晶石の塔スピネルの地下ゲート。

 この都市に九つある迷宮へのゲートの内、最も難易度が低いと言われているゲートだった。

 尖晶石の塔スピネルがある区画にギルドの拠点を構えるぼくらにとっても、最も慣れ親しんだゲートだった。


 ちょっと潜って、簡単な採集をして、少しばかしの戦闘で経験値を稼いで早めに退却しよう。


 死の危険に満ちたはずの迷宮へ潜るにしては、酷く気楽な思考で、ぼくらは迷宮へと足を踏み入れた。


 果たして、その心構えが悪かったのだろうか?








 ぼくは走りながら剣を振るい、幾度目かのオーガの首を飛ばした。

 倒れ行くオーガの気配を感じながら、足は止めない。

 通路を前へ、とにかく前へ、早く、早く、早く、もっと早く!

 時間との勝負だった。

 この通路がどこまで続いているのかはわからない。

 この先か?

 もっと先か?

 どれくらい先なのか?

 あといくつ角を曲がればいい?

 あといくつ扉を開けばいい?

 とにかく目的は一つ。

 次の部屋まで――あとどれくらいで着く?


 あと四半刻――レナートがそう言ってから、もうだいぶ時間が過ぎている。

 あとどれくらい時間が残っているのか、再び訊ねる余裕はない。

 もう四人とも無言で、ただ前へと進んでいる。

 行く手を遮るオーガたちを、意志のない障害物のように、斬り伏せる。

 次の部屋へと行かなければ、もう本当に終わってしまう。

 だが、もう時間がないとはわかっていた。

 次第に募っていく焦燥に、息が乱れる。体が上手く動かせない。

 考えるな。

 もう、何も考えるな。

 ただ早く、前へ進むことだけに心を止めろ。

 少しでも何か思考を動かそうとすると、絶望に心を、体を支配されそうになってしまうから。


 そして何度目かの角を曲がった瞬間、目の前に、突如として荘厳な意匠を施された両開きの扉が現れた。

 荘厳すぎる意匠に、頭の隅でわずかに警戒音が鳴り響く。しかし、迷っている暇はなかった。

 扉を蹴り飛ばす――幸い、罠はなかった――と目の前が突然開けた。

 ぼくは振り向き、通路の端へと体を寄せる。

 ぼくの脇をすり抜けるように影が三つ。

 三人が無事、部屋へと駆け込んでいったことを確認したあと、ぼくは追っ手のオーガに一太刀を浴びせ、すぐに転身し、自分の体を部屋へと潜り込ませた。

 閉じられる扉。

 音を立てて掛けられるかんぬきヽヽヽヽ

 ぼくは扉を背にして、座り込み、息を吐いた。





 おかしいと思ったのだ。

 出てくるモンスターの数がやたらと多くて妙に強い。

 目的の一つだった、低位魔晶石の採集も規定量を取り終え、ほどよく戦闘も済ませ、レナートの回復魔法も確認した――その時だった。

 そろそろ戻ろうかと、ある部屋を出た瞬間、ジャイアント・オーガに襲われた。


「何でこんな所に出るっすか!」


 耳に痛いほどティナの悲鳴のような叫び声が辺りに轟いた。

 倒せない敵ではなかったが足手まといレナートもいる。安全策をとって、退却することに決めた。

 ここは尖晶石の塔スピネルの地下。最弱の迷宮ラビリンス。ジャイアント・オーガなんてのが出てきたのは何かの間違いなのだ。ちょっと奥へと逃げて、別のルートから地上へ戻ればいい。


 ――油断、なのだろう。

 過信、慢心と、言葉を付け加えても良い。


 一つの可能性から目をそらしていた。


 そんなことはない。確率的に少ない。

 きっと大丈夫。


 そんな、現実の前では、何の力もない楽観的な希望を言い訳にして。


 次々と湧き溢れてくるオーガの群れを倒しながら、自分たちがジリジリと迷宮の奥へと追いやられていることに気づいていた。

 そして、マジック・オーガの魔法を目にした瞬間、ぼくはもう最悪の状況に確信を覚えずにはいられなかった。


 この通路は――ボスの部屋へと続いている。



 迷宮の中に、所々に配置されているボスモンスターと呼ばれる通常よりも強力な力を持つ魔物。

 その魔物の出る一帯では、通常モンスターの力すら、普段より増強されるという。


 日付が変わるまであと一刻を切った時、ぼくは今日中に地上へ戻ることを諦めた。

 日付が変わる瞬間、通路にいては死は免れない。それは迷宮に潜る者の常識だ。

 どこか室内にいたとしても、日付が変わった後、迷宮の外へとつながる通路がそのまま存在しているとは限らない。

 そのまま閉じ込められてしまうかもしれない。

 けれども、少なくとも、通路とは違って即座に死ぬことはない。

 だから少しでも条件が良い部屋を目指して、日付が変わった後も通路に繋がりやすそうな大きな部屋を目指して、移動し続けた。


 ――それが、さらなる失敗を生む。


 長い通路だった。

 どこまで進んでも、いつまで経っても通路が終わらない。

 気づいた時には、もう後戻りできない所まで来ていた。

 あとはすべて運だった。


 とにかくどこでも良い。

 一刻も早く、どこか部屋へと行かないと。


 ただそれだけを考えて、駆けた。

 他のことを考える余裕など、微塵もなかった。


 そうして駆け込んだ部屋で、ぼくは――――



「……さ、祭壇?」


 荒い息の行き交う中、そんな小さなつぶやきが耳に飛び込んできて、ぼくは顔を上げた。

 部屋の中にモンスターの気配はない。

 だから半分、安心していた。

 けれども、落ち着いて部屋を見回してみると、奇妙なところがいくつも見えた。


 長方形の、長細い部屋だった。

 入って来た部屋から奥へ向けて、赤く濁った色の床板が通路のように伸びていた。通路の左右には、床から天井へと伸びた柱が何本も均等に並んで建っている。柱には精巧な彫刻が施されていた。遠目には細やかな模様としかわからなかったが、近寄ってみるといくつもの神話の邪悪な化け物が彫られていることがわかった。通路の先には、一つ盛り上がった台座があった。部屋中の意匠のデザインが、その台座へと何か一つの流れを作っていることに気づいた。

 この雰囲気は、まるで。


「まさか、ボスの部屋!」


 恐怖の混じったティナの声が響いた瞬間、どこからか空気の抜けるような音が響き渡った。

 奥の台座から、白い煙が床を這うように湧き出てくる。

 冷たい風が流れ、部屋の気温が一気に下がったように感じる。


 ぼくは剣を杖のように立てて立ち上がる。


「下がれっ!」


 全員に声を掛けて、前へ出る。


 本当に最悪だ。


 白い煙が、一際大きく噴き上がった。

 祭壇全体が白く、大きく煙に包まれる。

 そして、煙の奥にゆっくりと影が浮かび上がる。


 人型――。


 心臓が早鐘のように鳴り続ける。

 危険。危険。――危険!

 勝てるか?

 今のぼくに。

 こんな浅い階層にいるボスだ。ボスの中でもきっとレベルは低い。

 いや、この期に及んで、まだぼくは楽観に逃げるつもりなのか? それで今日、何度失敗した? 判断ミスはもうしたくない。自分だけじゃなくて、仲間にまで被害が及んでしまう。だから、考えるのを止めろと? 違う、そうじゃない。ミスを恐れて動けなくなることもダメだ。ああ、だから最悪を想像しろ。現実は必ず、その斜め上にやってくる。斜め上だとわかっていれば、対処のしようもある。いや、そんな訳無いだろ。何を考えてるんだ。いや、何も考えていない。ダメだ。考えろ。思考を止めるな。でも、考えろって、何を?


 混乱している。


 剣を構えながら、無意識に手っ甲を確認する。

 ブレスレット。アンクレット。イヤリング。エルボーガード。装備品の確認。


 ぼくには切り札がある。

 ぼく一人だけならば、きっと、どうにかなる。

 速攻だ。

 速攻で、相手に攻撃の継ぎ目を与えるな。

 あとは祈ろう。

 相手に、広範囲攻撃手段が無いことを。


 白い煙が晴れる前に、ぼくは駆け出した。

 薄らと浮かび上がる影に向けて、最速の攻撃をたたき込もうとする。

 一歩、二歩、三歩、床を蹴る度に加速する。

 アンクレットに込められたギフトも、同時に開放して、速く、もっと速く。

 攻撃の予備動作に入るために、剣を水平に構え、後ろに引く。


 その時、白い煙の奥の影がぶれて――二つに増えた。


 ぎょっと、驚く。

 敵は二体いる!


 二体、同時に斬れるか?

 いや、無理だ。一体を斬っている間に、もう一体は逃れる。そして次の瞬間には反撃されてしまうだろう。今出そうとしている技は、隙は少ないが、無いわけじゃない。相手が攻撃を受けたのならば、その間に立て直すことができる程度の、小さな隙だ。けれども、攻撃を受けていない敵がいるのならば、その隙を突くのは用意だろう。低級のモンスターならばともなく、ボスモンスターがその隙を見逃すはずもない。今出している技を、今更止めることはできない。どうする? ああ、ダメだ。考える時間が、ない。


 ぼくは二つの影に向けて、剣を振った。


 後にして思えば、その迷いが、幸いしたのだろう。


 ぼくの剣が、白い煙を斬り裂いて進む。


 霧が急速に散っていく。

 バランスを崩して、倒れる影。

 ぼくの剣は見事に宙を斬る。

 だが、足は止まらずに、そのまま真っ直ぐ駆けていき、二つの影と、衝突した。


「きゃあああっ!」

「ぬおっ!」

「ぐっ!」


 三種類の声が上がり、けたたましい衝突音が鳴り響く。

 大きく倒れる音。金属の軋む音。何かがつぶれる音。

 いくつもの音が混ざり合う。


 受け身を取る間もなかった。

 ぼくはすぐに立ち上がり、剣を構え直す。


 何がどうなったかなんて、考える間もない。

 ぼくの剣は躱されて、二体のボスモンスターと衝突したのだ。

 次の攻撃を――と、体は自然と構える。

 だが、晴れた白い煙。ぼくの目の前に飛び込んできたのは。


 どこからどう見ても、ごく普通の人間に見える、少年と少女が、絡み合うようにして祭壇から落ちて、倒れている姿だった。


「……な、何だ?」


 苦痛に顔を歪めて体を押さえている二人の仕草は、どう考えても転けた人間が普通に見せる姿で、邪悪さも、力強さも、何も感じなかった。

 どこか日常的な。

 どこか平和な。


 混乱して、全身から力が抜ける。



 ――現実は必ず、その斜め上にやってくる。


「※■△▲○◇▽♯×Σ♭†∀◆」


 頭を抑えながら、少年が立ち上がった。

 辺りを見回し、ぼくの存在に気づくと、首を傾げながら言葉を飛ばしてきた。

 その言葉の意味は、まったく理解できなかった。けれども、どこか懐かしく感じる響きを持っているように思えた。

 少年は反応のないぼくから視線を外すと、まだ倒れたままの少女の肩に手を置き、小さく揺すった。


「……□※、∃£×■∞◇■▼」


 倒れたままの少女の口から、何か言葉が漏れる。

 それを聞いて、少年はため息をつく。と思ったら、少女の頭を叩いた。

 少女は頭を抑えながら起き上がる。半分涙目だ。かと思えば次の瞬間、悪戯っぽい表情を浮かべて何事かつぶやいた。

 少年は何かを諦めたかのように、嘆息する。その横顔は、妙に疲れたように見えた。

 そして、顔を上げて、ぼくを見て、言った。


「●◎□、○▲▽◇※■×?」


 ぼくはそれに対して。


「……何言ってんの?」


 妙に気の抜けた答えしか、返すことができなかった。

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