第6話:言葉:You



 再度はじまりの部屋に戻り、着替えを済ませてぼくらは通路を戻っていった。

 ちなみにしずるが着替えた服もまたしてもメイド服。

 さっきまでよりかはややおとなしめの、クラシカルなスタイル。スカートの丈はだいぶ長くなったが、やはりどこか胸を強調するデザインは変わらなかった。


「本当にここは、どこなんだろうな」


 目が覚めたら見知らぬ部屋。わけもわからず見たことのない獣に襲いかかられ、倒したかと思えば獣は赤い光になって消えてしまった。


 勝手に想像力が働く。


 ここはどこかダンジョンの中で、赤い光はきっと経験値のようなもので、僕らの体の中に潜って消えたってことは、経験値を得たってことなのだろう。

 その証拠に、先ほどからなんだか体がポカポカと温かいのだ。

 ようするに、RPG的なダンジョン世界に転移してしまったのだろうか?


 異世界転移の物語は、かなり昔から存在する。

 オズの魔法使いやら、不思議の国のアリスやら、ナルニア国物語やら。

 その多くは、異世界と現実世界を行き来できる、通路のある物語だった。

 古いファンタジー小説風に言うところ『ゆきてかえりし物語』だ。


 ――なんか違うような気がする。


 というか勘違いだ。


 ところでこの状況はどうだろう?

 可逆的なのか? 不可逆的なのか?

 ようするに、元の世界に戻れるのか戻れないのか。

 今は考える材料が少なくて、答えを得ることはできない。


 それを考えるに当たって、ヒントがないわけではない。

 僕と同じく、この世界へとやってきた少女、しずるの存在だ。


 同行者がいるってことは、すごく幸福なことなんだ。

 会話相手がいるってことは、それだけで状況が変化する。

 一人、閉じこもる可能性は少ない。

 どうにも秘密主義な様子が見られるが、しずるは少なくとも僕以上に何らかの情報を持っているようだし。


 僕らは警戒しながら通路を進んで行く。

 先ほどの、犬的な化け物が再びでやしないかなんて、考えながら。

 さっきは色々と偶然が重なって何とか倒すことができた。見た目より強い化け物じゃなかったのかもしれない。けれども再び同じように巧くいく保証なんて何処にもなかった。


 先ほどの獣がいないかと、慎重になって部屋を覗く。だがそこにはもう、獣はおろか、先ほど死骸となったはずの獣の痕跡さえ、何もなかった。

 血とか飛び散った脳漿とか、そんな跡すらもない。本当にゲームの世界のように、赤い光となって溶けて消えてしまったかのようだった。

 本当にこれはゲームの世界なんじゃないかと思った。

 とても精巧にできた、ヴァーチャルリアリティのゲームの世界。

 ゲームをリアルに体験するために、僕やしずるの意識は十七歳になっているのだ。

 僕の知識では、こんなことを実現するようなヴァーチャルリアリティは存在しない。

 少なくとも、十七歳である、僕の知識では。

 しかし本当の、この世界の外にいる現実世界の僕はどうなのだろうか。

 少なくとも七年以上先。プラスアルファ、十七歳であるというしずると僕が、二人きりでこの世界にいるという理由が存在できるだけの時間が経った未来のこと。

 どれだけ未来の話なのかはさっぱりわからない。

 けれども今の僕が知らない未来には、こんなことを簡単に達成してしまうような技術が、ひょっとすると存在しちゃったりするんじゃないだろうか。

 そんなこと、妄想だ。

 そう思おうとするのだが、なぜだかその発想が、今の僕にはもっともらしく感じられてしまう。


 獣が出てきた崩れた壁の奥へ行く気はしなかった。

 だから行動の選択肢は、先ほど試みようとして失敗した、天井のホールへと向かうこと以外に見つからなかった。

 はじまりの部屋のクローゼットの一番底に、折り畳み式の脚立が入っていることに気付いたのは、何か役立つものがないかとクローゼットの中身を全部取り出し、収納ボックスを全部引き出して分解した、その後だった。妙に最下段の収納のスペースが狭いと気付いたしずるが色々弄っていると、奥の板が外れ、そこにあるハンドルを回すと、出てきたのだった。

 明らかに用意されたものに、ひどく誘導されている気分になる。

 何かの掌の上。

 まるでゲームマスターがどこかにいて、すべての物事がご都合主義で動くように操作しているみたいだと感じられた。

 だからこそ僕はこれが、ヴァーチャルリアリティのゲーム的だと感じられる。

 そう感じること事態が、すごくSF的で現実味のないことなのだけれども。


 脚立の上に立つと、なんとか天井のふたになんとか両手が届いた。力を込めるが、抵抗が強い。けれども、動きそうだと感じられた。ふたに封がしてあるのではなく、ふた自体の自重で閉じられているのだと思えた。力を込めると、ずるりと、なんとかずらして隙間を作ることができた。


「やった!」


 小さく弾んだしずるの声が響いて、僕は脚立を見上げる彼女を見る。

 嫌みの無い純粋な笑顔である。

 僕にとっては見覚えのない彼女だけれども、しずるにとっては僕は知り合いなのだ。

 時々構えた様子もあるけれども、遠慮の無い態度は確かに彼女にとって僕がある程度気心の知れた友人なのだろうと想像できた。


 まったく、何がどうなっているのやら。


 謎が多すぎて、考えるのがとても面倒だ。

 だから考えるのを止めて、流れに任せてみようなんて、そんな気分になる。


 脚立を真っ直ぐに伸ばし、梯子にして立てると、天井の穴の先に確りと引っかかった。どうやら上れそうだ。

 先に偵察するという意味もあって、しずるに梯子を支えて貰って昇っていった。天井の穴に手を引っかけた時だった。


「ぎゅるるるるっ」


 非常に聞き覚えのあるうなり声が聞こえて僕は慌てて下を見る。


「ちょっ!」


 しずるが悲鳴のような声を上げた。

 崩れた穴の奥から見覚えのある黒い毛並みを持つ犬っぽい大型の獣がのそりと這い出てきていた。


「しずるっ!」


 僕が叫ぶと、我に返ったようにしずるは走って梯子に足を掛ける。ギシギシと梯子が嫌な音を立てる。一瞬の浮遊感に腹の底が竦む。けれども早く昇らないと、しずるも昇れない。僕は慌てて梯子を昇っていく。


「ぎゅるぐわっ!」


 次の瞬間、わけのわからない事態が起きた。

 獣が何やら吠えたかと思えば、その口から何かを吐き出したのが視界の隅で見えた。

 何かが焼ける匂い。そして辺りに一斉に白い蒸気が広がった。


 何だ。何が起きている?


 わけのわからない事態だったが、僕にはそれに注視する余裕はない。急いで梯子を登り、蓋を開けて飛び出すように上の部屋に入る。そしてしゃがんで、今出てきたばかりの穴に手を伸ばして、上がってきたしずるの手を掴む。しずるの方からも握り返してきたことを確認すると、一気に引き上げる。


 白い蒸気に包まれて、その時の僕には周りは何も見えていなかった。


 次の瞬間、衝撃と共に弾き飛ばされて。

 今まで立っていた祭壇から放り投げ出され、しずると一塊のように転がり落ちたのだった。

 痛む頭を押さえながら立ち上がると、そこで初めて僕は、他者の存在に気付いたのだった。

 僕としずる以外の、誰か。

 彼らは演劇の世界から飛び出してきたような格好をしていた。

 最近よく見る、ハリウッドのファンタジーものに出てきそうな彼らは、どことなく東洋人の雰囲気も持った、日本人にとって比較的馴染みやすそうな特徴も持っていたけれども、明らかに西欧人で、外国の人だった。

 一番近くに戦士の少年。少し離れて同じように皮鎧を着たショートカットの少女。だいぶ離れて体全体を覆う麻色のローブに身を包んだ少女。そしてそのさらに後に、白い貫頭衣っぽい何かの制服的な衣装に身を包んだ男。

 どうにも状況を察するに、戦士の少年がどうやら僕らにぶつかってきたようだった。

 少年と言ってもたぶん僕よりは少し年上。二十代になるかならないかくらいに見えた。それでも青年ではなく少年と呼んでしまうのは、彼がどことなく童顔で、すれてなさそうな雰囲気を持つからなのだろう。

 彼は少し呆然といった感じでつぶやいた。


「窶ヲ窶ヲ縺ェ縲∽ス輔□?」


 それはさっぱり意味がわからない言葉だった。

 なんか文字の並びというか抑揚というか、耳に飛び込んで来た単語と熟語の構造というか、それが耳に入りやすい、つまり日本語に似ているようにも感じられたのだが、さっぱり意味がつかめない。


「……なんていうか、東北とかの酷い方言なまりを聞いているような」


 呆然としてしまったが、そういえばしずるはと慌てて振り向くと、すぐ後にしずるは俯せに倒れていた。

 愕然として肩を強く――揺すろうとして、頭を打ったものを激しく揺さぶるのは拙い、なんていうどこかで聞いたような知識が邪魔をして、軽く揺さぶるに留まる。幸いしずるはすぐに動き、体をごろんと回転させて仰向けになる。

 そしてなぜかワクワクした表情になると目を輝かせて僕に言うのだった。


「……いきなり押し倒すのなんて、先輩意外に大胆? ああ、たまちゃんの時にもそんな積極性があれば二人が別れることもなかったのにっ!」


 だから誰だよ。

 僕にその「たまちゃん」とやらの記憶はまったくないんだぞ。まったく。こいつの言うことはどこまでが本当でどこまでがネタなのかさっぱりわからない。たぶん色々と騙されてるんだろうなと感じつつ、仕方ないかと諦めて僕はため息を吐く。けれどもキラキラと好奇心に満ちたしずるの目を見るとぴきりと腹が立ってしまって、つい額を叩くのだった。

 頭を押さえながら起き上がるしずるを横目に、僕はもう一度剣士の少年に顔を向けた。

 とりあえず何かコミュニケーションを取らなければ何も始まらない。


「んで、貴方たちはどこの誰で、ここはどこですか?」


 回答は期待していなかった。案の定、相手から零れた言葉は「窶ヲ窶ヲ菴戊ィ?縺」縺ヲ繧薙??」だった。

 さて、どうしようか。

 身振り手振りで何とか意思疎通ができないものか。

 そう僕が考え込み始めたその時だった。


 ガタン


 遠くで何かが動く音が聞こえた。

 何の音だろう。

 僕は気になって顔を上げるのだが、少年たちはそんな音、まるで聞こえていないかのように何の反応も見せず、僕らの方を警戒したように睨んでいる。

 どうしてだろう。

 少し疑問に感じたのだが、そう考えている間にも音はだんだんと、近く、そして大きく、幾重にも重なっていき――気付いた時には発せられた音波が、僕らが今いる部屋全体を激しく叩いて揺らした。


「――地震っ!?」


 そう叫んだ僕自身の声すらも掻き消されて僕の耳にすら届かないほどそれは大きくなった。

 耐えられず床にしゃがみ込み、耳を抑える。しずるも同じように耳を抑えてしゃがみ込んでいるのだが、信じられないことに、少年たちは音が聞こえていないわけではなくうるさく思っていないわけでもないようなのだが、信じられないほどの爆音にわずかに顔をしかめているだけだった。


 その時、おかしなことが起きた。

 ひとりの少女が手に持った杖を掲げると、淡い青色の光が杖の先端から飛び出して、円状に広がっていった。

 その光に包まれる瞬間、ぶわっとした軽い圧力が走り抜けたかと思うと、気付けば辺りから音が消えていた。

 いや、消えたわけじゃない。

 部屋は轟音の影響で振動を続けているし、実際にその音は僕の耳にも届いている。

 だか、無視しようとすれば出来るほど薄く、弱くなっただけだ。


「ま、魔法?」


 どこか呆然としたようなしずるの声が僕の耳に届いた。

 その声は普通に聞こえた。

 淡い光の広がりは僕らを、僕としずると、杖を掲げた少女とその仲間たち三人を丁度包んだ辺りで留まって、楕円状のドームを形成した。

 その事から想像するに、たぶんこれはドームの外から来る音を抑制するような魔法なんだろうと考えた。

 本当にその通りのものかどうかわからない。

 魔法なんて、そんなものを当たり前のもののように考えてしまう今の自分の思考が正常なものなのかどうかもわからない。

 ただそれは、本当に自然に、そう考えることができたのだった。





     ♯♯♯





 えーと、どうも誤解をしていたようです。

 しずるに叩かれて、必死に喋るおどおどとした雰囲気の女の子を見て、どうにも勘違いしていたらしいと気付いたのです。


 いや、だって、普通に日本語喋ってるじゃん? なのに、聞こえない振りをしてわざわざ女の子を介して会話をしようとしている他のヤツら。

 だから僕は、こいつらはきっと貴族か何かで、女の子は奴隷か何かで、だから女の子を介してでないと、高貴な身分の持ち主は下々の者とは話さないのだ。

 どこかで読んだ、異世界ものの小説の設定なんかが頭にあって、自然にそんな想像を、飛躍をしてしまったのだった。

 女の子がおどおどと怯えている様子なのは、常日頃から暴力などの酷い扱いをされているからなんだ。

 そう思い込んでしまった。

 いやだって、女の子の挙動不審からはそれほど異常を感じたのだった。

 それに剣を持っている男。

 僕よりも若干年上って感じだから、まだ少年って呼ばれる歳なのかもしれないけれども、何だか妙に目が離せないというか、何だか変に目が行くのだった。

 貫禄がある、とも少し違う。何だろう。カリスマってやつなのだろうか。特に飛び抜けて顔が良いってわけでもなく、いや、わりとイケメンだろうとは思うけれども、しかしそこにいるだけで何だか影響力がありそうだという予感を感じるというか、非常に曖昧な言い方になってしまうのだが、まあ偉そうだと感じたのだ。

 だからこいつは貴族か何かで、もしくは非常に地位の高いヤツで、怯えている女の子に対して命令する立場で、つまり悪いやつだと思ったのだ。

 僕も次から次へと事態の急変が起きて、混乱していたんだろう。

 しずるに叩かれ、我に返り、完全に困惑している少年を見て、怯えている少女が怯えたまま弁解している声を聞いて、何だかそれを見ても他の三人が完全に理解していない感じで首を傾げているのを見て、そこで僕は、あれ、なんか誤解なのかな、と思ったのだった。

 そうしてサラという【異言語知覚アンチ・バベル】というギフト(?)を持っている少女を介して会話をした結果、僕の誤解を訊いて爆笑したテオというリーダーの少年を見た時、僕は完全に誤解を悟り、謝り倒すことになったのだった。


 閑話休題。


 それからどうするかという話になって、僕としては少し余裕らしきものができたので、出来ることならば僕としずるが出てきた謎の機械が置いてあった部屋をもう少し調べたいところだったのだけれども、何やら深夜0時が過ぎて組み換えexchangeという現象が起きたため、部屋と通路の構造が変わってしまい、元の部屋に戻ることはできないだろうという話を聞いた。そんな馬鹿なと思い、今僕としずるが登ってきたばかりの台座の穴を見ると、そこにはもう穴なんかどこにもなくて、硬い石の壁があるだけだった。


 ここは迷宮都市〝ミドルア〟の地下にある迷宮のひとつ。

 毎時深夜0時を回ると組み換えexchangeという現象が起き、迷宮の構造が変わってしまう。

 そんな説明を、この段階になって初めて僕らは聞くことができた。

 そうして、僕らのような迷宮から突然現れた異世界人のことを異邦人エトランゼと呼び、過去に何人もその存在は確認されているのだということも。


「……毎回入る度に構造が違うダンジョンって、ゲームとかでよくあるな」


 呆然と僕は、そんな感想しか出すことができなかった。


「……不思議なダン――」


 しずるが首を傾げながらつぶやいた。最後の方は余震みたいな振動が遠くでまだ続いていて、よく聞こえなかったけれども言いたいことはよくわかった。

 そんな僕らをサラが不思議そうに眺めていた。


 とりあえず、こうしていても仕方がないと行動を始めることにした僕ら。

 深夜とは言うけれども、僕はまだ、なんか寝て起きてばっかりのような感覚で、よくわからない。

 テオたち、四人も何やら気分が高ぶっているのか、あまり休む気はないようだった。

 深夜まで活動して、疲れているだろうし休んだ方がいいんじゃないかなーと僕は思うのだが、本職が休まなくて大丈夫だと判断したのだから大丈夫なのだろう。

 そう思い、動き出す準備をしている四人を見ていたのだが、どうにもどこか不満げな様子が伝わったのだろうか、サラという少女が怯えながら声を掛けてきた。


「あ……、えっと、あの……この部屋、なんかボス部屋っぽくて、危険な雰囲気がするので、少しでもこの部屋から離れた方が安全かと……」


 なぜに怯えるのだ。

 というか、本当にこのサラという少女は怯えている状態が常態デフォルトなのだな。

 この状態が当たり前ということは、実は怯えているようには見えているだけであって、内心は全然普通なのかもしれない。しかし見た目だけでも怯えられているっていうのは、何だか話を聞いているだけで罪悪感が沸いてきて意味もなく申し訳なく思ってしまう。うん、きっとテオたちはそんなサラの相手をしているのが当たり前になってしまって、もう罪悪感も何も抱くことなんてないから、そんな平然とした態度が、僕のような第三者的に見て不遜な態度に見えてしまったのだな。

 ゆえに、変な誤解をしてしまったのだ。


 準備が出来たのか、やがて部屋の出口たる扉を開けて、迷宮に戻っていく。

 先頭にティナという女剣士。その後にサラ。しずる。レナートという神官。僕。そして殿にテオという布陣で、歩いて行く。

 レナートという神官は回復役なのだが、迷宮初心者ということで、ほとんど戦力外扱い。六人という人数の実に半数が戦力外ということで、何も知らない僕から見ても、迷宮に挑むにはありえない布陣だとわかる。

 前方を女性で固めたというのは、先頭よりも殿の方が危険が高いという一般論からなのだろう。僕らが出会った部屋は行き止まりだったから、そこから撤退するのだったら後に敵が出てくることなんてないんじゃない、なんて思うのだが、どうにも迷宮の魔物とはおかしな性質を持つらしくて、何も無い所から突然自然発生したりするらしい。

 普通だったら信じがたい現象なんだろうけれども、今、この状態がすでに信じられない事態でもあるし、何より僕は、一度、迷宮の魔物らしき生物が、赤い光となって消えるのを見ているのだ。ならばそんなものなのだろうと納得するしかないのだった。

 僕ら六人はほとんど間を開けずに固まって迷宮の通路を進む。

 石造りの迷宮は明らかな人工物なのだが、サラ、を介してテオが言うところ、本当に人の手によるものかはわからないらしい。

 今の人類には、どうやればこんな迷宮を作れるのかさっぱりわからないそうだし、何より歴史に残されているどんな文明の遺跡とも、この迷宮は性質が違うそうなのだ。

 世間一般にはこの迷宮は〝回帰の時代〟と呼ばれる時代を築いた【封土王朝】の遺跡だとされているのだが、【封土王朝】にこんな迷宮を造る技術力はなかったことが明らかにされていて、考古学者たちは首を傾げているのだそうだ。

 迷宮都市に暮らす人々はどう思っているのか、テオは見解を語ってくれた。


 この迷宮は、神によって造られた――と。


 真実かどうかは情報不足で定かではないけれども、この都市では神話の中にしか出て来ないような技術や魔法が生きていることは事実であり、人々は日々実感としてそれを感じているのだそうだ。


 ランダム生成ダンジョンなんて、僕の知る地球社会でもとてもではないけれども現実的な存在じゃないだろう。

 そんなモノは、事の真偽は兎に角、まさにこれは、神業とでも呼べる存在なんじゃないかって、思えてきてしまう。


「ところで、この迷宮って、都市の地下にあるんですよね?」


 そうして迷宮を歩いている時、ふと思い出したかのようにしずるが言った。

 今の所、出現するという魔物の気配はない。ただ古ぼけた石造りの通路を歩いているという感覚だ。

 通路の幅はそれなりにあって、人が3列並んでもまだ余裕があるような感じだ。だからぼくとしずるはなんとなく隣り合ってて、前にサラ、後にレナートという布陣に変わっている。

 どことなくかび臭い雰囲気はいかにも〝地下〟という感じがした。

 湿気も若干、多いような気がするが、この地域の気候を知らないので判断は保留にする。


「そ、そうだけど……」


 相変わらず怯えたように応えたのはサラである。六人が並んで歩いていようとも、今の所意思疎通のできるのが彼女だけなので、当然のことなのだけれども。

 【異言語知覚アンチ・バベル】っていうギフトが原因らしいのだけれども、便利だなと思う。僕も覚えられないものかと、この時はただぼんやりと、その事だけを思った。


「えーと、この道、下ってない?」


 そして何気なく呟かれたしずるの言葉に僕は首を傾げる。


 下っている?

 何を?

 道を?


 言われてみれば、この道はわずかに下方へ傾斜しているようにも思えた。

 ここは都市の地下にあるという巨大な迷宮である。

 サラたちが言うには浅層であり、モンスターも弱いどころか滅多に出ない領域で、仕掛けられた罠も大したことが無く、難易度は非常に低い初心者でも安心して潜れる層らしい。

 しかしそれでも迷宮ではどんな危険が起きるか油断はできないところであり、現にサラたちも僕らと出会う直前までは、いつになく大量に沸いたゴブリンから逃げているところだったらしい。

 だから一応の目的も達成し、僕らという迷宮の素人を二人も抱えたサラたちは、とりあえず迷宮から出ようと、通路を進んでいるのだ。


 なのに下っているというのは、その方向にしか道がないからでもあるのだけれども。


 さて当然のことながら迷宮は深く潜れば潜るほど危険度も上がっていくものである。

 正直なんだか途轍もなく嫌な予感がする。

 フラグめいた気分というか、こういう状況のお約束というか、一筋縄ではいかないような、無事迷宮を脱出するのに、何だか途轍もなく苦労しそうな予感がするのだ。

 そんな雰囲気が伝染したのか、一行は誰もそれ以上会話することなく、重苦しい雰囲気に包まれ始めた。

 どうせ会話をしようとしたところで、言葉はサラ以外には通じないのだけれども。

 そしてサラという少女はどうにも怯えたがりであり、楽しく会話が出来るような気がしないのだけれども。

 気が重い――そう考えた時だった。


「繧ー繧ョ繧ァ繧ョ繝ァ繝?シ」


 前の方からそんな叫び声にも似た不快な声が響き――


「陦後¥縺」縺吶h?」


 そんな声と共に、先頭を歩いていたティナと言う少女が前に向けて走り出した。

 後を歩いていたテオが、僕の腕をつかんだために僕の足は止まる。驚き振り向くと、不安そうに顔を歪めた陰気なレナートの表情が目に飛び込んで、少し怯んだ。

 石造りの通路をティナが掛けていく。角を曲がり、その姿は一瞬僕の視界から消える。その後に続いてサラが走り、僕は後にいたテオに肩を叩かれて、ようやく動き始める。僕より先に我に返ったしずるは、すでに二人の後を追っている。

 少女三人が先行している。その事実に少し不甲斐ない気分が沸いてくる。そんな僕の内心が、どう表情に出ていたのか。レナートが僕を見て、なぜか少し怯えたように距離を取った。そんな態度に内心ショックを受けたりもしたのだが、逆にテオは僕に並び、少し楽しそうに、にやりと笑った。

 曲がり角を曲がる。

 そして僕は、そこに広がった光景に硬直した。


 横に振られる長剣。

 軽々と振ったように見える少女ティナの剣は、腹の出た、土気色をした気味の悪い人型の、小柄な生物を――その上半身と下半身を、何の抵抗もなくあっさりと斬り裂いていた。

 土気色の気味悪い生物――おそらくこれがゴブリンなのだろう――は、血を吹き出して、辺りに撒き散らし、あっさりと絶命した。

 そしてその上半身がずり落ちるように地面に接した瞬間、パリンと割れるように、無数の赤い光の欠片になって――少し遅れて下半身もまた、地面に倒れると同時に赤い光の破片になった。

 光の破片はそれぞれしばらくその場に漂っていたが、やがて目的を定めたかのように動き出す。

 四方八方へと、動き出す赤い光の欠片は、その大半がまだ剣を振り抜いた姿勢で止まっているティナの方へと向かって行ったが、まるでその流れからあぶれたような光の欠片が、やがて目的を思い出したかのように動き出して――僕らの方へと向かってきた。


「……これは」


 これは、一度見た光景だ。

 黒い犬のような化け物が赤い光の欠片になって、僕らの中に吸い込まれていった時のように。


「んっ……」


 赤い光に包まれて、ティナが少し色っぽい声を漏らす。

 僕の中にも赤い光は入ってきて、少し体の奥の方が暖かくなったように感じられる。

 けれども――


「……負けると光になって消えてしまうなんて、まるで本当にゲームみたい」


 しずるの、淡々とした、しかしどこか深刻そうな雰囲気を持った感想に、僕はぞくりと、背中に何か致命的なものを突きつけられたかのような、冷たい恐怖……絶望に近い感覚を受けた。


 確りと立っているはずの足元が、ひどく不安定なもののように感じられて、少し目眩がした。

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今日も彼らは迷宮へ潜る。 彩葉陽文 @wiz_arcana

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