第5話:異邦人:Theo


 十二時の鐘が鳴る。

 ミドルアの街の中心にある、中央塔セントラルの最上階にあるという、黄金の鐘が鳴らす音だ。

 毎日毎晩、深夜零時丁度に鐘は揺れ、その荘厳な音色を都市全体へと響き渡らせる。それは天上から振ってくる福音のように。

 鐘の音と共に、どこかで何かが動く音が聞こえる。

 がたんと、巨大なものが転がり動くような、大きく鈍い音だ。

 それが幾重にも重なって、次第に轟音となって辺りに響き渡る。

 轟音は街のすべてを揺るがして行く。


 本来ならば深夜と呼ばれる時間帯。

 だがこの都市ミドルアは眠れない。

 毎晩毎晩――どこからともなくこの音は響き渡り、街全体を激しく揺るがして、とてもではないけれども眠れる者はいない。

 この轟音はこれから約一刻の間続く。

 ぼくらはそれを毎晩経験している。だから当たり前のこととなっていて、誰も気に留める者はいない。

 ぼくも、サラも、ティナも、そしてミドルアに来てそれほど間もないはずのレナートさんですらそれは同様だ。


 ガコーン ガターン ドーン ギギギギッ


 この音は、ミドルアが組み換わexchangeする音。

 ミドルアの迷宮が蠢き、組み換わっていく音。

 これがミドルアの迷宮が毎日変化し続ける秘密であり、ぼくらが通路を抜けて早くどこかの部屋へ入ろうと駆けていた理由だった。

 ミドルアの迷宮が組み換わる時間――深夜零時。その時間に通路なんかにいたら、組み換わる迷宮に巻き込まれて、通路に潰されて確実に死んでしまう。

 迷宮の部屋は毎日の組み換わりで変化することはない。だから組み換わりの間はどこかの部屋に入ってしまえば、とりあえずは安心なのだ。組み換わり終了後、その部屋から出る通路が迷宮の出口に繋がっているかは定かではないし、そもそも通路自体が繋がっているかどうかすら、定かではないのだけれども。


 目の前で耳を抑えて轟音を遮断しようとしている二組の男女を見る。

 まだ少年少女と呼んで良いほどの、ごく若い二人組だ。

 その様子からぼくは、彼らがこの都市のことを知らないのだと理解できた。

 どんなに轟音だろうと毎晩続けば慣れてしまう。

 仮にどうしても慣れることができなくっても、外因的に慣れる手段は存在する。

 ミドルアの住人は皆そうやってこの都市に順応してきた。

 けれどもこの二人の反応はそうじゃない。

 ミドルアを知らない者の反応だ。

 ぼくはまだ警戒をしてか剣を構えたままのティナに視線を向ける。目を合わせた瞬間、ティナは頷いて剣を下ろした。危険はないと判断したのだろう。

 ぼくはさらに後の部屋の入り口の方で待機しているサラと、レナートに目を向ける。

 サラは杖を下ろしこっちに向かって歩いてきて、その後をレナートが遅れないようにと慌ててついてきた。

 ぼくはサラに向けて声を掛ける。

 轟音は続いていて、声は当然掻き消されてしまって、自分の耳にすら届かないのだけれども。

 それでも口の動きで理解できたのか、サラは頷いて杖を掲げた。

 何事か、サラが叫ぶように口を動かした瞬間、淡い青色の光が杖の先端より広がり、一定の範囲を包み込んだ。

 それを見て、範囲内に取り込まれたレナートは驚いたような目をサラに向けていた。

 サラは苦笑し、すぐにぼくらの方へ歩いてくる。それに伴って、青色の光の範囲は一緒に動いて、あっさりとぼくと、ティナと、すぐそばでうずくまっている二人の少年少女を包み込む。

 その瞬間、音が消えた。

 ――いや、まったく消えたわけではない。

 音はずいぶんと、無視できるほどに小さくなった。

 轟音が発する振動はまだ激しく続いているけれども。


「おおっ、サラねえっ、何ですかこれっ!」


 突然音が消えたことに驚いたのか、ティナが声を上げてサラに募っていった。サラはびくんと怯えたようにわずかに体を震わせた。


「え、えっとね【ノイズリダクション】って魔法。一定範囲の、外から来る音を軽減するの」


 だから魔法の範囲内では普通にしゃべれるし、呪文を唱えて魔法を使うこともできる。あまり使い道がないように見えて、この組み換わりexchangeの時間帯に内緒話をする時なんかによく重宝される魔法だったりして、戦闘職でない人たちの間ではわりとメジャーだったりする。


「○ΞΛΠ※◆/$#Σ」


 聞き慣れない声が聞こえて、ぼくは振り向いた。

 驚いた様子の少年がどうやら呟いていたようだが、ぼくと目が合うと、はっとしたように顔を上げて、警戒する様子で後の少女を庇う様子を見せた。

 うん、少し反応は鈍いような感じだけれども、中々の好印象だ。

 きっと訳がわからない状態だろうに、きちんと他人のことを考える事ができるというのは、少なくとも少年が善人属性であることを示している。

 だからぼくもほとんど警戒を消して、彼に笑いかけた。

 彼はそれを見て、きょとんとした表情をした。その表情は思いの他幼く見えた。十代後半、だと思うのだけれどもひょっとするともう少し幼いのかもしれない。そんなことを考えた。


「ししょー? この人たち、誰っすか? 迷宮に迷い込んだ一般人?」


 少し自信なさげにティナが言ったのは、自分の言った言葉を自分でも信じていないからなのだろう。

 見知らぬ少年と少女を改めて見る。

 二人とも黒髪黒目。丸っこい顔の作りはどちらかと言えば東方人の特徴に近いのだろうか。軽装で、道具らしき者は何も持っておらず、それだけを見ると一般人のように見えるけれども、そんなはずはないのだ。

 九つある迷宮の入り口は探求者組合シーカーズユニオンによって完全に管理されていて、誰も勝手に侵入することはできない。入ることのできるのは、それなりの金銭を払って許可を得た探求者シーカーたちだけなのだ。

 だから一般人ではありえないのだけれども、鎧もローブも着けていない軽装は、どう見たって探求者シーカーには見えない。そして何よりも、。なら、彼らの正体は明白だった。いや、正体なんてわからないけれども、彼らのような存在がどう呼ばれているのか、それは明白だった。


「いや、異邦人エトランゼだね」

「え、えとらー……じぇ? 何っすか、それ?」


 ティナは首を傾げていたが、サラは聞いたことがあったのか頷いていた。レナートは、よくわからないけれども首を傾げているところを見るとよく知らないのだろう。

 ティナがわからないのはいつものことなので放っておこうかと思ったけれども、一応レナートにも説明しておくかと、ぼくは首を一回縦に振った。


「うん、ぼくも話に聞いていただけで遭遇するのは初めてなんだけどね、時々出てくるらしいよ。迷宮の中に、どこから来たのかまったくわからない、正体不明の人たちが。喋る言葉も違えば着ている服も違う。おそらく文化や風習、そして常識も違う。そんな彼らを総じて異邦人エトランゼって呼んでるんだ」


 わからなければわからないなりに、とりあえず名称でも付けてみれば、それだけでわりとわからなさは半減する。

 未知率、なんて言葉があるのかどうかは知らないけれども、その割合が強いと人は警戒し、低くなれば警戒を解くものである。とりあえずわからなさが減った彼ら異邦人エトランゼたちを、迷宮都市はそれなりに受け入れてきたそうだ。まあ何にしろ、迷宮自体がわけわからなさの頂点なわけで、その中からわけのわからないものが出てきたとしても、少々のことではわりといつものことかと済まされてしまうのだろう。


「■†⊿Φ卍◎Σ○/◇♯」


 しかし言葉が使えないと、どうしたものか困ってしまう。

 意思疎通ができないとどう扱って良い物か困惑してしまう。

 部屋はまだ激しく振動し続けていて、組み替えexchangeが終わるまでまだまだ時間が掛かるだろう。

 どうやらこの部屋はボス部屋ではなかったみたいだし、周囲にモンスターの気配もないので、とりあえずは安全地帯のようだ。だから時間があるといえばあるのだけれども。


「警戒対象と意思疎通ができないってのは地味に痛いなぁ」


 困惑して頭を掻いた。そんなぼくを見て、異邦人エトランゼは何かを感じたのか、苦笑して肩を竦めて見せた。そして再び口を開いて理解不能の言葉を喋る。


「※○‡Ω=≧┳」

「いや、悪いようにはするつもりはないよ。君らがぼくたちに敵対しなければね」


 なんとなく意思の疎通が出来ているような気がする。気のせいかもしれないけれども。

 身振り手振りで何とかするしかないかなと思っていると、遠慮がちな空気を醸し出している存在に気付いた。

 そんな存在は、ここのメンバーの中には一人しか居ない。サラはぼくと異邦人エトランゼの少年をちらちらと見ながら、先ほどから口を開こうとして閉じるといった行為を繰り返している。


「どうした?」


 訊くとサラは一瞬怯えたように震えたが、すぐに呼吸を整えると上目遣いの潤んだ瞳でぼくを見て言うのだった。


「その…………ぜん、ぜん、話、噛み合って、ません」


 その言葉の意味は、一瞬わからなかった。

 噛み合っていない話。

 それはたぶん、ぼくと異邦人エトランゼの少年の会話のことを言っているのだろう。

 そりゃあそうだろう。ぼくに異邦人エトランゼの少年の言葉はわからないし、少年にとってもまた同様だろう。身振り手振りも示さず、ただ互いに通じない言葉のみで意志を交わそうなんて、どだい無理なのだ。そんなことはサラに指摘されなくてもわかっている。そして、そんなことぐらいサラも当然わかっているはずなのだ。ならなぜわざわざそのことを指摘したのか。相槌にしては辿々しすぎるし、意味がなさすぎる。それもまたサラらしいなんて思ったりするけれども、そう言った話ではないのだろう。

 そして、首を傾げてサラを見る、ぼくを無視するように、サラに向けて投げ掛けられた声がある。


「……□♭〓、●※◇Θκ」


 初めて耳にした声は少年の影に隠れた異邦人エトランゼの少女のものだった。

 少女は真っ直ぐにサラを見て声を掛けていた。表情に強い驚きを浮かべたまま。少女と同様に少年もまたサラを見て驚いていた。

 何を驚いているのか。驚くことがあったのか、ぼくにはわからない。

 けれどもサラは、少女の言葉を受けて、微笑んだ。


「ええ、ここは迷宮、ダンジョンの中。私たちは探求者シーカーです」


 サラの声を聞いて、少年と少女は互いに顔を見合わせてうなずいた。

 そうしてまた、少年が代表してか、何事かをサラに言う。

 その声は、やはりぼくには理解不能の複雑怪奇な、何というか尖っているというか、幾何学的というか、そんな感じのイメージを受ける声。


 というか。


「サラって【異言語知覚アンチ・バベル】のギフト、持ってたのか?」


 ぼくの疑問にサラはくるりと振り向く。


「う、うん。わ、私、ボルアの出身だから」


 その応えにそういえばとぼくは頷く。

 ボルアの言葉が大陸公用語と違うわけではない。ボルアとは北にある大国で、大国と呼ばれるほど大きな国なのだが大きすぎる国土が災いして、さらに領土の半分ほどが凍土に覆われた不毛の地ということもあり、田舎と呼ばれる貧乏地域が至る所に点在している。人里離れた辺境の地なんてのも数知れず存在していて、そういう地域では辛うじて大陸公用語らしいと判別ができそうでできない感じのレベルでの非常にきつい方言が蔓延はびこっている。ほとんど異言語と言っても良いくらいで、ゆえにそんな地域出身であるサラは、この都市で満足いく意思交流を行う為には、どんな異言語でも理解することができるという【異言語知覚アンチ・バベル】のギフトが必須だったのだろう。

 今の大陸で大陸公用語以外の言葉を使うのは、緑目王朝の発祥の地である東方ぐらいで、あとは数十年単位で他地域との交流を持たない辺境くらいなものだ。

 そんなわけで【異言語知覚アンチ・バベル】は需要がなくて人気がないという意味においてのレアギフトと言ってもよかった。


「おおっ、サラ姉っ、すごいっす!」


 キラキラした眼でティナがサラへと称賛の視線を送るが、たぶん意味わかっていないんだろうなとなんとなく思う。


「それで、この二人は何者だと言ってる?」


 とりあえず話を進めよう。そう思いサラに尋ねたのだが、なぜかサラは怯えたように表情を震わせた。

 何でそんな表情をするのかわからないけれどもサラの臆病は今に始まったことじゃないので特に指摘はせずにサラが自然に話し出すのを待った。

 それはいつもやかましいティナも同様で、じっとサラの様子を見ている。レナートはどうなのかはわからないけれども、何か意見を出せるほどまだぼくらに慣れているわけじゃなかった。

 そして異邦人エトランゼの二人組。彼らの視線も唯一言葉の通じるらしいサラへと注目されている。

 五人の視線を受けてサラは益々怯えたように萎縮する。


「あ……うっ……」


 けれどもやがて、決心をしたというわけではないのだろうけれども、何かに圧されるように、溢れるように言葉をぽつりぽつりと零したのだった。


「こ、この人たちは、から来た、と言ってます。気がついたら、変な部屋で寝てたと」

「……『ちきゅう』って、どっかで聞いたことがあるっすね?」


 ティナが首を傾げて言うのだが、それはそうだろうとぼくは頷く。

 地球とは、異邦人エトランゼたちが口を揃えて言う彼らの出身地のことである。

 だからティナがどこかで耳にしていたとしてもそれはおかしくない。


 地球――正確に言うと、それは国の名前ではなく彼らの生きて来た世界の名前なのだそうである。


 色々とコネがあるぼくは、かつて迷宮の中で保護されたという異邦人エトランゼの研究者と話をしたことがあった。

 地球というのはぼくらにとっての『リドフィリア』みたいなもので、彼らの世界には『日本』とか『アメリカ』とか色んな国があるのだそうだ。どの国の人が多いのかは特に法則性はない。人口の比率から言えば一番数の多いはずの『中国』出身の者はわりと少なく、むしろ『フランス』とか、いわゆる文化、その中でも特に『サブカルチャー』と呼ばれる種類の文明を持っている国出身の者が多いという傾向はあるらしかった。

 いや、そういえばぼくのこれまでの概念を覆すような大きな話があったなと、思い出す。

 そうだ確か、異邦人エトランゼの研究者は言ったのだ。『地球』と『リドフィリア』では意味合いが少し違う。前者は世界全体の、正確に言えば異邦人エトランゼたちが生活の舞台としている空間すべてを指した言葉であり、後者はただの一大陸の名前にすぎないと。

 それを聞いた時、ぼくには初め、意味がまったく理解できなかった。

 リドフィリアがただの大陸の名前――そう言うことは、異邦人エトランゼたちの世界では大陸は複数存在するのだと。

 この世界にはリドフィリア以外の大陸は存在しない。少なくともぼくはリドフィリアここ以外の大陸それを知らず、また社会通念として存在を仄めかすような噂すらもなかった。

 だからリドフィリア以外にも大陸が存在するなんて可能性は初めから頭の中になかったし、だからこそ大陸の名前であるはずの「リドフィリア」を世界そのものの名前だとしていたのだ。ぼくの中で。

 既存の概念を見事に破壊されたぼくは、ひどく感心して頷いていたのだが異邦人エトランゼの研究者は、そんな些細なことで感動されても困ると妙に照れていた。


「……テ、テオさん?」


 そんなことを思い出していると、いつの間にか視線はぼくに集まっていた。

 恐る恐るといったサラの声にはっと我に返って見ると、サラにティナ、レナードは良いとして異邦人エトランゼ二人の視線もぼくに集まっていた。異邦人エトランゼ二人の視線がぼくに向かっているのは、他の三人がぼくを見ているからなんだろう、けれども。しかし視線を受けてみて気付く。


 これ、なんか視線に批難というか、悪意が篭もっていないか?


 少女の方はまだ「批難」といったレベルだが、少年の方はほとんど「敵意」に近い。

 困ったな。どうしてだろう。どこで一体敵意を受けるような失敗をしてしまったのだろう。

 そんな困惑に囚われた時だった。

 不意に異邦人エトランゼの少年が立ち上がるとぼくに向かってきた。

 そして言う。


「※♯$/‡¢Ω¶♪×」


 いや、悪いけど全然意味がわからない。

 ただ、その言葉が放たれた瞬間、視界の隅でサラが表情を蒼白に変えたのが見えた。

 だからぼくは気づけた。

 ああ、何だかよくわからないけれどもこれは誤解されてるな?

 どうにも何か真剣に怒っているらしい異邦人エトランゼの少年に対してぼくは、何だか面倒になってきたなと、ゴブリンに散々追いかけ回されて疲れてるのになと、どうにかならないものかなと、小さくため息を付いた。


 たぶん、そのため息がしゃくに障ったのだろう。

 彼は益々敵意を膨れあがらせて、ぼくに向かってこようと――したその瞬間、少年の後ろに立った異邦人エトランゼの少女に頭を殴られてその場でうずくまった。

 そして少女は少年に対して何やら説教を初めて、そして少年の頭をとってサラに向けて下げさせていた。

 それに対してサラは「あ、いえ」とか「あたしが、はっきりしない、から」とかおどおどと応えていた。


 ぼくは思う。


「師匠ー? これって言葉が通じないと全然面白くないっすねぇ」


 実際に口に出して言ったのはいつの間にかぼくの隣に立っていたティナだったけれども、全くの同意見だったことを、ここにぼくは示しておきたい。

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